旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

鷲田小彌太著「学者の値打ち」 ①

2005年10月16日 00時54分59秒 | Weblog
「大学教授になる方法」で世間を騒がせた鷲田教授による学者論である。例によって野次馬的好奇心からつい読んでしまった。第三章、「大學ブランドの正体」から読み始めた。鷲田に言わせると、一流大学とは偏差値の高い学生が行く大学のことであり、研究教育のレベルが高いとは限らない。即ち、学生の学ぶ力が高い大学のことを一流大学というのである、ということになる。

大学や大学院を新・増設する際、東大教授を人事に配すると文部省の許可が通りやすかったので、天下り先を渡り歩く、これが東大教授の特権であり、学会における東大閥の温床となっていた。ところが、少子化社会を迎えた大学では、学生数の激変に対応して不要なポストを減らそうとしている。大学の許認可すら規制緩和され、研究者の質を問わざるを得なくなった。東大を出ていることよりも、質の高い論文を年に1度は書ける研究者への需要が高まっているのである。

こういう事情によって、東大を頂点とする学閥は崩壊し始めているというのが鷲田の見解である。そういえば最近、文科系に限っていうと、こちらの度肝を抜くような著作を著したブランド大学の研究者は見当たらない。どうやら、大学ブランドと研究成果の間には偏差値の差ほどの知的相関関係はないようだ。

ブッダ 臨終のことば

2005年10月16日 00時39分57秒 | Weblog

「・・・そこで尊師は修行僧たちに告げた。
『さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成させなさい。』と。
これが修行を続けてきた者の最後のことばであった。」

後半部「怠ることなく修業を完成させなさい。」をパーリ語から直訳すると、「ぼんやりと放心することなしに、気をつけて一切のなすべきことを実現せよ。」という意味になると、中村元は脚注で解説している。
世尊は、45年間にわたって説いた一切の教えを、「怠ることなかれ」というただひとつの句の中に要約して弟子たちに与えたのである。如来の最後の教え、つまり仏教の要訣は、「無常を悟ること」と「修行に精励すること」に尽きるのであろう。

ところが年代の経過と共に、ゴータマ・ブッタは仏として神格化され、仏の出現は稀であるとかいった神学的思弁が付加されることになった。この分野に関しては、Waldschmidtというドイツ人の研究者の引用が多い。脚注ではドイツ語のままで引用されている。原始仏典研究の先進国はドイツである。ドイツ語ができて当たり前ということであろうか?岩波文庫青帯は手ごわい。