月岡芳年 月百姿
『山城小栗栖月』
明治十九年届
明智光秀(あけちみつひで)は安土桃山時代の武将
享禄元年(1528年)~天正十年六月十三日(1582年7月12日)
織田信長に仕えた重臣の一人だが
後に反旗を翻し「本能寺の変」を起こした。
『心しらぬ 人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ』
国立国会図書館デジタルコレクション 081
天正十年六月二日 信長を本能寺に討つが
羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ
近江坂本を目指して逃走中の六月十三日
山城小栗栖で落ち武者狩りに遭い
百姓中村長兵衛の竹槍で深手を負い
その場で自害したとされる。
謀反を起こしてわずか11日後の出来事である。
光秀辞世の句
順逆二門に無し 大道心源に徹す
五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す