森本のプライベート側のブログ

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阪神大震災後に起きたモヤモヤする話

2024年01月24日 | ☆日常
1995年1月の阪神大震災のあとの地味に続く、
復興のさなかに体験したことを
書いておきたいと思います。

お伝えしたいこととしては
【震災後、夜は外灯がかなり減るので夜道を歩く時は十分に注意しましょう】
ということ。

もっと具体的に書くならば
【外灯がままならない震災地では、女性は夜一人では歩かないほうがいい】

29年前、私は19歳。
体形は今よりかなり痩せており、
身長180センチで体重は62キロくらい。
華奢と言われていた時代でした。

ヘビーメタルのバンドに憧れていたので、肩まで髪があるロン毛でした。
当時流行っていた江口洋介さんのロン毛ではなく、メタルのロン毛です。
ストパをあててサラサラさせてました。

地震後直後の冬だったか、次の冬だったか
はっきり覚えてませんが、なんせ冬の出来事です。

ジャンパーを着ていたのを覚えています。
その時来ていたジャンパーもふともも位までの
長さのあるジャンパーをきていました。

夜、時間は覚えてませんが、JR住吉駅を南側にでて、
西側の線路と住吉神社の間の道路の歩道側に
自転車を止めていたので、そこに向かって歩いていました。

JR住吉駅から南側の現在のロータリーになっているようなところは、
まだ外灯が届いており明るかったと記憶しています。

しかし、道路を渡り住吉神社の北側の道路、
JRの線路との間の道路のところになると
外灯がなく、かなりの暗さになります。

真っ暗ではないが、かなり暗い、という状況。

だぶだぶのジャンパーで体形がわからず、ロン毛で
ひょろっとした感じの私は、暗いところで後ろから見ると
女性に見えたのかもしれません。

外灯がない、かなりの暗さのなか、歩道に並ぶ違法駐輪の中から、
ゴソゴソしてなんとか自分の自転車を発見し、
暗くて見えないチェーンに鍵をなんとか差して開けて、
「さぁ乗ってかえるか」と顔をあげると、

真横に車があるのです。

びっくりです。
さっきまでこんな車はありません。
いつの間にか横づけされていたのです。

暗闇なのにスモールライトもついてません。

音、ぜんぜん聞こえませんでした。
忍び寄ってきた、としか思えません。

車のガラスはフルスモークで乗っている人、見えません。
でも助手席側の窓が開いています、
でもこちらからは見えませんでした。

心のなかで「え、なに?」と思って
車を覗こうとすると
バヒューンと車が急発進してすぐ角を曲がって行きました。
「なんや男やないか!」と思われたのでしょうか。

「え、もしかして、俺が女だったら、車に引っ張りこまれてた?」

ゾッとしました。

車の助手席側の窓が開いていたこともあったし、少なくとも二人組?

自転車で車の行先を追ってみたけど、
すでに国道2号線を曲がってしまうのが見えてそれきりです。

詳しく覚えてませんが、疲れていた私は、
とりあえず家に帰ってしまいます。

その後警察に報告することもなく、毎日の学生生活の忙しさに揉まれ、
そのことを特に啓発することもなく過ごしてしまってました。

「今覚えば、、」「あの時もっとこうしてたら、、、」
とタラレバすることしか出来ない。

【夜、暗くなるところに自転車を止めてはいけない】
ということも大事なことですね。

外灯の復旧って結構大事だと思います。

能登半島地震は過去のさまざまな震災の経験もあるでしょうから
29年前と違いよりよりスムーズな回復をするのでしょう。

震災被害にあわれた方に心よりお見舞い申し上げます。



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