それは42年前のこと。
70才の叔母さんがこんな話を聞かせてくれた。
当時同居していたお姑さんと馬が合わなくて、ある朝ここを出ていきなさいと言われてびっくりし、
「そうはいってもお義母さん、わたしがいなかったら老後誰が面倒看るんです?」
と答えたら、嫁いだ娘と長男のお嫁さんの名前をあげて、彼女たちがいるからそんなこといいわ。と、あしらわれた。
同じ部屋にいてそれを聞いたお舅さんが、お姑さんになにを言ってるんだ!と怒ったところ、寝間着から長いパンツに穿き替えようとしていたお姑さんがとたんに倒れ、脳卒中でそれから24年間、介護をしてもらう生活が始まった。
この叔母さんのえらいのは、デイサービスのない時代に子育てと自営のお店を手伝いながら、お姑さんが亡くなるまでその介護を一手に引き受けてこられたところ。
叔母さんと彼女の次男のお嫁さん、わたしの三人は買い物を済ませてお花屋さんの隣に並んだカフェテラスでいろんな味のマフィンを分け合っていた
叔母さんは残っていた珈琲を飲み干して、店内から届くBGMにかき消されてしまいそうな声で、でもね、と続ける。
「倒れた次の日に、入院した病室に息子が一人でお見舞いに行ったのよ。そしたら、あんたのお母さんにわたしがいじわる言ったからおばあちゃん罰が当たってこうなったんだよ。って言ったって言うの。
それでね、オムツ換えたりお風呂場までおんぶしてって身体洗ったりしても、ずーっと澄ましてるだけだったのに、ある時お父さん(ご主人)と車で病院に連れてってたら、後ろの座席から急にしんなりして言うのよ。
今まであんたにはいじわるばっか言ってきたのに、よう長いこと文句も言わずに世話してくれたね。ありがとうね。すまなかったね。って。わぁー、思い出したら寒気がしてきた~」
と、叔母さんは半袖の上から両腕をゴシゴシさすった。
「わたしもお父さんもびーっくりして、もう死ぬんじゃないのなんて冗談言ってたら半年後に亡くなったの。あの時代に女学校出て、お茶点てたり日本舞踊教えてたりしてプライド高かったからねー。それまでエゴが抜けんかったんだわ」
「あーー」
「子育てでもそんなに続かないのに、24年は長いですよねー」
24歳の次男のお嫁さんが言う。
「あー長かったよー、でももう何にも後悔ないね。やれるだけやったねってお父さんと言ってるの。わたしになんかあったらお父さん、後はオレが面倒看るって言ってくれてるし、一緒に死ねるのが一番いいけど、どっちか先逝ったらもう早よ迎えに来てねって言い合ってるの。ははは」
と、叔母さんはさっきより力強い声で笑った。