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ふとしたきっかけで思いがけない歴史的事実を知りました。
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この荒砥川にかかる普通のガーター橋が実は数奇な運命と貴重な歴史的建造物だということを知るきっかけになったのは、先日の「横浜の鉄道と開港の歴史散策」オフ会で他の参加者がリベットやボルトナットに興味を持っており汽車道にかかるトラス橋ではもっぱらリベットとボルトナットの話で盛り上がったことによります。
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横浜汽車道にかかるこの1907年(明治40年)アメリカ製のトラス橋は当時の日本ではまだ製作する技術がなく完成品で輸入されたということで、当時のリベットの打ち方やボルトナットの使い方に、ああでもないこうでもないと思いを巡らせていました。
また汽車道にかかるこちらのトラス橋は1902年(明治35年)イギリス製で夕張川に架けられていたものを横浜へ持ってきて大岡川橋梁として使用し、その後一部をこの汽車道に利用したものです。
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アメリカ橋もイギリス橋もどちらも横浜市の歴史的建造物に認定された貴重なものです。
今朝がたふと思いつき、同じくリベットとボルトナットで組み上げられた荒砥川橋梁は横浜のアメリカ橋・イギリス橋とどんな違いがあるのだろうか?と今まで全く気にしていなかった部分を改めて見に行きました。
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リベットの打ち方、ボルトの使い方。
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桁下はこんな構造になっています。
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今まで、荒砥川橋梁は上毛電鉄開業当時に建設されずっと使用されてきたものとばかり思っていました。
最近、上毛電鉄のホームページがリニューアルされて有形登録文化財などの詳しい説明が入るようになったのですが、荒砥川橋梁の記述も詳しいものになっていました。
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開業当初の1928年(昭和3年)当時の荒砥川橋梁は、2連の鋼板桁と1基の橋脚で構成されていましたが、1947年(昭和22年)のカスリン台風で流失してしまいました。
そこで、旧国鉄から3連の桁を譲り受け、それに合わせて橋脚を3基とし、桁の足らない部分は当初の鋼板桁を再利用し現在の形になりました。
この復旧には1月半かかっています。
写真手前の高さが低い部分が再利用された鋼板桁で奥のリベットで組まれた3連部分が旧国鉄から譲り受けた桁です。
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上毛電鉄のホームページでは、さらりと「1903年イギリス製」としか書かれていませんが、1903年(明治36年)当時の日本では橋桁を作る技術がまだなく海外にオーダーし完成品を輸入していたのです。
荒砥川橋梁にもそれを示すレリーフがありました。
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PATENT SHAFT&AXLETREE Co Lo 1903 ENGINERS WEDNESBURY 製作した会社は戦後国有化され現在は残っていない(匝氏調べ)そうですが、英国ウェンズベリーと言う町でで作られた物です。
この3連の橋桁は保線の方々の日々の点検整備があってですが、製作されてから110年間毎日毎日列車を安全に通過させているなんてすばらしいことです。
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ただ残念なのは、歴史的構造物に指定されていないと言うこととこの荒砥川にくる前にどこの鉄道の川に架けられていたかが分からないことです。
近々に上毛電鉄総務部に聞いてみます。
判明したら追記しておきます。
追記:荒砥川橋梁は国の登録有形文化財に指定されており、上毛電気鉄道大胡駅駅舎 (大胡駅電車庫、大胡駅変電所、大胡駅受電鉄塔、大胡駅避雷鉄塔、大胡駅中継鉄塔、大胡駅引留鉄塔、荒砥川橋梁)は、昨年2012年に世界遺産登録を目指す「ぐんま絹遺産」の流通部門で登録されました。
のちにたまたま鉄鋼関係の方にお話をうかがう機会があり、片側がリベットの頭のように丸く反対側が六角ナットのものはトルク管理がしやすいトルシア型高力ボルト(ハイテンションボルト)と言い比較的新しい工法で橋梁改修の際にリベットから交換さたのだろうと言うことです。
毎朝の写真がまた違ったものに見えてきそうです。
それにしても、鉄橋は寡黙ですねえ。
当方のblogとは大違い.w