貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・一考編

2022年10月01日 | 貧者の一灯






 







「舞妓は“子ども”なので『わからしまへん』
と返すしかない」

「未成年への飲酒の強要や、
セクハラに対して声を上げることで
花街を変えたい。

その気持ちは舞妓時代から
ありました。

でも花街の誰かに相談しても

『大変やな。でもこういうもんやから、
あんたが我慢しよし』と言われて
終わってしまう……。  

だからいつか外に出て、花街の実態
を伝えようと思っていました。

今、こうしてたくさんの反響をいただいて、
この問題が議論されていることで、
当時のつらかった自分も報われる
思いです。  

一方で、改めて花街の“体質”を
思い知らされたことも事実なんです」  

そう語るのは、衝撃的な告発をツイッター
に投稿した元舞妓、桐貴清羽さん
(きりたかきよは・23)だ。

《当時16歳で浴びるほどのお酒を
飲ませられ、お客さんとお風呂入り
という名の混浴を強いられた。

これが本当に伝統文化なのか
今一度かんがえていただきたい

「“口止め会議”もあったようです」  

6月26日に彼女が男性客と飲酒する
写真とともに投稿したツイートは、
現在31万回以上の「いいね」がつき、
13万回以上リツイートされている。

6月28日の厚労大臣会見では、後藤茂之
大臣がこの件をめぐって「芸妓や舞妓の
方々が適切な環境の下で、芸妓や舞妓
としてご活動いただくことが重要」との
見解を示すまでに発展した。  

その影響は大きく、さまざまなメディア
もこの告発の真偽を追及している。
桐貴さん自身も、複数のメディアで
この件について語っている。  

告発から約1カ月。  

SNSでは桐貴さんの告発を支持する
声が大きいが、一方で花街関係者から
こんな声もあがっている。

《今舞妓さん問題がいろいろと言われて
いますが、はっきりと言えます、個人の
問題です》

《「置屋、お茶屋が舞妓にお酒を
飲ませる、混浴を強いる」は全て嘘》  

この状況に、桐貴さんはこう吐露する。

「批判の声を上げていらっしゃる方の
なかには、私が相談したときに
『わかるー! あるあるだよねー!』
なんて言ってくださっていた方もいて、
正直ショックを受けています。

いまや私だけが証言しているわけ
ではないのに……」

関係者によると、当の花街ではいま、
「告発した舞妓ちゃんが悪いってこと
になっている」という。

「まず、投稿があった翌日の朝、
花街では『舞妓は一般人の目が
あるところで飲酒せず、お茶屋の
中で飲酒するように』とお達しが
ありました。

7月5日には芸舞妓や女将さんが
集められて、“口止め会議”もあった
ようです。

置屋によっては、 『お小遣いは来月
から5千円にする』と舞妓ちゃんに宣告
したとも聞いています。

街に繰り出して、誰かと会ったりご飯に
行ったりして、余計な事を喋ってこない
ようにと言う理由のようです」

舞妓が受けていた“理不尽な
仕打ち”とは  

告発後の花街の動きについて、
桐貴さんはこう語る。

「花街と共存関係にある方からすると、
告発を支持できない事情があることも
よくわかります。

でもこうやって隠すから、何も変わら
ないんです。

いままで苦境を口にする舞妓さんが
いなかったことや、私やほかの関係者が
声を上げてもそれを否定する声が
これだけ出てくるのは、やはり花街なら
ではだなと感じます。  

舞妓は『5年奉公』『6年奉公』など、
修業を始める前に6~10年の奉公
期間を約束します。

その期間はお母さん(置屋の主人)
から言われるように舞などの訓練をしたり、
お座敷に出たり。約束の期間を満了する
前に辞めることは裏切り行為で、
場合によっては数千万円の違約金を
求められます。

