ひろのギターで息抜き

趣味のギターで息抜きしてジャンジャン鳴らしてます!

謎!の事件

2019-02-09 21:44:23 | 日記

仮想通貨150億円相当が管理者の死で“消えた”事件、その深まる謎と「陰謀説」について考える

 

仮想通貨(暗号通貨、暗号資産)の交換事業者であるカナダのQuadrigaCX(クアドリガCX)で、10万人以上のユーザーがひどい目にあっている。暗号鍵を保有していた弱冠30歳の最高経営責任者(CEO)ジェラルド・コットンが急死したことで、取引所の資産が実質的に凍結されてしまったのだ。

クアドリガは現金とビットコインで合わせて1億9,000万ドル(約208億円)相当の資産を保有するが、その大半は顧客への払い戻しが不可能になっている。コットンの未亡人であるジェニファー・ロバートソンがノヴァスコシア州の裁判所に提出した供述書によると、コールドウォレット[編註:仮想通貨を保管するウォレットのうちインターネットから完全に切り離されているもの]に保管された1億3,700万ドル(約150億円)相当については、セキュリティー上の理由から暗号鍵を知っているのは死亡した本人だけだったという。また、現金は金融機関や決済機関に差し押さえられている。

クアドリガは企業債権者調整法(CCAA)に基づいた資産保護申請を行っており、裁判所は2月5日、暗号鍵の回復のために30日間の猶予を認める判断を下した。これによって差し押さえは一時的に停止される。なお、ロバートソンの供述書を最初に報じたのは、仮想通貨関連のオンラインメディア「Coindesk」だった。

パスワードの解析は失敗

ロバートソンは供述書のなかで、夫の死によってクアドリガが直面する「問題に深く関わるように」なっていると述べている。ロバートソンはコットンの所有物であったノートパソコンとUSBメモリーを引き継いだが、どちらも暗号化されており、ログインするためのパスワードはわからないという。

ノヴァスコシア州にあるふたりの自宅では、暗号鍵の記録などが残されていないか家宅捜索が行われたが、何も見つからなかった。当局の依頼で専門家がノートパソコンのパスワードの解析を試みたが、こちらも失敗に終わっている。カナダの公共放送CBCは、コールドウォレットの暗号鍵が保存されている可能性があるこれらのハードウェアは、裁判所が指定した独立機関が保管する見通しだと報じている。

ロバートソンは1月14日にFacebookで夫の死を公表した。投稿には「ジェリーは2018年12月9日にクローン病による合併症で死亡しました。親を亡くした子どもたちが安全に暮らせるよう、孤児院を開設するためにインドを訪れていた矢先でした」とある。

なお、供述書によると、交換所のシステムは自動化されている。このためコットンが死んでから1カ月半以上経った1月26日までは、口座への入金が可能になっていた。

飼い犬には100万ドルを遺したが…

仮想通貨が絡んだ事件は、これが初めてではない。特に取引所はハッカーに狙われやすく、これまでにも大きな被害が出る事件が頻発している。

このため投資家は保有する通貨の多くを、出し入れの簡単なホットウォレットとは別にして、ネットから完全に切り離された場所に保管している。こうすれば不正アクセスなどで盗まれるリスクは低くなるが、今回はそれが裏目に出たわけだ。

コールドウォレットと呼ばれるこの保管場所から通貨を引き出すには、暗号鍵が必要だ。クアドリガの場合、暗号鍵を知っているのはコットンだけだという。カナダの全国紙『グローブ・アンド・メール』が入手した11月27日付のコットンの遺書には、飼い犬である2匹のチワワに100万ドル(1億1,000万円)を遺すことは記されていたが、自らの事業をどうするかや、暗号鍵への言及は一切なかった。

コーネル大学教授でブロックチェーンのアドヴァイザーも務めるエミン・ガン・シラーは、「これだけの規模の会社が、街角の軽食屋とほとんど変わらないような会計プロセスで経営されていたことには、驚きを禁じ得ません。CEOひとりがすべてを切り回しており、説明責任といったものも皆無です」と話す。「どう考えてもおかしいと思いますし、業界全体にも悪影響を及ぼすでしょう」

裁判の審理では、実際にどのような会計処理が行われていたのか、実態の一部が明らかになっている。

Here’s an example of Quadriga’s bookkeeping. These are apparently bank drafts. According to Chiasson they are now, “Off the stove.” pic.twitter.com/yvglesMHyM

- Jack Julian (@JackJulian) 2019年2月5日

 

CBC記者のジャック・ジュリアン「クアドリガの会計処理の一例。銀行手形だそうだ。クアドリガの弁護士によると、ここにある手形は“調理済み”らしい」

急死そのものに疑問の声も

2013年にサーヴィスを開始したクアドリガは、カナダの交換所では最大手にまで成長している。共同創業者で2016年に同社を去ったマイケル・ペイトリンは『WIRED』US版の取材に対し、コールドウォレットの暗号鍵は常に一元管理されていたと話している。

このやり方は設立初期には特に問題にはならなかった。会社の規模は小さかったし、保険もかけてあったからだ。

仮想通貨の取引所や交換所では、通常は複数の人物が暗号鍵を管理するほか、緊急時に備えたバックアップも用意されている。法規制などで定められているわけではないが、それが普通のやり方だからだ。なお、コットンを除くクアドリガの経営陣は、2016年に全員が辞職している。

コーネル大学のシラーは、ノートパソコンやUSBメモリーの暗号化が解除されるか、暗号鍵のコピーが見つかる可能性はあると話す。一方、クアドリガに仮想通貨を奪われたかたちになっているユーザーたちの間では、さまざまな議論が飛び交っている。ネット掲示板の「Reddit」ではクアドリガ関連の話題が急増し、コールドウォレットから仮想通貨が引き出された形跡があるといった報道も出始めた。

