MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2011 問題なのはアンフェアな分配

2021年11月08日 | 社会・経済


 岸田文雄新首相は10月8日に国会で行った就任後初の所信表明演説において、「分配」という言葉を(実に)12回も使い、安倍政権以降の金融緩和策や財政出動により社会の中で偏った富の再配分に力を入れる方針を明らかにしました。

 新首相が経済政策の前面に掲げるのは、「成長と分配の好循環」というもの。所得の底上げによって中間層を分厚くし、経済全体の成長につなげていくという考え方です。

 過日の自民党総裁選以来「分配なくして次の成長なし」が岸田首相の決め台詞として定着してきた背景には、もちろん衆議院議員選挙に向け、有権者へのアピール度が高い分配政策を強調したいという思いがあったのでしょう。

 しかしその一方で、新政権がこれだけ「分配」の言葉を繰り返すのは、国民の間にそれだけ広く「格差」の存在が意識されるようになっていることの裏返しと言えるかもしれません。

 神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹(うちだ・たつる)氏は9月25日の自身のブログ(「内田樹の研究室」)に「格差について」と題する一文を掲げ、(ここにきて)日本で格差に自覚的な人々が増加している理由に触れています。

 所得格差の指標として用いられるジニ係数。日本では1981年が0.35だったものが、2021年は0.56と上がり続けており、この趨勢はこの先も止まらないだろうというのが、この論考における内田氏の認識です。

 そこに、かつて「一億総中流」と呼ばれた国の面影はないと氏は言います。かつては終身雇用・年功序列という雇用の仕組みが日本のどの企業でも支配的だったが、現在では、その時代を記憶している人の方が少数派になってしまっただろうということです。

 植木等の「ドント節」(作詞青島幸男)は、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ♪」というインパクトのあるフレーズから始まる。もちろん誇張されてはいるが、そこにはそれなりの実感の裏付けがあったというのが氏の見解です。

 1960年代はじめの小津安二郎の映画では、サラリーマンたちは小料理屋の小上がりで昼間からビールの小瓶を飲んで、午後の勤めが終わればもちろん全員定時に帰っていった。毎日、同じ電車で出勤し同じ電車で家路につき、雨が降ると、駅前には傘を持って父親を迎えに来た子どもたちが並んでいたと氏は振り返ります。

 今の人には信じられないだろうが、それでも当時、日本経済は信じられないほどの急角度で成長していたと氏は話しています。そして、その理由は、この時代の日本人がたいへん効率よく仕事をしていたからだというのが氏の指摘するところです。

 (それでは)なぜ、効率が良かったのか。それは、「査定」やら「評価」やら「考課」やらに、当時の人たちは無駄な時間や手間をかけなかったからだと氏は理由を説明しています。

 年功序列というのは、要するに「勤務考課をしない」ということ。人を見て、その能力に相応しいタスクを与えれば、別に査定したり、格付けをしたりする必要はない。難しいタスクを手際よくこなしてくれたら、上司は「ありがとう」と部下の肩を叩いて、「今度一杯奢るよ」くらいで済んだのが彼らの時代だったということです。

 この時代の日本の会社は、言うところの「ブルシット・ジョブ」がきわめて少なかったことが特徴だと内田氏はしています。

 「ブルシット・ジョブ」とは、(人類学者デビッド・グレーヴァーによれば)「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態」のこと。それなしでは社会が成り立たない仕事を「エッセンシャルワーク」と呼ぶが、その対極にあるのが「ブルシット・ジョブ」だということです。

 いなくなっても誰も困らない仕事をする「ブルシットジョブ・ワーカー」は、実は「エッセンシャルワーカー」がちゃんと働いているかどうか管理したり、勤務考課したり、「合理化」したり、組織が上意下達的であることを確認するために存在している。そして、この人たちの方が、当の「エッセンシャルワーカー」よりもはるかに高い給料をもらっているのが現実だと氏は言います。

 そして、これは不条理な話だが、ソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』によれば、人類が農業を始めてからずっとそうであるらしい。有史以来、実際に労働して価値を生み出している人たちが社会の最下層に格付けされ、自分ではいかなる価値も創出しないで寄食している王侯貴族や軍人や聖職者たちの方が豊かな暮らしをしてきたということです。

 今、日本で格差が拡大しているというのは、(つまり)言い換えると、「いかなる価値も創出せず、下層民の労働に寄生していばっている人たち」が増えているということを示しているのだろうと、内田氏は推論しています。

 そこに、一部の人が天文学的な個人資産を蓄え、圧倒的多数が貧しくなり、集団全体は貧しくなるという状況が生まれる。こうした「格差」というのは、単に財が「偏移」しているということではなく、必ず、何の価値も生み出していない仕事に高額の給料が払われ、エッセンシャルワーカーが最低賃金に苦しむという様態をとるということです。

 一方、もしも、階層上位者たちが「明らかに世の中の役に立っている仕事」を誠実かつ勤勉に果たしている(ように見えている)のなら、私たちは決して「格差が拡大している」という印象を持たないだろうと内田氏はしています。

 世の中の役に立つ大切な仕事をしてくれている人たちがどれほど高給を得て、豊かな暮らしをしていても、私たちはそれを「不当だ」とは思わないし「格差を是正しろ」とも言わないだろう。

 だから、今日本で起きていることは、単なるジニ係数的な「格差の拡大」ではない。グレーヴァーのいうところの「ブルシットジョブ・ワーカー」が全員で分かち合うべきリソースの相当部分を不当に占有し、濫費しているという印象を多くの国民が抱いているという事態なのだというのが氏の想像するところです。

 世の中で真面目にエッセンシャルワークにいそしんでいる人々の「やる気」を削ぎ、怒りをもたらしているのは、単に所得の格差が大きいということだけではない。世界のあちこちで声が上がり、時には流血の騒乱が生まれている状況を、「格差が広がっている」という統計的事実のみで測っていては、問題の本質を見誤る可能性があるということでしょう。

 「分配がアンフェアだ」という不条理感と、にもかかわらずそれを補正する手立てが見当たらないという無力感。社会の安定のためには、数値化された「格差」の後ろにあるそうした心理的事実を、「公共」の名のもとに解消していく手立てを考えていく必要があると説く内田氏の指摘を、私もこの論考から興味深く受け止めたところです。


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