呑んべぇおやじでもいいじゃないの

最近ちょっと方向性変更気味です

ton paris

2017年05月09日 | 美術館
2017年のゴールデンウィークも終わろうとする5月6日、桐生市の大川美術館に行ってきました。

特別展示「水彩画でめぐるヨーロッパ 5人の画家の旅のなか」です。



大川美術館は昨年の同じゴールデンウィークに谷崎潤一郎の「鍵」の挿絵、棟方志功を見に行ったところです。



今回は誰に期待するということもなく行ったのですが5人の画家、鷲田新太・茂田井武・鈴木満・武田久・網谷義郎。
この5名の中で茂田井武の絵に魅かれてしまいました。
他の画家の絵がどのようだったのか?記憶に残らないほど印象的でした。
初めて目にした名前です。
ですが帰宅後経歴などを調べてみると童話の挿絵などを描いていた画家で、多分子供のころ宮沢賢治の童話などの挿絵で見て絵だと思います。

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すごくいい

ネットで探したら大川美術館で見た ton paris の画集が出版されていました。
早々に注文し、それが今日届きました。



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テンカラ釣りは楽しい!

2017年04月29日 | 
30年ぶりにテンカラ釣に行きました。
入った渓流は二年ぶり、前回はフライフィッシングで小ぶりなヤマメ数匹を釣ったところです。
昔のテンカラは重いグラスの竿で重いテーパーラインを使って毛バリを飛ばして釣るのが主流でしたが、最近は超軽いレベルラインが主流なんですね。
そこで、3.3mのテンカラ用の竿を購入しフロロカーボンと言うテンカラ用レベルライン4号を竿の長さに付けてその先にまたまたフロロカーボンのリーダー1号を1mほど、そして自作の#14のフライフックに巻いた黒系の毛バリで渓流に入りました。
遡上すること30分くらいまで全くヒットなしでしたが、ようやくヤマメが水面で姿を現しました。
しかし、新しい竿、ブランクの長い釣り、針掛かりが悪くバラしてしまいました。
次に出たのは小さなヤマメで毛バリにたわむれた程度でかけられず。
入渓から1時間半ほどの時、沈んだ毛バリにアタリがあり素早く合わせてガッツリ上アゴに針を掛けることができました。
でも15cmほどの小ぶりのヤマメでしたが2年ぶりの手ごたえ、繊細なテンカラ竿では引きを味わうことができました。
本当は1号のリーダーなので楽々「エィ!」っとブッコ抜けるサイズなのでランディングネットなど必要ないのですが撮影用にネットに入ってもらいました。
記念すべきテンカラ復活初ヤマメでした。

スベリヒユを食べてみた

2015年08月08日 | 料理
以前に「秘密のケンミンショー」でやっていたスベリヒユ

山形のスーパーでは普通に野菜として売っているそうですが、今年は庭にいっぱい出てきたので、草むしりの際は残しておいて少し育てて見ました。



今朝収穫し、茹でてからし醤油和えにしてみました。



スベリヒユはちょっと苦味がありますが、ネバネバ系で美味しいです。

苦味があるのでマヨネーズで和えても美味しそうですね。

ネバネバ系は元気が出ると言いますね。

実際、スベリヒユは南アメリカ原産らしいですが、中国では馬歯見(ばしけん)と呼ばれていてやはり食用や漢方にし、また日本では古い時代の帰化植物で五行草と言う漢方薬としても知られ抗ウイルス、抗アレルギー、尿作用などの薬効もあるようです。

乾燥にも強くどこでも育つので昔の人はその生命力に薬効を見出したのでしょね。

蕎麦ダイエット1ヵ月でパンツのウエスト3サイズダウン!

2015年08月06日 | 料理
蕎麦ダイエットしています。

1日1食、お昼を蕎麦にしています。

そば屋に行ったりコンビニの弁当買ったりするとけっこう蕎麦って高いので乾麺を家で茹でて会社へ持って行きます。

蕎麦の手弁当ですね。

それをざるで水でほぐして会社の冷蔵庫にキープしてある麺つゆで食べます。

ちょっとした野菜の付け合わせも。

1食あたり100円くらいで済みます。

経済的ですね。

もちろん昼を蕎麦にしただけではすぐにダイエット効果が出るわけではないので、炭水化物や糖分も控えるようにしています。

6月中旬から蕎麦ダイエット初めて67kgあった体重が1ヵ月ちょっとで60kgまで落ちました。

ウエスト85cmのパンツがきつくて息を吸ってへこましながらボタンをかけていたお腹は、10cm以上マイナスして79cmのパンツが、ジーンズは33インチから30インチが、3サイズダウンして楽々履けるようになりました。