シラーを含めた業界関係者には、コットンの急死そのものに疑問を呈する者もいる[編註:その後、インドでの死亡状況の詳細を病院が公表したという報道もある]。

We have thousands of wallet addresses known to belong to @QuadrigaCoinEx and are investigating the bizarre and, frankly, unbelievable story of the founder's death and lost keys. I'm not normally calling for subpoenas but if @rcmpgrcpolice are looking in to this, contact @krakenfx

- Jesse Powell (@jespow) 2019年2月3日

 

Krakenの創業者でCEOのジェシー・パウエル「Krakenにもクアドリガのウォレットに保管されている仮想通貨がたくさんある。創業者の突然死とその結果として暗号鍵が失われたというニュースは奇妙だし、正直に言えば信じがたい。Krakenとしても調査を進めている。普段ならこうしたことはしないのだが、カナダ警察が捜査を進めているなら、Krakenに連絡してほしい」

It kind of sounds like the Quadrigga CEO might be faking his own death in India. https://t.co/8mg3OpdZCe

- Emin Gün Sirer (@el33th4xor) 2019年2月2日

 

コーネル大学教授のエミン・ガン・シラー「クアドリガのCEOは、自分がインドで急死したように偽装しているのではないだろうか」

クアドリガに1万2,640カナダドル(約105万円)相当を預けているというあるユーザーは、昨年の秋ごろから大きな金額を引き出すのが難しくなっていたと話す。彼は資産凍結は大規模な「詐欺」の一環か、もしくはクアドリガのコールドウォレットに保管されているはずの仮想通貨は実はもう存在しないのではないかと疑っている。

「預けていた金額が戻ってくるとは思っていません。真実が明らかになり、罪を犯した者が裁かれる可能性もほとんどないでしょうね」

弁護士は「声明がすべて」と説明

妻のロバートソンは裁判所に提出した供述書で、「Redditを含むオンラインのプラットフォームには、クアドリガや夫の死(彼が本当に死んだのかを含め)、失われたコインに関する書き込みが大量に存在します」と述べている。また、クアドリガの経営陣に加え、自分自身も脅迫を受けていると主張する。ロバートソンの弁護士に連絡をとろうとしたが、回答は得られていない。

一方、クアドリガの弁護士は『WIRED』US版の問い合わせに対し、監査法人のアーンスト・アンド・ヤングが独立して同社を監督することが決まっていると説明したうえで、サイトに掲載されている声明がすべてだと語った。

クアドリアガの声明には以下のように書かれている。

「資産の保護を申請することで、顧客の皆さんの要望に応えるための業務に集中することができ、同時に会社としての存続を図る方針です。多くの疑問が提示されていることは承知していますが、非常に長いプロセスの初期段階にあるため、すべてにお答えすることはできません」

アドレス公開を求める声が続出

ロバートソンは供述書と合わせて、コットンの死亡証明書のコピーを裁判所に提出した。死亡証明書はインド政府の公式書類の体裁になっている。また、カナダの政府当局者はCBCの取材に対し、インドで死亡したカナダ人がいることを認めたが、個人情報保護のため詳細は公表できないとした。


シラーはクアドリガが保管する仮想通貨について、不透明な現状を考慮すれば、すべてのアドレスを公開すべきだと指摘する。こうすれば、ユーザーや外部機関がこれらの仮想通貨に不可解な動きがないか監視することが可能になるからだ。

元共同創業者のペイトリンは、次のように語る。「アドレスを公開すれば、さまざまな陰謀論のうちの少なくともいくつかは否定することができます。わたしも公開すべきだと思います」

なお、ロバートソンは供述書で、「クアドリガの経営陣は顧客への払い戻しを可能にするために、プラットフォームの売却を検討する可能性もある」と述べている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ロードスター30周年記念車🚘

2019-02-09 20:01:18 | 日記

rマツダ「ロードスター」30周年記念車は鮮やかなオレンジ 日本も含め世界3000台限定販売

 

2019.2.9

 
■生誕30周年を記念した「ロードスター」の特別モデル世界初公開
 
 


 マツダ「ロードスター(海外名:MX-5)」の誕生30周年を記念した特別モデル「ロードスター 30th アニバーサリー エディション」が、シカゴオートショー(2019年2月7日から2月18日開催)で世界初公開されました。

 30年の歴史の中で、100万以上の「ロードスター」が世界中で愛用されてきたといいます。マツダは「このクルマはもはやマツダのものではなく、お客さまのものである」という感謝の気持ちと、これからの「ロードスター」への期待を込めて、一日の始まりを予感させる朝焼けのような特別色「レーシングオレンジ」を新開発しました。

 「ロードスター 30th アニバーサリーエディション」では、ボディカラーだけでなくシートやドアトリム、ブレーキキャリパーなどの内外装にもオレンジのアクセントを取り入れています。

 また、レイズ社と共同開発した鍛造アルミホイール(RAYS ZE40 RS30)やシリアルナンバー付オーナメント、レカロシートに加え、MT車ではビルシュタインのダンパーを採用するなど、30周年にふさわしいモデルに仕上げました。

「ロードスター 30th アニバーサリーエディション」は、ソフトトップとリトラクタブルハードトップの「ロードスターRF」も含め、全世界で3000台が限定販売される予定で、国内仕様の車両情報や販売方法は今後公表されるとのことです


徴用工問題‼️

2019-02-09 19:40:43 | 日記

「徴用工協議」期限 日本企業に実害出れば…対韓“経済制徴用こう 日本政府は先月9日、韓国の司法当局による新日鉄住金の資産差し押さえ決定という暴挙を受けて、韓国に政府間協議を要請していた。

 西村氏は回答期限を翌日に控えて、粘り強く対話を求める一方、「韓国政府が協定違反の状態を是正する具体的な措置を取らず、原告側による差し押さえの動きが進んでいることは極めて深刻だ」とクギを刺すことは忘れなかった。

 日本政府としては、まず両国間による対話で解決を図ろうと動いたが、その誠意は韓国側にはまったく伝わっていない。

 聯合ニュースは7日、《請求権協定に基づく協議要請 韓国は受け入れない方針か》という見出しの記事で、「韓国政府は日本側の要請を受け入れず、一般的な外交チャンネルを通じた話し合いを続ける方針のようだ」と伝えた。

 請求権協定では、外交で解決できなかった場合、第三国の委員を含む仲裁委員会を設置し、同委員会の決定に服し解決することになっている。だが、聯合ニュースは「この場合でも韓国側が応じる公算は小さいとみられる」と報じた。

 つまり、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権は「話し合い」を拒否する構えなのだ。

 もはや「友好国」とはいえない隣国の対応だが、日本政府はそうした姿勢を見抜き、韓国に事前警告を発してきた。

 関係筋によると、日本政府は昨年12月下旬以降、東京やソウルで行われた日韓外務局長協議などで、(1)資産売却は問題解決を確認した1965年の協定に反する(2)請求権協定を無視すれば日韓関係は成り立たなくなる(3)企業に実害があれば、対抗措置を取る可能性がある-と伝達した。

 注目の「対抗措置」としては、「韓国からの輸入品に対する関税引き上げ」が選択肢として取り沙汰されている。さらに、「韓国人の入国ビザの厳格化」「日本からの部品・素材提供の停止」など複数の案が予想されている。

 これに対し、韓国は協議で、三権分立の下にある同国政府としては司法判断を尊重する必要があると反論し、「対抗措置に出れば、報復は不可避になる」(韓国政府筋)と述べ、日本を牽制(けんせい)したという。

 「国際条約は国内法に優先する」という、世界の常識を無視するつもりのようだ。「従北・反日」の文大統領は1月の年頭記者会見で、日本に「謙虚な対応」を求め、日本を批判した。

 

 


Tポイント脱退の流れが止まらない⁉️

2019-02-09 19:31:09 | 日記

Tポイント脱退の流れが止まらない!大手カフェチェーンのドトールが、2019年4月19日付けでTポイントプログラムの終了を発表。

  

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大手カフェチェーンのひとつであるドトールコーヒーが、2019年4月19日をもってTポイント加盟店からの脱退を発表しました。

ドトール公式サイトよりの引用です。

Tポイントプログラム終了のお知らせ

日頃は、当社店舗をご利用いただき誠にありがとうございます。この度ご愛顧いただいておりましたTポイントプログラムを、終了させていただくことになりました。

長年ご利用いただき、誠にありがとうございました。

Tポイントの窮地について:

エクセルシオールカフェ等でも終了:

今回、Tポイントの付与が終了するのはドトールコーヒーだけでなく、ドトール系列のカフェチェーンであるエクセルシオールカフェ等でも一緒。

  • ドトール:終了
  • エクセルシオール:終了
  • カフェ・レクセル:終了
  • ル・カフェ ドトール:終了

つまりTポイントを管理&運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(通称:CCC)はドトールとエクセルシオールという、業界トップクラスのカフェ2つをTポイント加盟店から失ってしまうことになります。

大手加盟店の脱退が止まらない:

また、先日記事にさせていただいたように、Tポイント加盟店から脱退する流れはなにもドトールコーヒーだけではありません。

大手コンビニであるファミマもTポイントからの脱退 or 他ポイントの併用を模索していると言われていますし、アルペンやスポーツデポについてはすでに楽天ポイントへの乗り換えを決定。

他にも下記のような企業が、Tポイント独占からの路線変更や脱退を検討中…と、大袈裟でもなんでもなく、Tポイント陣営はかつてないほどの窮地に陥っている感じです。

  • ファミマ:脱退 or 併用を検討
  • アルペン:楽天ポイントへ切替
  • すかいらーく:併用を検討中?
  • 伊勢丹:2018年に脱退
  • ニッセン:脱退
  • Yahoo! JAPAN:PayPayに注力か?

このままでは後ろを走っている、楽天ポイントはdポイントに追い抜かれてしまう可能性も高いことでしょう。

CCCの株主であるファミマは株式売却を検討:

Tポイントを運営&管理しているカルチュア・コンビニエンス・クラブが発行している株式のうち、15%分をファミマは保有中。

ただファミマにおいて楽天ポイントやdポイント導入を検討している都合上か、それともTポイント側に愛想をつかしたのかわかりませんが、ファミマではこの株式すべてを売却する意向のようです(情報源はこちら)。

  • 現在:ファミマはCCC株の15%を保有
  • 今後:ファミマとCCCは業務提携関係に

尚、CCCの35%株主にはソフトバンク&Yahoo! JAPANが存在しますが、こちらの動きも気になるところ。仮にヤフーショッピング等でPayPayを導入するようなことになれば、ソフトバンクも同様にCCC株の売却を検討するかもしれません。

なぜTポイント加盟店から抜けるのか?

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ただここで疑問なのは、なぜこれらの企業はTポイント加盟店からの脱退を検討&決定したのかという背景ですよね。

いくらTポイントが個人情報の扱いであれこれ問題を起こしているからといっても、Tポイントカードといえば日本人のほとんどが保有している国民的ポイントプログラム。

下記記事でも紹介しているように、なんと6,000万人もの人が現在進行系でTポイントを貯めている状況があることを考えると、Tポイント加盟店のままでいるメリットも相応にして大きいのではないかと思うのです。

それなのになぜ、CCCとの関係性に波風を立ててまでTポイント陣営から脱退するのか。私にはその理由がわかりませんでした。

ポイント制度についてアンケート実施:

そこでその理由を探るべく、Twitterを使って『将来、ローソンやファミマで、Tポイント、楽天ペイ、dポイント、Pontaの4つが貯められるようになったとしたら、みなさんはどのポイントを選びますか?』という質問をぶつけてみました。

将来、ファミマやローソン等のコンビニで下記4つのポイントが貯まるようになった場合、みなさんはどのポイントを優先して貯めますか?

