A Funky Day In Paris (Black And Blue)・JOHNNY LETMAN
レコードをかけながら、ベルリンで不思議な感覚に見舞われた時の事を、夏原は思い起こしていた。
「マスター、久し振りね。どうだったドイツは。急に行ったのでみんなびっくりしちゃったわよ」
ドアを開けるなり、スミちゃんの第一声が飛び込んできた。
「昨日戻ってきたんだ。安いチケットがあったんで、急だけど有り金はたいて行ってきたよ。なにせこの通り気軽な身だからね。トミーとディックは山下さんの所に預けたんだ」
「それ、戦利品」
額に入ったジャケットを見ながらスミちゃんが言った。
「ベルリンのフリー・マーケットでね。たった一枚だけなんだ。まあ、レコードを買うのが目的じゃなかったからね」
「ベルリンで買ったものが『ファンキー・デイ・イン・パリス』なんて愉快よね」
スウィング・スタイルのトランペットが流れ出た。
「こういうゆったりとした気分になれるのって、心地いい」
「日本でだったら買ってないかもしれないなぁ」
カウンターのスミちゃんにコーヒーを出して、夏原が言った。
「このテンポはマスターのおいしいコーヒーを味わうのに、ちょうどいいわ」
スミちゃんはコーヒー・カップを口に運ぶと、その言葉どおりゆっくりと味わった。
「それでベルリンはどうだったの」
「独特の雰囲気を感じさせる街だね。敗戦国の痛みをどこかに引きずっているというのかな、あるいは民族性なんだろう。自己を堅持する気質によるのか、初対面の人には多少の距離感があるようだね。今の時代にあっても、質実剛健という気風は残っていると思うよ」
「わかりそうな気がするわ」
「そうそう、不思議な体験をしたよ」
早く聞かせてよとばかり、スミちゃんはぐっと身をのり出した。
「戦勝記念塔で写真を撮っていた時のことなんだ」
「それって、映画の『ベルリン天使の詩』で、天使が腰掛けていた象徴的なシーンの所ね」
「さすが、映画好きのスミちゃん。ボクもあの映像がとても印象に残っていて、一度見ておこうと思ってたんだ。映画から感じたあの詩情ある空気感をね」
「マスターも山下さんのことを言えないわね」
「そう言われればね。記念塔にカメラを構えていた時、誰かが肩をたたくんだ」
「……………」
「振り向くと誰もいないので、気のせいだと思って再びファインダーをのぞくと、またポンと」
「……………」
「もう一度振り返ってもやはり誰もいない。十メートル程先で写真を撮っている人が一人いるだけで、ボクを見て怪訝な顔をしているんだ」
夏原は、あの時たしかに肩をたたかれた感触を、今でも身体感覚としてあった。
片面が終わったのに、針を上げようとしないので雑音が鳴りっぱなしになっていた。
スミちゃんが促すと、夏原は我に返ったかのような動作をして、裏面にした。
少し沈黙が続いた後、
「二回だけだった。その後は感じなかった。あれは絶対気のせいじゃない」
夏原は再び虚空を見つめていた。
スミちゃんが不意に口をひらいた。
「マスター、それ天使よ。マスターが天使に逢いに来てるってわかったから、あいさつに来たのよ。きっと」
無断で、複製・転載等を禁止します