




第二章:呉の興隆 兵法家 五
宮中の百八十名の美女たちが庭へ
連れてこられた。
孫武はこれを仮想の兵士に見立て、
二つの隊にわけた。
そして特に闔閭の寵愛の深い二人を
それぞれの隊長に任じたうえで、全員に
鉾ほこを持たせた。
孫武は彼女たちに問いかける。
「お前たちは皆、自分の胸と左右の手、
そして背中を知っているな?
」女たちは口々に答えた。
「存じています!」
かしましい女たちの声。
物見台の上からその様子をうかがって
いた闔閭は面白そうに笑みを浮かべた。
だが孫武は真剣な表情を崩さない。
「私が前と言ったら、お前たちは自分
たちの胸を見ろ。そして左と言ったら
左手を、右と言ったら右手を見るのだ。
後ろと言ったら、後ろを向け。
わかったか?」「わかりました!」
女たちの黄色い声が庭全体に広がった。
その陽気に溢れた空気の中、
ひとり孫武は斧やまさかりなどの刑具
を並べている。
いったい、なにをするつもりだ。
伍子胥は、この場で孫武が刑具を並べた
ことの意味を考えた。しかしこのとき闔閭
の隣にいた伍子胥には、口出しすることが
できない。
孫武は何度も繰り返し、先ほどの命令を
女たちに伝えていた。
「よいか、これは軍律なのだ」最後に孫武は
そう口にしたが、女たちの態度はまるで
遊戯を楽しんでいるかのようで、緊張感
がない。
しかし孫武はそれを意に介さぬ様子で、
軍令を発した。彼は太鼓を打ち鳴らし、
「右!」と叫んだ。
このとき、女たちははじけるように笑った。
経緯を知らない彼女たちにとって、これは
軍隊ごっこに過ぎず、ひとり厳粛な顔をして
真面目に取り組んでいる孫武の姿は、
滑稽そのものであったのだ。
王である闔閭も、この様子に笑った。
その笑いは、失笑と言って差し支えない。
「くだらぬ」闔閭は、伍子胥に向かって
そう漏らした。伍子胥は、それに反論
できない。
どうするのだ。孫武よ……。
彼には、眼下の孫武が、女たちの態度に
手を焼いているように見えた。
しかし台上を見上げた孫武と一瞬目が
合ったとき、その続きがあることを彼は
確信した。
まずいことになるかもしれない、と伍子胥
は思ったが、やはり口出しはできない。
こうなった上は、すべてを孫武に任せる
しかなかった。
「取り決めが明白さを欠き、なおかつ
軍律の説明が不充分であったとすれば、
大将たる私の咎でございます」
孫武の大きな声が響いた。
そして彼は女たちに向き直り、
またも命令を繰り返した。
その様子を見た闔閭は、まだやるのか、
とでも言いたそうな表情をした。
再び孫武が打ち鳴らす太鼓の音が
響いた。「左!」しかし女たちは、
またも笑った。
このとき、孫武の目つきが厳しさを
増した。「取り決めが明白さを欠き、
なおかつ軍律の説明が不充分で
あったとすれば、大将たる私の咎だ。
しかしすでに軍律は明白である。
にもかかわらず法に従わぬのは、
役目を負っている者の罪であると
言うしかない!」
女たちのかしましい声が消え、庭に
一瞬の静寂が訪れた。
その静寂を、孫武は打ち破る。
「衛士! この二人の隊長の首を
落とせ!」
闔閭は思わず台の上で立ち上がった。
「よせ! おぬしが兵を用いる腕前は
よくわかった。
余は、そこの二人がおらぬと食事も
ろくに美味く感じないのだ。どうか
殺すな。これは王命だぞ!」
しかし孫武には受け入れる様子がない。
伍子胥は、背中に冷たい汗が流れる
のを感じた。
「私はかりそめながら、すでに王命を
受けて大将の任を受けております。
古来から言うではないですか。
『将たるものの軍にあれば、君命も
受けざるものなり』と!」
孫武は叫び、王の目の前でその
寵姫二人の首を斧で切り落とした。
彼が刑具を揃えておいたのは、
事態がこうなることをあらかじめ知って
いたからであったのだ。
孫武は二人の美女の首を見せて回った
あと、次の位の者をあらためて隊長に
任じた。
そして何もなかったかのように、
彼は命令を発した。
太鼓を打ち鳴らし、右、左と次々に
指示する。
女たちは粛然としてそれに従った。
もはや声を立てる者は、誰ひとり
いなかった。
「兵は、整いました。王よ、下りてきて
ご覧願いましょう。いまや彼女らは、
火の中にでも飛び込む!」
孫武は闔閭にそう伝えたが、その
いいざまは闔閭の甚だしい不興を
誘った。
「いや、将軍よ。どうか宿に帰って
御休息いただこう。余はこれ以上
見物したいと思わぬ」
この言葉を受けた孫武は、あえて
それ以上闔閭を誘おうとはせず、
ただひと言だけを残した。
「王さまは言を転がすばかりで、
実際に行動するお力がないと
お見受けした」
孫武は去って行った。
剛胆を謳われた伍子胥も、
このときは生きた心地がせず、
いたたまれずにその場を辞去した。 …



入院して三日目、土曜日に「一般病棟に
移ります」と告げられた。
ICUの個室が居心地よかったので、
動きたくなかったが、しょうがない。ただ、
まだ具合がよくないので、個室にと
いうことだった。
今回もベッドに寝そべったまま移動する。
ICUと一般病棟はフロアが違うので、
エレベーターに乗って移動した。
この日に、やっと平熱になった。
それまではずっと37度代だった。