1つだけお選びください(還元率やキャンペーン等の条件はすべて一緒とする)。

  1. Tポイント
  2. 楽天ポイント
  3. Ponta
  4. dポイント

理由は単純。

この質問でどのポイント制度が選ばれるかを見れば、今、多くの消費者がどのポイントプログラムに一番魅力を感じているかがわかるためです。

結果は楽天ポイントの圧勝:

気になるその結果は…というと、下記のように楽天ポイントの圧勝という結果に(2,375人によるアンケート結果)。

楽天ポイントが圧勝というアンケート結果に

楽天ポイントが圧勝というアンケート結果に

個人的には楽天ポイントには勝てないまでもTポイントには優位性があると思っていたのですが、これほどまでに楽天ポイントとの格差があるとは思いませんでした(楽天ポイント50%、Tポイント40%、残り10%くらいだと思っていた)。

  • 私の予想:楽天ポイントとTポイントは僅差
  • 実情:楽天ポイントによる圧勝

また、Tポイントとdポイントの差がわずか…というのも注目すべき点。このままだと近いうちに、dポイントに追い抜かれてしまうこともありえる話でしょう。

Tポイント導入のメリットが乏しく:

少し話がそれましたが、本題に戻ります。

これらのアンケート結果から考えると、現在、大手企業の多くがTポイント加盟店から脱退しようとしている流れは必然そのものですよね。

なにせTポイントの優位性が薄れてしまった今、Tポイント加盟店でいるよりも楽天ポイント加盟店になったほうが顧客満足度が高められることは明らかだから。

  • Tポイント加盟店になること:顧客があまり魅力を感じない
  • 楽天ポイント加盟店になること:顧客が魅力的に感じる

わざわざTポイントのみと提携をし続ける理由がないのです。

結果、Tポイント加盟店から脱退をする選択を取ったり、楽天ポイントやdポイント等との併用を検討しはじめている企業が増えた…というのがここのところの動きなのではないでしょうか。

もはやTポイント加盟店にさえなっておけば、集客できる時代ではない…ということでもあります。

楽天と提携をするメリットは他にも:

ビックカメラやアルペングループの事例を見てみると、楽天と提携して楽天ポイントを導入するメリットには、自社通販サイトの強化が出来るという魅力もありそうな感じ。

反面、Tポイントを導入してもTポイントを貯めているお客さんを惹きつけるくらいの魅力しかないので、そういった面でもTポイントならではの強みが無くなってきてしまっているのかもしれません。

  • Tポイント加盟店になること:集客効果のみ
  • 楽天ポイント加盟店になること:集客効果&通販強化など多岐にわたるメリットがある

なかなか厳しいです、Tポイント。

そんな中、TSUTAYAのポイント改悪:

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ここまで解説させていただいたように、かつてTポイントは圧倒的なシェアと優位性を誇る共通ポイントサービスでしたが、現在では追いかけてきている楽天ポイントやdポイントなどの2位グループに飲み込まれつつあるTポイント陣営。

それにも関わらず、つい先日もTSUTAYAにおけるTポイントの付与ルールを改悪するなど、ますます魅力が乏しいポイント制度になっていってしまってる気がします(引用はこちら)。

2019年4月1日(月)より、TSUTAYAで貯まるTポイントのうち、ボーナスポイントを期間固定Tポイント(TSUTAYA店舗限定)に変更させていただきます。

有効期限30日のTSUTAYAでしか使えないポイントに

有効期限30日のTSUTAYAでしか使えないポイントに

まぁ…TSUTAYAのフランチャイズオーナーからTポイント負担が重たいって苦情を受けたんでしょうけどね(苦笑)

TSUTAYAの経営が苦しいからこそ、Tポイントの魅力を薄れさせてしまっては元も子もないように思うので、ここだけは踏ん張ってほしかった点かなと個人的には思います。

この流れはカンタンには変わらない:

さてさて、どうなることやら…ですが、この先、Amazonと提携をするなどのウルトラCでも実現させない限りは、楽天ポイント加盟店が増え、Tポイント加盟店が削られていく流れは止められないのかも。

良くも悪くも、日本は楽天経済圏に飲み込まれていくこととなりそうです(楽天ポイントの貯め方は下記記事参照)。

以上、Tポイント脱退の流れが止まらない!大手カフェチェーンのドトールが、2019年4月19日付けでTポイントプログラムの終了を発表…という話題でした。

参考リンク:

Tポイントの仕組みの中で、個人的に一番嫌だなぁ…と思うのが、この記事内でも登場した期間固定Tポイントの扱いについて。

楽天ポイントの場合ではコンビニやファミレスでも有効期限ありのボーナスポイントを利用できるのに対し、TポイントだとYahoo!関連サービスでしか使えないのが大きなネックだと思ってます。

この辺の使いにくさと、ファミマにおける還元率の低さがTポイント離れを起こしてしまっている可能性が高いので、早めの改善を願うばかりです(Tポイントが貯まるカードは下記記事を参考に)。


走り屋からヤンキー仕様まで クルマ漫画の主人公が乗るクルマ5選

2019-02-09 10:28:25 | 日記
走り屋からヤンキー仕様まで クルマ漫画の主人公が乗るクルマ5選

くるまのニュース
クルマを題材にした人気漫画から5車種を紹介

走り屋からヤンキー仕様まで クルマ漫画の主人公が乗るクルマ5選
「頭文字D」といえば、このAE86型「パンダ トレノ」
 クルマをテーマにした漫画は数多くあります。主に走り屋を描いた漫画が多いのですが、もちろんそれだけではありません。そんなクルマが登場する人気漫画の中で、登場人物たちが乗り回すクルマを見て欲しくなった方も多いと思います。

