借金地獄 不渡り寸前でつかんだ極意
「タビオ」創業者の靴下一徹人生(第3回)
- 2016/9/4 6:30
- 日本経済新聞 電子版
資金繰りには苦労しましたわ。経営で何が苦しいといって、お金がないことほど苦しいものはない。僕は創業してからずっと朝から晩まで借金のことばっかり考えていました。僕は業界史上最悪の経営者でした。人の顔を見れば「銭を貸してくれ」しか言わないのやから。我を忘れて借金に走り、借金をするために独立したような状態でしたわ。気がつけば借金まみれ。毎日が資金繰りの戦争状態で、絶望的な自転車操業のつらさが身にしみました。
越智 直正(おち・なおまさ)
1939年愛媛県生まれ。中学卒業後、大阪の靴下問屋に丁稚奉公。68年に独立し、ダンソックス(現タビオ)を創業。靴下の卸売りを始める。84年に「靴下屋」1号店をオープン。メード・イン・ジャパンにこだわり、その品質の高さと独自の生産・販売管理システムで、タビオを靴下のトップブランドに育て上げる。2000年大証2部に上場。08年から会長
自社で作らず、商品を仕入れて売るだけでは商売は苦しかった。そこで自分たちで作って売ることを考えました。多少の不安はあったものの、何とかなると商品企画に取り組みました。でも、製造するとなると、糸代などは前払いです。在庫も抱えます。有名な婦人服専門店など取引先は増えたものの、売れる商品と売れない商品の差が表れ始め、在庫負担に悩まされました。創業して5年後には借金が7000万円に膨らみました。昭和40年代のことですからぼうぜんとするような大金です。当時の年商分の金額でした。
2日後に期限がくる手形530万円を前に「もう、あかん。僕の人生、一巻の終わりや」と覚悟しました。33歳のときです。僕は生命保険に入っていて、もしものときには保険金2400万円が支払われることになっていました。僕がトラックに飛び込めばすむことや。そう決めたとき、やることはやったと意外にさばさばしていました。西郷隆盛が最後に「晋どん、もうここらでよか」と言った気持ちがよく分かりました。2400万円あれば、7000万円の借金のうち3割は払えます。
僕は腹を決めて、これまで商売でお世話になった関西の食品スーパー、ヤマトーの藤原敏夫社長に会いに行きました。「ついに行き詰まってしまいました。借金がごっついありまんねん。あさって不渡りが出ますから、もうこれで勝負つけます」と言ったのです。
そしたら藤原社長から「越智君、借金、借金と言っているけど、一体なんぼぐらい借金しとるんや」と聞かれました。「合計で7000万ありますねん」と正直に話しました。そのとき藤原社長は何て言ったと思いますか。驚いた顔で「なんやて。お前、やり手やのう」と言うたんです。「俺は店を担保に入れて3億なんぼ借りるのが精いっぱいやった。お前はどないして担保も何もなしで7000万円も借りたんや。教えてくれ」と言うのです。
この一言でパッと目の前が明るくなりました。「そうや、たとえ借金でもこれだけの金額を借りた私は確かにやり手だ」と自分でも思ったのです。頭の中は借金のことばかりで、物事を悪いほう悪いほうに考えていたことに気づきました。
直前まで諦めていたけど、関西で有名な経営者からの意外な褒め言葉に奮い立ち、「出直してきますわ」と金策に猛然と飛び出していました。どんな局面でも人間は投げ出したらあきまへんな。途端に思ってもみなかった人の顔が浮かびました。「あそこへ行ってみよう」「もう一度、あの人にお願いしてみよう」という気になるんですわ。心の持ち方一つです。
決済日まであと2日しかなかったけど、集まるもんですわ。全力で走り回ったら330万円のお金が借りられました。それでも手形決済当日、200万足らんのです。「さすがに3時までには無理や」と思って、330万円を持って付き合いのある信用金庫を訪ねました。不足分について相談するためで、工面できなければ倒産です。「支店長はおいでになりませんか」と聞いたら、「昼ご飯を食べに行った」と言うので、支店長席の横の椅子にかけて待たせてもらうことにしました。何しろ3日間寝ていませんでしたから、静かに座っとったら眠り込んでしまいました。
そのうち支店長が戻ってきて、僕を起こしてくれた。僕は「支店長、500万なんぼの手形が回ってくるんやけど、200万円足りまへんのや」って言うたんですわ。そしたら支店長が「俺も長い間、信用金庫に勤めたけどな、今日不渡り出すかもしれんのに、いびきをかいて寝ている社長は初めてや。200万円やったら、支店長権限で何とかできるから、わしがなんとかしたる」って言ってくれました。
それで最終的に不渡りを出すことなく、無事危機を突破しました。借金の能力が絶大なら、返済能力も人に負けないはずと自信がつき、その後は何事に対しても腹が据わりました。
身の上に起こるすべてのことはただ、己の心がつくる――。仏教の教えです。必死で取り組んだら大抵のことは何とかなる。心配ないんですよ。
みなさんの中で安倍晋三総理から相談されている人はいますか。「ちょっとこの問題で頭を痛めていますのや」とかね、おりまへんやろ。その人にふさわしい内容しかこないんですわ、人生は。僕は資金繰りで困って走り回っていたけど、明日1000億円足りませんというのはなかった。
丁稚時代の大将にもよくこう言われました。「ええか、越智、よく心得とけ。お前に起こってくる問題は人の生き死に以外は全部、お前が解決できるから起こったんや。だからお前が本気になったら解決できる。お前が逃げ腰になっとるから解決できないんや。お前が起こした問題で、お前に解決できない問題などあるか」と。本当にその通りなんですわ。