もうメタボではありません。





写真がちょっと解りずらいですが、手前のエドウィンがブカブカの33インチで向こうがこんど買ったリーバイスの30インチです。

すると、今まではいていた物がみなブカブカになってしまって、そこでこちらも経済的に済ませるために古着ショップへ行きました。

今までも古着ショップはよく利用していたのですが、何しろチビでデブの体形に合うものがなかなか見つからない。

ウエストサイズが合うジーンズはたくさん並んでいても、どれも股下が長すぎて合わない。

そこで店を何軒もまわってやっと1本ゲットと言った感じでした。

ところが、ウエスト30インチのジーンズや79cmのチノパンになるとどの店でもさらに在庫が豊富になってそのまま股下ぴったりのものがすぐ見つかるんです。

しかも、在庫が多いから値段も安い。



最初に行った店で、ジーンズはウエスト30インチでリーバイスが800円(税込)、ノーブランドが200円(税込)でした。

チノパンはまた別の日別の店に寄ったら、これもぴったり、ウエスト79cmが1本324円なんです。



痩せるとなんか得をしますね。

金時草ゼリー

2015年08月04日 | 料理
加賀野菜の金時草を茹でておひたしを作った時の茹で汁の色がきれい。
ネットでググったらゼリーにするのが出ていた。
早速やって見た。

茹で汁 500ml
ゼラチン 10g
砂糖 適当

茹で汁が暖かいうちにゼラチンと砂糖を入れて良くかき混ぜ暑くなくなったら冷蔵庫に入れて冷やす。
ただこれだけ。
適当な大きさに刻んで生クリームをかけて食べると見た目も綺麗ですね。

夏にぴったりの色合いとほのかな夏野菜金時草の香り美味しいですよ。



au TVCM 上電粕川駅

2013年04月21日 | 上電
4月21日(日)

au の最新のTVCMの冒頭に上毛電鉄の粕川駅が登場しているので、実際どんな感じか、粕川駅は家から近いこともあって検証に行ってきました。



この駅舎はCMには登場しませんが、平成16年に建て替えられた上電の中では新しい駅舎ですが、一昨年の3.11大震災ではうだつの屋根瓦が崩れ落ちました。

TVCMでは、ホームで列車を待つ学生やサラリーマンのシーンから始まります。

だいたい、アングルはこんな感じです。



地方鉄道どこでもそうでしょうが、朝夕の通学時を除いては日中はほとんど乗降客はいません。



CMの中ではホームから走り去る列車はイエローの714~724編成ですが、今日写真が撮れたのはオレンジの718~728編成でした。

この駅は、早朝以外は通常上り下りの交換駅で上り線が先に発車するのでCMのような下り線の列車がいない光景を撮るには朝の早い時間帯しかありませんのであのシーンは朝早く撮ったと思われます。



続いての駐輪場のシーンですが、 駐輪場もここのものでした。

一つのCMを製作するのに様々な所でロケを行うようで、次に出てくるオフィスは上毛電鉄本社、学校はこの春に廃校になった千葉県の中学校、商店街は前橋中央通り商店街、スタジアムは国立競技場でしょうか?

遠くに群馬県庁が見える田園地帯がどこか?これはちょっと解りませんでした。



駅の近くには、こんな渓流のような川が流れていました。

古い枕木を使った柵も素敵です。

以前にも映画の撮影に使われたひたちなか海浜鉄道の駅を訪ねたことがありましたが、テレビや映画で出てきた駅や待ちなどを実際に訪ねてみるのも楽しいものです。

元のau TVCM は「こちら」です。


富岡製糸場~桜咲く小幡郷へ

2013年03月31日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
2013年3月31日(土)

富岡製糸場は2010年3月下旬に行って以来3年ぶり2度目の訪問になります。

前回は構内の桜がやっと開き始めたところでしたが、よく晴れて暖かな日でした。

今回は、桜はちょうど見ごろでしたが、花曇り花冷えで、ふるえながらの見学でした。

富岡製糸場には鉄路を使用、高崎駅からは上信電鉄下仁田行きに乗ります。

こちらでは企画切符があって、高崎~上州富岡往復1540円に富岡製糸場入場料600円を加えたものが1600円で購入でき540円もお得です。



実は、今回は上州富岡駅が富岡製糸場の世界遺産登録推薦を受けて建て替えられることになり、私 FaceBook で「駅の写真でたのしもう」と言うグループに入っていて、全国様々な駅や鉄道関連の写真の投稿にコメントなどを寄せ合っているのですが、そこへ建て替え前の駅の写真を投稿したいとも思っていました。

ところが、すでに遅し!