人気自動車漫画に登場する数々のクルマを画像でチェック

 そこで漫画に登場し、人気を博したクルマ5台をピックアップして紹介します。

●AE86スプリンタートレノGT(頭文字D)

 しげの秀一作「頭文字D」は、豆腐店の息子が関東各地の峠で地元の猛者との対戦を重ね“公道最速”を目指していく姿を描いた漫画で、1995年から2013年まで連載していました。

 テレビアニメ化や映画化もされるなどの大きな人気を博したことに加え、流通台数が多かったことで中古車販売価格も安価だった、主人公が乗るAE86型トヨタ「スプリンタートレノGT」が、漫画の人気とともに価格上昇するなどの影響も与えました。

 作中には、主人公と同じチームに所属するマツダ「RX-7(FD3S型/FC3S型)」や日産「スカイラインGT-R(R32型)」、「フェアレディZ(Z33型)」、三菱「ランサーエボリューションVII」なども登場し、カーマニアの作者が描くエンジンや細かいパーツの表現と合わせて、若者にも手が届く(当時)国産車で峠を攻めまくる世界を表現しています。
走り屋からヤンキー仕様まで クルマ漫画の主人公が乗るクルマ5選
「シャコタン☆ブギ」では初代「ソアラ」をベースにヤンキー仕様に改造したものの、後に走りに目覚める


●初代ソアラ(シャコタン☆ブギ)

 「シャコタン☆ブギ」は、楠みちはるが描くクルマと女の子のナンパが大好きな主人公2人の青春グラフィティで、1986年から1995年まで連載していました。

 ダブりの高校2年生が当時高嶺の花だったトヨタ「ソアラ」を車高短にしてナンパに明け暮れるストーリーは、当時多かった不良による抗争系漫画とは違い、読んでいてつい笑ってしまうようなシーンや「いかにも青春」的なシーンも多く人気となりました。

 また、主人公が乗る「ソアラ」のボディを水玉模様にしてしまうシーンがあり、中古車価格が下がってきていた90年代前半には、東京近郊でも水玉模様にされた「ソアラ」を見かけたほどです。

 後に「ソアラ」のエンジンは「スカイラインGT-R」のRB26DETT型に換装され、徐々に走りに目覚めていく点や、その他の登場人物の「フェアレディZ(S30型)」、「スカイラインGT(C10型)」なども忠実に描かれているところも見応えがあります。
走り屋漫画に登場するホットなクルマたち

走り屋からヤンキー仕様まで クルマ漫画の主人公が乗るクルマ5選
「ナニワトモアレ」に登場する通称「ワンダーシビック」は、実際に湾岸族に人気のあった車種


●3代目シビック(ナニワトモアレ)

 「ナニワトモアレ」は、南勝久が描いた、1990年代前半の阪神高速1号環状線を走っていた走り屋たちの物語です。2000年から2007年まで連載の「ナニワトモアレ」と、2007年から2014年までの「なにわ友あれ」に分かれています。

 実際に当時の阪神高速1号環状線では、週末になると「環状族」がドライブするホンダ「シビック」が、右に左に車線を変えながら先行車をパスして行く光景を何度も見ることがありました。

 主人公たちの「トリーズン」という環状族チームの初代会長「ヒロ」が乗っていたのが「ワンダーシビック」(3代目・AT系)です。

 ZC型エンジンの排気量を1.6リッターから1.75リッターにボアアップし、VTECエンジンの「シビック」を楽々置き去りにする仕様でした。

 その他の登場車種も「グランドシビック」(4代目・EF系)はもちろん、トヨタ「カローラレビン/スプリンタートレノ」、「スターレット」、日産「シルビア」、「スカイラインGTS-R」など、実際に環状族に人気のあった車種が大半を占めています。

 ハンドルやシートなどのディテールに至るまで精巧に描かれている点と、セリフがすべて大阪弁なのもこの漫画を印象深いものとしています。
走り屋からヤンキー仕様まで クルマ漫画の主人公が乗るクルマ5選
「オーバーレブ!」に登場する初代「MR2」(画像は自然吸気モデル)


●初代MR2(オーバーレブ!)

 「オーバーレブ!」は山口かつみが描いた、ケガで短距離走選手の夢を絶たれた少女の物語です。主人公は、峠道で日産「シルビア(S13型)」をドリフトさせていたランジェリーパブ勤務の女性ドライバーに魅せられてクルマに憧れます。その後トヨタ「MR2 スーパーチャージャー(AW11型)」を購入し、走り屋の世界へと飛び込み、ラリードライバーとして活躍するというストーリーです。1997年から2004年まで連載されました。

 ブローした「MR2」のエンジンを、勤務先の解体屋に入った「カローラレビン(AE92型)」に搭載していた4A-GZE型に仲間たちと一緒に換装したり、ドライビングスキルに合わせて「MR2」のチューニングが進んでいくなど、初心者がどんどんとクルマに詳しくなっていく様が描かれています。

 初代「MR2」以外にも「シルビア スペックR(S15型)」や「シビック SiR(EG6型)」、「RX-7 Type RS(FD3S型)」などの走り屋御用達のクルマが多数登場するので、それを見るだけでも楽しくなります。
走り屋からヤンキー仕様まで クルマ漫画の主人公が乗るクルマ5選
「湾岸MIDNIGHT」に登場する「悪魔のZ」のイメージでモデファイされた「フェアレディZ」


●初代フェアレディZ(湾岸MIDNIGHT)

 「湾岸MIDNIGHT」は、楠みちはるが描いた人気漫画で、主人公が乗る「悪魔のZ」(S30型・初代フェアレディZ)と首都高速で公道バトルを繰り返す、クレイジーな数多くの挑戦者達の物語です。

