12.7・2
どうしてブランド米は生まれたか?
土地が肥沃?と云うこともあるかもしれません。
肥沃だけではブランド米は生まれません。
優れ者がいて、信頼が厚く農家の力を結集させたからだと思います。
先の東日本災害で多くのボランティアが活躍しました。
ボランティア関連のレポートを書いて、
「無一物中無尽蔵」の言葉に出会いました。
何にも無くなっちゃった、故にヤル気を喚起する…
ヤル気さえあれば可能性は無限である、と云うような意味でしょう。
このブログにも書きましたが、
大江健三郎さんの文章に大江ゆかりさんが挿絵を描いた「恢復する家族」
病気の快復ばかりか物事一般に云えることとして下降線を辿ってきた出来事は
ある時点から恢復に向かう。そして元の状態に戻るだけではなく、元以上のものになる。
言葉を変えれば「無一物中無尽蔵」につながるでしょう。
話は変わりますが、千葉県は少なからず世界的な音楽家を輩出している。
市川一中の音楽教師だった村上正治先生の功績が大だといわれています。
戦災で難を逃れて市川に移り住んだ人が少なくない。
永井荷風、幸田露伴はまさにそうした文化人です。
戦後いち早く市川交響楽団を結成、定期演奏会を開催した。
時代を読んだ、時代を取り込んだ活動と云えます。
当時の市川市長浮谷竹次郎氏の取り組みも大いに評価される、と思います。
時代が少し遅れて船橋吹奏楽団が誕生、
自転車屋の箕輪さんが全国区の吹奏楽団に仕立てている。
船橋には伊藤楽器店があります。船橋の商工会議所の元会頭です。
楽器店が吹奏楽の支援をするのは商売上当然のことです。だが、
船橋の商業界、工業界を巻き込んだ支援活動を推進している。
学校音楽コンクールでは合唱も器楽演奏も度々日本一に輝いています。