上州富岡駅はすでに解体され整地が始まっていて、現在はプレハブの仮駅舎で営業していました。

まぁ、プレハブの仮駅舎なんて言うのもめったに見られるもので無いのでいいかと。



さて今回、富岡製糸場とその関連施設が世界遺産登録推薦を受けたことや天皇皇后両陛下が訪れたことが報道されたことなどがあって3年前に比べて見学者の数はかなり増えていました。



自由に見学するのもよいのですが、やはりボランティアの案内人の方の解説を聞いたほうがより富岡製糸場を理解出ると思います。

40分ほどで富岡に建設されるようになった経緯や建築の様式、工女のことやフランスから来た指導者のことなど解りやすく楽しく解説してくれます。

ぜひ富岡製糸場を訪れて解説を聞いて「なるほど、だから世界遺産」と納得していただきたいです。

こちらは製糸場が完成した明治5年当初のガラスが未だに残る工場です。

当時の日本ではまだガラスは生産できなかったためフランスから輸入されたものです。



工場や倉庫の構造は、木骨レンガ造り、小屋裏はトラス構造で内部には柱が1本もありません。

140年前に日本の大工が見たことも聞いたこともない工法で、また見たことも聞いたこともない長さ104mの巨大な倉庫と140mの工場をフランス人の指導のもとにたった1年で建てたというのは驚異に値します。



この富岡製糸場のレンガの積み方は、大きい小さいを順に並べ積んでゆくフランス積みと言うのですが、この積み方は1段目が横向き2段目が縦向きとそれを繰り返して積んでゆくイギリス積みと比べて地震に対する強度が低いということからその後ほとんど採用されずフランス積みのこれだけの巨大建築物が現存するのは世界での稀だということでした。

レンガももともと瓦の産地だった富岡の瓦屋さんが作り方を教わり初めて焼いて作ったのだそうです。



さて、見学を終えてお昼時、昼食です。

前回と同じく駅前通りの川崎食堂でカツ丼をいただきました。

県内でどこか出かけたときの昼食はいつもカツ丼と決めています。

それもソースカツ丼です。



一見このカツ丼もソースカツ丼のように見えますが、カツはヒレカツでソースカツ丼と同じですが、実はたれがソースベースではなく醤油ベースの甘辛たれです。

これは、西上州では下仁田カツ丼と呼ばれる御当地グルメの一種です。

上州富岡をあとにして、企画切符では一度だけ途中下車ができるので城下町小幡郷の最寄りの駅上州福島へ向かいます。



上州福島駅から小幡郷までは2kmちょっと歩くのは大変です。

タクシーもありますが、ここ上州福島は有人駅で電車利用者に無料で貸し出されるレンタサイクルがあるのでそれを利用します。



行きはダラダラ坂の上り坂ですが、3段切り替えのママチャリはなんとか自転車こいで登り切れます。

20分ほどで小幡郷に入りまず目にするのが雄川用水沿いの桜並木と昔の街並みです。



桜はまだ三分~五分咲き程度でしたが静かな街並みと用水のせせらぎの音と薄紅色の桜の花が美しく調和していました。

その先には、武家屋敷や親水公園などもありますが、今回は山の手の神社に登ってみました。

用水沿いの桜並木が見渡せます。



帰り道は、ほとんど自転車をこがずに10分ほどで上州福島駅に戻れます。

午後は電車の数が少ないので滞在時間の計算もしなければなりません。

そんなこんなで、曇りですごく寒かったですが、ローカル線・駅の写真・世界遺産候補・B級グルメ・桜並木・城下町盛りだくさんの一日を楽しんできました。







荒砥川橋梁の歴史

2013年01月05日 | 上電
毎日見慣れている上毛電鉄荒砥川橋梁

ふとしたきっかけで思いがけない歴史的事実を知りました。



この荒砥川にかかる普通のガーター橋が実は数奇な運命と貴重な歴史的建造物だということを知るきっかけになったのは、先日の「横浜の鉄道と開港の歴史散策」オフ会で他の参加者がリベットやボルトナットに興味を持っており汽車道にかかるトラス橋ではもっぱらリベットとボルトナットの話で盛り上がったことによります。



横浜汽車道にかかるこの1907年(明治40年)アメリカ製のトラス橋は当時の日本ではまだ製作する技術がなく完成品で輸入されたということで、当時のリベットの打ち方やボルトナットの使い方に、ああでもないこうでもないと思いを巡らせていました。

また汽車道にかかるこちらのトラス橋は1902年(明治35年)イギリス製で夕張川に架けられていたものを横浜へ持ってきて大岡川橋梁として使用し、その後一部をこの汽車道に利用したものです。



アメリカ橋もイギリス橋もどちらも横浜市の歴史的建造物に認定された貴重なものです。

今朝がたふと思いつき、同じくリベットとボルトナットで組み上げられた荒砥川橋梁は横浜のアメリカ橋・イギリス橋とどんな違いがあるのだろうか?と今まで全く気にしていなかった部分を改めて見に行きました。



リベットの打ち方、ボルトの使い方。



桁下はこんな構造になっています。



今まで、荒砥川橋梁は上毛電鉄開業当時に建設されずっと使用されてきたものとばかり思っていました。

最近、上毛電鉄のホームページがリニューアルされて有形登録文化財などの詳しい説明が入るようになったのですが、荒砥川橋梁の記述も詳しいものになっていました。



開業当初の1928年(昭和3年)当時の荒砥川橋梁は、2連の鋼板桁と1基の橋脚で構成されていましたが、1947年(昭和22年)のカスリン台風で流失してしまいました。

そこで、旧国鉄から3連の桁を譲り受け、それに合わせて橋脚を3基とし、桁の足らない部分は当初の鋼板桁を再利用し現在の形になりました。

この復旧には1月半かかっています。

写真手前の高さが低い部分が再利用された鋼板桁で奥のリベットで組まれた3連部分が旧国鉄から譲り受けた桁です。



上毛電鉄のホームページでは、さらりと「1903年イギリス製」としか書かれていませんが、1903年(明治36年)当時の日本では橋桁を作る技術がまだなく海外にオーダーし完成品を輸入していたのです。

荒砥川橋梁にもそれを示すレリーフがありました。



PATENT SHAFT&AXLETREE Co Lo 1903 ENGINERS WEDNESBURY 製作した会社は戦後国有化され現在は残っていない(匝氏調べ)そうですが、英国ウェンズベリーと言う町でで作られた物です。

この3連の橋桁は保線の方々の日々の点検整備があってですが、製作されてから110年間毎日毎日列車を安全に通過させているなんてすばらしいことです。



ただ残念なのは、歴史的構造物に指定されていないと言うこととこの荒砥川にくる前にどこの鉄道の川に架けられていたかが分からないことです。

近々に上毛電鉄総務部に聞いてみます。

判明したら追記しておきます。

追記:荒砥川橋梁は国の登録有形文化財に指定されており、上毛電気鉄道大胡駅駅舎 (大胡駅電車庫、大胡駅変電所、大胡駅受電鉄塔、大胡駅避雷鉄塔、大胡駅中継鉄塔、大胡駅引留鉄塔、荒砥川橋梁)は、昨年2012年に世界遺産登録を目指す「ぐんま絹遺産」の流通部門で登録されました。 

のちにたまたま鉄鋼関係の方にお話をうかがう機会があり、片側がリベットの頭のように丸く反対側が六角ナットのものはトルク管理がしやすいトルシア型高力ボルト(ハイテンションボルト)と言い比較的新しい工法で橋梁改修の際にリベットから交換さたのだろうと言うことです。

横浜の鉄道と開港の歴史散策①~鉄道編~ 二代目横浜駅 転車台

2013年01月04日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
2013年1月3日(木)

昨年ツィッターで「横浜の汽車道を歩いてみた」と言ったところ横浜在住のお二方から「やりましょう」と声がかかりました。

汽車道は桜木町駅から横浜赤レンガ倉庫までの貨物線廃線跡を辿る全長およそ500mほどのプロムナードです。

せっかく群馬から来てくれるのだからもっと色々な横浜の鉄道と開港の歴史を見てもらいたいとのことで同行の匝氏が散策コースをプロディユースしてくだされていくつかのサプライズありの楽しい1日を過ごしてきました。

今日は、その様子の第1回目~鉄道編~です。

集合地は横浜駅です。

そして、ここが散策の出発地でもあります。



私のささやかな予備知識で昔の横浜駅が現在の桜木町駅だったことは知っていたのですが、実は現在の横浜駅の前に二代目横浜駅があったのです。

国道1号線ではくしくも箱根駅伝の私の地元群馬からの出場校上武大学の復路の応援団が場所取りを初めているすぐ先の赤レンガ作り風のマンションがかつての二代目横浜駅があった場所だそうです。

二代目横浜駅の予備知識のなかった私にはちょっとしたサプライズでした。



マンション建設の時に発掘された二代目横浜駅の遺構が残っていました。

やはり赤レンガ作りのこの場所は手荷物の預かり場だったようです。

駅が建設されてからわずか8年で関東大震災で焼失しその後忘れ去られ、復興とともに現在の地に横浜駅は移りました。



ここからは、みなとみらい21線の開通に伴い廃線になった東横線に沿って桜木町方面へ向かいます。

廃線当初は残されないだろうなどと廃線ファンの間では言われていたそうですが、隧道部分は見られなかったのでどうなのかわかりませんが、今はガード下の落書きもきれいに消され高架上を遊歩道にする整備が続いています。






