むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

5年前のfacebookの投稿

2018年05月02日 07時57分55秒 | 演劇日記
さきほど、京都駅という日記をかいたあと、facebookをみたら、こんな昔の投稿に出くわした。

「世界とは私たちの場合、とても、写し絵のごとくに、そっくりで、でも、合わせではないし、双子でもないのだ。世界が感情を持ったとき、わたしたちは廃人なのかもしれないし、まあ、気が狂ったといわれるのだろう。

これが、映画「SPEC 天 」への答えだ。

ようやく書きたいものへの
衝動が動きだすのだ。

あわてんで、ええよ。遅すぎても、はよすぎても死ぬんだけやし。

存在の方程式は、かっこよい言い方だな。そんなかっこつけは
いらない所で、存在の仮説なのだろう。

常にまわりの空気を行き来しながらでしか。あらわれてこない者」

似たようなことを言っているなあ。

やはり、ぐだぐだ書くことか!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都駅

2018年05月02日 07時16分26秒 | 演劇日記
昨日は久しぶりの友人と、お茶をした。

雑談といえば、雑談なのだが、

表現に携わるものたちなので、それを確認しあう対話でもある。

京都駅を上からみえるカフェにいろいろなひとの動きをみながら、

いつのまにか、いまの表現する私をみつめることになる。

表現は表現論というように、存在論にたつ。
アートとはまさしく、自己表現が、現在や現実をうつしかえすものとして、存在しているものだ。

また、自己表現は自己満足もしくは自己否定の側面をもつ。

これがなかなかやっかい。

これも存在と生活のいったりきたりで
いいのだろう。

朝のひとときもこれぐらい。

雨はまだ、降っていない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月2日水曜日

2018年05月02日 07時15分55秒 | Weblog
今日はGWの中平日。
仕事である。
朝の京阪の電車はいつものように
通勤、通学の景色。
そのなかに、黒のシンプルスーツ。
就活の学生さんかな。

今日は立春から数えて88日目の、八十八夜〔はちじゅうはちや〕「霜もなく安定した気候で、農作物の種まきに最良の時期です。


夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠

日和(ひより)つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ

と、通常なら確かにと思うが、
今日は曇りで雨になる。

また、雨は春の嵐みたいで、八十八夜みたいにはいかないみたいだ。

でも、若葉はきれいで、あざやか。
いきいきしている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月1日(火)のつぶやき

2018年05月02日 02時02分05秒 | 日々日記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする