従兄弟の影響で茶道に興味を持ち始めている。先日、日系三世の従兄弟と茶会に招かれて(というよりも、私が無理強いをして茶会を開かせて、)表千家の正式な作法でお茶をいただいた。読書好きなわたしは何かに興味を持つと書物をその入門書とする。
もともと抹茶は好きで、2年ほど前に茶筅で抹茶をたてることを覚え、間もなく抹茶用の茶碗を買った。そして定石通りというか、たまたま大学の先輩ににあたる表千家の家元である千宗左が著した表千家の作法について書かれた本を買った。ところが、この本は茶道のマニュアルのような本でさほど面白くない。
遠州茶道宗家第十三世家元、小堀宗実著「茶の湯の不思議」で茶の湯の何たるかがようやく理解できるようになった。その著作の中で小堀は、千利休のわび茶について次のように解りやすく説明している。
利休は、茶の湯の根底に流れる「わび、さび」を追求するという独自の視点から、他の茶人とは違うやり方を試みた。秀吉が主宰する本格的なお点前の腕比べの際、煩雑な作法をすべて無視してさっさとお茶をたて、「古流は、事多きにつき省略してござる。」と言い放って秀吉や他の茶人たちを驚かせように、晩年の利休は徹底的に茶の湯の世界から装飾性を排していった。こういう話なら門外漢の私にも、なるほどこれがわび茶かと納得できる。
だからといって、お湯を沸かすのにやかんでいいということにはならない。茶筅までは準備ができたものの予算的に茶釜までは手が回らない。しかもこのあばら家に茶釜が似合うはずもない。そこでせめてというわけで湯沸かを南部鉄瓶にすることにした。
原田伴彦著「町人茶道史」に定番、岡倉天心著「茶の本」、この本は例によって英訳「The Book of Tea」と並行して読んでいる。ところが天心の「茶の本」は、なんと英文で書かれた「The Book of Tea」の和訳なのであった。
もともと抹茶は好きで、2年ほど前に茶筅で抹茶をたてることを覚え、間もなく抹茶用の茶碗を買った。そして定石通りというか、たまたま大学の先輩ににあたる表千家の家元である千宗左が著した表千家の作法について書かれた本を買った。ところが、この本は茶道のマニュアルのような本でさほど面白くない。
遠州茶道宗家第十三世家元、小堀宗実著「茶の湯の不思議」で茶の湯の何たるかがようやく理解できるようになった。その著作の中で小堀は、千利休のわび茶について次のように解りやすく説明している。
利休は、茶の湯の根底に流れる「わび、さび」を追求するという独自の視点から、他の茶人とは違うやり方を試みた。秀吉が主宰する本格的なお点前の腕比べの際、煩雑な作法をすべて無視してさっさとお茶をたて、「古流は、事多きにつき省略してござる。」と言い放って秀吉や他の茶人たちを驚かせように、晩年の利休は徹底的に茶の湯の世界から装飾性を排していった。こういう話なら門外漢の私にも、なるほどこれがわび茶かと納得できる。
だからといって、お湯を沸かすのにやかんでいいということにはならない。茶筅までは準備ができたものの予算的に茶釜までは手が回らない。しかもこのあばら家に茶釜が似合うはずもない。そこでせめてというわけで湯沸かを南部鉄瓶にすることにした。
原田伴彦著「町人茶道史」に定番、岡倉天心著「茶の本」、この本は例によって英訳「The Book of Tea」と並行して読んでいる。ところが天心の「茶の本」は、なんと英文で書かれた「The Book of Tea」の和訳なのであった。