多くの場合、丁寧な言葉で淡々と被告人に
話しかける裁判官。
しかし、この日の男性裁判官は前のめりに
なりながら、叱責と切願が入り混じった言葉
を証言台に投げかけた。
その背景には何度も有罪判決を受けた
高齢者が窃盗を繰り返してしまう
実態があった。
勝手知ったる法廷内
5m先からの声に直立不動で耳を傾ける
のは裁判官より30歳年上の男性(79)。
3月、都内のコンビニで新聞1部(150円)
を盗んだとして「常習累犯窃盗」の罪で
起訴された。
常習累犯窃盗とは、何度も窃盗を繰り
返す罪のことで、具体的には10年以内
に窃盗や窃盗未遂で懲役6カ月以上の
判決を3回言い渡された場合に適用される。
有罪となれば3年以上20年以下の懲役
という重い刑罰が科される。
5月下旬の東京地裁、初公判に黒の
ジャージ姿で出廷した男性は裁判官に
指示される前に証言台に進もうとするなど、
勝手知ったる他人の家のような振る舞い
が続いた。
それもそのはず、起訴状によるとこの男性
は窃盗の罪で2013年に懲役1年(執行猶予3年)、
2018年に懲役1年6カ月、そして2020年には
常習累犯窃盗の罪で懲役2年の有罪判決が
言い渡されている。
さらにさかのぼれば、2010年から2013年
の間にも1度有罪となっているとみられる。
つまり、少なくとも4回も窃盗で有罪判決を
言い渡されているのだ。
今回、新聞を盗んだとされるのは2020年に
有罪となった懲役の仮釈放から4カ月後
のことだった。
望まない“再会”
起訴内容を認めた男性に対し、そのまま
被告人質問が始まる。
まずは弁護側から質問。
弁護側「仮釈放中の窃盗でした。
反省していますか?」
男性「反省しています。何回も同じこと
をやって、またか…と」
弁護側「目が見えなくなっているんですか?」
男性「緑内障になりました。これで終わりです」
自身の起訴内容や病気について他人事
のような答えが続いた後、質問が検察側
に移る。
検察側「物を盗るときにお店へ迷惑は
思い浮かばないですか?」
男性「浮かびます。」
検察側「では、なぜやったんですか?」
男性「抜けちゃうというか…何も言えませんね」
最後までこの男性が150円の新聞1部を
盗んだ目的は裁判で明かされなかった。
検察側「2020年6月にあった窃盗の件での
裁判は覚えていますか?」
男性「はい」
検察側「そこで申し訳ないと反省しましたか?」
男性「はい」
検察側「裁判官の名前は覚えていますか?」
男性「いやー、覚えていません」
検察側「顔も覚えていないんですか?」
男性「覚えていません」
男性も傍聴席にいる記者も質問の意図が
わからないまま検察側の質問が終わった。
そして、裁判官の質問が続く。
その開口一番。
裁判官「2020年6月の裁判の裁判官は
私なんですよ」
男性「え!?申し訳ございません」
2年ぶりの“再会“に驚いた79歳の男性は
素早く体を伸ばし、頭を下げた。
裁判官は謝罪に反応せず、徐々に前のめり
になりながら男性に言葉を投げかける。
裁判官「2020年(の裁判で罪に問われた窃盗)
も108円の菓子パン、必要最低限のものですよね。
前も常習累犯窃盗罪で懲役2年。普通は
懲役3年以上なんです。
酌量減軽で軽くなってるけど、100円で3年だよ!」
男性「覚悟していますから」
裁判官「もう最後にしましょうよ!」
男性は「(裁判官の)お顔を覚えます」
男性がこの言葉で頭を下げると、これまで
感情に訴えかけるような言葉を投げかけて
いた裁判官は急に丁寧な言葉づかいに戻る。
「いや、裁判所で会うことはないです。」と話し、
裁判は即日結審した。
更生保護施設でも進む高齢化
この男性が108円の菓子パンを窃盗した罪で
服役した後に仮釈放となったのは去年の
末のことだった。
出所後、男性は都内の更生保護施設に
移り住み折り鶴の折り方を覚え、卓球も趣味
