私と、えありすさんよりも右と言えるかもの御意見をお持ちです。
発信する場を希望されてるので、お貸ししたいと思っています。
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今の日本には少ない意見だとは思いますが、聞いてみたいと思います。
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びっくりした?
さっそくのご配慮感謝にたえません。嬉しい限りです。
一日一膳ではありませんが、原則一日ひとつ話題を書かせていただこうと思います。画面の文字をひとつひとつしっかり読もうとすると歪みがでてくるんですよ。少し網膜が剥離しているんです。
なので二日がかりとか三日がかりになることもご容赦願います。
国体という言葉を理解している人は少ないです。
国の運動会だと勘違いしている輩も多いかと。
国体というのは、天皇を中心とした国家の成り立ちを表しています。神代の神話はともかく、日本に生まれた朝廷は少なくとも1500年近く、この現代まで天皇によって治められてきました。そのような国家がこの地球のどこにあるのでしょう。あるのは遺跡として世界遺産になっているのが関の山です。
なので、やはり天皇というものをどう考えるかということが第一の鍵です。第二次世界大戦を終局させた天皇の詔勅は、1945年8月15日でしたが、それまで天皇の実声を聞いた国民はいなかったのです。連合軍は捕虜に対してこの声は本当に天皇の声かと聞きまくる始末でした。しかし国民はその放送の声を天皇の声を心から拝聴し受け入れたのです。
忍び難きを忍び耐え難きを耐えるという部分がマスコミで強調されますが、万世のために太平を拓かんと欲すというところと国体を護持しえたというところが真意なのです。ポツダム宣言そのものの内容などどうでもよい、ここはもはや敗北者として潔い行動をしようということだったと理解しています。
目の具合が悪いのですね。
目は情報収集するのに活躍するので大変だと思います。
「国体」…
わたしも少し前まで国民体育祭かと思ってました。
国の身体、ですね。
アバウトな言い方ですけど、それはきっと日本民族がどうやって生きてきたか、の証しだと思うのです。
どうやって生きてきたか、はそれこそ「歴史」です。
皇紀という伝説も含めた年月。
世界中の歴史年表を一覧表にすると日本だけ途切れることなく一直線。
これは感動しますよね。
昨年、わたしはまだ歴史の勉強途中の過程で「知ってはいたけど改めて感動した」という記事を書いていました。
↓
http://bibi07.at.webry.info/201403/article_12.html
欧州は入り乱れ、大陸もデタラメ。
英国は歴史があるかと思いきやそこ1000年。
アメリカなど数百年。
オーストラリアは罪人の島。
学校で歴史を教える時には、まずこの歴史年表を見せると日本が世界でどう生きてきたかがすぐわかり、まず感動するでしょう。
そして日本国民としてこの歴史を「キープしたこと」に誇りを持つことでしょうね。
この歴史をキープ、そして天皇という存在をキープした歴史こそ日本国民の素晴らしさだと誇っていいと思います。
そうなんです、日本の歴史はすごすぎなんです。見事に核心をついていると。
歴史の内容は国家の乱れや飢饉や戦乱など様々に動きます。それは生身の人間が自然の摂理のなかで動かすのですから思うままにいくことのほうが少ない。しかし、我が民族はいかなる場合も我々の頭上には大いなる威光がありそれに包まれ見守られているという強い意識を維持してきたのです。それを言い換えるとすべての行為は「国の為」ということに集約されます。
たとえば、1945年9月、連合軍が日本を占領し、彼らなりの改革政策を進めようとしたとき、天皇をどう取り扱ってよいか、もしかして現実的に天皇を廃止すれば、国中で大動乱が発生するかもしれないと恐れました。そのとき疑心暗鬼になった連合軍は、日本軍に手向かい追われて中国奥地に潜んでいた共産党の野坂参三にまで意見聴取をしたのです。
そのとき、なんと天皇制廃止を叫んでいた共産党の幹部であった野坂までもが、天皇は日本国民の精神的支柱であり、もしも廃止すれば何が起こっても不思議でないと。
天皇の威光はあまねくすべての国民の上に注がれてきた。この歴史が日本の国の根本的な姿=国体ですね。あえていえば安保法制を考えるなかで、賛否こもごもどちらの勢力の国民にも注がれているのです。
つづく
えっと本文に入る前にわたしは
「えありす」
です。
とある物語りのヒロインの名前からもらいました。
本来はカナなのですが、おこがましいのでひながなにしています。
ひらがな、は読み間違いもけっこうありますもんね。
まことさんは、新撰組のまこと、なのか「まことちゃん」のまことか、「愛と誠」のまことか、「スマッシュを決めろ」の真琴さん、かは存知ませんが良いお名前です。
え?どれでもない。
ですよね~
天皇は人物、というより「日本国の象徴」。
わたしは「旗」だと思っています。
フラッグ。
バナー。
その旗の元に集まって心をひとつにする民族。
だからこそ昔からその御旗を持つことに意義があると思うのですね。
ただ、今の共産主義は「天皇制廃止」とか言っていますので要注意です。
もとより「天皇制」という言葉はありませんしね。
共産党の造語です(でしたか?)