置屋は芸を磨くための“研修の場”であり、
舞妓は“修業中の身”。お母さんへは
もちろん、なにがあっても芸舞妓の
口答えは絶対に許されないんです」

“修業中の身”である舞妓はいかなる
理不尽にでも耐えなければいけない。

そういった認識は周囲にも、そして舞妓
自身にも深く根を張っているという。

「日常的に暴言を吐かれたり、整形させ
られたり、お母さんの飼い犬の残した
ささみを食べさせられたり……。

ひどい仕打ちを受けた舞妓さんを私は
たくさん知っていますが、『修業なのだから
厳しくて当然』とか『忍耐が足りない』と
片付けられてしまう。

私がセクハラや未成年飲酒について花街
で相談をしても、『悪口』や『愚痴』程度に
しか受け取られませんでした。  

花街において、舞妓さんは“何もわから
ない子ども”。純真無垢で、ひたむきで
なければいけません。

周囲からそう求められることで、舞妓さん
自身もそういう認識を内面化してしまうんです」

しかしながら舞妓の多くは10代後半。
“何もわからない子ども”では決してない。

桐貴さんは、現役時代の“理不尽”について
その詳細を語り始めた。

「実際、私もお客様からのセクハラは、
意味が分かっていただけに心底苦痛でした。

着物の身八ツ口や裾に手を入れられること
はもちろん、横になった舞妓の上にお客様が
またがって腰を上下させたり、反対にお客様
の上に舞妓がまたがることもありました。