 1990年に不定期連載が開始された後、版元が変わり1991年から2012年まで連載し、さらに2014年から2015年にかけて元の版元で連載します。2016年には再度別の版元で連載するなど、20年以上に渡り版元を変えてのシリーズ連載なので、有名なコミックですがすべてを読んだ方は少ないかも知れません。

 ディスコでウェイターのアルバイトをする高校生の主人公が乗る「フェアレディZ」は、初期ではφ89ピストンとLD28(2.8リッターのディーゼルエンジン)クランクによるL28改3.1リッターエンジンに、三菱重工製TD06タービンをツインで装着した500馬力仕様で、最高速度300km/h以上。

 対する「首都高速湾岸線の黒い怪鳥・ブラックバード・湾岸の帝王」と呼ばれる、ライバルの大学病院に勤務する形成外科医が乗るポルシェ「930ターボ」は700馬力を発揮。両者の共通点として、生活に必要なこと以外にはお金を使わず、すべてをクルマにかけていることです。

 ほかにもシリーズ中にはフェラーリ「テスタロッサ」や日産「スカイラインGT-R(R32/R33/R34型)」「フェアレディZ 300ZX(Z31型)」、ホンダ「S2000(AP2型)」、トヨタ「スープラ RZ(JZA80)」、マツダ「RX-7(FD3S型)」などが細かく描かれていますので、スポーティカー好きは読んでいて飽きない作品になっています。
くるまのニュース編集部

“100年後”も聞かれる音楽を――ユーミンが語る老い、孤独、未来

2019-02-09 10:18:34 | 日記
“100年後”も聞かれる音楽を――ユーミンが語る老い、孤独、未来



「『ベルベット・イースター』という曲はここでつくったんです」。そう言いながら、松任谷由実さん(64)は母校のピアノの前に座った。松任谷さんが高校生の時につくった曲だ。デビューアルバム「ひこうき雲」(1973年)に収録されている。デビュー45周年を迎えたユーミン。「言ってることはブレてないんですよ。世相によって『生意気だ』と批判されたり、『そうだそうだ』と同調されたり。体感温度はいろいろですけど」。今の心境を語ってもらった。(ライター・内田正樹/撮影・太田好治/Yahoo!ニュース 特集編集部)
目標は「詠み人知らず」になること

デビュー45周年を記念したベストアルバム「ユーミンからの、恋のうた。」が発売される。3枚組み全45曲。デビュー40周年記念ベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」(2012年)と合わせて2部作の完結編という位置づけだ。前回の「日本の恋と、ユーミンと。」は3枚組み全46曲で、「やさしさに包まれたなら」「守ってあげたい」「卒業写真」など名だたるヒット曲が収録された。オリコン初登場で1位を記録した後も売れ続け、2015年には100万枚を突破した。
「日本の恋と〜」に入っていないもので今あらためて聴いてほしい曲がたくさんあったから。前回は私は選曲に関わっていなかったので、今回は全て自分で選びました。そうやってつくったのが今回のベスト盤です。
過去の曲をまとめた作品を出せるのは、「これからも新曲をつくり出せるんだ」という自信があるから。オリジナル作品にブランクがあってベスト盤を出すのは張りぼて感があって気が引けるけど、「宇宙図書館」(2016年)を出して、全80本のツアーも敢行できたから。だから出そうと決めました。

――昨年行われたアルバム「宇宙図書館」の全国ツアー最終日を拝見しましたが、圧倒的な運動量でしたね。
64歳になりましたが、ここ数年で体力は明らかに落ちました。還暦のパーティーの時、宮崎(駿)監督がコメントを寄せてくださったんですね。「60はまだいいんです。62、63歳になると、暗〜いドアがぎぃぃぃっと開きますよ」とブラックなユーモアを込めておっしゃっていたのですが、本当にその通りでした。ただ、そのままにしていては人に分かってしまう。ツアーに向けていろいろてこ入れしましたよ。
――どんなことをされましたか。
筋膜リリースや、初歩的なボイストレーニング。心身の緊張をほどくアレクサンダー・テクニークや、アーユルヴェーダの瞑想法を取り入れたりもしました。短い時間で休息がとれるように。漫然と暮らしてもダメだけど、気にし過ぎるのもよくないので。
「宇宙図書館」ツアーの80ステージは私から言い出したことなんです。2000年に79ステージのツアーを経験しているんですね。でも、もう十数年も前。そこからの変化はものすごい。自分自身もだけど、スタッフも世の中も違う。親友や大切な人を亡くしたりもしました。いつ何があってもおかしくない年齢です。でも、また別の山を、より難しいルートで登りたくなったんですね。

――ツアー最終日、ステージ上のユーミンは感極まっているように見えました。
あのね、感極まるのはいつもなんですよ。3分の1はサービス。
――それは公言しちゃっていいんですか(笑)。
3分の1は本当に感極まっています。残りの3分の1は「感極まっている自分に感極まりたい」っていう感じ?(笑)
(60歳や80ステージといった)数字では測れない地平があるんです。それは決してたどり着くことのない場所。振り返ればデビューの時から(そのイメージは)漠然とあって。(音楽は)自分のためにやっている。それは今も昔も変わりません。いつも言うんですが、私の目標は自分のつくった歌が「詠み人知らず」になることです。そのためにライブもやるし、アルバムもつくる。プロモーションも一生懸命やる。全ては、一曲でも多く人々の記憶に残り、DNAに組み込まれるぐらいのところまでいくためなんです。

ユーミン史上最長、最多本数のロングツアーとなった「宇宙図書館」ツアー。最終公演である東京国際フォーラムのライブの模様がBlu-ray/DVDとなって、45周年記念ベストアルバムと同じ4月11日に発売される(撮影:菊地英二)
闘うべき場所はポップの世界だと自覚した

