ななごの部屋(リウマチとともに)それから

リウマチとともに歩みアクテムラのおかげで安定してきた私。もっと溢れるように生きたい☆2013/1/1開店☆

金子先生祝う会

2015年09月23日 | 文芸
俳句の師の96歳の誕生日を祝う会&句碑巡りに参加した。
秩父の皆野駅で受付をしたのが午前10時過ぎ。
たまたま会ったNさんと歩く。

★秩父音頭発祥の地「旧壺春堂医院」
兜太が幼年期をすごした家。
伊昔紅が開く句会が行われた場所であり、
現在の秩父音頭が生まれた場所でもある。
/パンフレットより

「産土」絵馬をもらった。先着100枚用意してある。
そこで、Nさんは椋神社へ。私は距離があるので近くの円明寺へ。

★唄と踊と花の寺「円明寺」
初めて秩父音頭が盆踊りとして踊られた場所
昭和5年の旧盆のこと
兜太と父伊昔紅の句碑が並んで建っている
/パンフレットより

そこで先生の句碑と伊昔紅さんの句碑を見る。
「夏の山国母いて我を与太という」兜太
絵馬は「地」

催しは午後2時からで、まだまた時間はあるし…
そこで、椋神社まで歩き始めた。1キロくらいありそう。
その時、道の向こう側から声をかけてくれる人がいた。
「椋神社まで、行くんですか?よかったら乗って行きませんか?」
と車の前から呼んでくれた。
おおお、
なんて親切な人がいるんだろう。
そこで乗せてもらった。
70代くらいの俳句オバサン二人です。
有り難うございました。
椋神社まで、車でいく。
お礼を言って中へ。

★兜太の産土神「椋神社」
兜太が出征時に武運長久を祈願した村社
重さ2tを超える秩父紫雲石に
「おおかみに螢が一つ付いていた」が刻まれている/パンフレットより

絵馬は「狼」
すぐ、斜め前がヤマブ味噌蔵。

★味噌蔵句会の舞台「ヤマブ味噌蔵」
兜太の父伊昔紅も参加した「味噌蔵句会」の舞台
創業者新井武平は秩父音頭の普及に尽力
兜太と伊昔紅の句碑がある/パンフレットより

そこから近いヤマブ味噌で休んで、無料の軽食を頂いていると、
句会のメンバーの人たちがやってきた。
ヤマブ味噌の句碑は
「よく眠る夢の枯野が青むまで」
絵馬は「人」

Kさん、Moさん、Hさん、後からMaさん。
そこで一緒に軽食にする。(無料)
味噌アイス(350円)も頂く。美味しい。

ここから会場までが距離があるので、
早めに出発する。
一度駅に戻り、皆野町役場文化会館へ。
14時から「祭りの音楽ライブ」
秩父音頭や獅子舞やらを観る。


そのあとで、入賞の句の発表がある。

私は、こんな句を出したら俳句の先輩たちに怒られるかも
というのを相談して出してみた。

「よく伸びる兜太の鼻毛曼珠沙華」

そうしたらA先生に取ってもらい入選した。
それで賞品に味噌せんべいの箱を貰った。
うれしい♪
帰りは急行に乗り帰宅。

今回、遠くて行けなかったのは
★天空の里立沢(たつざわ)または
秩父札所34番結願寺 「水潜寺」
/パンフレットより
「天」の絵馬があった。











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