呑んべぇおやじでもいいじゃないの

最近ちょっと方向性変更気味です

円筒分水(2)

2010年03月28日 | 円筒分水
ネットで「円筒分水」と検索すると必ず上位に出てくるのがこの二ヶ領用水久地円筒分水と、以前このブログにお越しいただいた円筒分水熱中人のozavskiさんの記事です。

日本でもっとも有名な円筒分水をいつかは見に行こうと考えていて、色々な記事の写真などを見て、桜の開花時期が一番と思い、いつものようにローカル線・写真・ビールをセットにして昨日行ってきました。

いつものように、上電~シャトルバス~両毛線と乗り継ぎ、高崎駅からは湘南新宿ラインの特別快速小田原行き、乗車賃にプラス750円でグリーン車に乗れるので楽チンです。
このラインが出来て横浜方面に行くのがとても便利になりました。
湘南新宿ライン初体験です。

早速高崎駅で第3のビールと朝食のサンドイッチを買って乗車です。
途中、停電事故があって下車駅の武蔵小杉には20分ほど遅れての到着でした。
ここで南武線に乗り換えて津田山まで乗り、そこから歩きです。

駅の周辺案内地図で目的地を確認して歩き出したのですが、丘と崖に阻まれてしまってすぐ近くまで来ているのに行けない状態になってしまい、スマートフォンのいつもNAVI機能を使って何とか二ヶ領用水を発見しそれを辿って円筒分水に着きました。






円筒分水にかかる桜はまだちょっと早く2部咲き程度、地元の人たちが午後からのイベントの準備で忙しそうでした。




ネットで見慣れた写真のアングルに合う位置を探してパチリ!
桜は今度の土日辺りが見ごろでしょう。
ozavskiさんのオフ会の花見は3日(土)にこの桜の下で行われるようです。







円筒分水を見た後は、用水沿いに久地駅まで歩き、立川~八王子~高麗川~高崎~前橋とJRを乗り継ぎりシャトルバスで中央前橋駅に戻って焼き鳥屋で一杯、一人打ち上げしてきました。

高麗川~高崎間で缶チューハイを2ツ飲んで気動車の心地よいエンジン音に一時爆睡、それでも何駅かの区間の車窓風景をビデオに撮りました。
後で整理してYouTUbeのアップします。

↓今回もGPSロッガーのトラックをアップしましたので下のリンクをポチッっとクリックしてみてください。

二ヶ領用水久地円筒分水

富岡製糸場~小幡郷

2010年03月22日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
世界遺産暫定リストに記載された「富岡製糸場」と「城下町小幡」へ行ってきました。
上毛カルタに「県都前橋糸のまち」とあるように、前橋市はかつて養蚕と絹糸の生産で栄えてた街でした。

小~中学校のころ通学路の風景は一面の桑畑、農家の人たちは「お蚕さん」と”さん”付けで呼ぶほど蚕を大切にし、春子・夏子・秋子と年に三度繭を作っていました。

母親の叔母の住む市内では、繭からの糸取りが盛んで、町中にさなぎの臭いが立ちこめていました。
糸を繰りながら時折さなぎをパクッって食べる姿を見ていました。
「ボクも食べてみるかい?」と言われてもあの姿と臭いは無理でした。

そして、繭から絹糸を取った後の沢山のさなぎは、鯉の餌となり養鯉池も市内には多く見られました。金魚の養殖も盛んでした。

また、何処の家にもと言っていいくらい木製の機織機があって冬の間の内職に、あちこちからカッタンコットン、と機を織る音が聞こえてきたものです。

前橋の駅前には、絹糸を保管する古い赤レンガ造りの倉庫がたくさん並びその栄華を語っていました。

明治28年生まれの母方の祖母は茅野の製糸工場で、明治33年生まれの父方の祖母は北橘の製糸工場で、それそれ工女を経験しています。
小さい頃同居していた父方の祖母からは、製糸工場の話を良く聞かされていました。
工場の中を早く移動するためにローラースケートを履いていたとか、工女歌とか、長い労働時間とか、大正時代の話です。

そんな子供のころの記憶を辿るような気持ちで富岡へ行きました。

赤レンガの倉庫、糸を繰る機械、どれも見たことがあり懐かしいものでした。

解説員の方が説明をしながら約50分ほど案内してくれとても勉強になりました。
明治官製時代の製糸場は、一日8時間労働、日曜休日だったそうで大正時代の祖母たちが働いたときとはずいぶん違ってよい時代だったようです。

一緒に説明を聞いていた50代くらいの男性が糸を取った後に残ったさなぎを「あの虫は何ですか?」と言ったのは驚きでした。
生糸が蚕のさなぎの繭から取れるって知らなかったのでしょうね。




↑上信電鉄運賃と富岡製糸場の入場料が一緒になった割引券


帰り道、割引券で1回だけ途中下車が出来るというので上州福島で降りて小幡郷へ行くことにしました。
駅から小幡までは3kmほどなのですが、ちょっと楽しようと駅にある無料のレンタサイクルを借りました。
行きには気づかなかったのですが、ママチャリではきついけっこうな登り道でした。
腿板は立つは息は切れるは、歩いたほうが楽でした。
部活帰りの中学生に「こんにちは」と声をかけられても返事するのがやっとでした。

桜が咲けば綺麗な城下町でしょうが、観光客の少ないこの時期も静かでいいものがありました。
帰りは、ほとんどこがずに楽チンでしたが。

今日のtripを@tripでアップしましたのご覧になってください。
コースと所々の写真があります。



富岡製糸場~小幡郷

富岡製糸場~小幡郷で移動したら、左上の@tripマークの左下の再生の三角をクリックするとtripが始まります。


上電 大胡鉄橋 今日の風景 と 北杜夫先生の思い出

2010年03月14日 | 上電
昨日今日ととても暖かく春めいてきました。
荒砥川橋梁の近くの土手に植えてあるさくらんぼの花がソメイヨシノよりも一足早く開花しました。
さくらんぼは、ソメイヨシノよりも2週間ほど早く開花するので、今年のソメイヨシノの開花は27~28日というところでしょうか?

私は、荒砥川にかかる上電の鉄橋をいつも「大胡鉄橋」と呼んでいますが、鉄道会社の正しい呼び名は「荒砥川橋梁」だそうです。
しばらく前に足場が組みつけられいましたが、今夜から数日間夜間改修工事が行われるということです。
「沿線の皆さんへ」と夜間工事の案内チラシが配られてきました。


↑Canon EOS KissFにて撮影


花の蜜を求めてミツバチもやってきています。
川原には、モンシロチョウやモンキチョウ、タテハの仲間たぶんヒョウモンチョウだとおもうのですが、舞っていました。
子供のころ、夏休みはいつも麦藁帽子にゴムサンダル、昆虫網を持って原っぱで蝶を追い掛け回していました。

学研の科学のおまけで標本を作ったり、名前もイチモンジセセリ・ルリシジミ・ベニシジミ・シジミチョウ・ミヤマキアゲハ・ミヤマキチョウ・カラスアゲハ・クロアゲハ・ジャコウアゲハ・コムラサキ・ジャノメチョウなどたくさん覚えました。
いま出した名前の蝶は今でも見分けられます。
あとはすっかり忘れました。

今では、保護のために何処の山や高原に行っても蝶の採集は禁止されてます。
今ならデジカメがあるから採集しないでも簡単に記録に残せるようになりました。

話がそれるのですが、高校生のとき榛名山のロックガーデンにトレーニングに行った帰りに乗ったバスの最後部の席に、つばの大きな帽子をかぶり手に採集網、肩から採集かごを提げた作家の北杜夫先生が乗っておられました。
本や雑誌で先生が蝶が好きだということは知っていましたしがまるで子供のような格好で笑顔を浮かべていらっしゃる姿に大いに納得し、本人だとすぐに分かりました。

私は小説のファンだったので本人に会えて感激し、夕方のバスで他の乗客はいなかったのですが、当時はとても引っ込み思案だった私は声をかけることが出来ませんでした。

その後、私が降りた渋川駅までの間乗降客もなくずっと無言で過ごしました。
今でも40年前のあの姿ははっきりと覚えています。
蝶にまつわる思い出です。

私ももう少し年をとり時間と生活に余裕が出来たら、大きな麦藁帽子をかぶって図鑑とデジカメ持って蝶の写真を撮りにでも行きましょう。


↑Canon EOS KissFにて撮影