モーツァルト@宇奈月

湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト@宇奈月
scince2010年秋。毎年9月に音楽祭を開催しております。

夏の宇奈月では、プチ造形体験ができます。

2014年07月25日 | 2012年音楽祭出演者情報

こんにちは、アマデウナヅキンです。

ここでちょっと宇奈月のご案内。

大暑もすぎ、宇奈月温泉も本格的な夏になってまいりました。

日本では、本日から夏休みに突入のようですね。

9月の音楽祭に参加される方たちは、暑い夏に負けないくらいに練習に励んでいらっしゃることでしょう。

 

さて宇奈月温泉もたくさんの方たちが訪れるシーズンになり、さまざまなイベントや体験ができるようになっております。

お子様連れの方たちなどにオススメなのはこちらです。

「セレネサマーガーデン」

様々な『作る』体験ができる、ワークショップです。

しかもプロの方と交流しながら作れますので、大人のほうがのめりこんでしまうかもしれません。

気になるイベントがありましたら、是非チェックしてみてください。

詳しくは、宇奈月国際会館セレネさんまで!

---------------------------------------

①石膏(せっこう)で自分だけのたまごをつくろう

講師 加治 晋さん(彫刻家)

8/9(土)  ①10:00~12:00  ②13:00~15:00

②月のステンドグラスをつくろう

講師 柳谷志ほさん(ステンドグラス作家)

8/10(日)  ①10:00~12:30  ②13:30~16:00

 

③こどもいすをつくろう

講師 吉岡幸文さん(きのみ工房)

8/13(水)①10:00~ ②11:00~ ③13:00~ ④14:00~ ⑤15:00~

 

④苔玉(こけだま)をつくろう

講師 八木秀治さん(花と熱帯魚やぎ店主)

8/17(日) ①10:30~  ②14:00~

 

----------------------------------- 

木工クラフト体験

講師 吉岡幸文さん(きのみ工房)

8/10(日)・8/14(木)~8/17(日) 10:00~15:30

①輪ゴム鉄砲

参加費900円  時間45分 (別料金・・・飾り台800円 的100円)

②小枝のボールペンとペンたて

参加費700円  時間30分

③木のプレートに描く電熱ペンアート 

参加費600円   時間50分

 


いよいよ、殿堂です

2014年07月19日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ミラノの殿堂、世界中のオペラの最高の舞台、スカラ座です。

思いのほか、落ち着いた建物で驚きます。日本で例えると、歌舞伎座なんでしょうかね。でも、世界中の耳目を集めるということや、長い歴史を通じてここで通用するオペラを作ること、演奏すること、出演すること、上演できること、かかわるものすべてが憧れと尊敬の対象で有り続けたことに、むしろ、驚きを向けるべきなのかもしれません。

初代のスカラ座は、アマデウスがこの土地を離れてから造られていますので彼はこの姿をみていませんが、アマデウスが深い思慕を寄せたイタリアのちで、彼が作ったイタリア語によるオペラは、とびきりの演目として上演されています。
ちょっと話は飛ぶようですが、「ワンピース」というコミックで、海賊麦わらの一味の船を作ったフランキーが修行時代に、「夢の船」について語るシーンが出てきます。どんな船を作ってもそのままでは設計図だけでは最高の船にならない。「出航していくつもの海を越えて幾度もの戦いや困難を乗り切って海の果てへと到達した時、それを夢の船と呼ぶんだ」(尾田栄一郎「ワンピース」45巻第437話集英社2007)スカラ座という器も、きっと、アマデウスの楽曲を得て、長い時間かけて殿堂に育っていったのだろうと思います。
そういえば、「ワンピース」でフランキーがいた島、ウォーターセヴンは、ヴェネツィアを模していました。ダ・ヴィンチやアマデウスに似合う創作、しかも、美しい創作の空気があるのかもしれません。

こういうコリドーもそんな空気を感じさせます。

ここが入り口。ここに馬車が乗り付ける様子を想像すると・・。いや、ここが殿堂たるゆえんはそういう人たちだけでなく一般の人も入れる席を開場当時から設けていたことです。どんな人でも芸術を楽しみ、文化に浸る。音楽が、街の風になるわけです。

