五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

学徒出陣について

2014-03-03 05:10:25 | 五高の歴史
学徒出陣,,第二次大戦末期の昭和18年以降、兵力不足を補うため、それまで26歳までの大学生に認められていた徴兵猶予を文科系学生については停止して、20歳以上の学生を入隊・出征させたこと。

学徒出陣は、太平洋戦争末期の昭和18年に行われた、帝国大学令及び大学令による大学・高等学校令による高等学校・専門学校令による専門学校の理工系と教員養成系以外の文科系学生の徴兵適齢者・・20歳以上の徴兵猶予を停止し、軍に強制入隊させた措置である。

この措置は、主として陸海軍航空部隊の下級指揮官の不足を補うためと、徴兵猶予に対する農村を中心とする「金持ち優遇」当時の大学進学率は約3%との批判を抑え、挙国一致体制を確立する事を目的に、9月21日の定例閣議決定を行い10月1日に勅令755号として「在学徴集延期臨時特例」を公布して文科系学生の徴兵猶予(在学者は満26歳になるまで徴兵延期する措置)を停止するものであった。約13万人の文科系学生は、10月25日から11月5日に徴兵検査を受け、合格者は(全員休学届を出して)陸軍は12月1日、海軍は12月10日に入隊した。そのため日本中の文系大学が空になるという未曾有の出来事となったのである。ただし、大学院や研究科の特別研究生や医、理、工、農などの学生は入営延期が認められた。これにより、大勢の若い優秀な前途ある男子が南方戦線の激戦地へ学業半ばにして送られ、戦死させられることになったのである。大正2年公布の兵役法で認められていた徴収延期の兵役法施行令高等学校高等科在学学生18年10月1日に適齢年齢20歳以上に達した学生・生徒は理医系、一部農科や教員養成学校在系を除いて学業半ばにして召集を受け戦場に駆り出されることになった。適齢年齢は昭和19年には19歳に引き下げられ、18年12月には学徒出陣、19年学徒出陣、兵隊検査丙種でも徴兵されている。


昭和18年12月に入隊した学徒兵は、陸軍80931名 海軍17907名 とされている。、徴集延期者も33566名存在した。なお徴集猶予停止措置により昭和20年8月15日の敗戦の日までに入隊した学徒は約30万人に及んだ。入隊することになった学生は、陸軍甲種・乙種幹部候補生や、海軍予備学生・海軍予備生徒として、不足していた下士官や下級将校の充足に当てられた