そういう制度は無いですもの。
「天皇の料理番」
では、
「天皇とは」
とGHQに聞かれた時
「味噌のようなもの」
とドラマではこたえてましたね。
昔から常に当たり前のようにある大事なものである、という風に。
なので、天皇というものは日本そのもの。
わたしはとても大事だと思うので実は静養三昧の次代が心配です。
でも、すでに公務をされている小さな皇子様とその立派なご両親がおられるのでこのご一家に望みを託しております。
まことは本名なんですよ。信と書きます。誠とつけて欲しかったと事あるごとに思いました。
我々がこの不逞の輩の跋扈に国運を嘆いている日々でありながら日嗣の御子をいただけることはこの上なる幸いです。ご健勝おおきく成長されることは国民すべての願いです。
さて、先の聖戦の後始末が確かなものでなかったために、その混乱がいまだに続いています。まずそれを検証します。
第二次世界大戦については、途中から道筋がそれてしまうという民族的悲劇に見舞われてしまうことになったのです。明治時代、日本軍は戦術という意味合いでは謀略や計略を用いても、戦略の面では常に敵とまっこう対峙するという軍隊でした。その根底は「大和魂」と「恥」という武士精神から受け継がれたものでした。
満州国の建設に手を貸したところまでは良いとしても、満州を王道楽土と称して屯田移民をさせたことは日本軍部の最初の蹉跌でした。あえて言うなら満州は露助や支那の軍隊を殲滅するための戦場として荒地のままで良かったのです。日本軍が常日頃から守らねばならなかったのは満州ではなく朝鮮だったということです。
そして、支那事変から大東亜戦争へとなりました。アジアを植民地化していた欧米は日本の「大東亜共栄圏」という御旗を掲げての進出に肝を冷やしました。そのため欧米は卑怯にも日本との交易中止し支配地域の軍事力を増強させました。ここに於いて天皇は支配されているアジア諸国に日本軍が解放のために戦端を開き、諸国とともに戦う同盟を結ばせたのです。
日本を封じようという大国アメリカとどう戦うかという戦略は日本軍内で揉みに揉まれました。アメリカと戦う上での戦術として真珠湾攻撃は最高のものでした。アメリカの空母さえ撃沈すれば目標は達せられたのですが太平洋の真ん中では偵察力が十分に発揮できなかったことが齟齬となりました。
ちなみに開戦時の天皇の詔勅には、この戦いの理由が述べられている。少し長いが現代文で書き下して拝読してみましょう。何のための戦であったかそれは今に生きる日本人も知っておかねばならないことです。
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、
私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。
今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。
さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御 名 御 璽 平成十六年十二月八日
聖戦の理由を理解していただけたら幸いです。
管理人でありながら、返コメ出来なくて申し訳なく思っております。
政治関係記事は、えありすさんが共同管理人と思っていて下さいね。
チェックはしておりますので。
難しいことは解りませんが、勝てば官軍です。
敗戦国の言い分は70年経っても通らないと言うことです(公には)
でも、本当の話は日本人全員が知っておくべきですね。
詔勅の日付は平成ではなくて昭和でしたね。
後日修正させていただきます。
難しいところもありますが、武運は時の運です。
勝てば官軍といいますが、正義がどちらにあるかです。
正義のためなら敗北も辞さないで立ち上がってきたのです。
日本は少なくとも中共に敗北したのではありません。
>まことさん
戦争へなぜ日本は突入したのか。
色々な要因はあると思います。
たくさんの要因が重なり、織り交ぜられ、至ったのでしょう。
ただ解っているのは「白人世界は日本を叩きのめしたかった」ということだと思います。
時代は世界が帝国主義。
弱肉強食。
その中で日本も他のアジア諸国のように喰われないためにエリアを広げようとした。
当然です。
ただし、朝鮮半島は英国とインドのような関係ではないのはすでに日本人は承知。
日本の広げ方と白人の広げ方は全く違うということも今はみんなが知っているでしょう。
有色人種の国が強大になるのが我慢ならなかったか、脅威になったのか…
日露戦争後、ハリマンの「満鉄を一緒にしよう」を断ってからあたりからかも知れませんね。
「見ておれ、日本」と。
さらに南下をはかるロシアからのコミンテルンがアメリカの中枢部にも入り込み、また日本にも入り込んでいた時期ですよね。
細川元総理の祖父・近衛文麿。
ゾルゲ事件。
尾崎秀実。
内部から「戦争をして更地にし、共産主義の国家を作る」という赤による崩壊もあったのかも知れません。
それでも日本を愛する当時の人たちも色々な事を考えたのだと思います。
コミンテルンが書いたのでは?と思われるハルノートを突きつけられた日本は戦うしかなかったのでしょう。
リットン調査団の欺瞞。
シナのプロパガンダにのったふりをして日本叩き。
日本は資源を求めて南下。
当たり前です。
これを侵略というかは当時の世界観でしか語れません。
でも、白人の支配下を日本が解放しながら南下したことは、結果独立を生み、感謝されているのは事実です。
もちろん、その過程では摩擦もあったでしょう。
とくにインドは1600年からずっと英国の支配下。
すでに何世代も英国の意思の元、動いていたのですから。
それを寝返りさせるのには摩擦もあったのは想像できます。
それを「迷惑をかけた」と天皇が謝罪するのがよいのかはわかりませんが。
ルーズベルトは有色人種が嫌いだったのでしょう。
それでも「戦争はしない」と言って当選したのですから。
でも、世界の思惑はそうはいきません。
アメリカはアジアにそんなに展開していないのに、ですよね。
日英同盟を結んでいたのに、なぜ英国が?とも思います。
戦前は皇族の方も英国に親善にいったりして関係を保つ努力もされていたでしょうにね。
マッカーサーも「日本は自衛のため」と後に言ってます。
でも、敗戦国とはそういう事実にも目をつむらねばならないのでつらいです。
日清戦争、日露戦争。
負けたことがなかったので日本も勢いづいていたのかも知れません。
多くの国民が真実を知る努力をしているのはとてもよいことですね。
と、話しがあっちこっち飛んで、単なる雑談になりました。
雑談オーケーとの、のん子さんの寛大な申し出に甘えました。
ついでに些細な誤字脱字もスルーしていいと思います。