旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

中沢新一著「チベットのモーツァルト」 ①

2005年10月21日 10時00分22秒 | Weblog

このお題で、なんと言語論なのである。センスは悪くない。

ジュリアス。クリステヴァという研究者の「笑い」に関する洞察から入り、禅僧薬山禅師の「はじけるような明晰な笑い」に言及し、クリステヴァによる幼児言語の「*アナクライズの笑い」を導く。話はさらにフッサールに跳び、数の生成から、デカルトの代数幾何学的世界観に隠蔽された「*起原の数」がはらむパラドックスを指摘する。次に、空間を代数化しようとしたデカルトにたいして、空間を解析しようとしたライプニッツの微分にたどり着く。さらに洞察は、トポロジーからインド的(ブラーフマン的・仏教的)言語論に進む。
一度読み通してはみたがよく解らない。

ああ、やれやれ、この小冊子を読むために遠視眼鏡まで買ったというのに、予想通りというべきか、中沢新一は難解である。再度、専門用語を「現代哲学辞典」で引きながら読み直してみることにした。