架線やレールは撤去されましたが、ガーター橋は残っていました。

鉄橋ってのは今でもそうですがリベット打ちなんですね。



そしてここ現在の桜木町駅です。

ここが初代横浜駅なのですが、なぜ横浜駅が次から次へと引っ越したかと言うと本線からスイッチバックで列車が出入りするので時間がかかり不便だったため、鉄道省に関係なく軍が勝手にバイパス線路を敷いたところ、「そっちのほうが便利じゃん」ってことで駅が移って行ったそうです。



ここからは、横浜汽車道プロムナードに入ります。



この路線は、赤レンガ倉庫までの貨物線だったわけですが、二つの人工島をトラス橋で結んでいます。

当時の日本にはトラス橋を造る技術がなかったため、アメリカから出来上がったものを輸入して設置したそうです。

実はこのメンバー、興味の塊でできたようなものばかりで、トラス橋ではもっぱらリベットの打ち方に興味を持っていました。

3つのトラス橋は、1.2がアメリカ製で3がイギリス製なのですが、リベットの工法などが異なるというのです。



トラス橋越しに見るランドマークタワーもまた一つ違った趣があります。



汽車道の一部には線路も残っていますが、1989年の横浜博覧会では実際に列車を走らせたそうです。

後ろ姿は今回の案内人匝氏(左)と同行の漫画家のじゅん先生(中)です。



だいたいみなはここからまっすぐ赤レンガ倉庫方面へ向かうのですが、少し回り道をすると港を見守る女神の像や海保の北朝鮮工作船の展示館などまた違ったものが見えてきます。

そして、第2のサプライズ。

汽車道は、貨物線の情報しかなかったのですが、横浜港は海外渡航の拠点でもあったためいくつもの海外航路がありました。

その船の出港に合わせて東京駅から臨時列車が運行されたそうです。

その名残がこの横浜港駅です。

貨物ばかりと思っていた所に旅客駅があったのです。

ここを訪れる人はほとんどいませんし、私はこれをここでは初めて知りました。



ホームは昔のままのようですが上屋はなくなり、後から屋根が付けられたようです。

かつては多くの旅行者や海外移住者がこのホームに降り立ったのでしょう。


そして、赤レンガ倉庫です。

こちらは鉄道遺産とか開港とか何とか関係ないたくさんの人が正月休みを楽しんでいました。

基礎が路面より一段高くなっている様子は、往時の貨物の積み下ろしのホームだったことをうかがわせます。



ランチは、今回は参加してないのですがツイ友さんお勧めで赤レンガ倉庫3階でローストビーフをちょっと贅沢していただきました。

準備の良い匝氏がビールの無料券を3枚持参してくださったので2時間ほど歩いた後のおいしいビールでのどをうるおしました。



このみなとの見える丘公園周辺は、かつては海外から入ってきた品物や輸出される物の倉庫が立ち並んでいたところです。

多くの貨物支線が敷かれていました。

それが、関東大震災で倒壊焼失し瓦礫は港に埋められました。

2009年の公園整備の際偶然発掘されたのが転車台です。

現在の地下1mくらいの所から軌道と一緒に発掘されています。

蒸気機関車の方向を変える回転台と同じ役目を果たすものなのですが、こちらはずっと小ぶりで、倉庫間を縦横に敷き詰められた軌道の上を走る手押し台車の方向を90度変えるために使用されていたものです。

手押し台車に乗せられた貨物の中には輸出を待つ群馬県産の絹もあったようです。



この地区では、このほかにも氷川丸の係留地向かう貨物線の廃線になった高架の歩道なども歩くことができます。

貨物輸送の要が鉄道だった時代を彷彿とさせてくれます。

横浜の鉄道と開港の歴史散策②~開港編~に続く、、、

FB友達 高尾山 忘年ハイキング

2012年12月28日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
2012年12月23日(日)

