五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

去る者の言葉

2014-03-13 05:33:53 | 五高の歴史
3月も今朝は13日早くも半分暮した。俺の部屋は18度ある。そのためか外は雨が降っている。虫だし雷と言われるように雷も鳴っている。こう暖かければすぐに庭の草が伸びることであろう。樹木の選定もしなければ見苦しい事になるだろう。3月は卒業の季節である。あちこちの公立学校の卒業式が行われたことのニュースが流されていた。ここでは昭和元年の五高の去る者の言葉を掲げることにした。

去る者の言葉

憂鬱な空が群集に落つる    冬の夜が社の都に散った。   冬だ、冬だ、凡てが終わる。

我等は遂に我等の任を終えねばならぬ。次ぐものよ。意気と感激に燃えよ。逝く者をして微笑み締めよ.我等今将に去らんとす・・・1926年―我等が進み来たりし多事多端多望なりし一年―おゝ改革、自治、暗黒、黎明――

顧みれば龍南の思想界又変転推移極まりなき発展を遂ぐ。而して我等が「龍南」又、諸兄の御努力により先輩の意志を傷つけることなくして、ここに又我等は諸兄の前に200号記念を贈ることを喜ぶ。200| 200|如何に連綿として尽きざる龍南の生活よ。我等はこの号が更に偉大なる飛躍の捨て石となるをうるならば望外の喜びである。

新しき天地へ|心理の探求に憧憬する意気の子よ|正義に邁進する感激の士よ|あらゆる困難を克服して、若き学徒の心理の王国を建設せよ、去るに臨みて、我等は決別の情禁じ難しといえども、唯ここに再び「龍南」の未来を祝福して去る。

憂鬱な空が大地に落つる   冬の夜が杜の都に散った。   冬だ。冬だ。春は近づく     1926・12・24    河野浅土・井上縫三郎・松尾勝敏・歳川満雄・佐伯玄洞

何時ものことながら五高生の頭の中はどうなっていたのだろうか、このようなことを考えたのは今で言う処の高等学校の二年生位の年代の人々である。

追伸 昨夜春日人おても案内の世話している人から明日の読売新聞に「熊本駅のおても案内の様子が掲載されますので眺めて下さい」と言う電話があった。先の日曜日の午後の部の担当をしているとき並んでくださいとか何時ものように案内して下さいとかの注文があっていたので何事か話があっていたのか知らないが春日人おても案内の連中は皆さん絣の着物で頑張っていたのでこちらは何事だろうか位?の考えで案内を行っていたがおても案内のジャンバーは俺一人であったので宣伝のためという事で列に加えられた。今朝の読売には写真入りで掲載されている処も見れば少々おもかゆい感じがしている。