五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

週一回の五高記念館の出である

2014-03-11 05:02:55 | 五高の歴史
今日は週一の五高記念館の出である。春日人おても案内に広報紙「赤煉瓦通信」を持って行ってやっておいたが関心のある人もあると見え一回見学したい、見学したいと言いながら実行には至っていない。先の日曜日にも三部渡しておいた。五高記念館の宣伝のためにいいじゃないかと考えたためであった。

今朝も異常に冷たい俺の部屋は十度しかない。十度の時は外気が寒く冷たいのである。十三度程度の時はそう寒さは感じないのである。


ここでは先頃から生徒の長髪を眺めて来たが、昭和十二~十三年頃の五高の生徒の様子である。生徒の長髪等については軍事教練上軍人の眼からは不都合と見倣されていた。天長節の時の渡鹿練兵場の分列式には長髪者数名が列外に出され注意を受けている。しかしこの頃の配属将校は五高生活に理解がある人で、昭和十七・八年頃のようには白眼視されてはいなかった。

「高校生活はその環境上価値関係と最も希薄な関連の社会で最も純真なる崇高な目的下のゲマインシャフトである。この恵まれた三年間、赤裸々であり人間としての生活をすべきである。純粋に考え純粋に行動することこそが高校生活にのみ可能な美しい生活である、虚偽なる生活を捨てて自己を凝視せよ」と言う精神で生徒は日常生活を送っていた。

今日は三月十一日東北大震災から何年目とか九州まで離れて居ればそう深刻にも考えないが、当事者は大変であるようだ、まだまだ避難住宅で生活している人が何万人とか早く昔の生活をされるようにお祈りするだけである。