倒産は人生のオセロゲームみたいなものです。倒産したら、昨日までの仲間、つまり支援者たちがオセロで石を裏返すように、味方から債権者という敵にいっぺんに変わってしまうんですわ。商売は両刃の剣です。不渡りを出したら相手も切るが、自分もズタズタに切り裂かれます。
丁稚時代、倒産した得意先の債権者会議によく行かされました。量販店の台頭でそれまでの流通秩序が根底から突き崩される流通革命の最中で、その余波を受けたお客さんがどんどん潰れましたんや。
当時、債権者会議で倒産した会社の経営者がどんなことになっていたか。床に正座した社長に債権者が罵声を浴びせる。そんな地獄のような光景が展開されるのです。「こんな目に遭うぐらいなら死んだほうがましや」と思うくらい追い込まれる。今は知らんけど、僕らが行っているときはそんな有様でした。
僕の場合、十分な資金がない中での創業でした。また取引工場を確保するため、「20日締めの月末現金払い」という破格の支払条件をのんでいましたから、創業からしばらくは金策に走り回る日々でした。
それでも会社を潰さずに今日までやってこられたのは、何度となく修羅場を目にしてきたことで倒産の怖さが骨の髄まで染み込んでいたからでしょう。
債権者会議の怖さをよく知らん人は、経営すること自体が間違いだと思う。経営者になるということはそれも含めて覚悟しないといけません。打ち込むことばかり考えて、自分が打たれることを考えない剣道がどこにありますか。経営も同じです。そうなったときにどう対処するかという備えがないようなら、経営者失格。僕はこの年になっても最悪のことをいつも考えています。
独立後間もなくの正月、創業メンバーと。一張羅の背広姿で(右が筆者)
「越智、わしは八十なんぼまで生きてきたけど、お前みたいに借金のうまいやつは初めてや。お前が言ってきたら、貸さざるを得んようになってしまう」。ある経営者に借金のお願いに行ったとき、僕にこう言ってお金を貸してくれました。また友人たちは「お金を貸すのに不安はなかった。越智ならきっと返してくれる」と信頼していたというのです。
自分で言うのも何やけど、僕はむちゃくちゃ借金するのが上手です。
昔、こんなことがありました。その日は知人から借りた500万円の返済日でした。僕は走り回って何とか500万円をかき集め、返済に行きました。「最近はどうか」と聞かれたので、正直に「実は明後日までに800万円必要なので、今日、明日は金策に追われています」と答えました。すると「だったら、今日持ってきた500万円は持って帰れ。明日また300万円貸してやる」と言ってくれた。
なぜなら丁稚時代に、約束を守ることを厳しくたたき込まれていたからです。「納品の期日は命を懸けても守れ」「大阪の商人は約束を守って信用を築いた」「約束を守れないやつはどんなに優秀でも価値がない」。大将にそう教えられました。
約束通り500万円を返済したうえで、改めて800万円を借りるのと、約束を果たさないまま300万円借り足すのとではまるで話が違います。
僕は大将の教えを守り、借りていた500万円を返し、「今日の返済は受け取ってください。お言葉に甘えて明日改めて借りにきます」と言いました。「お前になぜそんな知恵があるのか」と感心され、翌日800万円を貸してくれました。
借金したときは必ず約束した返済期限を守ること。よそから借りてでも必ず返すこと。この2つが借金の大原則です。
借金の返済期日にあちこちから借りてでも金をそろえて返済にきたということは、まだ周りから金を借りられる信用を持っていると見てもらえます。その信用でまた借りられる。先の借金を返せず借り増しを頼んでも「これは危ない」と逆に警戒されます。期日がきた借金はいったん返すことが信用につながります。
借金には極意があります。最初は持っているなと思う額の半分くらいを借りまんねや。商売をしていると、この人はなんぼぐらい貸せるのかが大体分かるようになります。仮に相手が1000万円を持っているなと思ったら、「500万円ほど貸してくれんやろか」と聞く。500万円しか持っていないのに、「600万円貸して」と言ったら、「持っていない」と断られまんがな。その場合は読みが悪かったなと次は300万円借ります。
それで期日に必ず返す。次は900万円くらい借りる。そして後日「300万円足らん、それがないと倒産する」と言うと、相手は手持ちの100万円を貸してくれたうえ、僕に代わり必死で不足分200万円の金策に走ってくれます。それがないと自分が貸した900万円が戻ってこないからです。
ただこれは必ず返せるという自信があり、周りの絶対の信用があってできること。誤解なきようお願いします。
借金に行くときは「こんにちは」と挨拶して家に上がらせてもらいます。それで「早速やけどね、明日までにいくら必要ですねん。何とかしてもらえんやろか」と切り出しまんねん。それから「暑いでんな、寒いでんな」と話しよったら相手も安心します。借金が下手なやつは「暑いですわ、寒いですわ」と世間話をして帰り際に言うから、相手に警戒されるんですわ。
僕がその勉強をしたのは、知り合いのところにお金を借りに行ったときです。「こんばんは」と行きました。「暑いな」と言われたんです。それで「暑いね」と言った。「ほんなら上がれ」と言って案内してくれた。「おかんは元気なんか」「姉さんは元気なんか」と聞かれたので、ずっと受け答えをしよりましたんや。ほんなら借金の話ができんようになってしまってね。結局、1時間ぐらい無駄な時間を過ごしました。余計な話をしたらいかん。行ったらいきなり言う。あとは世間話をして帰るのが一番ですのや。「今はこういうことをやってまんねん。こんなものを作ってまんねん」と言って夢を語ったら、みんな貸してくれましたわ。交渉がうまいとは自分でも思わんけど、死に物狂いだといろいろな知恵が出てくるのでしょうな。
[『靴下バカ一代 奇天烈経営者の人生訓』を基に再構成]