『すべてのひとは生まれながらに仏であるという考え方がある。こういう考え方を突き詰めると、すべては自然の計らいなのであるから、さとりを開くための修行をする必要がないということに帰結してしまう。このように、あらゆる存在は自然であると考えることは仏の教えとは無縁である。
自らの意識のみをはたらかせて、仏の教えもそうなのであろうと想像することは、本当はわかってもいないのにわかったといい、さとってもいないのにさとったというのと同じようなものである。すべての存在は、自然の計らいによっているのではない。因縁によって意義を与えられるのである。この因縁について解明することがさとりへの道である。』
大谷哲夫著「永平の風」より抜粋改竄
自らの意識のみをはたらかせて、仏の教えもそうなのであろうと想像することは、本当はわかってもいないのにわかったといい、さとってもいないのにさとったというのと同じようなものである。すべての存在は、自然の計らいによっているのではない。因縁によって意義を与えられるのである。この因縁について解明することがさとりへの道である。』
大谷哲夫著「永平の風」より抜粋改竄