金曜で仕事がひと段落ついた。こういう週末を迎えると心が軽い。明日は早朝から農園に行って、雑草を抜き畑に肥料をやる。午後は本の整理をする、自分の好みにコーヒーをたてて味わう、机に積んだ本に目を通す。運動不足を解消するために近くの公園を散策するころには陽が落ちることだろう。
週の初めに玄関ドアの取り換えが済んだ。セキュリティが確かなドアなので外界との仕切りができたような心地がする。鉄筋の住宅だから外観が立派に仕上がった分、内装の老朽化が少々気にかかる。この内装とのつきあいが数年後には20年に達する。べつに違和感があるわけではない。思い切って不要になった本を500冊くらい処分して書斎の雰囲気を変えればそれで足りる。後は内装全般を拭きあげる。
少々古臭くてついていけないところも確かにある。しかし思想の芯は確かだ。久しぶりに『大学 中庸』(岩波文庫)を読み返した。秩序の破壊者ニーチェと読み比べてみると儒学の特色がより鮮明になる。組織の中で疲れを覚えた折には「善悪の彼岸」も悪くはない。ところが、組織内で何かをやろうとするとやはり儒学が参考になる。わたしは東洋人なのだ。
掃除日和の昨夕、『大漢和辞典』初版 全13巻を引っ張り出して、補修を始めた。問題は紙の風化だ。何度ブラシをかけても風化した紙が、きめの細かい粉まつとなって流れ出る。風化の進行をどうやってくいとめるかが当面の問題だ。第6巻まで応急措置を済ませた。本の補修について多くの情報をネットから得た。この週末は、紙の風化対処法をネットで検索して修理の方向性を定める。中身に風化はない。手軽に引くことができるようにするために補修を急ぐ。それにしても眺めるたびに、この辞典の物理的・内容的なボリュームに圧倒される。