となった。
更生保護施設とは刑務所や少年院を出所後
すぐに自立ができない人を一定期間保護して、
円滑な社会復帰を助け、再犯の防止を目的と
する施設。
民間団体の施設だがほとんどが国からの委託費
を基盤に運営されている。全国に103施設あり、
2400人以上が暮らしている。(2021年時点)
本来、更生保護施設はすぐに就労ができる
年代の出所者を主要な対象者としていたという。
しかし、ここにも高齢化の波が押し寄せる。
2017年の統計では仮釈放となった高齢者の
約4割が出所後に更生保護施設や就業支援
センターに入っている。
更生保護施設を所管する法務省の担当者は
10年以上前から高齢者が増えたと話す。
「2008年ごろから高齢者の入所者が多くなってきて、
社会福祉士の資格を持つ職員を配置するよう
国として施策をしてまいりました」
「入所者が高齢化した結果、施設の役割として
福祉的な支援や医療的な支援につなげる
必要が出てきています」
男性は保護施設に入所して約4カ月後に、
施設から300m離れたコンビニで新聞1部を
盗んだとされる。
更生保護施設の収容期間は6カ月が満期と
言われていて、この男性は次の支援に
つながる前に逮捕される形となった。
判決は淡々と言い渡された
初公判から2週間後、同じ法廷に同じ格好で
現れた男性(79)は初公判と同じように傍聴席
をぐるりと見渡した。
開廷後も初公判と同様に本人確認が行われ、
裁判官はすぐに判決を言い渡した。
裁判官「主文、被告人を懲役2年6カ月に処す。」
執行猶予はつかない実刑判決。
初公判では感情のこもった言葉で更生を促した
裁判官もこの時ばかりはあえて突き放すかの
ように感情を出さず言葉を発した。
裁判官「わかりましたか?」
男性「…」
裁判官「わかりましたか?懲役2年6カ月です」
男性「服役します」
裁判官は必要最低限の説明以外の言葉を
男性にかけず、わずか3分で判決公判は
終了した。
退廷時も男性と目を合わせようとしない裁判官。
これ以上、法廷内で再会しないことを願って
いるのではないかと傍聴席の記者は感じた。
満期で出所なら82歳・・・その時必要なのは
林大悟弁護士
窃盗を繰り返す人の再犯防止活動を10年
以上続けてきた鳳法律事務所の林大悟
弁護士は万引きの現場では身寄りのない
生活困窮者が多いと話す。
「生活困窮が原因で万引きを繰り返す
人たちは出所後の居住先確保や社会
復帰に困っている人が多いです」
「更生保護施設では依存症について
心理教育を行うことがありますが、
人的・物的に不十分であり、実効性
には疑問があります」
また、林弁護士は高齢者が繰り返す窃盗
について出所後の出口支援も大事になると
指摘する。
「加齢とともに認知機能が低下した高齢者に
対して日常生活の指導などで再犯を防止
することは困難で、継続的に利用できる
福祉施設の創設が必要だと考えます」
「民間の高齢者施設のように万引きを
したくてもすることができない環境を整える
ことが必要です」
今回の男性がこのまま満期で釈放された
場合、年齢は82歳である。
その時に必要なのは社会復帰を目指す
支援なのか、福祉的なケアなのか。
再犯防止に向けて、本人と国が
最適な選択をすることが再犯を防止
する鍵となる。
author:テレビ朝日社会部 島田直樹
…
※ 死後のぬくみ抱きしめた
がんを患っていた小野市の佐藤純一さん
(仮名)が退院後、一時的とはいえ、元気を
回復したのはなぜだろう。
週2回のペースで往診に訪れていた、
「篠原医院」の篠原慶希医師(69)に
聞いてみると、「分からない。理屈では
ない」という。
「家に帰って、みんながそうなるわけ
ではない。でも、活気が出る人はいます。
佐藤さんも表情が一変した。
『よかったー』と思えることがいいのかな」
退院から約3カ月を経た頃から、純一さん
の体調は少しずつ悪化していった。
それでも私たちが面会に行き、家族のこと
を尋ねると、「家内とは恋愛ホカホカや」と、
面白おかしく答えてくれた。
6月下旬から食事がとれなくなり、時折、
意識がもうろうとするようになっても、
看護師の問い掛けに「オーケー、オーケー!」
と返した。
純一さんが亡くなった日のことを記しておきたい。
7月5日の午前10時半すぎ、家事を終え、
ベッドのそばで話をしていた妻のえみさん
(仮名)と長男の妻が、純一さんの呼吸が
いつもと違うことに気付く。
脈も確認できない。そして…。
「大きな息を3回して、目がすーっと、
ゆっくり閉じていきました」と、えみさん。
午後0時半ごろ、連絡を受けた篠原医師
が家を訪れ、死亡を確認し、家族にこう
告げる。
「背中に手を入れ、ぬくもりを感じながら、
抱いてあげてください」
仕事から急いで帰ってきた長男が、
ベッドの純一さんを抱きかかえるようにして、
背中に両手を回す。
手は冷たくなっていたが、背中は
まだ温かかった。
布団と背中の間には死後も熱が残るそうだ。
えみさんも夫を抱きしめる。
「心地よい、肌のぬくみがありました」。
体に触れながら、「お疲れさまでした」
との思いがあふれ出る。
続いて、めいっ子に看護師、みんなで
抱きしめた。
家族は純一さんに宛てて寄せ書きをし、
棺おけに入れた。
「ありがとう」と書いたえみさんは後日、
私たちにこう話してくれた。
「みんなに助けられて明るい介護ができ、
目が閉じるときもそばにいられた。
主人は安心感を持って、向こうに
行ったかな」 …
※ 死ぬのを邪魔しない。
小野市の佐藤純一さん(仮名)が亡く
なった日、篠原慶希医師(69)が家族に
手渡した死亡診断書には、
「特に付言すべきことがら」として、
こう記されていた。
「大往生」 … 大往生って、どういう
意味だろう。
国語辞典には「天寿を全うして安らかに
死ぬこと」とある。
篠原医師に聞くと、「家族が良かったと
思えるような『いい死に方』」と答えが
返ってきた。
例えば、佐藤さんの場合。「皆さんに
見守られ、まるで日常の朝の出来事
のように亡くなった。
枯れるように、眠るように」
昨年12月、篠原医師は老衰で息を
引き取った101歳の女性の診断書に、
初めて「大往生」と書いた。
その後も、亡くなった患者の家族に
「書かせてもろてもいいですか?」と
声を掛けた上で、いくつも記した。
家族に断られたことはないといい、
8月上旬でその数は20人になった。
5月から7月にかけ、私たちは往診の
車中や診察室で、篠原医師の話に
耳を傾けた。
兵庫県内の大学病院や大阪の民間病院
を経て、小野市粟生町に「篠原医院」を
開いたのは、2002年のことだ。
「医者は患者を死なせたらあかん。
患者がしんどくなっても、治療するのが
医者の使命」。
以前はそう考えていたという。
一方で、「死にかけている人を延命して、
誰が喜ぶんやろ。
本人も家族も、誰も望んでないことを
何でするんやろ…。ずっと無力感が
あった」とも。
京都や鳥取で地域医療に取り組む医師の
著書を参考にしながら、みとりについて
考え続けた。
老衰で亡くなった人、がんの患者。
みとりの経験を重ねる中ではっきりして
きたことがある。
「枯れていく方が楽というのが分かった。
病院にいた時は、そういう死に方は想像
すらせえへんかった」
これまでに在宅で約300人、嘱託医を
務める二つの高齢者施設で約500人の
死にかかわってきた。
終末期の患者に対しては「病院でする
ような医療行為は、ほとんどしていない」
という。
解熱剤や医療用麻薬を出したり、
点滴を抜く決断をしたり。外出や飲酒
などの許可もする。
「私は延命はしないし、死の後押しもしない。
つまり、死ぬのを邪魔しないということです」
…