月岡芳年 月百姿
『月の四農緒』 蝉丸
明治二十四年印刷
四農(の)緒→四つの緒(よつのお)のことで
四弦であるところから琵琶の別名をいう
蝉丸(せみまる)は平安時代前期の伝説的歌人。
生没年不詳
盲目で琵琶に長じ、逢坂(おうさか)山に住んで
源博雅(みなもとのひろまさ)に秘曲を授けたという。
国立国会図書館デジタルコレクション 097
描かれている月からすると
源博雅(みなもとのひろまさ)が琵琶の秘曲を伝授されたという
「今昔物語集」の8月15日の場面であろうと思われるが
博雅は6/27記事「朱雀門の月」で紹介しているので
ここでは 能「蝉丸」より転載します。
延喜帝(醍醐天皇:885年〜930年)の御代
盲目の身と生まれた第四皇子蝉丸は
逢坂山(近江と山城の境)に捨てられることとなった。
供をする廷臣の清貫(きよつら)は蝉丸を出家させて
蓑、笠、杖を与えると名残をふりすて都に帰ってゆく。
蝉丸は前世の業障を現世で果させんとの父帝の慈悲と
琵琶を胸に涙のうちに伏し悲しむのでした。
その後、博雅の三位の世話で蝉丸はわら屋に住むこととなる。
その頃、皇女逆髪は狂乱のあまり京を彷徨い出て逢坂へとやって来た。
そこで逆髪は弟、蝉丸との思わぬ再会を喜ぶが
やがては別れゆくのが人間の運命。
旅立つ逆髪と留まる蝉丸は今生の別れを惜しむのであった。
尾田郷澄 妖怪絵巻より 逆髪
『世の中は とにもかくにもありぬべし 宮もわら屋も果てしなければ』