FB友達高尾山忘年ハイキングに行ってきました。

参加者は、私と私の娘とそれそれのFB友達さん1名ずつです。

私は11月の連休の紅葉見物に続いて3度目の高尾山ですが、他の3名はみな初めてでした。

今回のルートは、ケーブルカー清滝駅を右に見ながら進み6号路方面と別れ稲荷山コースをたどりました。



登り始めがちょっと急登で、ちょっと不調だった私はいきなりバテバテ、脚が上がりません。

前回の6号路では何ともなかったのに、100mも歩いては止まってしまうペースでやっとのことで中間点の東屋地点に到着。



その先、木の階段など、拷問のような山道を登りヘトヘトになりながら何とか山頂到着です。

私のために、コースタイム1時間半の所を2時間もかかってしまいました。



遅く着いたおかげ?で山頂の東屋の椅子テーブルを確保することができ宴会の開始です。





乾きものと第3Beer しか持参しなかった私達と違い、Uさんがワインやソーセージ・チーズなど持参していただいたので豪華な宴会となりました。

娘どもがまた大酒飲みでUさんも驚いておりました。

山頂での宴会は大盛り上がり、2時間以上の長居をしてしまいました。

実はすごく寒かったのです。

下山は、ケーブルカーを利用するコースです。

お決まりの薬王院・たこ杉など見ながらケーブルカーへ。





途中、若者たちが何かを見つけて騒いでいるので行ってみると、これキノコです。



以前にもどここかで見たことあるのですがフクロタケの仲間ってことはわかっているのですが名前はわからず。

帰宅後、ネットでフクロタケで調べたらすぐにわかりました。

フクロツチガキ(袋土柿)です。

夕方になってやっとケーブルカーで下山です。



群馬からですと朝の6時半に家を出て、帰宅が夜の9時ころと言う長い一日なのですが、とにかく一日楽しく行ってきました。






魚沼線 新潟県鉄道廃線跡ハイキング

2012年12月01日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
12月1日(土)上電友の会バスハイキング

新潟県鉄道廃線跡ハイキング 魚沼鉄道と越後交通長岡線を歩く

今回は、上電友の会主催の第1回廃線ウォークでした。

参加者は、鉄道好きとウォーキング好きなど合わせて40名ほどです。

当初の予定では、趣旨を凝らすために古い路線バスを利用すわけでしたが、そのバスが都合が悪くなり、代替えとして普段は玉原ダム揚水式発電所の見学に使われるていますが東電があの状態なので現在休んでいた狭いトンネルを通るために車高の低い特別なバスが用意されました。



今日のルートは、西小千谷駅跡からJR上越線来迎寺駅までを歩きその先の越後交通長岡線は車窓から見学、後半は終着駅寺泊のスイッチバック周辺を歩くはずでしたが、雪が降ってしまいショートコースに変更です。



出発地点の西小千谷駅のプラットホームです。

現在は公園として整備されています。



廃線魚沼線全線でレールが残っているのはここだけのようです。



歩き始めるとすぐにコンクリート橋があります。



雪の中を軌道敷跡を歩きます。



軌道敷跡は歩道や農道などの生活道路になっていました。

途中枕木を発見。



歩き始めてまもなく雪は本降りとなってしまい、2駅目の小粟田駅跡でウォーキング中止となりました。



まだ冬とは言え早い時期の湿った雪なのでしっかり合羽を着た人たちは良いのですが、傘組はもうびしょ濡れでした。

廃線跡から県道に出てバスと合流し来迎寺駅に立ち寄りました。



来迎寺駅は、かつては上越線の急行列車が止まった活気ある駅だったそうですが、今は無人駅です。

ここから先は越後交通長岡線跡に沿ってバスを走らせ車窓から廃線跡を見るというものです。

しかし、雪のため窓が曇ってしまって外の景色はあまり良く見えませんでしたが一部の線路や築堤を見ることができました。

そして、長岡線の終点は海水浴の寺泊です。

現在は鮮魚センターなどがいっぱいですが昔の鉄道の面影は全ありません。

かろうじて、海岸に降りる道路が昔のスイッチバックだったのかな?と感じる程度でした。



個人で計画したならこんな雪の日には行かないですから、ツアーという形で参加した今日の廃線跡歩きはいい思い出になりそうです。

旧国鉄足尾線 廃線間藤駅~足尾本山駅を訪ねて

2012年11月04日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
 ここ数回廃線探訪が続いていますが、今まで歩いてきた廃線は軌道敷跡が遊歩道化されていたり駅舎が保存・復元管理されていたりと市町村などによって鉄道遺産として残された場所でした。

 今回の足尾線は、全線が全く管理はされておらず荒廃するに任せた私有地です。

 基本立ち入り禁止区域です。

 事前調査でトンネルに入ったりガーター橋を渡ったりというつわものがかなりいましたが立ち入り禁止は守らなければなりません。

 それが今回の廃線探訪のネックになりました。

 多少その立ち入り禁止を破ってますがご勘弁ください。

 わたらせ渓谷鐵道の沿線には色々な「廃」があり、数年前に廃村松木村を訪ねてからのお気に入りの地区で毎年数回は訪れて、廃村・廃墟・廃工場・廃屋・廃坑・廃校・廃線など「廃」を訪ねています。