ミラノとレオナルド・ダ・ヴィンチ

2014年07月19日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ミラノのスカラ座前にレオナルド・ダ・ヴィンチの像があって、どんな関連があるのかと調べてみました。

だって、ダ・ヴィンチっていっらフィレンツェでしょ。
ところが、ダ・ヴィンチはミラノに縁が深く、1482年から1499年、途中、ヴェネツィアや故郷フィレンツェに戻ったりもして、1506年にはまたミラノに戻って住まいを設けています。
当時のミラノ公に招かれたようですが、例のミラノ大聖堂の円形ドームの設計をしているようですね。
アマデウスが故郷ザツルツブルクだけでなく、多くの土地で愛され顕彰され敬われているように、ダ・ヴィンチもそうしたレジェンズの一人なんですね。
そういや、兼六園の日本武尊も関連がわかりづらいっていえばわかりづらい。

ガッレリアを出ました

2014年07月12日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ガッレリアを出ました。いよいよ、オペラの殿堂、スカラ座へ向かいます。アマデウスが最も憧れたイタリア・オペラの最高の舞台というだけでなく、世界にとってもそこは最高の芸術が提供される場所でしょう。
わくわくしてきました。

今のスカラ座は2代目だそうですが、最初のスカラ座はマリア・テレジアがデザインに相当にダメだししたとかいう話があるそうです。初代の完成は、アマデウスが2度目のミラノを立ち去った直後に完成しているようですね。きっとここで演奏したかっただろうな。
スカラ座前の広場に到着。えっと、誰?

ヨーロッパは、銅像で先賢を讃えるようですね。ちなみに、日本で仏像以外の銅像が作られたのは明治になってからのことだそうで、金沢にある日本武尊(やまとたけるのみこと)像@兼六園が最初だそうです。けっこう大きいですよ。高岡銅器の手によるものだそうです。
これ、余談ですが、金沢の兼六園と金沢城跡の間には、百間掘りという広くて深い堀があります。この堀の地下を導管を通し、逆サイホンの原理を使って、西の丸御殿に水を送っていました。その導管は石でできていて、その細工をしたのは、越中の庄川の職人だったとか。同じ仕組みを使って、兼六園には日本最古の噴水もあります。昔のひとは、いろいろ工夫して、新しい技術を開発していたんですね。
ところで、これ、誰?

あ、そうですか。そばにいた人に教えてもらいました。レオナルド・ダ・ヴィンチです。工夫の王様、ってちょっと安っぽいな。何せ、最も有名なイタリア人の一人ですね。なるほど。
で、スカラ座となにか関係あるんですか?「キッサ!」
キッサって??
あ、さあね、ってことですか。困ったな。

ミラノといえば

2014年07月12日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ミラノのガッレリアにいます。
壮観ですね。人が作ってもこうして調和の取れた美しさが保たれるというのが、ヨーロッパの文化かもしれません。

ミラノといえば、日本の本田圭佑選手が所属するACミランの本拠地として有名です。ガッレリアの床にはめこまれたモザイクには、見慣れた紋章があります。ミラノの紋章なのかな。

ところで、ミラノにあるのに、何で英語読みのミランと発音するのでしょう。実は、このサッカーチームは、いぎりすじんがオーナーをしていたのです。ACは、法人の意味で、よくアスリート・クラブの省略と勘違いされています。でも、その勘違いもあながち間違っていません。
日本では、ヨーロッパ型のスポーツクラブとして芸術文化教育、そして、競技チームも含んで統合した運営がなされている総合型地域スポーツクラブが各地で運営されています。その原型となったのが、ミランです。ACの部分はイタリア語にしましたが、ちーむめいはそのまま英語読みが残っているのだそうです。
本田選手はそのミランの10番をしょっています。期待も大きい分、厳しさもありますが、何とか活躍して欲しいものです。

では、ガッレリアを出て、スカラ座方面に向かいます。


ガッレリア伝説は、牛の股間でターン

2014年07月07日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ガッレリアの十字路の真ん中にはモザイクの牛が描かれた青い楯が埋め込まれています。

なぜか、牛の股間に穴が。ここのところで、1回転するとまたこの街に戻れるそうです。トレビの泉みたいな伝説ですが、願い事が叶うという置き換えになって昼間はすごい人になります。

では、さっそく。

宇奈月に幸せが訪れますように!
ふー、何とかやれました。
実は、この紋章はトリノのものです。どうしてミラノにあるんだろう。でも、その股間をふんづけるというあたりは、ユベントス憎しの人々に好評のようで、サポーターがせっせと回転しにくるようです。じょうずなひとは、3回転くらいするそうで、トリノのオリンピックのときには、ここにフィギュアの選手が練習に来た、なんてことはなかったかな(笑)ちなみに、イタリアの美人スケーター、コストナー選手は、オーストリア国境に近い州の出身で、昔は、オーストリアのチロルに属していたあたりの子だそうです。まあ、地元に近いですね。
それにしても、この青、美しいですね。イタリアでは青は特別な色で、サッカーの代表も、青をあらわすアズーリと呼びます。

もう一周していこ。


ガッレリアの名店をお見立て

2014年07月06日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
朝早くのガッレリアは、静かに風が動いています。お店もまだ開店前。

おや、このBARは開いていますね。昨晩からの営業が続いているんですね。

こういう通路まで、ディズニーランドが真似ていることがわかり、ちょっと苦笑い。

こういう感じの、ちょっとした高級店が目白押し。浅草の仲見世とは違うなあ。
お、あった、あった。

プラダですね。すごいなあ。これが、プラダという姿を示しているんでしょうね。どこに行っても同じ形の店舗ではなく、ここだからこその姿を大切にしている感じです。

こっちのカバン屋さんはどうかな。素敵なディスプレイです。ヴィトンです。馬車にくくりつけていた時代の旅行鞄がやはりお店の売りのようです。
そういうお店にはなかなか入れませんが、ガッレリアには、伝説の場所があって、毎日、賑わっています。ふだんは列ができているんですが、この時間ならきっとすぐに近づけそうです。
行ってみます。

ガッレリアに入ります

2014年07月06日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ドゥオーモ広場からガッレリアを抜けて、スカラ座に向かいます。

ガッレリアはアーケードです。富山ローカルですみませんが、子どもの頃、ざんざん降りの雨の日に、中央通りや総曲輪のアーケードを歩いた時に、雨でも傘をささないで買い物できるなんてと大変驚きました。道に屋根をかけるなんて田舎者には信じられませんでした。今でも、新潟県では、軒を突き出して雪でも歩きやすいように工夫された雁木がありますね。でも、街全体が天蓋に覆われたこの風景とはずいぶん違います。
ドゥオーモとスカラ座の2つの名所を結ぶアーケードには、仲見世のように名店がずらりと並びます。

朝早いのでこんな感じです。昼間はここが人であふれます。

ディズニーランドが真似たというのはよくわかりますね。アーケードと言えば、ここってことなんでしょうね。

光を通す天蓋にも、昨日今日ではない時間を感じます。少しずつ形を変えますが、きっと、創建時のスタイルはつらぬいているんだろうな。
ガッレリアの中をもう少し歩くことにします。

ガッレリアへ行く前に

2014年07月05日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ガッレリアへ行くって言っていながら、後ろ髪引かれています。

いやあ、花嫁さんですよ。ウェディングドレスです。あ、モデルさんだ。撮影らしいですね。
朝早いので、他に人はあまりいませんが、昼間は世界中からの人であふれている場所なんです。こういう風景は、実はけっこう貴重なんです。
いよいよホントにガッレリアへ。
こういう感じです。

ガッレリアをモデルにしたディズニーランドなら、入り口の広場のところに、そうですね、駐車場のあたりに広大なだいせいどうが広がっている感じかな。
安っぽい喩えですみません。
では、世界で最も素敵なアーケードへ。

ドゥオーモのファサード

2014年07月05日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ドゥオーモの名所を紹介し忘れました。実は、朝早いので、中には入れませんが、ここの入り口の扉、ファサードは、ゴシック建築としては珍しい三角形をしています。青銅製ですね。

