所用があって、Palo AltoとSan Franciscoの間にあるSan Mateoという街に行った。名前の通りメキシカンな感じのする街で、建物の雰囲気などもなんとなくヒスパニックな感じのものが多い。そもそもカリフォルニアは、もとはメキシコだった土地で、今でもメキシコからの移民・出稼ぎ、ヒスパニック系アメリカ人が多い。加えて太平洋の向こうから来たアジア系の移民が住み着く場所でもある。San Mateoにもアジア系の店もかなりあって、日本語のフリーペーパーやNikkei Westという日系人-ジャパニーズアメリカン―の同人紙等が置いてある日系のスーパーや、中華レストラン、タイレストランなども目につく。逆にアングロサクソンぽい建築はあまり見当たらないという、なんとも西海岸らしい街だ。
San Mateoの駅にMelting Potという(フォンデュの)レストランがあったので、皮肉にも「アメリカは人種のるつぼ(多人種が溶けて融合する社会)だといわれていたが、むしろ現実には、たくさんの文化的背景をもった人々がいつまも融合しないで共存しているモザイク社会だ」という話を思い出した。実際、メキシコからやって来て、何年たってもほとんどスペイン語で暮らしているらしい人はたくさんいる。日本人もその気になれば日本食スーパー、Daiso(100円ショップのダイソー!なんでもある)、日本人クリニック(患者はほぼ日本人のみで、日本語の世界)などの中で生きていける。中国系の人々のコミュニティも大きい。テレビにも、スペイン語のチャンネル、中国語のチャンネルがある。日本語のは知らないけれど。
私のアパートを毎週掃除に来てくれる働き者のおばさんは、メキシコから来ている人で、英語はそんなに流暢でないらしく、私とは片言どおしの会話になる。こういう社会では、皆が共存してゆくためのマナーとルールが必須で、人種宗教性別性的志向ハンディキャップによって差別しないことがベースになる。同時に、この社会で高い地位と収入をめざすには、英語の能力が基本になる。数の上ではもはやアングロサクソンは少数派になっているが、共通の社会的ルールの基盤はアングロサクソン的なものである西海岸に、英語の不自由な外国人として暮らしていると、考えることは多い。
そういえば、先日、日本の母校の先生と院生のカップルがHooverに資料収集に見えていて、食事をご一緒した。ジャパニーズアメリカンの夫と中国人の妻のご夫婦で、日本で家庭を持たれて家では基本的に日本語で話しておられるようだが、どちらの母語でもない。でも小さな可愛い娘さんは、日本語を母語として育っているようだ。こういう方たちと話していると、日本社会もさまざまなエスニシティの出会う場所になっていることを実感する。多様な文化の出会いをプラスにしてゆける社会を作るための努力を重ねないと、と思う。
San Mateoの駅にMelting Potという(フォンデュの)レストランがあったので、皮肉にも「アメリカは人種のるつぼ(多人種が溶けて融合する社会)だといわれていたが、むしろ現実には、たくさんの文化的背景をもった人々がいつまも融合しないで共存しているモザイク社会だ」という話を思い出した。実際、メキシコからやって来て、何年たってもほとんどスペイン語で暮らしているらしい人はたくさんいる。日本人もその気になれば日本食スーパー、Daiso(100円ショップのダイソー!なんでもある)、日本人クリニック(患者はほぼ日本人のみで、日本語の世界)などの中で生きていける。中国系の人々のコミュニティも大きい。テレビにも、スペイン語のチャンネル、中国語のチャンネルがある。日本語のは知らないけれど。
私のアパートを毎週掃除に来てくれる働き者のおばさんは、メキシコから来ている人で、英語はそんなに流暢でないらしく、私とは片言どおしの会話になる。こういう社会では、皆が共存してゆくためのマナーとルールが必須で、人種宗教性別性的志向ハンディキャップによって差別しないことがベースになる。同時に、この社会で高い地位と収入をめざすには、英語の能力が基本になる。数の上ではもはやアングロサクソンは少数派になっているが、共通の社会的ルールの基盤はアングロサクソン的なものである西海岸に、英語の不自由な外国人として暮らしていると、考えることは多い。
そういえば、先日、日本の母校の先生と院生のカップルがHooverに資料収集に見えていて、食事をご一緒した。ジャパニーズアメリカンの夫と中国人の妻のご夫婦で、日本で家庭を持たれて家では基本的に日本語で話しておられるようだが、どちらの母語でもない。でも小さな可愛い娘さんは、日本語を母語として育っているようだ。こういう方たちと話していると、日本社会もさまざまなエスニシティの出会う場所になっていることを実感する。多様な文化の出会いをプラスにしてゆける社会を作るための努力を重ねないと、と思う。