そー言や土日は連日大館へ行って来ました。
土曜日は、午前中久々に元気の無い小僧2人を連れて神のところへ参拝してきました(ナムナム)。闘魂注入して頂き、ありがとうございました。そんでもって午後から、NASTCがアマチュアクラブからプロクラブへ移行していくための方法を模索すべく、大館の講演会へ出席秋田ノーザンハピネッツの水野社長のお話を聞きに行って来ました。
講演の様子!
一般向けに分かりやすくノーザンハピネッツの活動や立ち上げまでの苦労話、現在のチーム状況などをお話してましたが、私のような隠れファン(?)からしたら、もっと中村和雄監督や長谷川誠の熱っ苦しいエピソードや、菊地はもうちょい痩せて欲しいだの、ディープな話を期待してただけに、後半は…(すみません)。まぁ、実際体育館に足を運んで見たこと無いんで(毎回です)、今後試合会場に足を踏み入れたらクレームの一つや二つ言ってみたいと思います(うっそで~す)。昨年はチャンスがありませんでしたが、今年は是非ジュニアが休みの時に見に行きたいと思います。その時は恥ずかしがらずに『ゴーゴーハピネッツ』って声張って来たいと思います。
そんでもって日曜日、仕事の関係で再び大館に行ったんですが、その合間に南外カップのNASTC&R-35の必勝祈願をしてきました
突然ですが、みなさんは日本の戦国武将で誰のファンですか?
その質問で、かならずと言って上位にランキングされる人物の中に真田十勇士でおなじみの「真田幸村」がいます(たぶん)。歴史上、彼は天才戦略家で勇敢な武将でした。実は真田幸村の墓が大館にありますはぁ、何言ってまんねんなっておっしゃるかもしれません。大阪夏の陣で豊臣方として最後まで戦った幸村は、徳川家康の陣に攻め込み亡くなったってのが通説ですが、その時生き延びたという伝説があるのです
幸村は大阪夏の陣で死んでいなかった鹿児島でこんなわらべ歌があるそうです。「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり鹿児島へ」。以前、歴史ミステリー的なテレビ番組で見たお話です。その番組では、鹿児島に落ち延びてその後亡くなったという話だったと思います。しかし、今回の伝説では、鹿児島から放浪の旅に出たという事になっています。江戸幕府が出来て、鹿児島(薩摩)の島津家は徳川家の政治的な圧力に翻弄され、そこで身を隠し辛くなった幸村は一緒に逃げてきた息子の大助と共に鹿児島から離れざるをえなかったのかもしれません。その後、幸村の四女御田姫の嫁ぎ先の実家佐竹家へ!佐竹家もまた、関が原で豊臣方に付き、茨城から秋田へと国替えさせられた藩!!そこで、当事メジャーだった秋田市や御田姫の墓のある亀田ではなく、幕府からは目の付きづらい大館に住み、最終的に75歳で亡くなったと伝えられているそうです。
本当かどうかはさておき、幸村の墓が存在する以上、本物と思って今回の南外カップ必勝祈願をしてきました。どうか、幸村のように勇猛果敢なプレーを期待してます。
真田幸村と大助の墓
土曜日は、午前中久々に元気の無い小僧2人を連れて神のところへ参拝してきました(ナムナム)。闘魂注入して頂き、ありがとうございました。そんでもって午後から、NASTCがアマチュアクラブからプロクラブへ移行していくための方法を模索すべく、大館の講演会へ出席秋田ノーザンハピネッツの水野社長のお話を聞きに行って来ました。
講演の様子!
一般向けに分かりやすくノーザンハピネッツの活動や立ち上げまでの苦労話、現在のチーム状況などをお話してましたが、私のような隠れファン(?)からしたら、もっと中村和雄監督や長谷川誠の熱っ苦しいエピソードや、菊地はもうちょい痩せて欲しいだの、ディープな話を期待してただけに、後半は…(すみません)。まぁ、実際体育館に足を運んで見たこと無いんで(毎回です)、今後試合会場に足を踏み入れたらクレームの一つや二つ言ってみたいと思います(うっそで~す)。昨年はチャンスがありませんでしたが、今年は是非ジュニアが休みの時に見に行きたいと思います。その時は恥ずかしがらずに『ゴーゴーハピネッツ』って声張って来たいと思います。
そんでもって日曜日、仕事の関係で再び大館に行ったんですが、その合間に南外カップのNASTC&R-35の必勝祈願をしてきました
突然ですが、みなさんは日本の戦国武将で誰のファンですか?
その質問で、かならずと言って上位にランキングされる人物の中に真田十勇士でおなじみの「真田幸村」がいます(たぶん)。歴史上、彼は天才戦略家で勇敢な武将でした。実は真田幸村の墓が大館にありますはぁ、何言ってまんねんなっておっしゃるかもしれません。大阪夏の陣で豊臣方として最後まで戦った幸村は、徳川家康の陣に攻め込み亡くなったってのが通説ですが、その時生き延びたという伝説があるのです
幸村は大阪夏の陣で死んでいなかった鹿児島でこんなわらべ歌があるそうです。「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり鹿児島へ」。以前、歴史ミステリー的なテレビ番組で見たお話です。その番組では、鹿児島に落ち延びてその後亡くなったという話だったと思います。しかし、今回の伝説では、鹿児島から放浪の旅に出たという事になっています。江戸幕府が出来て、鹿児島(薩摩)の島津家は徳川家の政治的な圧力に翻弄され、そこで身を隠し辛くなった幸村は一緒に逃げてきた息子の大助と共に鹿児島から離れざるをえなかったのかもしれません。その後、幸村の四女御田姫の嫁ぎ先の実家佐竹家へ!佐竹家もまた、関が原で豊臣方に付き、茨城から秋田へと国替えさせられた藩!!そこで、当事メジャーだった秋田市や御田姫の墓のある亀田ではなく、幕府からは目の付きづらい大館に住み、最終的に75歳で亡くなったと伝えられているそうです。
本当かどうかはさておき、幸村の墓が存在する以上、本物と思って今回の南外カップ必勝祈願をしてきました。どうか、幸村のように勇猛果敢なプレーを期待してます。
真田幸村と大助の墓