まず前提として、セクハラは問題であり絶対にいけないという共通認識は必要。私自身が容認派でもなく、問題を軽くも考えていない。
その上で、今回の問題を掘り下げて行くと、3つの留意すべきことがある。
1. テレビ朝日の対応
2. 録音時の状況
3. 次官と記者の関係・距離感
まず最初に、テレビ朝日社内で女性記者は上司に相談したが、まともに取り合ってもらえず、会社として具体的な対策をしないとの判断を結果としてしている。本来であれば、実害が出ないように、担当を外す等の具体策を早急に行う責任を負っているが、それをしないということは、テレビ朝日自体が容認したことになり、次官と同罪であろう。
次に、録音時の状況であるが、録音全文が公開されておらず、一部次官の発言だけのために確定的なことは言えないが、記者としてどのような状況での発言収集てあったのかという点である。単独インタビューでセクハラ発言を引き出そうと意図して行ったのであれば、次官の脇も甘いが、テレビ朝日の看板を使った計画的な犯罪レベルの行動となる。自衛のために録音したというのはあくまで突発的に意図せず予測できない状況に対してであり、自衛のための録音であったかは留意すべきと考える。
最後に二人の関係・距離感であるが、女性記者が他社に対抗するために女性の部分を使って食い込みを図り、近い距離感を確保していたならば、ある意味女性記者の自業自得と言える。常識的に考えて、距離感のある女性から挑発されても危機感を持って大胆な発言はまずしないと思えることから、二人の距離感がどのようなものであったのかは重要と考える。
今回の事件から、結果として一番損するのはメディアになるだろう。良し悪しではなく、官庁は全ての女性記者に対して警戒し、リスクの観点から距離を取ることになる。当然、これまで女性だからと贔屓にしてもらっていた記者もいるだろうが、官僚自身が自衛のために、たとえ女性記者の出入りを制限しなくても、積極的な対応は自粛するだろう。一部女性や識者には、「セクハラ」と言えばすべてが思い通りになる魔法の言葉のように考えている節も見受けられ、現実には「存在そのものがセクハラ」「同じ空気を吸っているだけでセクハラ」との訴えまである。そして、都合よく女性を出す限りは、結果として男女平等を自ら拒絶していることを理解はしておくべきとも思う。