あと1歩前に

あれよあれよというまに50代も通り越し60代に仲間入り。心地よく毎日を送りたい。穏やかな日々が一番です。

運送、引越し、ごみ収集の方々への感謝の気持ち高まる

2023-06-22 12:30:34 | 社会
 ここ数年運送、引越し、ごみ収集の方々への感謝が止まりません。年齢を重ねてきて、殊更にやってもらえることへの有り難みが増してきています。

 まず最初にその有り難みに気づいたのは引越し。エレベーターなしの4階への引っ越し時も、テキパキと部屋や物を傷づけないよう細心の配慮をしながら素早い動きで、時には小走りだったりして(!)驚愕の仕事っぷりでした。何人かのグループでも、年長者が偉そうにしていない点もよいのです。実際はあるのかもしれませんが、少なくとも客前で若者を叱り飛ばしたりするところは見ないし、仲良さそうなやりとりを見ることもあり微笑ましいのです。若いせいか皆とても明るく爽やかで力持ち、引越しお願いした方々皆交換が持てるナイスガイばかりだった。たぶん何割増かでかっこよく見える。もしやってくれる人がいなくなったら私は引っ越すことができない、と考えると医者並みに必要な職業だと断言します。これだけはある程度若い人でないとできない仕事だし、これからも従事してくれる人いるのか心配でもあります。。。引越し屋さん、いつも力を貸してくれてありがとー!

 コロナ禍に入ってから、急速にネットで買い物をする機会が増えました。それまではあまり配達をしてくれる方々のことを考えたことはありませんでしたし、恐縮ながら指定時間に帰宅できず再配達になってしまったことも一度や二度では済みませんでした。重いものなども2階3階へ複数回運んでもらうのは本当に申し訳ない、とその大変さに気づくようになりました。送料無料で、つまらないものを戸口まで運んでもらうのも悪いと感じるほどフットワーク軽く皆さん運んでくれます。指定時間に間に合わなかったりすることもたまにありますが「そりゃ大変だものそういうこともあろうよ」という気持ちです。トラックの事故のニュースなど見ると「睡眠時間足りてたのかな」とか「長時間運転で疲れてたのかな」とか想像して胸が痛むようになり、道端で停まっているトラックを見ると「そうだそうだ休憩が正義」とか肯定的に見るようになりました(またちゃんと通行の邪魔にならないような場所選んでるんだコレが)。昔サッカーのイビチャ・オシム元監督が言ったとされる「水を運ぶ人」という言葉がピッタリです。荷物の配達員さんやバスの運転手さんはまだ直接ユーザーと接する機会があるからまだしもトラックを運転する人は、そんな小市民からの感謝の気持ちを受け取る機会すら少ないのではないかと思います。これだけ市民の生活を支えているのだから、運送業の車両は高速料金無料にして、ドライバーさんの給料を爆上げして欲しい。

 そして、ゴミ収集の方々。この方々は連日お世話になっているのにほとんど顔を合わせることがありません。今の家のゴミ収集はとても丁寧な方が担当していると思われ、収集後のゴミ置き場がとても綺麗でいつも頭が下がります。先日何かの用事で出かけた時に、ちょうどゴミ収集の方がゴミを集めている場面に遭遇したのですが、これが!すごい!テキパキなんてーもんじゃないスピードで集めまくり、しかも雑じゃなく丁寧に積み込み、秒で終了させているのを目撃しました。ガーンとかの音もさせず投げたりもせず力もあり手際良く、そして結構な交通量の中、安全に動き後片付けまでやっていて優雅ともいえるその動きに目が離せませんでした。いや、感動しました。動画で撮りたいくらいでした。ちょうど今週からほぼ日で「ごみはうそをつかない」という連載が始まりました。芸人でありながらプロの清掃員として活動しているマシンガンズの滝沢秀一という方のお話なのですが、これがまたとても面白い。何ていうか、一つのことを真剣にやって極めた人の話は惹きつけられるものがあります。本を出されたり、各地で講演をされたりしているようですが、やはり誰もやっていないことを始めるのはある種の才能ですね。ファーストペンギンすごいです。ネットでパリやイタリアなどのゴミ事情を見ると、日本のごみ収集員さんへの感謝が止まりません。毎日ありがとうー!


仕事辞めました

2023-06-22 10:26:25 | 仕事
 仕事を3月で辞めました。人手不足は私が勤めていた職場でも数年前から深刻で、落ち着いたら復職してほしいと言われていました。退職後も3回ほど電話連絡が来ましたが、出ていません。まだ復職する気にならないし、今すべきことにも全然手がつけられていません。かろうじて昼夜が逆転しないよう踏ん張っていますが、まぁ世の中的に見たら廃人に近いかと思います。

 このように自分の気持ちの通りの行動をとった結果の現状を見ると、私は今まで自分の気持ちにいかに気付かずに必要なことを優先していたのかが見えてきたように思います。それが仕事でもあるわけですが、仕事っていうのはある程度年数を経て職場内での立ち位置が安定していないと感情がすり減っていくものであると、ようやく気がついたという感じです。

 私は一人はあまり苦にならないので(今のところ)、ギリギリの線を進んでいる感覚があります。深く考え込んで闇落ちするほどでもないけれど、積極的に時間を使って前向きに次に向かって行動するようなフェーズでもなく、放置していた何かにちょっと手をつけ、現実を突きつけられては落ち込んでいます。世の中を解像度高くよく見れば見るほど、自分の愚かさを知る今日この頃です。