Myselves

言葉と音楽に隠された魔法を探して放浪中。
そんな『自分自身』たちの旅の様子は?

影響、そして反省

2009-06-02 00:03:40 | 独白
最近影響を受けた2つの言葉から。
両方とも『良薬は口に苦し』というかなんというか……。
まずご紹介。



「そう言うんだったら自分で訳したら?」
「専門的に見るのも、ある意味視野が狭くなってる」




たまたま両方とも言語関連の話で言われたんですがね。
すっごくグサッときました。


前者は本と映画の翻訳と字幕、海外の曲を日本語の訳詞にする、という話題のとき。

よく海外の小説を読んだり映画を字幕で見たりすると「これ誤訳じゃないかな」みたいなのがあるんですが。
小説の場合、通訳とは違うんだから、翻訳のように訳しても文章として違和感があったり、かといって日本文学のように訳して原作の雰囲気が伝わらなかったり。
海外の曲を日本語訳するとき、ミュージカルナンバーとかディズニーソングが良い例だけど、うまく音楽にあてはめた歌詞を作るのは難しい。成功している例もたくさんあるんだけど、たまに「え?」と思うのもある。
字幕は特に難しくて、画面と文字と両方を追うわけだからやっぱり核になる部分しか字幕には出てこない。でも吹き替えは見たくない(吹き替えの俳優さんがひどい場合があるので)。


とまあそんな話をしてたらばっさり「そう言うんだったら自分で訳したら?」と。


よく考えたら当たり前の話で、翻訳や通訳、字幕や訳詞の制作はやっぱり当事者じゃないとわからない苦労もたくさんある。
それは、それだけは、自分も経験があるからわかってたつもりだった。



後者は、ある記事のコメント。
ってかほとんど同じことを母にも言われたけど。


テレビで自慢げに話す芸能人について、「井の中の蛙じゃない?」と思ったのでそれをかなり皮肉交じりに書いたら「専門的に学んでる人の基準で見るのも、ある意味視野が狭くなるって言えると思うなー」とのコメント。
確かにそうだよな、と反省……。


自分、あるいは自分が身を置いてる世界で物事を測っちゃいけない。色眼鏡で見たらいけない。
できるだけ中立的な立場で、物事を違うように見ないといけない。
これも、自分が色眼鏡で見られてすごく辛い思いをした経験から、わかってたつもりだった。





ダメですね、ほんと。





ミュージカル『ウィキッド』のエルファバやフィエロのように、物事を違ったように見られると良い。
または、グリンダのように自分の弱さを認めることができたらどんなに良いことか。





だけど……




私には、到底不可能、かな。











とっても弱い人間だから。

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