 今回も数駅に降り立つ予定なので大間々駅で1日フリーキップを購入しました。



 旅客運転終点の間藤駅です。

 
 車止のらこちら側が廃線区間で、元々貨物線で間藤~足尾本山間の旅客運転はありませんでした。





 ここから軌道敷を歩く人もいるようですが基本立ち入り禁止ですし、事前情報でこの先の切通しに岩の崩落があるらしいので県道を歩きます。
 
 
線路は、足尾銅山社宅(廃墟)裏の切通しを過ぎて県道を渡ります。

 
 踏切の信号機も未だに残っています。

 
一時停止してゆく車もありました。



 踏切を過ぎると最初の橋梁です。


 橋梁の下を通る石の橋も現在は通行禁止です。



 ここより少し上流の本山小学校に行く橋を渡り対岸に渡ります。



 小学校付近も立ち入り禁止ですが、ちょっとのぞける場所がありました。

 

 小学校を過ぎるとすぐに最初のトンネルです。

 
トンネルには、法面を伝わって降りて行ける踏み跡があり「歩鉄」いう方々はこのトンネル内を歩くようですが、トンネル出口も崩壊がある様子です。

 
 先ほどの橋を県道に戻り数百メートル歩いてその上の橋でまた対岸に戻ります。


 渡った先には集落の集会場がありその先はやはり通行止めですが、次のトンネルの入り口を見ることができます。
 

 トネルの入り口には信号機が残っていました。


 その先には、終点足尾本山駅のある工場も見えます。

 

 トンネル手前の橋梁は近くで見ることができました。



 ここから足尾本山駅近くまでは林道に沿って進むことができるのですが、ここもやはり進入禁止、しかたなくまた橋を渡って県道に戻ります。


 そしてもう一度上流の古河橋、リベットで組まれた古い橋は通行禁止ですが、を渡りなおして足尾本山駅に近づきます。

 

 足尾本山駅は、この橋梁を渡ったすぐ先です。


 この橋梁の上に通じる林道も立ち入り禁止なのですが、さすがにここだけは上に上がらないと足尾本山駅を見ることができません。

 柵を越えて林道に入り出川橋梁の上に立ちました。


 足尾本山駅です。

 

 この橋梁を渡って門扉まで行く人がいるようですが、立ち入り禁止なのですからそれはやめましょう。


 往時には、蒸気機関が精錬所の製品を運んでいました。



 往時の写真は帰りに立ち寄った国登録有形文化財旧花輪小学校の国鉄足尾線コーナーに展示されていたものです。

 

 この木造の小学校も今は資料館で通う小学生はいません。

 
 
 

 

上武鉄道ニッケル線 廃線跡を歩く

2012年10月27日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
上武鉄道ニッケル線 日丹線とも熊谷線とも呼ばれており、当初は西武化学へ物資を運ぶ貨物線として1941年に開業1986年に廃止となりました。

全線6.1kmの半分以上が遊歩道と生活道路として残されており辿るのは容易です。

JR八高線の丹荘駅が始点です。

上武鉄道の丹荘駅は、このJR丹荘駅の北側にありました。



駅跡は、今でもよく整備されておりきれいな空き地になっていました。



JR駅の北側に回り先ほど陸橋から見た駅跡空き地に入ると、ぽつんと置き忘れられたようにこんなものがありました。



ここから廃線跡歩きは出発するのですが、軌道敷跡は左に大きくカーブを描いた生活道路として残っていました。



その道路をおよそ500~600m進むと遊歩道になります。

遊歩道には、途中小さな公園やベンチなどが備えられていてご近所の方々の散歩コースのようでした。



そして、歩くこと約30分、最初の駅の神川中学校前に着きます。

ホームがやたらと短いのですが、当時は気動車1両の旅客運転だったようです。



この先、遊歩道は隣接の住民の方々の車も入れるようになっていますが、一台も車には出合いませんでした。

その先、一旦遊歩道は終わり一般道路になります。

二つ目の駅、あおやぎは残っていませんでしたが、その辺りに「青柳古墳群」ありました。



さらに軌道敷跡は、のどかな田園風景の中を進みます。



軌道敷跡は再び遊歩道に、ここは土盛りされた上を歩きます。



途中、二つのコンクリートの橋がありますが、法面を降りて見ることができます。



1時間ほど歩いたところに三つ目の駅、寄島駅の跡があります。

こちらはホームの上に上がることができます。



切通しのような場所を抜けたその先に唯一レールの残る踏み切り跡がありました。

遊歩道は、このすぐ先で終わっています。



そこは、ちょうど神流川の支流が入っている場所で鉄橋の跡を見ることができます。



ここから先は、軌道敷跡が私有地に入ってしまうため進むことができません。

終点のせいぶかがくまえ駅の手前にもう一つの鉄橋の跡がありますが、ここも私有地のようで近くで見ることができませんでした。



帰りもまた6km近くを歩くのも大変なので路線バスを利用しましたが、1時間に1本しかないので時間の都合もあり終点西武化学まで行くことはできませんでしたが、いずれにしてもこの先は立ち入ることができないので仕方ありません。