ミラノの象徴ドゥオーモですが、着工は1386年ですが、巨大な建築だけになかなか完成せず、しびれを切らせたナポレオン3世が当初の予定を一部端折る形でとにかく完成しろと命じたそうです。それでも、実際にかんせいしたのは、20世紀になってから。約600年かけて作られたもので、当初のゴシック様式もずいぶん移ろっているらしいのです。それは、このファサードにも反映されているみたいですね。
レリーフは、いわゆるイコン、聖画です。巧みなものです。




ひとつひとつ聖書の有名なシーンなんでしょう。
ちなみに、建設計画のときに、プランのひとつをていしゅつしたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチですが、落選したらしいです。ですが、ミラノのひとびとは、ちゃんとダ・ヴィンチへの敬意を忘れません。それは、これから訪ねます。
どこにいっても、歴史と文化、芸術と宗教が色濃く現れてきます。
それじゃあ、ワールドバザールへ、違ったガッレリアへ。

いよいよ形になってきました

2014年07月05日 | 音楽祭について
おはようございます。
アマデウナヅキンです。
いよいよ今年の音楽祭の姿が見えてきました。
5回目の今年は、少し様子が変わります。街かどコンサートの会場として親しまれてきたいっぷく処や駅前広場が改修などのかんけいで使えなくなるため、新たな会場を設定します。また、新しい音楽祭の姿が見られそうですね。
すでに、チケットの販売が行われているスペシャルコンサートは合唱付き。合唱団もこの音楽祭のために編成されます。
乗り物王国の黒部市ならではのモーツァルト電車もひときわ工夫を凝らします。
現在、音楽祭の参加者を募集しています。また、たくさんの方から応募をいただいています。特に、新しく参加者れる方も増えています。演奏者と観客、宇奈月のまちが一体になって作られるこの音楽祭の魅力が、節目の5年目にまた新たな姿に発展します。
詳細は、間もなくお知らせできるようになると思います。
そうそう、音楽祭のサポーターの会、友の会の会員証もできるようですよ。会員限定の友の会通信も多彩な情報満載です。
ここからいよいよ高まる音楽祭への毎日にご期待ください。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像

2014年07月05日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。ワールドカップもいよいよ準決勝。さきほどのヨーロッパ同士の対決は、ドイツが勝ち抜けました。
ヨーロッパの国々は今でも多彩な民族と文化を抱えて変化しています。EUという大きな形が実現するのは、そうした人たちが交流しながらも自身のアイデンティティを持ち続けるから、かえって大きな枠組みなら受け入れられるということなんだそうです。20年くらい前の地図がそのまま使えないのは、けっこうヨーロッパだったりしますね。

ドゥオーモの広場にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像です。
イタリアは実は統一がずいぶん遅かった国です。統一に力を尽くし、最初の国王となったのが、ヴィットリオ・エマヌエール2世です。統一は、1861年のことでした。
イタリアはいくつもの王国に分かれていて、北イタリアにあったサルディーニャ王国が彼の国でした。他国からの圧力に苦しめられていて、例えば、フランスと連合してオーストリアと戦ったソルフェリーノの戦いは、スイスのアンリ・デュナンに赤十字活動を決意させるきっかけになっています。
ソルフェリーノの戦いののち、フランスのナポレオン3世は翻意し、オーストリアのロンバルディアの領有を認めさせようとして反発を買い、それがイタリア統一の機運につながったようですね。
1861年の最初のイタリア議会で国王に選出されたのが、銅像の人です。
大変尊敬を集めた人のようですね。王の頭文字"VERDI"(Vittorio Emanuele Re d'Italia)と呼ばれる、音楽家のベルディとともに、ビバ!ベルディと称えられていたそうです。
なるほどねえ。

広場の真ん中にあるんです。
振り返ると、ドゥオーモ。

数え切れないほどの尖塔が連なっています。さまざまな人々を讃えるという形で、この国の歴史や文化が継承されているように感じます。
では、これからガッレリアに向かいます。