先日来の積雪によりゲレンデ状況がよくなって本日27日より宇奈月温泉スキー場のリフトが運行を始めました。
宇奈月温泉スキー場は、昭和29年にスキーリフトがかけられ、昭和31年に富山県内では初めてのリフト付きのスキー場として正式にオープンしました。
リフト付きのスキー場ということばがいいですね。
当時、スキーに適した斜面のことをスキー場と呼んでいました。大正時代のパンフレットには、現在の宇奈月温泉スキー場の場所のほかに、僧ガ岳スキー場、立石スキー場などが紹介されています。
さて、ザルツブルクの周辺にもたくさんのスキー場があります。よく紹介されているのは、フラッハウ、バードガスタイン、ザールバッハ、マリアアルム、アルテンマルクト、ツェルアムゼー、ダハシュタインの7つのスキー場です。
フラッハウは長野オリンピック金メダリスト、ヘルマン・マイヤーのホームゲレンデとして知られています。一時期、代表から外れてレンガ職人をしていたというマイヤーもまたオーストリアがもつ強靱で粘る強いイメージです。
実は、スキーには大きく分けて2つのふるさとがあります。
ノルウェーの古代壁画にも描かれたようにスキーという道具自体はかなり古くから使われていました。雪上を移動するための道具ですね。間宮林蔵のシベリア探検の絵図にもそんな道具が見られます。しかし、滑走性能は低く、現在のような性能はありませんでした。
そんなスキーに革命的な変化をもたらしたのが、ノルウェーのテレマーク地方モルゲダールに住んでいたソンドレ・ノールハイムです。ノールハイムは、スキーにサイドカーブを付け回転性能を高め、つま先だけを固定していた締め具を改良してかかと部分が離れにくい工夫を施しました。これが現代スキーの原型です。
当時はストックをもたずに、滑走していました。時には、斜面や家の屋根を利用してジャンプを行って楽しんでいたようです。これが現在のスキージャンプ競技に伝わっています。ジャンプの着地の姿勢をテレマーク姿勢と呼んだり、今でもかかとが自由に動くスキーで片膝立てながら滑っているスキーをテレマークスキーと呼ぶのは、そこから生まれています。テレマークに近いリレハンメルで行われたオリンピックでは、開会式にたくさんのテレマークスキーヤーが楽器の演奏をしながら滑走していました。女性がつけていたスカートもスキーの装束のひとつで、その名も「ソンドレ」といいます。当時のスキーは生活と遊びをほどよく調和していて、滑る、走る、跳ぶという要素を含んだ楽しいものだったようです。今でも、テレマーク発祥のスキーのスタイルを「ノルディックスキー」と呼んでいます。
一方、アルプスの急峻な斜面を滑走するために工夫され生み出されたのがアルペンスキーです。こちらは、オーストリアにあるリリエンフェルトのツダルスキーという人がよく知られています。リリエンフェルトは、かかとが浮き上がるノルディックスタイルのスキーが滑走時に不安定になることからかかとをうまく固定し、スキーの操縦性の上がる締め具を開発します。そして、その道具に合った滑走法を生み出します。今でいうシュテム・ボーゲンです。ツダルスキーの弟子によって滑走法はさらに大きく進化し、やはりオーストリア出身のハンネス・シュナイダーは高速での滑走が可能な技術を開発しました。これが、現在のアルペンスキーの基礎になっています。
ツダルスキーの弟子の一人オーストリア人のフォン・レルヒは、100年前に日本にスキー技術を伝えた人ですし、シュナイダーは日本でもスキー技術の普及に努め、野沢温泉や妙高池の平のスキーコースに名前を残しています。
オーストリアの文化が、ここにも日本に影響を与えているんですね。
ヘルマン・マイヤーが長野五輪の滑降競技中に空中に吹き飛んだシーンは忘れられません。ヘリコプターで収容されましたが、現場では普通じゃ済まないという空気にあふれていましたね。その数日後、スーパー大回転で、そして、大回転で金メダルを獲得するとはとても信じられませんでした。
ノルウェーで生まれ、オーストリアで育まれたスキーが、宇奈月にもちゃんと定着しています。
ちなみに、宇奈月温泉スキー場は現在NPO「宇奈月大原台」が運営しています。みんなで作り、育てるスキー場ですね。モーツァルト音楽祭の土壌は、そんなところでも見つかります。ぜひ、遊びにきてください。冬の宇奈月は特別きれいです。
宇奈月温泉スキー場のサイト
そんなことで、コスプレアマデウナヅキの今日は、スキーです。これもザルツブルクと宇奈月の共通項。
ハンネス・シュナイダーを少し意識しましたが、当時バックルのブーツじゃないですね。モーツァルトはスキーのことなんか知っていたんだろうか。