丹荘駅から新宿バス停まで行きがおよそ1時間半、帰りは路線バスで15分ほどでした。

廃線跡歩きは、道がとてもよく整備されていてほとんど迷わずに行くことができました。

途中、散歩をする方や農作業をする方々も気軽に「こんにちは」と声をかけてくれて楽しい廃線歩きでした。

旧国鉄長野原線 盲腸線太子線を訪ねて

2012年10月07日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
10月7日(日) 旧国鉄長野原線 盲腸線太子線

ほったらかしブログ更新です。

最近テレビで配線を歩く番組などが紹介されてちょっと配線鉄路に興味が出てきました。

群馬県内で廃線路を整備して遊歩道にしている「アプトの道」は人気があり、私も歩いてみたことがあります。

今日は旧国鉄長野原線の盲腸線、太子線を探訪してみました。

現在の長野原駅から野反湖方面へ向かうとまもなく、この廃線の最大の遺構白砂川橋梁が左手に見えます。



この線は元々鉄鉱山の鉱石を運ぶ貨物線として敷設されましたが、その後、旅客運行も行っていましたが、鉱山の閉鎖や旧六合村の人口減少などで昭和46年に廃線になりました。

橋梁を渡ると、白砂川に沿っていくつかのトンネルを抜け太子に向かいます。



途中、いくつかのトンネルがあるのですが、これが現存する最後のトンネルです。



生活道路になっていたようですが、現在トンネルは通行止めになっています。



石垣は当時の名残でしょうか?

軌道敷跡は現在生活道路に利用されています。



これは、終着駅太子駅手前のシェルターです。

入口はトンネルになっていたようですが、今回確認できませんでした。



そして、終着駅太子駅です。

駅舎やホームも残されていませんが、なぜかトイレだけは残され綺麗に清掃されていました。

かつて駅舎のあったあたりとトイレは、地元の有志によって小公園として整備されているとのことです。


映画「カフーをまちわびて」ロケ駅を訪ねて(1)

2012年07月18日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
7月15~16日、小旅行をしてきました。

 目的のひとつは、海を見ること。もう一つは、数ヶ月前、なんとなくテレビで見た映画「カフーをまちわびて」のラストシーンで熊田鉄道津四駅として出てくる駅を見にゆくことです。

田園の中を気動車が走る風景に何かとても気を引かれ一度行ってみ​たいと思いつつ、、、

何度か計画したのですがうまく時間が取れずに数ヶ月、この3連休を利用してやっと中根駅に降り立つことができました。

周りに何もない駅です。


15日(日)早朝に上毛電鉄大胡駅~西桐生駅=JR桐生駅~小山駅~水戸駅~勝田駅と乗り継いで、ひたちなか海浜鉄道勝田駅へとやってきました。



JRにホームを借りている私鉄ではよく見る風景、プレハブの役務室。

ここで1日フリー切符800円を買いました。



そして、ホームに入ってきた気動車は1両運転のアニマル柄の気動車でした。

気動車に時折乗りに行くのは、子供の頃両毛線と小海線で体感した加速時のあのエンジン音と振動と排気の匂いが好きだからです。

乗客はまばら、楽々とエンジンの上辺り、排気筒の横に座ることができました。



かつては東京から直通の海水浴列車が運行されたという7両編成にプラットフォームが対応した阿字ヶ浦駅です。



すでに海開きされてるというのに閑散としていて降りる人もほんの数人、皆海に向かうでもなく折り返しの発車を待つ鉄道に乗りに来た人たちのようです。

阿字ヶ浦駅から400mほど歩くと海に出ます。



海にもあまり人はいませんでした。

昨年の震災で津波の被害や鉄道も被害を受けていて、復旧はしているものの、1年以上経過しているのに寂しい風景でした。

この日は梅雨明け前日の非常に蒸し暑い日でした。

駅から海まで歩くだけで汗だくでしたが、なんと好都合すぎる!海辺に日帰り温泉があるのです。



波の音を聞いたあと、早速温泉に入り、全く休みが取れなかった怒涛のような6月を洗い流し、ビール!



6月頑張った自分への褒美、豪華刺し盛り1人前1600円なり。

目光の唐揚げで生中3杯も飲んでしまいました。

海も見たし、温泉も入ったし、うまい刺身も食ったし、リフレッシュ&リセットが完了し、いよいよ帰り道は次の目的地、ロケ駅です。