月岡芳年 月百姿
『五節の命婦』
(ごせちのみょうぶ)
明治二十年届
五節の命婦は麗慶殿女御(れいけいでんのにょうご)
【後朱雀天皇女御・藤原延子】に仕えた女房で
またとない風流人で 朝夕琴を
手から離し置かなかったと云われた人である。
(平安時代中期~後期)
国立国会図書館デジタルコレクション 047
十訓抄 第十
【六十一】 十月ばかり月明かりける夜経信卿をむねとして・・・
或る年の十月、月の明るい夜に
経信が中心となって風雅を愛する数寄者達が
五節の命婦の嵯峨の隠れ家を訪れた。
柴の戸を入って見ると屋根を板で葺いた隠れ家は
所々荒れて壊れていたが月の光が明るくさし込んで
御簾の中まで暗い所がなかった。
誰もが心を澄まして 「秋風楽」 「蘇合」 「万秋楽」 などの
曲を聴き、あるいは立って舞い、涙をこぼした。
いかなる時にも泣くことがなく「犬目の少将」と云われた
俊明まで今宵は袖をしぼるばかりに涙を流したという。
やがて主の尼君(五節の命婦)が琴を弾き、
経信が琵琶を合せ弾いた時は人々皆涙にむせび、
やがて夜が明け日が出る迄帰ることがなかった。
注:経信→源経信、 俊明→ 源俊明
web記事 風流の集り より転載