「満洲日日新聞」明治42年11月5日掲載の夏目漱石の随筆「韓満所感(上)」

2014年10月30日 23時59分59秒 | 日本人なら知るべきこと

元記事→ http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/130107/art13010714130007-s.htm

上記の元記事が既にリンク切れのため、以下にコピペ

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文豪、夏目漱石(1867~1916年)が新聞に寄稿した全集未収録の随筆が見つかったことが2013年1月6日、分かった。

初代韓国統監を務めた伊藤博文の暗殺などに触れた内容で、研究者は「初めて見る貴重な資料だ」と評価している。

作家の黒川創(そう)さん(51)が国立国会図書館などから発掘した。

 

随筆は「韓満所感」と題し、明治42(1909)年11月5、6日付「満洲日日新聞」に2回掲載された。1面トップの扱いで、計約2800字の分量がある。同紙は、日露戦争後に日本の租借地となった満州(現在の中国東北部)の大連で発行されていた邦字新聞。新潮社によると、随筆は全集や単行本には収録されておらず、約100年間忘れられた作品になっていた。

 

 伊藤博文暗殺の報に接した驚きに始まり、満州や朝鮮で活躍する日本人に頼もしい印象を受けたことが記されている。漱石は同年9~10月、親友の満鉄総裁、中村是公の招きで満州・朝鮮各地を旅行していた。

 

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■夏目漱石「韓満所感」(抜粋)

 

 「昨夜久し振りに寸(すん)閑(かん)を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、筆を執りながら二三行認(したた)め出すと、伊藤公が哈(は)爾(る)浜(ぴん)で狙撃されたと云ふ号外が来た。哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、希有(けう)の兇(きょう)変(へん)と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」

 

 「満韓を経過して第一に得た楽天観は在外の日本人がみな元気よく働いてゐると云ふ事であつた」

 

 「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼(きょく)蹐(せき)してゐる間は、日本人程(ほど)憐(あわ)れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼(たの)母(も)しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた

 

 同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵(ちょう)児(じ)と云はねばならぬ」

 

(※原文の旧字体は新字体に変更し、ふりがなは一部にとどめた)

 

 

 

             

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