「ユーミン」のパブリックイメージからは「詠み人知らず」がピンとこないかもしれない。特に「純愛三部作」と呼ばれたアルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」(1987年)「Delight Slight Light KISS」(1988年)「LOVE WARS」(1989年)、そして日本人初の200万枚を突破した「天国のドア」(1990年)などは、時代にくっきりと「ユーミン」を刻印した。それでも常に「ユーミン」という先入観なく「いい歌」だと受け取ってもらいたいという思いで曲づくりを続けてきたのだ。
――アルバム「SURF & SNOW」が発売されたのが1980年。リゾートブームを牽引(けんいん)したと言われました。その後も、女性の社会進出やバブル景気など、アルバムを出すたびに時代を言い当てるようで、予見的とも評されました。
曲をつくっている時はひらめきを追求することに必死で何も考えていなかった。ただアンテナがビキビキに冴えている時は、磁石のように情報が向こうから吸いついてくるんですよ。いわゆる「バブル」の体感は人より早く経験してしまっていました。
――では、実際に世の中がバブルに沸き立っていた80年代後半から90年代初頭にかけては、ユーミンにとってはどんな時間だったのでしょうか。
楽しませる側に徹していました。雑誌の取材に答えることさえもエンターテインメントという感じで。

それには砂漠を訪れた経験が大きくて。1986年にアフリカの砂漠へ行くんです。周りからは「2カ月も休んでなんでそんなところに行っちゃうの!?」と言われましたが。パリ-ダカールラリーに帯同したんですが、そこではモータースポーツというかたちを借りて、大自然の中で本当に闘っている人がいた。その世界から戻ったら、東京が脆弱な箱庭のように見えた。だからこそ、「ここで闘おう」という気持ちになったのね。自分が闘うべき場所はポップの世界だと自覚した。
――では、続く90年代は?
消費されないように必死だったところもあるし……CDが売れない時代をも、先兵として予見していました。
――あれほどヒットを連発していたのに?
一番風圧を受けるところにいるから。「ついにユーミンが売れなくなったぞ」という世の中の反応がもろにくる。あくまで感覚的にですが、エンタメにシフトするぞということは分かっていました。松任谷(正隆)と2人で「興行は不滅だ」と言い合っていました。

――アルバムセールスが好調だったころからすでに革新的なコンサートを行っていました。
そういう時じゃないと贅沢(ぜいたく)できないじゃないですか。ポップアートには才能と時間とお金が必要だから。でも当時、そう考えてやっていたわけではなかった。ただ、その時にやっておくべきことは分かるんです。
「天国のドア」が日本人で初めて200万枚を記録したという、そのニュース性は大事なことで。それがパイロットとなって、ハードが普及し、他のものも売れるようになっていく。ライト兄弟みたいに、そこまで飛べばもっと遠くまで飛ぶものがあとから出てくる。スリップストリームに乗るものがね。
90年代に(アメリカのミュージシャンの)プリンスが新しい音楽ビジネスモデルをつくろうとしたじゃないですか。あれは相当、自分に負担がかかることだったと思う。それに比べたら、日本のマーケットなんてたかがしれている。そのぐらい乗り越えられなくてどうすると思っていますよ。シンガー・ソングライターであり、スターであるという、二兎を追うことは可能だと思っていた。マーケットという考え方も実はしていないんですけどね。いったんマーケットだと思ったら、そこから出られないから。


匂いや湿度を音楽に封じ込めたい

3月17日、東京・調布市で開かれたプレミアムコンサート「SONGS & FRIENDS」。「100年後も聴き続けてほしいアルバム」にユーミンの「ひこうき雲」が選ばれ、複数のアーティストによって「ひこうき雲」収録の楽曲が歌われた。
――MCでは「荒井由実が乗り移ったようで緊張している」と言っていましたね。
めったにあがらないんですけどね。マイクを通した声を自分で聴いて、緊張してるなって。(バックで演奏した)細野(晴臣)さんを見ると、当時からだいぶ変わっているはずなのに、昔の細野さんの姿なんですよ。(鈴木)茂も。そんなはずはないのに。
私の中には今も13歳、14歳の自分がいる。座敷わらしのようなそいつが、「大人ぽい」とか「都会っぽい」と思ったものを採取して、今も曲づくりに役立ってくれているんです。あの日のステージは、彼女が自分の体に乗り移ったようだった。きっと音楽によって不思議と知覚のドアが開かれたんですね。
アルバム「ひこうき雲」は大学1年の終わりごろから約1年かけてレコーディングされた。その演奏に参加していたバンドが、当時キャラメル・ママ名義で活動していた、のちのティン・パン・アレー(細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さん)だった。

豪華アーティストが出演した「PERFECT ONE presents SONGS&FRIENDS 100年後も聴き続けてほしい名アルバム 一夜限りのプレミアムコンサート荒井由実「ひこうき雲」」。シークレットゲストとして井上陽水さんが登場した。コンサートの様子はWOWOWで5月13日夜に放送される(撮影:上飯坂一)
あの人たちじゃないと出ないサウンドがあるんです。手数とか本当に少ないんですよ。松任谷正隆も手数は少ないけれど、そこに情報がすごくある。細野さんのテクスチャーにも、すごい量の情報があるんだと思う。
「SONGS & FRIENDS」をプロデュースする音楽家の武部聡志さんとの対談で、ユーミンはこう語っている。「『ひこうき雲』に入っている曲って、雨とか雲とか霧とかばっかりなんですよね。茫洋とした掴めないものばっかりが歌になってて」「(キャラメル・ママのサウンドに)匂いや、やっぱり質感ですね、そういったものを感じるんです」
私は歌をつくる時に、ストーリーやキャラクターを描きたいのではなく、匂いや湿度、切なさといった目に見えない「クオリア」を描いてきたつもりです。今回のベスト盤は、特にそれが色濃く描かれた曲でできていると思います。
3、4年くらい前かな、石川県の山中温泉(加賀市)というところで、山中節を聴かせてもらう機会があったんですよ。それがすごくて、もう、涙が出ちゃって。


