夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

26. 大化けの資性

2008-12-13 | ジャズ小説

Img_3731My Favorite Things (Atlantic)・JOHN COLTRANE

「いよいよ有馬記念だね」
 ヒゲ村がスポーツ新聞の競馬欄を見ながら言った。
「最近の成績はどうなの」
 どうせ聞いたところで、と夏原は思ったが意外な答が返ってきた。
「それが絶好調なんだ。この前も3連単で20万儲けちゃったんだ。マスター何か奢ろうか」
「せっかく儲けたのにいいよ。また、すぐに無くなっちゃうんだろ」
「今度の有馬でもうひと儲けだ」
「そういう時こそ、セーブした方がいいんだ。あんまりイレ込むなよ」
 夏原は自らの経験をふまえて言った。有馬記念といえばもう三十年程前、ストロングエイトというまったくの人気薄の馬が勝った年があった。たしか、タニノチカラ、ハイセイコーなどの並みいる実力馬をおさえたので誰もが驚いた。夏原もまさか勝つまでとは思っていなくて、切歯扼腕したものだ。
「まさに大化けだったな。あの有馬記念のストロングエイトは」
「ストロングエイト。知らないよ」
「ボクはこの馬で何回か穴馬券をとらせてもらった。とにかく地味で人気がないんだね。勝っても勝っても人気がないんだ。血統的な魅力がないという事もあって、最初からB級馬というレッテルを貼られてしまったようだ。華やかに勝ち上がっていくイメージがなかったからね。ところがいつの間にかオープン入りしてグランプリまで勝ってしまった」
「馬券的にはそういう馬が一番おいしいんだよね」
 調子づくヒゲ村が口調も滑らかにまくしたてた。
「馬には最初から頭角を現わすタイプと、経験を積んで素質を開花させるタイプがある。ストロングエイトはまさに後者のタイプだった。この馬だけは最高峰のレースを勝ったにもかかわらず、フロック視されて評価はそれほど高くはならなかったけどね。これとはちょっと意味が違うけど、ジャズ界の大化けといえばジョン・コルトレーンかもしれないね。当初はソニー・ロリンズの影響を脱していず、海のものとも山のものとも判らないところがあったけど、一大名声を築いてしまった。特に、日本での人気は圧倒的だった」
「日本のコルトレーン・ファンは、信奉者って感じの人が多いね」
 スポーツ新聞から目を離さずにヒゲ村は反応したが、夏原がレコードを取り出すと顔を上げて見た。
「ボクが病気で臥せっていた時に、この『マイ・フェイヴァリット・シングス』がラジオのジャズ番組で流れてきてね、精神の錯乱をきたしそうになったんだ」
「どうしてなの」
「あの演奏はテーマ・メロディーを反復するだろ。呪文をかけるかのような吹き方を、これでもかこれでもかとやるので病身にはこたえたね。病気がどんどん悪くなりそうな感じがしたんだ」
「へぇー」
 夏原が針を落とすと、まさに呪文のごとく奏でるコルトレーンのソプラノが流れ出した。
「元気な時ならいいけど、病気の時には絶対聴かないほうがいいよ。耳にまとわりついて離れないんだ。うなされそうになるよ」
「そうだね。たしかにそう言われれば演奏の巧拙だけにとどまらなくて、精神の高みにまで訴えてくるようなところがあるじゃない。これは他の誰とも違うコルトレーンだけのものだね」
「だから抵抗力のない病気の時などは、より重く感じるんだよ」
「コルトレーン自身もどんどん精神性の世界にはまり込んでいって、ジャズの本道を踏み外したのかもね」
 そう言ったヒゲ村は、再び競馬欄に目を向けて笑った。
「どうして有馬記念がコルトレーンにいっちゃうんだい」
「まったくだね」
「ところでマスター、有馬記念くらいは買うんでしょ」
「さてね。でも今は100円単位で発売してるからね。ちょっと手を出してみるか」
 夏原は、ヒゲ村から新聞を借りて大化けしそうな馬はいないかと目を凝らした。

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