呑んべぇおやじでもいいじゃないの

最近ちょっと方向性変更気味です

富岡製糸場~桜咲く小幡郷へ

2013年03月31日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
2013年3月31日(土)

富岡製糸場は2010年3月下旬に行って以来3年ぶり2度目の訪問になります。

前回は構内の桜がやっと開き始めたところでしたが、よく晴れて暖かな日でした。

今回は、桜はちょうど見ごろでしたが、花曇り花冷えで、ふるえながらの見学でした。

富岡製糸場には鉄路を使用、高崎駅からは上信電鉄下仁田行きに乗ります。

こちらでは企画切符があって、高崎~上州富岡往復1540円に富岡製糸場入場料600円を加えたものが1600円で購入でき540円もお得です。



実は、今回は上州富岡駅が富岡製糸場の世界遺産登録推薦を受けて建て替えられることになり、私 FaceBook で「駅の写真でたのしもう」と言うグループに入っていて、全国様々な駅や鉄道関連の写真の投稿にコメントなどを寄せ合っているのですが、そこへ建て替え前の駅の写真を投稿したいとも思っていました。

ところが、すでに遅し!



上州富岡駅はすでに解体され整地が始まっていて、現在はプレハブの仮駅舎で営業していました。

まぁ、プレハブの仮駅舎なんて言うのもめったに見られるもので無いのでいいかと。



さて今回、富岡製糸場とその関連施設が世界遺産登録推薦を受けたことや天皇皇后両陛下が訪れたことが報道されたことなどがあって3年前に比べて見学者の数はかなり増えていました。



自由に見学するのもよいのですが、やはりボランティアの案内人の方の解説を聞いたほうがより富岡製糸場を理解出ると思います。

40分ほどで富岡に建設されるようになった経緯や建築の様式、工女のことやフランスから来た指導者のことなど解りやすく楽しく解説してくれます。

ぜひ富岡製糸場を訪れて解説を聞いて「なるほど、だから世界遺産」と納得していただきたいです。

こちらは製糸場が完成した明治5年当初のガラスが未だに残る工場です。

当時の日本ではまだガラスは生産できなかったためフランスから輸入されたものです。



工場や倉庫の構造は、木骨レンガ造り、小屋裏はトラス構造で内部には柱が1本もありません。

140年前に日本の大工が見たことも聞いたこともない工法で、また見たことも聞いたこともない長さ104mの巨大な倉庫と140mの工場をフランス人の指導のもとにたった1年で建てたというのは驚異に値します。



この富岡製糸場のレンガの積み方は、大きい小さいを順に並べ積んでゆくフランス積みと言うのですが、この積み方は1段目が横向き2段目が縦向きとそれを繰り返して積んでゆくイギリス積みと比べて地震に対する強度が低いということからその後ほとんど採用されずフランス積みのこれだけの巨大建築物が現存するのは世界での稀だということでした。

レンガももともと瓦の産地だった富岡の瓦屋さんが作り方を教わり初めて焼いて作ったのだそうです。



さて、見学を終えてお昼時、昼食です。

前回と同じく駅前通りの川崎食堂でカツ丼をいただきました。

県内でどこか出かけたときの昼食はいつもカツ丼と決めています。

それもソースカツ丼です。



一見このカツ丼もソースカツ丼のように見えますが、カツはヒレカツでソースカツ丼と同じですが、実はたれがソースベースではなく醤油ベースの甘辛たれです。

これは、西上州では下仁田カツ丼と呼ばれる御当地グルメの一種です。

上州富岡をあとにして、企画切符では一度だけ途中下車ができるので城下町小幡郷の最寄りの駅上州福島へ向かいます。



上州福島駅から小幡郷までは2kmちょっと歩くのは大変です。

タクシーもありますが、ここ上州福島は有人駅で電車利用者に無料で貸し出されるレンタサイクルがあるのでそれを利用します。



行きはダラダラ坂の上り坂ですが、3段切り替えのママチャリはなんとか自転車こいで登り切れます。

20分ほどで小幡郷に入りまず目にするのが雄川用水沿いの桜並木と昔の街並みです。



桜はまだ三分~五分咲き程度でしたが静かな街並みと用水のせせらぎの音と薄紅色の桜の花が美しく調和していました。

その先には、武家屋敷や親水公園などもありますが、今回は山の手の神社に登ってみました。

用水沿いの桜並木が見渡せます。



帰り道は、ほとんど自転車をこがずに10分ほどで上州福島駅に戻れます。

午後は電車の数が少ないので滞在時間の計算もしなければなりません。

そんなこんなで、曇りですごく寒かったですが、ローカル線・駅の写真・世界遺産候補・B級グルメ・桜並木・城下町盛りだくさんの一日を楽しんできました。







横浜の鉄道と開港の歴史散策①~鉄道編~ 二代目横浜駅 転車台

2013年01月04日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
2013年1月3日(木)

昨年ツィッターで「横浜の汽車道を歩いてみた」と言ったところ横浜在住のお二方から「やりましょう」と声がかかりました。

汽車道は桜木町駅から横浜赤レンガ倉庫までの貨物線廃線跡を辿る全長およそ500mほどのプロムナードです。

せっかく群馬から来てくれるのだからもっと色々な横浜の鉄道と開港の歴史を見てもらいたいとのことで同行の匝氏が散策コースをプロディユースしてくだされていくつかのサプライズありの楽しい1日を過ごしてきました。

今日は、その様子の第1回目~鉄道編~です。

集合地は横浜駅です。

そして、ここが散策の出発地でもあります。



私のささやかな予備知識で昔の横浜駅が現在の桜木町駅だったことは知っていたのですが、実は現在の横浜駅の前に二代目横浜駅があったのです。

国道1号線ではくしくも箱根駅伝の私の地元群馬からの出場校上武大学の復路の応援団が場所取りを初めているすぐ先の赤レンガ作り風のマンションがかつての二代目横浜駅があった場所だそうです。

二代目横浜駅の予備知識のなかった私にはちょっとしたサプライズでした。



マンション建設の時に発掘された二代目横浜駅の遺構が残っていました。

やはり赤レンガ作りのこの場所は手荷物の預かり場だったようです。

駅が建設されてからわずか8年で関東大震災で焼失しその後忘れ去られ、復興とともに現在の地に横浜駅は移りました。



ここからは、みなとみらい21線の開通に伴い廃線になった東横線に沿って桜木町方面へ向かいます。

廃線当初は残されないだろうなどと廃線ファンの間では言われていたそうですが、隧道部分は見られなかったのでどうなのかわかりませんが、今はガード下の落書きもきれいに消され高架上を遊歩道にする整備が続いています。






架線やレールは撤去されましたが、ガーター橋は残っていました。

鉄橋ってのは今でもそうですがリベット打ちなんですね。



そしてここ現在の桜木町駅です。

ここが初代横浜駅なのですが、なぜ横浜駅が次から次へと引っ越したかと言うと本線からスイッチバックで列車が出入りするので時間がかかり不便だったため、鉄道省に関係なく軍が勝手にバイパス線路を敷いたところ、「そっちのほうが便利じゃん」ってことで駅が移って行ったそうです。



ここからは、横浜汽車道プロムナードに入ります。



この路線は、赤レンガ倉庫までの貨物線だったわけですが、二つの人工島をトラス橋で結んでいます。

当時の日本にはトラス橋を造る技術がなかったため、アメリカから出来上がったものを輸入して設置したそうです。

実はこのメンバー、興味の塊でできたようなものばかりで、トラス橋ではもっぱらリベットの打ち方に興味を持っていました。

3つのトラス橋は、1.2がアメリカ製で3がイギリス製なのですが、リベットの工法などが異なるというのです。



トラス橋越しに見るランドマークタワーもまた一つ違った趣があります。



汽車道の一部には線路も残っていますが、1989年の横浜博覧会では実際に列車を走らせたそうです。

後ろ姿は今回の案内人匝氏(左)と同行の漫画家のじゅん先生(中)です。



だいたいみなはここからまっすぐ赤レンガ倉庫方面へ向かうのですが、少し回り道をすると港を見守る女神の像や海保の北朝鮮工作船の展示館などまた違ったものが見えてきます。

そして、第2のサプライズ。

汽車道は、貨物線の情報しかなかったのですが、横浜港は海外渡航の拠点でもあったためいくつもの海外航路がありました。

その船の出港に合わせて東京駅から臨時列車が運行されたそうです。

その名残がこの横浜港駅です。

貨物ばかりと思っていた所に旅客駅があったのです。

ここを訪れる人はほとんどいませんし、私はこれをここでは初めて知りました。



ホームは昔のままのようですが上屋はなくなり、後から屋根が付けられたようです。

かつては多くの旅行者や海外移住者がこのホームに降り立ったのでしょう。


そして、赤レンガ倉庫です。

こちらは鉄道遺産とか開港とか何とか関係ないたくさんの人が正月休みを楽しんでいました。

基礎が路面より一段高くなっている様子は、往時の貨物の積み下ろしのホームだったことをうかがわせます。



ランチは、今回は参加してないのですがツイ友さんお勧めで赤レンガ倉庫3階でローストビーフをちょっと贅沢していただきました。

準備の良い匝氏がビールの無料券を3枚持参してくださったので2時間ほど歩いた後のおいしいビールでのどをうるおしました。



このみなとの見える丘公園周辺は、かつては海外から入ってきた品物や輸出される物の倉庫が立ち並んでいたところです。

多くの貨物支線が敷かれていました。

それが、関東大震災で倒壊焼失し瓦礫は港に埋められました。

2009年の公園整備の際偶然発掘されたのが転車台です。

現在の地下1mくらいの所から軌道と一緒に発掘されています。

蒸気機関車の方向を変える回転台と同じ役目を果たすものなのですが、こちらはずっと小ぶりで、倉庫間を縦横に敷き詰められた軌道の上を走る手押し台車の方向を90度変えるために使用されていたものです。

手押し台車に乗せられた貨物の中には輸出を待つ群馬県産の絹もあったようです。



この地区では、このほかにも氷川丸の係留地向かう貨物線の廃線になった高架の歩道なども歩くことができます。

貨物輸送の要が鉄道だった時代を彷彿とさせてくれます。

横浜の鉄道と開港の歴史散策②~開港編~に続く、、、

FB友達 高尾山 忘年ハイキング

2012年12月28日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
2012年12月23日(日)

FB友達高尾山忘年ハイキングに行ってきました。

参加者は、私と私の娘とそれそれのFB友達さん1名ずつです。

私は11月の連休の紅葉見物に続いて3度目の高尾山ですが、他の3名はみな初めてでした。

今回のルートは、ケーブルカー清滝駅を右に見ながら進み6号路方面と別れ稲荷山コースをたどりました。



登り始めがちょっと急登で、ちょっと不調だった私はいきなりバテバテ、脚が上がりません。

前回の6号路では何ともなかったのに、100mも歩いては止まってしまうペースでやっとのことで中間点の東屋地点に到着。



その先、木の階段など、拷問のような山道を登りヘトヘトになりながら何とか山頂到着です。

私のために、コースタイム1時間半の所を2時間もかかってしまいました。



遅く着いたおかげ?で山頂の東屋の椅子テーブルを確保することができ宴会の開始です。





乾きものと第3Beer しか持参しなかった私達と違い、Uさんがワインやソーセージ・チーズなど持参していただいたので豪華な宴会となりました。

娘どもがまた大酒飲みでUさんも驚いておりました。

山頂での宴会は大盛り上がり、2時間以上の長居をしてしまいました。

実はすごく寒かったのです。

下山は、ケーブルカーを利用するコースです。

お決まりの薬王院・たこ杉など見ながらケーブルカーへ。





途中、若者たちが何かを見つけて騒いでいるので行ってみると、これキノコです。



以前にもどここかで見たことあるのですがフクロタケの仲間ってことはわかっているのですが名前はわからず。

帰宅後、ネットでフクロタケで調べたらすぐにわかりました。

フクロツチガキ(袋土柿)です。

夕方になってやっとケーブルカーで下山です。



群馬からですと朝の6時半に家を出て、帰宅が夜の9時ころと言う長い一日なのですが、とにかく一日楽しく行ってきました。






魚沼線 新潟県鉄道廃線跡ハイキング

2012年12月01日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
12月1日(土)上電友の会バスハイキング

新潟県鉄道廃線跡ハイキング 魚沼鉄道と越後交通長岡線を歩く

今回は、上電友の会主催の第1回廃線ウォークでした。

参加者は、鉄道好きとウォーキング好きなど合わせて40名ほどです。

当初の予定では、趣旨を凝らすために古い路線バスを利用すわけでしたが、そのバスが都合が悪くなり、代替えとして普段は玉原ダム揚水式発電所の見学に使われるていますが東電があの状態なので現在休んでいた狭いトンネルを通るために車高の低い特別なバスが用意されました。



今日のルートは、西小千谷駅跡からJR上越線来迎寺駅までを歩きその先の越後交通長岡線は車窓から見学、後半は終着駅寺泊のスイッチバック周辺を歩くはずでしたが、雪が降ってしまいショートコースに変更です。



出発地点の西小千谷駅のプラットホームです。

現在は公園として整備されています。



廃線魚沼線全線でレールが残っているのはここだけのようです。



歩き始めるとすぐにコンクリート橋があります。



雪の中を軌道敷跡を歩きます。



軌道敷跡は歩道や農道などの生活道路になっていました。

途中枕木を発見。



歩き始めてまもなく雪は本降りとなってしまい、2駅目の小粟田駅跡でウォーキング中止となりました。



まだ冬とは言え早い時期の湿った雪なのでしっかり合羽を着た人たちは良いのですが、傘組はもうびしょ濡れでした。

廃線跡から県道に出てバスと合流し来迎寺駅に立ち寄りました。



来迎寺駅は、かつては上越線の急行列車が止まった活気ある駅だったそうですが、今は無人駅です。

ここから先は越後交通長岡線跡に沿ってバスを走らせ車窓から廃線跡を見るというものです。

しかし、雪のため窓が曇ってしまって外の景色はあまり良く見えませんでしたが一部の線路や築堤を見ることができました。

そして、長岡線の終点は海水浴の寺泊です。

現在は鮮魚センターなどがいっぱいですが昔の鉄道の面影は全ありません。

かろうじて、海岸に降りる道路が昔のスイッチバックだったのかな?と感じる程度でした。



個人で計画したならこんな雪の日には行かないですから、ツアーという形で参加した今日の廃線跡歩きはいい思い出になりそうです。

旧国鉄足尾線 廃線間藤駅~足尾本山駅を訪ねて

2012年11月04日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
 ここ数回廃線探訪が続いていますが、今まで歩いてきた廃線は軌道敷跡が遊歩道化されていたり駅舎が保存・復元管理されていたりと市町村などによって鉄道遺産として残された場所でした。

 今回の足尾線は、全線が全く管理はされておらず荒廃するに任せた私有地です。

 基本立ち入り禁止区域です。

 事前調査でトンネルに入ったりガーター橋を渡ったりというつわものがかなりいましたが立ち入り禁止は守らなければなりません。

 それが今回の廃線探訪のネックになりました。

 多少その立ち入り禁止を破ってますがご勘弁ください。

 わたらせ渓谷鐵道の沿線には色々な「廃」があり、数年前に廃村松木村を訪ねてからのお気に入りの地区で毎年数回は訪れて、廃村・廃墟・廃工場・廃屋・廃坑・廃校・廃線など「廃」を訪ねています。

 今回も数駅に降り立つ予定なので大間々駅で1日フリーキップを購入しました。



 旅客運転終点の間藤駅です。

 
 車止のらこちら側が廃線区間で、元々貨物線で間藤~足尾本山間の旅客運転はありませんでした。





 ここから軌道敷を歩く人もいるようですが基本立ち入り禁止ですし、事前情報でこの先の切通しに岩の崩落があるらしいので県道を歩きます。
 
 
線路は、足尾銅山社宅(廃墟)裏の切通しを過ぎて県道を渡ります。

 
 踏切の信号機も未だに残っています。

 
一時停止してゆく車もありました。



 踏切を過ぎると最初の橋梁です。


 橋梁の下を通る石の橋も現在は通行禁止です。



 ここより少し上流の本山小学校に行く橋を渡り対岸に渡ります。



 小学校付近も立ち入り禁止ですが、ちょっとのぞける場所がありました。

 

 小学校を過ぎるとすぐに最初のトンネルです。

 
トンネルには、法面を伝わって降りて行ける踏み跡があり「歩鉄」いう方々はこのトンネル内を歩くようですが、トンネル出口も崩壊がある様子です。

 
 先ほどの橋を県道に戻り数百メートル歩いてその上の橋でまた対岸に戻ります。


 渡った先には集落の集会場がありその先はやはり通行止めですが、次のトンネルの入り口を見ることができます。
 

 トネルの入り口には信号機が残っていました。


 その先には、終点足尾本山駅のある工場も見えます。

 

 トンネル手前の橋梁は近くで見ることができました。



 ここから足尾本山駅近くまでは林道に沿って進むことができるのですが、ここもやはり進入禁止、しかたなくまた橋を渡って県道に戻ります。


 そしてもう一度上流の古河橋、リベットで組まれた古い橋は通行禁止ですが、を渡りなおして足尾本山駅に近づきます。

 

 足尾本山駅は、この橋梁を渡ったすぐ先です。


 この橋梁の上に通じる林道も立ち入り禁止なのですが、さすがにここだけは上に上がらないと足尾本山駅を見ることができません。

 柵を越えて林道に入り出川橋梁の上に立ちました。


 足尾本山駅です。

 

 この橋梁を渡って門扉まで行く人がいるようですが、立ち入り禁止なのですからそれはやめましょう。


 往時には、蒸気機関が精錬所の製品を運んでいました。



 往時の写真は帰りに立ち寄った国登録有形文化財旧花輪小学校の国鉄足尾線コーナーに展示されていたものです。

 

 この木造の小学校も今は資料館で通う小学生はいません。

 
 
 

 

上武鉄道ニッケル線 廃線跡を歩く

2012年10月27日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
上武鉄道ニッケル線 日丹線とも熊谷線とも呼ばれており、当初は西武化学へ物資を運ぶ貨物線として1941年に開業1986年に廃止となりました。

全線6.1kmの半分以上が遊歩道と生活道路として残されており辿るのは容易です。

JR八高線の丹荘駅が始点です。

上武鉄道の丹荘駅は、このJR丹荘駅の北側にありました。



駅跡は、今でもよく整備されておりきれいな空き地になっていました。



JR駅の北側に回り先ほど陸橋から見た駅跡空き地に入ると、ぽつんと置き忘れられたようにこんなものがありました。



ここから廃線跡歩きは出発するのですが、軌道敷跡は左に大きくカーブを描いた生活道路として残っていました。



その道路をおよそ500~600m進むと遊歩道になります。

遊歩道には、途中小さな公園やベンチなどが備えられていてご近所の方々の散歩コースのようでした。



そして、歩くこと約30分、最初の駅の神川中学校前に着きます。

ホームがやたらと短いのですが、当時は気動車1両の旅客運転だったようです。



この先、遊歩道は隣接の住民の方々の車も入れるようになっていますが、一台も車には出合いませんでした。

その先、一旦遊歩道は終わり一般道路になります。

二つ目の駅、あおやぎは残っていませんでしたが、その辺りに「青柳古墳群」ありました。



さらに軌道敷跡は、のどかな田園風景の中を進みます。



軌道敷跡は再び遊歩道に、ここは土盛りされた上を歩きます。



途中、二つのコンクリートの橋がありますが、法面を降りて見ることができます。



1時間ほど歩いたところに三つ目の駅、寄島駅の跡があります。

こちらはホームの上に上がることができます。



切通しのような場所を抜けたその先に唯一レールの残る踏み切り跡がありました。

遊歩道は、このすぐ先で終わっています。



そこは、ちょうど神流川の支流が入っている場所で鉄橋の跡を見ることができます。



ここから先は、軌道敷跡が私有地に入ってしまうため進むことができません。

終点のせいぶかがくまえ駅の手前にもう一つの鉄橋の跡がありますが、ここも私有地のようで近くで見ることができませんでした。



帰りもまた6km近くを歩くのも大変なので路線バスを利用しましたが、1時間に1本しかないので時間の都合もあり終点西武化学まで行くことはできませんでしたが、いずれにしてもこの先は立ち入ることができないので仕方ありません。



丹荘駅から新宿バス停まで行きがおよそ1時間半、帰りは路線バスで15分ほどでした。

廃線跡歩きは、道がとてもよく整備されていてほとんど迷わずに行くことができました。

途中、散歩をする方や農作業をする方々も気軽に「こんにちは」と声をかけてくれて楽しい廃線歩きでした。

旧国鉄長野原線 盲腸線太子線を訪ねて

2012年10月07日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
10月7日(日) 旧国鉄長野原線 盲腸線太子線

ほったらかしブログ更新です。

最近テレビで配線を歩く番組などが紹介されてちょっと配線鉄路に興味が出てきました。

群馬県内で廃線路を整備して遊歩道にしている「アプトの道」は人気があり、私も歩いてみたことがあります。

今日は旧国鉄長野原線の盲腸線、太子線を探訪してみました。

現在の長野原駅から野反湖方面へ向かうとまもなく、この廃線の最大の遺構白砂川橋梁が左手に見えます。



この線は元々鉄鉱山の鉱石を運ぶ貨物線として敷設されましたが、その後、旅客運行も行っていましたが、鉱山の閉鎖や旧六合村の人口減少などで昭和46年に廃線になりました。

橋梁を渡ると、白砂川に沿っていくつかのトンネルを抜け太子に向かいます。



途中、いくつかのトンネルがあるのですが、これが現存する最後のトンネルです。



生活道路になっていたようですが、現在トンネルは通行止めになっています。



石垣は当時の名残でしょうか?

軌道敷跡は現在生活道路に利用されています。



これは、終着駅太子駅手前のシェルターです。

入口はトンネルになっていたようですが、今回確認できませんでした。



そして、終着駅太子駅です。

駅舎やホームも残されていませんが、なぜかトイレだけは残され綺麗に清掃されていました。

かつて駅舎のあったあたりとトイレは、地元の有志によって小公園として整備されているとのことです。


映画「カフーをまちわびて」ロケ駅を訪ねて(1)

2012年07月18日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
7月15~16日、小旅行をしてきました。

 目的のひとつは、海を見ること。もう一つは、数ヶ月前、なんとなくテレビで見た映画「カフーをまちわびて」のラストシーンで熊田鉄道津四駅として出てくる駅を見にゆくことです。

田園の中を気動車が走る風景に何かとても気を引かれ一度行ってみ​たいと思いつつ、、、

何度か計画したのですがうまく時間が取れずに数ヶ月、この3連休を利用してやっと中根駅に降り立つことができました。

周りに何もない駅です。


15日(日)早朝に上毛電鉄大胡駅~西桐生駅=JR桐生駅~小山駅~水戸駅~勝田駅と乗り継いで、ひたちなか海浜鉄道勝田駅へとやってきました。



JRにホームを借りている私鉄ではよく見る風景、プレハブの役務室。

ここで1日フリー切符800円を買いました。



そして、ホームに入ってきた気動車は1両運転のアニマル柄の気動車でした。

気動車に時折乗りに行くのは、子供の頃両毛線と小海線で体感した加速時のあのエンジン音と振動と排気の匂いが好きだからです。

乗客はまばら、楽々とエンジンの上辺り、排気筒の横に座ることができました。



かつては東京から直通の海水浴列車が運行されたという7両編成にプラットフォームが対応した阿字ヶ浦駅です。



すでに海開きされてるというのに閑散としていて降りる人もほんの数人、皆海に向かうでもなく折り返しの発車を待つ鉄道に乗りに来た人たちのようです。

阿字ヶ浦駅から400mほど歩くと海に出ます。



海にもあまり人はいませんでした。

昨年の震災で津波の被害や鉄道も被害を受けていて、復旧はしているものの、1年以上経過しているのに寂しい風景でした。

この日は梅雨明け前日の非常に蒸し暑い日でした。

駅から海まで歩くだけで汗だくでしたが、なんと好都合すぎる!海辺に日帰り温泉があるのです。



波の音を聞いたあと、早速温泉に入り、全く休みが取れなかった怒涛のような6月を洗い流し、ビール!



6月頑張った自分への褒美、豪華刺し盛り1人前1600円なり。

目光の唐揚げで生中3杯も飲んでしまいました。

海も見たし、温泉も入ったし、うまい刺身も食ったし、リフレッシュ&リセットが完了し、いよいよ帰り道は次の目的地、ロケ駅です。



烏山線と宇都宮餃子

2012年05月19日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
5月19日(土)

天気もよく久しぶりに気動車に乗ってみたくて今まで一度も乗車したことのない栃木県の烏山線に行ってきました。

烏山線は1時間に1本程度の非電化ローカル線で宝積寺から烏山を結んでいますが、運行は宇都宮まで乗り入れていて宇都宮線との接続も良く少し便利になっています。

上毛電鉄からJR両毛線・宇都宮線と乗り継ぎ宇都宮に着くと、子供の頃両毛線や小海線でよく乗ったあの懐かしいオレンジとベージュのツートンカラーの車体の気動車が止まっていました。
連結されているのは白とグリーンの車体色の気動車です。
車内は改装されてシート配列が変わったりエアコンがついたりしていましたが、窓や天井の扇風機など雰囲気は昔のままでした。









烏山線は、始点の宝積寺の宝の字や途中駅の大金のように縁起のよい名前の駅があり、各車両は七福神に例えられたマークが付き、今日乗ったのは寿老人と恵比寿の編成です。



宇都宮からはおよそ50分で烏山に着くのですが、今日は天気もよく窓を開けて走っていたので加速時のあのゴロゴロゴロゴロというディーゼルエンジン音がよく聞こえました。



子供の頃よく乗った気動車はもちろんエアコンなどなく、真夏には開け放した窓枠に肘をかけると火傷するのではないかと思うほど熱く、エンジンの上あたりに座ると停車時にはさらにエンジンから発せられた熱気が入ってきて汗をダラダラとかきながら乗っていました。
暑かったけどあのゴロゴロゴロゴロというエンジン音と排気の匂いが好きでした。

今日ももちろんエンジンの上あたりに座りました。
でも、今日は暑くなく爽やかな風と心地よいゴロゴロゴロゴロが窓から入ってきてとても癒される感じでした。

烏山は特に観光はなく、烏山城址くらいしか見るものもなく、車では何度も行った事のある街だったので、駅周辺をプラプラと歩き時間を潰して約1時間後に乗って来た列車で折り返し宇都宮に戻りました。


宇都宮は、誰もが知る餃子の街です。
駅周辺にも沢山の餃子屋があり北口には屋台村のような一角もありました。



気動車に乗ることと餃子を食べることが今日の目的だったので、宇都宮!餃子!ビール!のノリでおいしい餃子をいただいてきました。



日帰り鉄道小旅行とB級グルメ、どこへ行っても楽しいですね。

東京だよ!おっかさん! -大連ツイ友オフ会-

2011年11月19日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
11月12日(土)

 久しぶりの上京です。

 3.11震災後低迷していた建築関連の仕事も復活の兆しが出てきて、しばらく取引の途絶えていた取引先からも見積り依頼や取引の話が来るようになり、2年ぶりくらいに声のかかった静岡の取引先と打ち合わせがてら東京で会うことになりました。

 10:00に上野駅での待ち合わせです。

 

 居場所が分かるようにこの写真を添付して「東京だよ!おっかさん!」とツィートをしておいたら間もなくその場所に取引先の社長が現れました。

 ツイッターをこのような使い方したのは初めてですが、なかなかいい情報発信になります。

 さて、次は久しぶりに銀座に出ました。

 そこで「銀座なう」とつぶやきました。
 
 銀座へ行ったのは、先月改装オープンした阪急百貨店に納めた什器などがどんな感じで収まっているか見るためです。

 普段工場では搬入や設置の仕方によって完成直前まで作り、仕上げは現場搬入後に現場の職人さんが行うので設置された姿を見る機会は少ないのです。

 高級ブランドショップなどが立ち並ぶ中に私の工場で作っ什器を納めたカジュアルショップがありましたが、設置され照明などが当たるとけっこう様になるものです。

 自画自賛です。

 有楽町周辺をうろついてから、午後の予定、大手町の店舗の改装現場に別の取引先がいるのでちょっとした打ち合わせを兼ねて表敬訪問に、有楽町からプラプラ歩いて行くことにしました。

 途中、東京国際フォーラムで一休みです。

 

 何のための建物なのかよく解りませんでした。

 

 東京駅を通過、全面改装中のようです。

 さて、今回急に東京へ出ることになったわけですが、大手町の訪問の後、大連ツイ友会の方が「東京へ来るならオフ会やりましょう」と言うことで、前日の午後に決まった話でしたが、浅草に5人集まることになりました。

 待ち合わせ時間まで少し時間があるのでスカイツリーを見に行きました。

 

 水上バスの発着所から見るスカイツリー・ジョッキ・ウンコです。



 その後仲見世から浅草寺へお参りに行ったのですが、天気が良かったので物凄い人です。

 震災後少なくなったと言う外国人観光客もけっこう増えてきてるようです。



 そして大連ツイ友オフ会です。

 大連ツイ友会と言うのは、中国大連に会社を持っていたり赴任したことがったり、旅行に行ったり、と大連にゆかりのある異業種交流のツィッター友の会です。

 私も以前、大連の中国人としばらく取引をしており何度も行ったことがあるのでメンバーに入っているのですが、オフ会参加は初めてです。
 
 浅草は昼から開いている居酒屋がいっぱいあります。

 逆に、仲見世が閉まる夜には閉店してしまう店も多いです。

 午後3時の開宴設定なのですが、会場となる居酒屋はほぼ満席でした。

 ツイ友会なのですが、連絡事はフェイスブックのクローズドグループ機能を使ったほうが多いです。

 この日の募集や会場などの情報もフェイスブックに載せられ、便利なのは、会場の情報URLをスマホでタッチすれば案内図が表示されナビ機能で迷わずにたどり着けることです。

 私は参加者みなさんとは初対面なのですが、毎日のツィッターやフェイスブックのやり取りでどのような方々なのかかなり分かっているので名刺交換の後はすぐに大盛り上がりでした。

 そして、浅草と言えば、神谷バー 二次会は神谷バーでデンキブランで乾杯です。

 

 今回セッティングをして下さったKさんの奥さんと参加者の方々で記念撮影です。

 私は群馬に帰る終電の都合で二次会でみなさんと別れましたが、有志は三次会に突入したそうです。
 
 久しぶりの上京も、仕事もしたし、名所見物もしたし、新たな知り合いの方々とお酒も飲んだし充実した楽しい一日でした。
 
  
 

 

わたらせ渓谷工芸まつり

2011年10月30日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
10月30日(日)わたらせ渓谷工芸まつりへ行ってきました。

また例によって滝を見に行きたいと考えていたのですが、今日の天気ははっきりせず雨の中を山道を歩くのも嫌だったので、滝見は取りやめ、いつもになくゆっくりと8時過ぎに起きました。

ほかに特に何も予定していなかった訳で、ちょっと会社へ行って見積もりを1つ片付けて、ツィッターを見たら「わたらせ渓谷工芸まつり」に夏に見に行った山羊の飼い主のツイ友の大間々の大地さんが参加していて、そこへ同じくツイ友の畳屋さんも行くと言うのを知り、私も行ってみることにしました。

会場は、わたらせ渓谷鉄道大間々駅近くのはねたき広場です。

自宅からは上電で赤城駅まで行き徒歩でおよそ10分ほどのところです。



大胡発11:33はハロウィン電車でした。

赤城駅に着いた時には雨が降り始めていましたが持参した折りたたみ傘を差して会場へ。



会場へ着くと、やはりツイッターのTLで見かける陶芸家木蓮さんのブースに畳屋さんがいました。

すでに昼を回っていてちょっとお腹もすいていたので軽く挨拶をし山羊の飼い主の大間々の大地さんを探しに行きました。



大間々の大地さんは、商工会のブースで串揚げを揚げていました。

実は、この串揚げが今日の目的の一つです。さっそく2本を購入しましたがまさに売り切れ寸前でした。



まずは腹ごしらえ、串揚げはお土産にし、天ぷらうどんで乾杯です。

軽く腹ごしらえをした後会場内を散策、陶芸作家の方々の作品や金工・木工作品・ガラス細工など様々な出店を見て歩きました。

目につく工芸品の沢山ありましたが、必要とするものがない、来場者も多いのですがあまり売れてないようでした。

実際、私もこのようなイベントに何度か出品したことがありますが、ほとんど売れませんでした。



会場のすぐ隣のながめでは、毎年恒例の菊人形展が開催されていました。

小学生のころ1度行った以来なのですが、今回も特別見たいわけでもないので入場はしませんでした。



帰りは、行きとはコースを変えてわたらせ渓谷鉄道を利用し桐生駅まで行き、西桐生から上電で帰宅しました。

お楽しみの串揚げは、割り箸にご飯をからめそれを豚肉で巻いて衣を付けて揚げ特製ソースに浸したものでした。

帰宅してから食べたのですっかり冷めてしまっていたのですが、そのままで食べても凄い美味いのです。

ソースが、これたぶん企業秘密、豚肉の下のご飯に絶妙にマッチしています。


ビールのつまみに最高です。

電車に乗って歩いてビールを飲んでB級グルメして帰りはジーゼルカーに乗って、楽しい半日でした。


ぐんまワンデーパスで大前に行く

2011年09月25日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
9月23日(金)

7月に始まった大型観光キャンペーンぐんまDC(デスティネーションキャンペーン)も今月末で終わりです。

そのぐんまDCの企画の一つに群馬県内の鉄道、JR・東武鉄道・上信電鉄・上毛電鉄・わたらせ渓谷鉄道を一日乗り放題で1900円と言う格安のワンデーパスが発売されました。



色々なコースを考えてはいたのですが、切符はJRのみどりの窓口か一部の旅行代理店へ行かないと買えないことや他のイベントも沢山あってなかなか出かけるチャンスがありませんでした。

でも、このお彼岸の連休が最後のチャンスです。

いま八場ダム本体を作る作らないともめていますが、ダムができた場合吾妻線の一部が水没するためすでに新路線の工事が始まっています。



ダムができると湖に沈んでしまう川原湯温泉駅です。

もう30年以上も賛成だ!反対だ!と街を二分し、そしていまだに結論がでてないわけです。

新しい吾妻線になる前に長野原・草津口より先は乗ったことがないので今の吾妻線を一度全線を乗っておきたいと思い終着駅大前に行くことに決定ましました。

ところが問題がひとつ、大前まで行く電車は1日に5本しかないのです。

上電の始発に乗っても朝大前に着く電車には乗れないし、次の1時過ぎに着く電車では帰りがまた3時間以上ないし、1時過ぎの電車でそのまま往復するのも詰らないし、色々なパターンを考えてみました。

そこでたどり着いた結論は、1駅前の万座・鹿沢口止まりの1本前の各駅停車で行き景色を見ながら大前まで歩くと言うものです。

それにしてもこの間が4時間以上あります。

またさらに考え万座・鹿沢口のまた1駅前の袋倉で下車し歩くことにしました。



朝9時に袋倉の駅に到着、無人駅で周りに家が数件あるだけでほかに何もありません。

降り立ったのもお彼岸で帰省らしい女性一人と自転車を持った男性一人、地元の人らしい老人と私の4人だけでした。

秋晴れの中、吾妻川を挟んだ国道の反対側の道を一人ポチポチと歩き始めました。



こんな山村の中を歩くこと30分ほどで吾妻側の対岸に流れ落ちる大きな滝が現れました。



落差45mの瀬戸の滝です。国道のすぐ脇に落ち込んでいます。

この滝は今回予定外でしたが先週の台風の影響で水量も多く十分目を楽しませてくれました。



景色を眺めたり滝を楽しんだりしながら1時間ほど歩くと万座・鹿沢口手前の陸橋からちょうど特急草津1号が通過するのを見ることができました。

万座・鹿沢口でしばし休憩です。

でも、まだ10時少し過ぎです。朝早かったので小腹も空いてきましたがまだ喫茶店も食堂も開いておらず駅のベンチで休んでウォーキング再開です。

万座・鹿沢口からは国道を歩きます。ところどころ歩道のない区間があり大型貨物が頻繁に通る街道は道幅も狭く時折車をよけて待つこともあり、ちょっと歩くには適さない場所です。





袋倉を出て2時間半、ようやく大前に到着です。駅周辺には温泉宿が1件と町営住宅だけで何もありません。

お腹もすいたし帰りの電車までまだ2時間以上あるのでまた上の国道まで戻って食堂を探しました。

大前の集落の中に1件ありました。大前食堂です。ちょうど開店したばかりです。



さっそくビールをいただき、ほんとは昼はソースかつ丼がワンデイトリップの定番なのですが群馬県でも北のほうはソースかつ丼がないのでとじかつ丼にしました。

食堂のおかみさんと話をしながらゆっくりといただきました。

さすがに早起きしたのでビールで眠くなり、あと1時間ちょっと駅の待合室で昼寝です。



ひと眠りして起きるとやっと電車の到着です。

乗客などいないと思っていたらなんと30人くらい乗ってます。しかも、ホームには出てきたものの誰も駅から出て行かずまた電車の中へ戻ってしまいました。

そうです。みなワンデーパスを使って電車に乗りに来た人ばかりです。

私が一番芸のないと思っていた、そのまま折り返すパターンです。





そして、万座・鹿沢口で折り返す電車は1時間に1本くらいあるので小野上温泉で途中下車、50分後の次の電車までの間に温泉入浴です。

この区間を通常に乗車券を買っていると3800円以上かかります。半額で朝6時過ぎに家を出て帰宅が夕方5時半ごろ、電車に乗って歩いて写真撮ってビール飲んでかつ丼食って温泉入って丸1日楽しんできました。


初詣 大光院 呑龍様

2011年01月02日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
2011年1月2日、今年も初詣に太田市の大光院呑龍様へ詣でてきました。

なぜ、わざわざ太田市の呑龍様まで行くかと言うと、「子育て呑龍」と呼ばれる大光院が私の名付け親だからです。

私の祖父は明治28年生まれでそこそこの教養もあった人ですが田舎育ちのせいか日本人としての誇りと日本古来の伝統・習慣などを重んじ、国民の祝祭日には日の丸を掲げ、正月・七草・小正月・節分・彼岸・節句・盆・夏至・月見・冬至などの季節の行事、カマドの神様・便所の神様など八百万の神々を祭る日も門松にする松を取りに行く日も、飾る日も下げる日も、全てのことを毎年の暦に従って厳格に伝統通りに行っていました。

人の名前も同じで、子供の名は親が付けるものではなく生まれた日の暦に従い天からいただくもの。
そんな訳で孫の私たち兄弟3人は祖父が、「子育て呑龍」へ行って授かってきた名前を付けられました。

5歳年下の弟の名前を授かりに行くときは私も一緒にバスに乗って太田へ行ったことを今でもはっきりと覚えています。
バスの中で私は、はしゃいで当時流行っていた歌「田舎のバスはおんぼろバスだ~」と歌って車掌さんに顰蹙をかってしまいました。

そして、不思議なことは、私の名前が「のぶゆき」妹が「ももよ」弟が「ようじ」なのですが、3人の名前の末の字をつなぐと「きよじ」となり母親の名前になったことです。
このことは、私が高校生になったころ偶然に気付いたことです。


さて、今日も大胡駅から上電に載って出発です。
大胡電車区車庫では明日のイベントを控えてデハ101が日の丸の旗を付けて待機していました。





赤城駅で東武電鉄桐生線に乗り換えて太田へ向かいます。





太田駅へ到着です。
北口ロータリーの商店街入り口にある七五食堂が第二の目的地です。
今年は看板がリニューアルされていました。
営業中であることを確認し大光院呑龍様へ向かいます。




車は駐車場に入る順番待ちで渋滞していましたが徒歩ではスイスイ、駅から約1.5kmを20分ほど歩いて到着です。





去年より人出が多いようで10分ほど並んで参拝を済ませました。
「今年こそこの不景気のどん底から抜け出せますように」と願ってきました。




昼飯にはちょっと早いので街中の路地をブラブラ回ってみました。
なんだかちょっと古めかしく煙突が目を引くパン工場を発見しました。





そして、いよいよ第二の目的、ソースかつ丼です。
この七五食堂は、昭和23年創業と言うことです。
今日は、その創業者の奥さんでしょか?80代くらいのおばあさんが元気にホールを切り盛りしたり厨房に入ったりしていました。
当代の親方は、昨年聞いたのですが私と同じ28年生まれです。