山中節は日本三大民謡のひとつと言われているんですが、恋の歌なんです。昔、日本海を行き来する北前船の船頭さんたちは船を下りると山中温泉を訪れて湯治をしたんですって。彼らはひととき休んではまた出かけていく。その時に芸者さんと恋をする。「ハァー 忘れしゃんすな」と始まるんですが、その心情と旋律とが一体になっていて「うわぁ〜」って。情景が広がる。四次元に伝わってくる。
――それは何人かで歌うものなんですか?
私が見たのは歌い手が1人、三味線が1人、踊り手が1人でした。地元の小さな劇場で、他に誰もいないところで鑑賞させてもらいました。ゆったりとした節回しや、こぶし回し、すべてが伝承されるんでしょうね。
音楽と人間の関係って、そういうものに戻っていくのかもしれない。民謡のような、民族的にしみ込むものと、ショパン以前の教会音楽やサロンミュージックの両極に。一方で、ポップミュージックのパトロンは大衆です。そのことは80年代から松任谷ともよく話していました。「音楽でお金をとるというのは、考えてみたら不自然なことだよね」って。ライブはまたちょっと別ですけどね。
――松任谷正隆さんとの関係は。
よく「おしどり夫婦」とか「二人三脚」とか言われますが、それには非常に抵抗がありますね(笑)。ハサミみたいだなと思うんですよ。刃を向け合うんだけど、お互いのことは絶対に切らない。一部がつながっているけれど、溶け合ってはいない。いつも一緒にいるけれど、0.何ミリか離れている。彼を失うと、私は会話のできる相手がいなくなる。彼も天才だからね。海王星人と冥王星人みたいなものなので、肩を寄せ合って暮らしていかなきゃならないんです。

「SONGS & FRIENDS」のMCでは、ファーストシングル「返事はいらない」(1972年)と、その曲のプロデューサーで、昨年3月に亡くなった親友・ムッシュかまやつさんの思い出にも触れた。
――ユーミンはなぜムッシュにひかれたのでしょうか。
全てが遊びでできている人だったから。音楽もファッションも同じ次元で遊べていた人でした。80年代後半から90年代なかばごろは、私が馬車馬のように働いていたせいで会える時間が少なかった分、なおさらムッシュのあり方がうらやましく思えた。自分ではそれまでと同じように遊んでいるつもりでも、「どこに運ばれていっちゃうんだろう」という不安もあったから。
――若いころと比べて、不安や孤独との付き合い方は変わりましたか。「多少は飼いならせるようになった」と語っていた時期もありましたが。
プラマイゼロかな。孤独は人の一生にずっと付いて回るもの。特にアーティストは男でも女でもなく、男でも女でもある。どちらの孤独からも解放されている反面、どちらの孤独も引き受けなければならない。
老境が近づいてくる孤独もありますよ。ツアー中やアルバムリリースの時はスタッフとかも周りにいっぱいいますが、ひとりになった時にふと、自分の中でパイロットランプを切らざるを得ない時がくるかもしれないな、と思う時もある。

――もしかしたら?
もしかしたらね。でもたとえそうなっても、ファンは問題ないと思う。そのころには繰り返し聴いてもらえるだけの十分な曲がそろっているはずだから。もしかしたらバーチャルなユーミンが存在しているかもしれない。初音ミクより強力な“AIユーミン”とかね(笑)。生身の私はとっくに引退して、どこかの施設で人知れず過ごしているかもしれないし。
――そんなユーミンはとても想像がつきませんが。
でも来(きた)る近未来は、どうなっているかわかりませんよ。環境が変われば身体もオルタナしていくかもしれないし。
――70年代から活躍されてきたアーティストがすごいのは、ロールモデルがいない時代だったということ。情報も限られている中で、楽曲も、セールスも、ライブも、すべて自分の経験と体で答えを出してきたのですから。
その通りです。だから良かったんですね、きっと。当時は「ここに行けばこれがある」という情報はなかった。欲しいものを手に入れるためにはいろんなところに行ってみるしかなかった。でもその回り道にたくさんの宝物があった。それを栄養にして今日までやってこられたんじゃないかな。
今度のツアーは、2つのベスト盤を合わせた90曲を、何日かに分けて全曲やろうかという話もあったんですよ。たとえそれは無理でも、それくらいのボリュームを感じてもらえるものは提供したいし、そうできると思う。人の想像力に勝るものはないですからね。

松任谷由実(まつとうや・ゆみ)
1954年生まれ、東京都出身。1972年、シングル「返事はいらない」でデビュー。「ひこうき雲」「やさしさに包まれたなら」「あの日にかえりたい」「恋人がサンタクロース」「守ってあげたい」「真夏の夜の夢」「Hello, my friend」「リフレインが叫んでる」「春よ、来い」など、数多くのヒットソングを送り出す。1999年から行われた「SHANGRILA」3シリーズでは革新的なステージを生み出した。2018年4月11日、デビュー45周年記念ベストアルバム「ユーミンからの、恋のうた。」をリリース。アリーナツアー「Ghana Presents 松任谷由実 TIME MACHINE TOUR Traveling through 45years」全国14会場29公演の開催が決定している。
内田正樹(うちだ・まさき)
1971年東京都出身。編集者、ライター。雑誌「SWITCH」編集長を経て、2011年からフリーランス。これまでに数々の国内外のアーティストインタビューや、ファッションページのディレクション、コラム執筆などに携わる。
[撮影協力]
学校法人 立教女学院