また、舞妓のお座敷芸に『しゃちほこ』という
三点倒立をする芸があるのですが、その際に
着物の裾を広げて下着を覗き見られることも
……。  

でも舞妓さんは“子ども”なので『性的な知識
がないから恥ずかしがらない』という建前が
あります。

だから『わからしまへん』と返すしかないんです」 

セクハラが多発したお座敷遊び
「拒否権がなかった」からこそ、桐貴さんは
「お酒」を武器にするしかなかったのだという。

当初は未成年飲酒に抵抗があったが、
「お客様に『飲まない奴は帰れ』と言われる
こともあった」という経験を繰り返すうちに、
「感覚がマヒしてきた」。

「毎日大量に飲んでいたせいか、かなり
お酒に強くなっていて……。

ボディタッチがひどくなってきたら、『飲みが
足りないんじゃないですか。お流れしましょう』
と提案しました。

『お流れ』とは、水を張ったお椀を挟んで
お客様と舞妓が座り、ひとつのグラスで
お酒を一気飲みし合うというお座敷遊びです。

お客様がグラスを空にしたら、水を張った
お椀に入れてすすぎ、今度は舞妓が飲む
というのを繰り返すのです。

『わあ、間接キスだ』と喜んでいるお客様
もいましたね。

お客様の気を逸らすために、『滝流し』と
いうおビールグラスを上下二段に構えて、
上のグラスから下のグラスそして口へと流す
芸も身に着けました。

最初は無理やり飲まされていましたが、
徐々にアルコール依存症気味になって
いきました」  

お座敷は夜6時から9時までの「先口」と、
9時から12時までの「後口」の二部制。

夜遅くに帰宅して、髪結いをする日など
は朝の4、5時には起きなくてはならない。

ろくに睡眠時間を取れないままにまたお座敷
に出なくてはならないので、「お酒が抜ける
前にお酒を飲まなくてはいけない。

酒漬けの日々で思考力も低下していた」
という。

「お前には自分の意見はないのか」  

そんなつらい時期に出会ったのが、
ある男性客だという。

「そのお兄さんと会話する中で、『お前には
自分の意見はないのか』と言われてハッと
したんです。

舞妓になってお人形でいることを求められる
うちに、私は自分を見失っていたんだ、と。 …









※ きれいに病んでいく 


兵庫県洲本市にあるホームホスピス
「ぬくもりの家 花・花」には、認知症や
末期がんなどで独りでは暮らせない
高齢者が入居している。

斉藤多津子さん(85)もその一人だ。  
多発性骨髄腫の末期と診断され、
医療的な処置はできず、「花・花」に
やって来た。

2015年10月のことだ。
心臓も悪く、「最初は寝たきりの
状態だったんですよ」と、理事長の
山本美奈子さん(61)が振り返る。  

私たちは「花・花」を訪れると、
ベッドに横たわる斉藤さんと短い会話
を交わすようになった。  

3月下旬に訪ねた時、テレビで高校野球
の試合を中継していた。

斉藤さんはスポーツが好きだ。やせ細り、
点滴がつながる手をおなかの上に乗せ、
顔を横に向けて画面を見ている。  

「野球が好きなんですね?」  「うん」  
その日は、フィギュアスケートの世界
選手権最終日でもあった。

野球もスケートも好きな斉藤さんに
スタッフが声を掛ける。  

「きょう羽生君やなあ」  
「きょうは羽生君!」。
一段と声が大きくなる。  

斉藤さんの訪問看護を担当する
久留米晃子さん(53)に話を聞く。  

「以前は昔の話をよくしてくれたんですよ。
戦時中、疎開で神戸から淡路島に来たって
言ってて、

『兄と2人、おにぎりを1個だけ持って
来たけど、すぐなくなった』って笑って
ました。

9人制バレーボールの選手で『すごい
上手やった』とも言ってました」  

美容師だった斉藤さんは、こまやかな
気遣いができる人だった。

ビールが好きで、「花・花」でもよく晩酌
をしていたそうだ。

今年1月、体調を崩して入院したことが
あったが、「帰りたい」と訴え「花・花」に
戻ってきた。  

4月下旬、私たちが部屋に入ると、
斉藤さんは眠っていた。

2週間前に会った時よりもさらにやせて
見える。わずかな期間で、こうも弱って
しまうのかと思う。

「でも、こんなにきれいに病んでいく人って、
いないですよ」。看護師でもある山本さん
が言う。  

斉藤さんは、平成が終わるのを待って
いたかのように5月1日早朝、穏やかに
人生を終えた。

「花・花」の入居者は3人になった。 …


※ 穏やかに淡々と続く日常。


「この前、原さんと一緒に植えたんですよ」  
5月半ば、洲本市にあるホームホスピス
「ぬくもりの家 花・花」を訪れた私たちは、
スタッフの太田一美さん(37)に誘われ
中庭に出た。

植木鉢にミニトマトとナスビの苗が
植えられている。  

入居者の原とし子さん(83)も庭に出て、
じょうろで水やりをする。

散歩が楽しみだったが、最近は足腰が
弱り、あまり出歩くことができない。

認知症も進んでいる。  
原さんは地元の特産品、淡路瓦の製造
会社に勤めていた。

「花・花」を運営するNPO法人の理事長、
山本美奈子さん(61)は同じ地域で暮ら
していたので、30、40代の頃の原さんを
よく覚えている。  

「公民館活動を束ねててね、シャキシャキ
してましたよ。みんなから『としちゃん』って
呼ばれてね」。

世話好きで、たくさん友達がいたと記憶
している。  

「もうちょっと、外おる?」。
太田さんが原さんに尋ねる。  
「おるわ」  ベンチに腰掛け、
じっとしている。

太田さんがそばにそっと虫よけを置く。  
「ずっと家の中にいると、なんやかんや
音がするでしょ。

時々、ああやってベンチで一人、
座っているんです」。2時間近く座って
いる日もあるという。

何を考えているのだろう。昔のことだろうか。  
そういえば以前、「今までで一番、つらかった
ことは何ですか?」と聞いたことがあった。

原さんは「お父さんに怒られたときや。
一番、泣いたで」と話していた。  

3週間後、私たちが「花・花」を訪ねると、
原さんはリビングにいた。  

「せんどぶりにおうたなあ」と声を
掛けてくれる。

雑談の後、原さんに聞いてみた。  
「死ぬって、怖いですか?」  

「そら怖いわー。死んだら、目開けても、
誰にも会われへんやん。死ぬん嫌やわ。
みんなでな、ワーワーゆうてるんがええ」  

原さんも、ほかの入居者も、それぞれの
人生を巡って、ここにたどり着いた。  

怖くないように、少しでも穏やかな最期を
迎えられるように。

「花・花」の日常は、淡々と続く。…