一番のお薦めはやはりソースかつ丼です。
そして、注文してから出てくるまでが、駅前で電車待ちの客に対応するためでしょうか、とにかく手際がよく、から10分もしないで出てきました。





その名も「七五セット」ソースかつ丼とミニうどん・サラダ・漬物で750円です。
名前も値段も七五です。
子鉢は、ビールのセットです。

このかつにかかったソースが甘味のある独特な味わいで一度食べたらまた食べたくなる、そんな深みを持っています。

私も今年で3年目、初詣もそうですが、このソースかつ丼目当てで太田に行ったようなものでした。

たぶん、来年の1月2日にも行くでしょう。


赤城南面花の名所巡り

2010年04月10日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
赤城南面千本桜まつりに合わせて、前橋コンベンション協会が花の名所3箇所を巡る臨時周遊バスを運行しています。

昨年は無料だったのですが、今年は1日乗り降り自由で1000円になりました。
でも、ドイツ村と群馬フラワーパークの無料入場券やドイツ村園内割引券、合わせて1300円分がついているのでとってもお得です。

昨年は大胡駅からのみの発着でしたが、今年は前橋駅発もありだいぶ増便されました。
しかし、今日は、大胡駅9:00発のバスに乗ったのですが、乗客はたったの3人、昨年は10時頃のバスは乗り切れず次を待つような状態だったのですが、有料になったことと千本桜がまだ早かったためでしょうか、空いていました。
朝曇っていたのがだんだんとよい天気になったので、次のバスは混んでいたようです。





千本桜は、まだ開花したばかり、やっと2~3分咲きといったところです。
下のほうは2~3分咲きといったところでしたが、標高差のある上はまだほとんど咲いていませんでした。
芝桜もまだちょっと早めで、全体としては次週末くらいが見ごろのようです。
それでも人出は多く、観光バスも来ていて賑わってました。

赤城南面千本桜

次は40分後の周遊バスにのって、大胡ぐりーんふらわー牧場です。
こちらは5分咲きくらい、沢山の花見客で賑わっており、園内では明日の桜まつりの準備の追われていました。
ここで団子を買って生ビール、花より団子よりビールです。
花の下で飲むビールは美味かった。

大胡ぐりーんふらわー牧場

そして、また40分後のバスで群馬フラワーパークへ向かいました。
昨年は、大胡ぐりーんふらわー牧場食事をしてフラワーパークには寄らずに帰ってきたのですが、今年は無料入場券もあって入園し、園内をゆっくりと見て周り、ランチをして80分後のバスで帰ってきました。
園内は、春の花が沢山咲いていて天気も良く小鳥もさえずり、昼のビールも効いて眠気を誘う気持ちよさでした。

群馬フラワーパーク

今日も一日のコースをGPSロッガーでトラックしたものをアップしました。

赤城南面花の名所GPSトラック

富岡製糸場~小幡郷

2010年03月22日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
世界遺産暫定リストに記載された「富岡製糸場」と「城下町小幡」へ行ってきました。
上毛カルタに「県都前橋糸のまち」とあるように、前橋市はかつて養蚕と絹糸の生産で栄えてた街でした。

小~中学校のころ通学路の風景は一面の桑畑、農家の人たちは「お蚕さん」と”さん”付けで呼ぶほど蚕を大切にし、春子・夏子・秋子と年に三度繭を作っていました。

母親の叔母の住む市内では、繭からの糸取りが盛んで、町中にさなぎの臭いが立ちこめていました。
糸を繰りながら時折さなぎをパクッって食べる姿を見ていました。
「ボクも食べてみるかい?」と言われてもあの姿と臭いは無理でした。

そして、繭から絹糸を取った後の沢山のさなぎは、鯉の餌となり養鯉池も市内には多く見られました。金魚の養殖も盛んでした。

また、何処の家にもと言っていいくらい木製の機織機があって冬の間の内職に、あちこちからカッタンコットン、と機を織る音が聞こえてきたものです。

前橋の駅前には、絹糸を保管する古い赤レンガ造りの倉庫がたくさん並びその栄華を語っていました。

明治28年生まれの母方の祖母は茅野の製糸工場で、明治33年生まれの父方の祖母は北橘の製糸工場で、それそれ工女を経験しています。
小さい頃同居していた父方の祖母からは、製糸工場の話を良く聞かされていました。
工場の中を早く移動するためにローラースケートを履いていたとか、工女歌とか、長い労働時間とか、大正時代の話です。

そんな子供のころの記憶を辿るような気持ちで富岡へ行きました。

赤レンガの倉庫、糸を繰る機械、どれも見たことがあり懐かしいものでした。

解説員の方が説明をしながら約50分ほど案内してくれとても勉強になりました。
明治官製時代の製糸場は、一日8時間労働、日曜休日だったそうで大正時代の祖母たちが働いたときとはずいぶん違ってよい時代だったようです。

一緒に説明を聞いていた50代くらいの男性が糸を取った後に残ったさなぎを「あの虫は何ですか?」と言ったのは驚きでした。
生糸が蚕のさなぎの繭から取れるって知らなかったのでしょうね。




↑上信電鉄運賃と富岡製糸場の入場料が一緒になった割引券


帰り道、割引券で1回だけ途中下車が出来るというので上州福島で降りて小幡郷へ行くことにしました。
駅から小幡までは3kmほどなのですが、ちょっと楽しようと駅にある無料のレンタサイクルを借りました。
行きには気づかなかったのですが、ママチャリではきついけっこうな登り道でした。
腿板は立つは息は切れるは、歩いたほうが楽でした。
部活帰りの中学生に「こんにちは」と声をかけられても返事するのがやっとでした。

桜が咲けば綺麗な城下町でしょうが、観光客の少ないこの時期も静かでいいものがありました。
帰りは、ほとんどこがずに楽チンでしたが。

今日のtripを@tripでアップしましたのご覧になってください。
コースと所々の写真があります。



富岡製糸場~小幡郷

富岡製糸場~小幡郷で移動したら、左上の@tripマークの左下の再生の三角をクリックするとtripが始まります。