働く女性の情報サイト「マイナビウーマン」が20~39歳の女性200人に対して昨年行ったアンケートによれば、男性に対してケチだと感じたことのある女性の割合は全体の66.5%だったということです。
これは、女性の半数以上が男性に対してケチだと感じた経験があるということ。この割合が多いのか少ないのかはよくわかりませんが、相当数の女性に「こいつ、ケチ臭い…」と舌打ちした経験があるのはおそらく事実なのでしょう。
因みに、どんな時に相手をケチだと感じたのか?その答えは、①デートでもできるだけ安いお店に入る、②お金を払った後の一言が多い(「高い」とか「安い」とか、お金を払ったアピールとか…)、③クーポンがあるお店ばかり行く、④初めてのデートでも割り勘にする、④飲食店では飲み物を注文しない…等々かなり辛辣です。
例えば、それが若い女性であれば、「しっかり者の倹約家」として男性に良い印象を与えることは必至のはず。誰にとってもお金は大切なもの。ただ無駄遣いが嫌いなだけなのに、男だからというだけで「そこまで言われなくても…」という気がしなくもありません。
なぜケチな男はそこまで嫌われるのか。そこには(将来を見通した)女性ならではの心理もあるのでしょう。例えば、ケチな男性は、とにかく「自分の財布が痛まないこと」を最優先に考える。こうして、相手よりも自分のことを優先する人物のように見えるのかもしれません。
また、例えばケチな男性は(しっかり事前に調査して、なおかつ)「計画どおり」に物事を運びたがる傾向が強いことも挙げられます。つまりそれは、当初の予定から外れた行動を嫌うということ。若い女性にとってこうした態度をとる男性は、思い付きでは行動しない、面白みのない男に見えることでしょう。
さらに言えば、ケチな人は、「おごった」「おごられた」と些細なことに気が向きがち。昔のこともしっかり覚えていたりして、「ちっせー奴だな…」と女子の気持ちを逆なですることもあるでしょう。ましてや、自分以外にお金を使うことや他人にお金を使うことをしぶったりするそぶりを見せれば、「損得勘定で動く嫌な奴」といった(サイテーの)烙印を押されてしまうかもしれません。
子どものころから「アリとキリギリス」の寓話を読み聞かされ、「倹約こそが美徳」と信じさせられてきた生真面目な貴方が、(今頃になって)どうしてそこまで言われなければならないのか。
答えになるかどうかは判りませんが、5月7日の経済情報サイト「現代ビジネス」に、慶応義塾大学准教授の岩尾俊兵氏による『「お金を使わない人」が「一番の無駄遣い」とも言える「シンプルな理由」』と題する一文が掲載されていたので、参考までに紹介しておきたいと思います。
貧乏を恐れるあまりケチの極致に振れる人がいる。生存に必要なもの以外は何も買いたくないという人。そうした人は文化的な支出もしないし、病気が悪化するまで病院にもいかないし、教育にもお金をかけない。しかし、はっきり言おう。ケチの極致は実は一番の無駄遣いだと、岩尾氏はこの論考の冒頭で断じています。
極端な話、死ぬまでタンス預金にお金を貯め続けて、そのお金の在処を誰にも告げなかった人がいたとする。その人の死とともに、自分のためにも他者のためにも使わずに捨てられる巨額のお金を考えれば、これ以上の無駄遣いは考えづらいと氏は話しています。
それはちょうど、一所懸命に掘った穴にお気に入りのエサをたくさん埋めておいてそのままエサの在処を忘れてしまう、おっちょこちょいな犬のようなもの。そしてその一方で極端にお金を貯めようとすると、時間の余裕がなくなったり、知識・情報の蓄積ができなかったり、人からの信頼をなくしたりすると氏は言います。
お金に固執すれば、常に忙しくて時間の余裕がなくなったり、生きるのに必要な知識・情報が貧弱になったり、人的ネットワークを失ったりするかもしれない。お金、時間、知識、信頼といった資源の、収入と支出のバランス(均衡と調和)が崩れることにもなりかねないということです。
例えば、金融機関で融資を受けるための労力を惜しんで、これまで信頼を蓄積してきた常連客からお金を借りようとする料理人がいたとする。この人は、わずかな時間を節約するために「信頼」という資産をお金に換えてしまったことになると氏は言います。こうした人は、一度はお金を借りられたとしても、より大きな商売の機会を逃してしまう。その結果、(最終的には)お金も時間も信頼も失っていくということです。
結局のところ、目の前のお金や損得に過度にこだわることで、失うものもまた大きいということでしょうか。その支払いを躊躇したことで、目に見えない信頼や経験、将来の可能性などを捨て去っているのかもしれません。
とはいえ、やたら大盤振る舞いしても、それが幸福につながるかと言えば、そんなこともないのがまた難しいところ。たとえ多少彼女に「チッ…ちっせー奴だな」と思われたとしても、(そこそこ)バランスの取れた感覚が必要なのだろうなと、氏の論考を読んで私も改めて感じたところです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます