__ このブログでも頻出する、
伊勢白山道リーマンさんは私の大恩人である。10代より30年間も精神世界に彷徨して、試行錯誤を繰り返してきた私に、オカルティストとしての生くべき道筋を照らしてくださった御方である。
満腔の感謝を捧げる、いまもご存命の男性である。
彼のブログ『伊勢-白山 道』によれば、
彼の年齢は、発言から推定すると、昭和38年生まれのアラ還暦の新人類世代である。(私も同世代で、たぶん先輩である)
現在、ブログ『伊勢-白山 道』は、毎日5〜10万人くらいは訪れており、gooブログランキングや人気ブログランキング、FC2スピリチュアルランキングはずっと継続して一位を維持しつづけている。
まー、少なからぬ影響を日本に与えているのである。
だからこそ、
彼の記事によって、間違った日本語が流布している現状を大いに危惧している。
リーマンさんご自身には、私の投稿を通して50回じゃきかないな、100回以上にわたって……
「この日本語はおかしいですよ」と、識者のエビデンス(データ)を添えてクレームを入れている。
即座に直したものもあれば、そーでないものもある。
思い出深いのは
リーマンさんが「生きれる」と書いた時だ。
勿論、正しい言葉は「生きられる」である。
新人類の初老近い男(2008年当時)が、こともあろうに、
人生の「生きる」という厳粛な言葉について、
「生きれる」などと、最近の若僧のつかっている言葉を書いたのだ。
わたしは冷静に反駁しました。
言霊を大切にする神道家として
「生きれる=いきれる=息切れる」とも耳に響く言葉(音霊)を不用意に使うのかと。
その時は、即座に書き改めて「生きられる」と表記して、それ以降「生きられる」と書くようになりました。
そーした経緯もあり、リーマンさんに語学力が欠けていることがはっきりと判りました。
信じられますか? 聖者のレベルにあると目されている人物がまともな文章を書けないのですよ。
近代にあらわれた聖者たち、
グルジェフにしても、学者でもあるルドルフ・シュタイナーや一流作家でもあるアレイスター・クロウリーは勿論のこと、
聖ラマナ・マハリシでも、煙草屋のオヤジだった無学のニサルガダッタ・マハラジにしても、
いやしくも真理の言葉を伝える者は皆、
文章に、おかしな自己主張するようなクセは見られません。
ところが、伊勢白山道リーマンさんは違うのです。
変なクセがあって、読みにくい悪文を書きます。
釈尊や聖ラマナを対等に評論し、自分の前世はゾロアスター、老子や阿難尊者だと告白しているリーマンさんが、
なんでこんなお粗末な文章を書くのか、
またなんでこんな文章しか書けないのか、ずっと不思議に思っていました。
たとえば、菩薩には「後得智」(悟った後に身につける智)
とよばれるものがあります。
菩薩位にあるものは、なんでも知っている菩薩として生まれつくのではなく、菩薩としての能力を備えて自分が生まれついた後に、
コノ世のしきたりや知識を一般人と同じように努力して身につけるというものです。
リーマンさんにあてはめれば、最初から何でも知っている聖なる者として生まれるのではなく、
生まれてから一般人と同じように学校に通い勉強しながら、
コノ世の知恵(後得智)を身につけるということになります。
つまり、リーマンさんがこれだけおかしな日本語を書くということは、
学生時代に「国語」を勉強しなかったということです。
たしかに、彼は霊視で一瞥(べつ)するだけで本の内容を観ることができるから、読書は滅多にしないと言っていました。
この、「読書しない」ということは、国語の学習において致命的な過ちなのです。
「読書百遍、意自ずから通ず」という諺も
ありますし、日本語のリズムに身体ごと親しむ意味はあるのかも知れません。
読書しないことが、リーマンさんのおかしな日本語の根本原因であるようです。
ここからは、実例を添えて、具体的に指摘して行きましょう。
リーマンさんの文章は、いろいろな面で拙い文章ではありますが、
特に二つの点が誤っているのです。
❶ 助詞の使い方がおかしい。
❷ 主語・述語・目的語といった文型上の問題であるが、
目的語を文頭におく傾向がつよく、文型の語順がデタラメである。
❶助詞の悪例から、
リーマンさん> そして、気に鳴りますことは、最近に富士山の上空で、赤龍が撮影されています。
リーマンさん> 最近に多いのは、結婚年数が浅い段階でローンを組むと、
もし離婚になった場合が揉めます。
リーマンさん> 東京大学卒の才女らしい意見に思います。
[※ 後述するが、リーマンさんのは「だ抜き言葉」とも違うのだ。
「…… だと思います」➡︎「…… に思います」「…… を思います」
おそらく、前例がないと思う]
リーマンさん> このような報道が出ることが、「予告」だと謙虚に受け止めるべきに感じます。
リーマンさん> 改めて大阪は、恵比寿(エビス)という福の女神に愛されている土地に感じます。
リーマンさん> よく洗浄したお米を、出来るだけ長時間も水に浸けてから、新しいお水で炊く。
リーマンさん> 御米が不足している状況ならば、古米を新米だと偽装して販売している可能性も、注意が必要に思います。
リーマンさん> つまり、富士山の周辺が揺れだせば、関東での地震に注意を思いますが、
リーマンさん> これを停電状態でも出来ますように、管理運用の確認と、避難訓練が大切に思います。
リーマンさん> 日本は、嫌なことには目を閉じる傾向を思います。
リーマンさん> この半額の誘導期間以外でも、新幹線に乗らなければ生けない人は多数もおられます。
リーマンさん> 今日は心配なニュースを複数も見ました。
拙稿>
大祓詞が大事、
言霊が大事、
話し言葉も書き言葉も大事。
日本を護ることは、日本語を守ること。
で、「だ抜き言葉」はどうなの?
・「大切であると思います」 ➡︎⭕️
・「大切だと思います」 ➡︎⭕️
・「大切と思います」 ➡︎❌
> 「大切と思います」を「だ抜き言葉」と言います。
「ら抜き言葉」と同様に、文法規範から逸脱した言い方です。
話し言葉では許容されても、書き言葉では避けたほうが良いでしょう。
(Yahoo!知恵袋)> 「に」が表すのは、時計やカレンダーで特定できる時間であり、今との関連で決まる時間は表せないからです。
例えば、 ⭕️「4月20日に行きます」とは言えますが、
❌「明日に行きます」
❌「昨日に行きました」とは言えません。
「最近」も「今」と関連して決まる時間なので使えないのです。 その他に、”今以外の『ある時』で決まる時間”、”一定の幅のある時間にも使えます。
⭕️「昭和の日の翌日に行く」
⭕️「来年の春に行く」
❌「最近に」
❌「最近には」
⭕️「最近になって」
①「い抜き」言葉(「ている」の「い」を抜いた言葉)
ex. 「 書いてます」 ➡︎⭕️書いています
②「さ入れ」言葉(5段活用動詞の使役形に「さ」を入れた言葉)
ex. 「書かさせていただきます」 ➡︎⭕️書かせていただきます。
③「れ足す」言葉(5段活用の可能動詞に「れ」を足した言葉
ex. 「書けれる」 ➡︎⭕️書ける
④「を入れ」言葉(無用な「を」を入れる言い回し)
ex. 民主党の代表を辞めることを決意《を》致しました。➡︎⭕️決意致しました
※ 引用文献 ▼
「だ抜きことば」? | ことば(放送用語) - 最近気になる放送用語 | NHK放送文化研究所
❷の、文型の語順がデタラメ
リーマンさん> 特に、災害が発生した際に、時間経過に応じてどのような行動をとるべきかを事前に考えて決めておく、防災行動計画を「タイムライン」は本来は指すとされていたことが意外でした。
…… 「…… に考えて決めておく、「タイムライン」とは本来はそういう防災行動計画を指していたことが意外でした」でしょ。
リーマンさん> 企業側には、動画CMのほうがメリットが多い時代に、今年からは切り替る時代にも感じます。
…… 「今年からはメリットが多い時代に切り替わる」でしょ。
リーマンさん> 「何でも自由自在に彼を出来る」
…… 「彼を何でも自由自在に出来る」でしょ。
リーマンさん> 御米を炊けば、強い加熱が当然にされます。
…… 「御米を炊けば、当然強く加熱されます」でしょ。
リーマンさん> ただ、そういう人には、不干渉で離れることに、守護霊が強い人は自然となります。
…… 「そういう守護霊が強い人は自然と、不干渉でいることによって離れることになります」でしょ。
リーマンさん>事前に知ることで避けることが、縁ある人は可能とのことです。
…… 「縁ある人は、事前に知ることで避けることが可能だとのことです」でしょ。
__ リーマンさんが使っているだけでも迷惑な「リーマン語」なのだが、ブログ『伊勢-白山 道』は開設以来18年も経っているものだから、追い追い(物を知らない)読者もリーマンさんの口調(つまり文体)を真似はじめる。
「おだやかなお正月を迎えられて、先祖に感謝です。」
「この間は返答してくださって、ありがとう御座位ます。」
「八幡宮のお札は最近にいただきました。」
「久しぶりに◯のある肺が違和感です。」
まー、こーゆー変な日本語のオンパレードとなるわけです。
わたしは、リーマンさんと同時代を生きている先輩として、
リーマンさんによる日本語の乱れを指摘して、強く改善を求める責任があるように感じました。
年下の者は面と向かって言えないからです。
ましてや、霊能相談で観てもらってアドバイスをもらっている御恩がありますし、一般人は力のあるものに靡くものです。(私は個人的な「霊能身の上相談」にはのってもらっていない)
いちおう、ご自分で言っている限りでは大学(医学系か?)を出ているらしい。大卒ならレポートやら卒論やらで、おそろしい分量の文章を書かなければならなかったはずだ。
馬鹿でも書いているうちに、改善され上手くなってゆくものである。それが、いまだにこの低レベルの作文を書いているようじゃあ、ほんとうは日本人じゃないんじゃないかという疑惑さえも芽生えてくる。
年少期を外国で過ごしてから、日本に移住した在日ならば充分にあり得る。
そーではないことを切に願っているが、そー思わせるような日本語の言語感覚であるのは確かである。
大変失礼なことを申しました。日本という地に住まい、日本の風土に帰順して、立派な日本人となっておられる在日外国人の方々は沢山おられます。在日という事実が責められるべきことではないのです。
もし、ちゃんとした日本語が使えないのなら、日々修得に励んでもらいたいだけです。日本語脳🧠とは日本語を正しく使うことで養成されるからです。
リーマンさんの場合は、御自ら「言霊」に厳しい御仁なので、ことさら腑に落ちないのです。
言霊の幸う国で、この体たらくはないんじゃないか。
リーマンさんには猛省をうながしているが、
あれでなかなかアカデミックな事柄には頑固に抵抗するクセがある。
神使としての誇り(驕り?)か、神の特権なのか?
そもそも読書しないから、アカデミックな見解を知らないのだ。(仏教を語るときにも、「大蔵経によれば」とか、道元を「曹洞宗の開祖」といったりして、仏教史をまるで知らないのだ)
でもそれ、世間的には通用しませんよ。
世間の定説といわれるものは残らず知っておく必要があるのだ。(反対するには、詳しく知っておくことが不可欠である、リーマンさんは記事にする前にもっと下準備が必要である、勉強不足だ)
わたしは、「霊視はエビデンスにならない」とつねづね心に言い聞かせている。
狂信者は、社会のアウトサイダーなのだ。
良き社会人でもあらねばならない。
伊勢白山道は、そのへんのバランスが取れていないように思った。
だって、自殺志願者に、「自殺すると、生前の10倍の苦しみが待っている」と言っても、もしその霊視を信じられなければ無意味なのだ。
まことに残念なことだが、
霊能者の「霊視」と、議論における「価値観のおしつけ」とは、コノ世の社会では同じ意味である。
霊視を信じない人に向かって、自分の霊視したことが真実だと幾ら訴えたところで、馬の耳に念仏である。
リーマンさんが、ご自身の神能を疑わないのは頷けるが、リーマンさんを信じない庶民に押しつけることは出来ないのだ。
釈尊や孔子が、奇異(ミラクル)をつかわずに、あるいは論ぜずに、生き方を説いたことは傾聴に値する。
かれらは、自分しか観えないものについては、その霊能を根拠にして、ものごとの摂理を語ったりしなかった。
いまのリーマンさんは、これとは違う。
リーマンさんのエビデンスを示す者が誰かいるわけでもない。
いくら未曾有の神能をおもちでも、疑う者にはそれは権威にはならない。つまり、従えないのだ。
まー、もっとおおらかに、全世界を包容する勢いで説いてもらいたい。
ことば使いにこだわったり、頑なにあらためない姿勢から感じることは、リーマンさんってそれほど賢くないんじゃないかという正直な疑問である。
(だって、リーマンさんの写真集を拝見する限り、この人は無我で撮っているのが伝わってくるのに、書く文章の方はなんでこんなにも我が強く入っているの?と真から不思議に思うもの)
全部全方位みえるのなら、なんでそんなに余裕がないのかな?(量子力学が発動するためには、リーマンさん個人への帰依が絶対必要なものだからか?)
すこしでも自分を否定する者は、遠ざけなければならないものなのか?(量子力学のベクトルを、一つの方向に集注させるためかな?)
なんで、なんでも出来そうなものなのに、
日本語の文章が下手で、和歌も詠めないのかな?
そもそもその学力のなさはどこから来るのだろうか?
(ブログ開設初期には、物凄い博学の手練れが押し寄せていたものだが、最近は高学歴の輩は来ていないようだ。文章の格がレベルダウンしている。おそらく、真のインテリはリーマンさんの文章は読まないのではないかと思う。文章でもって、知性の質は推し量れる。論理性に乏しいシャーマンみたいな文章では、社会的な信用は得られないよ。)
いつか記事でキチンと説明してもらいたいものだな。
リーマンさんがずっと先を行っているのなら、いまの世に合わせて知性の質を下げられるはずである。
それなのに、いまの世界の日本語すら修得できないのは、何故なのだ?
これは、笑い事では済まされない。
__ 最後に、リーマンさんや私の世代(新人類)のほぼ10歳下の「団塊ジュニア世代」の犯した日本語破壊行為を振り返りましょうか。
❌「注文の方、よろしかったでしょうか?」
(過去形で言っているのが✖️)
➡︎「ご注文は、これでよろしいでしょうか?」
❌「どちらにいたしますか?」
(お客様に「いたす」という謙譲語を使っているのが✖️)
➡︎「どちらになさいますか?」
❌「お待ちいただく形になります」
(形のない「現在の状況」を形と言い表しているのが✖️)
➡︎ ex. 「ただ今満席でございます。申し訳ございませんが、30分ほどお待ちいただく事になりますが、よろしいでしょうか?」
…… こーした慇懃無礼で、距離をとった表現(距離が近づくと怖いそうだ)が我が物顔で闊歩していた時代は、
飲食店に勤める「団塊ジュニア」が30代くらいで、現場のリーダーをしていた頃にあたるんだよね。で、一歩踏み込んで考えると、そーした馬鹿げたお客様対応をするためのマニュアルが作られたはずだよね。
そーした基本マニュアルを認定するのは、当時40代の課長世代だった新人類世代ではなかったのだろうか?
団塊ジュニアと組んで、GOサインを出したのが新人類世代でないことを祈る。
リーマンさんの、言葉に対する無頓着さを見ていると……
団塊ジュニアを助長したのも、同世代の無責任な者どもではなかったかと、疑ってしまう。
「注文の方」と「方」と使って曖昧表現にして断定をこわがった「団塊ジュニア」はしかし、対面のお客さん接待は実際にしているわけだ。
が、その子供世代になると、もはや電話で会話するのですら怖くて、メールの「。(句点)」も怖いと来ている。
退職代行に依頼して、面と向かって「辞職」することも避けるようになる。
こわいのは、ほんとうに他人の人間なんだよね。
だけど、怖いから自分の安全のために近づいてゆくもんだと思うんだけど。
殴り合いのケンカもやったことのない、無機質なつきあいしかできない輩は、戦場を生き延びることはできない。
人間は、いつ牙むくか分からないものだよ。
「自分の身は自分で守れ」が身についているのは、『宇宙戦艦ヤマト』世代の新人類あたりまでかも知れないね。ヤマトは、地球のみんなの為(他者のため)に戦うのよ。
でもその下の団塊ジュニアの『機動戦士ガンダム』は、自分を守るためにさえ戦わない。戦いたくない世代なので、あんな持って回った接待コトバを考えついたんだと思う。
すべては恐れから、来ているね。同情の余地はあるかも知れん。
その点、リーマンさんの言葉破壊には、人間的な情状酌量の余地はないようだね。
読書しない霊能者が、書物の文章の歴史に敬意をはらわずに、
自分勝手に、じぶんに都合よく改変を加えたというところだろうか。
「最近に」の「に」なんかは、言霊の観点から加えられているのか、一度問い正したくもなるね。
でも、リーマンさんの文章を音読してみたら、「足らわず(不足、欠損)」なのが即座にわかる。
音読に堪え得ない文章は、未だ達していないのだ。
どうせなら、英語で書けばいいじゃんね。誰か日本語に翻訳して記事にしたらいいんじゃない。
散文は詩情に欠ける分、構造的に分かりやすく組み立てられていなければいけません。リーマンさんは、韻文も散文も両方苦手なんですね。
_________玉の海風
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