酸素チューブがとれたが、点滴は
まだつながっている。
ずっと点滴の針が刺さったままなので、
その部分が赤く腫れてときどき痛い。
あまり記憶にないのだが、採血の痕なのか、
両手には青あざが幾つか出ているし、
手はむくんで点滴でつながれているし、
「ザ・病人」だったので、記念にその様子
をスマホで撮影する。
そんな「ザ・病人」のくせに、私はまつげ
がバシバシだった。 倒れたその日の昼に、
イベント出演のためにまつげエクステに
行ったばかりだったからだ。
顔はすっぴんで、年齢相応のシミが目立ち、
洗っていない髪の毛はぐちゃぐちゃで、
管だらけのくせに、まつげだけバシバシ……。
看護師さんにも「まつげすごいですね」
と指摘された。
一般病棟の個室に移ったので、
こっそりYouTubeなどを見ていた。
鞄の中に文庫本が一冊あったが、
なんとなくまだ本を読む気分にはなら
なかった。
お昼にうどんが出た。
麺類が病院食で出るなんて予想外だった
ので、テンションがあがった。生姜がよく
利いていて美味しかった。
だいぶ自由になったとはいえ、点滴が
あるから、身体はまだそんなには動かせず、
肩こりがつらい。
入院は一週間から二週間と言われているが、
おそらく一週間では出られないだろう。
新刊の発売を目前にして、書店さん用の
サイン本を作る作業があったが、発売日
には絶対に間に合わないし、どれだけ
待たしてしまうかと考えると、憂鬱な気分
になる。
編集者たちは「無理しないでください」
と言ってくれるけれど、どうしても宣伝
活動ができないことが悲しくて落ち込む。
本が売れない作家なのだと、私はしょっ
ちゅう苛まれるけれど、この入院で、また
さらに出版の世界で居場所がなくなった
ような気がしてならなかった。
スマホを眺めていると、ネットのニュースは、
私が入院する前日に亡くなった上島竜平
さんに関する記事で溢れている。
ある日、いきなり、命を絶たれたら、
周りは悲しい。 でも、そうせざるを
えないほど、本人もつらかったのだ。
自死について考える 私の周囲には、
家族に自死された知人が、複数いる。
家族の自死は、一生消えない傷を残す。
けれど、私は自死そのものを否定できず
にいた。
生きることは過酷で、耐えられない人も
いる。 自分だとて、死にたいと思ったことは、
若い頃から最近まで何度もあった。
とはいえ、ダチョウ倶楽部のリーダーの
上島さんについての発表されたコメント
を読んで、涙が溢れてしまった。
看護師さんに見つかったら、自分の病状
に悲観して泣いていると誤解されそうだと、
必死で拭っていた。
ふと友人の露の団姫さんという落語家さん
のことを思いうかべた。
彼女は天台宗の僧侶でもあり、尼崎に
「道心寺」という自分のお寺を作り、
住職となった。
団姫さんが、僧侶になったのは、
「この世から、自死する人をひとりでも
減らすため」だ。
団姫さんは、自身も若い頃、理不尽な
出来事に巻き込まれ自死を考え、そんな
ときに法華経の教えに救われたという。
私が病院に運び込まれて、意識が薄れて
「死ぬな」と思った時、目の前には真っ暗な
闇しかなかった。
命って、こういうふうにシャットダウンして、
真っ暗な画面になるんだと。 死んだら、
終わりで、何もないのだ。 無だ。
天国も極楽も地獄も見えないし、感じない。
目の前の闇に辿りつけば、はい、そこで
おしまい。
あとになって考えたのは、私が「死は無、
先には何もない」と思ったのは、私に特定
の宗教の信仰心がないからかもしれない。
好きでお寺には行くし、哲学としての宗教は
面白いと興味はあるけれど、信仰はしていない。
もしも私がキリスト教徒ならば、「死」の先に、
天国を見ていたかもしれないし、仏教徒
ならば、極楽か地獄を見つけていたかも。
ただ、自分は極楽に行くことはないだろう
とは思っている。
死ねば地獄行き。 でも生きていても地獄。
そう思って生きてきた。
上島さんのニュースを見ながら、近年、
若くで亡くなった知人たちのことも
考えていた。
自死、事故、病気、さまざまな死に方がある。
命が尽きる直前、彼ら彼女らは、どんな
光景を見ていたのだろうか。 たぶん、
それは人それぞれ違う。
友人であったコラムニストの勝谷誠彦が
57歳で亡くなったとき、私は悲しみより
怒りに支配されていた。
兵庫県知事選挙で落選し、仕事も次々
と失って、彼は酒に逃げるしかなかった。
最後に会ったときに、その老け方に
驚いたし、目が虚ろだった。
食べないのに、腹だけが出ている。
「こいつ死ぬんちゃうか」と思った。
そしてその通りになった。
それでも最初に倒れてICUに入ったのち、
「飲んだら死ぬ」、
つまりは酒を飲まなければ生きられる
可能性があると言われていたのに、
彼は医者や周囲の人たちの手を振り払い、
飲んだ。
臓器が力尽きて、心臓は止まった。
生きられる可能性があったのに、
それを拒否し、周りを傷つけた彼に、
私は怒りまくっていた。
けれど、自分だとて、彼とやっていること
は変わらない。 身体の不調をすべて
更年期のせいにして、目をそらしていた
のだから。
心のどこかで、生きることを放棄して
いたのかもしれない。 ……


