『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

 シンプルな極意〜  「しないこと」 

2021-09-15 14:42:07 | 小覚

__メジャーリーグの大谷選手は、外でのフリー・バッティングをしなくなった

外で打つと、「もっと遠くへ」と飛ばしたくなって力みが出るからだと云ふ

同じよーに、投球練習も「投げ込み」をしなくなった

監督から「練習のし過ぎ」を戒められているのもあろーが……    大谷選手は練習では100%に持っていかないで、本番で100%のパフォーマンスが出来るよーにしている

この「しないこと」には、単に「練習をしない」ことに留まらない、幾つもの次元が錯綜するが、ここに奥秘があるよーに思えてならない

 

 

その一方で、過剰に「する」とゆー方法論もある

ミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄 は、打撃スランプのときに、ただ只管にバットを振り続けたそーだ

もー疲れ切って、バットを持つのさえ辛い状況に追い込まれる

そーした時の、力みの脱けた一振りに、彼の懐く「会心の一振り」が顕われて、その感触を覚え込むとか聞いた

これなんか、剣術の一刀流に伝わる奥義「夢想剣」と同じ消息なんじゃないか

天覧兜割りを成した榊原鍵吉の後継者で、名著『日本剣道史』を著した、直心影流の山田次朗吉は、当時一橋大学生だった大森曹玄老師に教えを垂れて…… 

延々と木刀を振らせ、意識は朦朧として、もはや振り上げるのも敵わないほど衰弱しきったのちに、スゥーと無心に繰り出した大森氏の一振りをみて、「それが夢想剣じゃよ」と仰ったそーだ

剣にしろバットにしろ、シンプルな自然な素振りは、何かを新たに付け足すことよりも、無駄を削ぎ落とすべく「しないこと」によって確立されるよーな印象をうけた

 

さて、ここでメキシコのヤキ・インディアンを名乗る年老いた賢者、類まれな「見る人」の語る世界描写に耳を傾けてみよー

彼の「見ること」は、仏教的にいえば「観る」に相似た、霊視の如き側面もある、度外れた神秘観である

その、メキシコ・トルテックのブルホ(呪術師) ドン・ファン・マトゥス を紹介した、文化人類学者の カルロス・カスタネダ の著作からその辺の消息を窺ってみよー

こんな決定的な言及があるからだ

人は一度あるレベルの自分の力を得れば、運動とかどんな種類の訓練も不必用になる。

なぜなら完全無欠の形をとるのに必要なことは 「しないこと」 をするだけなのだから。

 

‥‥ いわゆる先進国に暮らす吾々が、つねに浴びせかけられている膨大な情報量、われ知らずに「洗脳」みたいな指向性のある意識操作も受けているかも知れない

そんななかで、しなくてもいいことを選別するのは、あるいは「しないこと」を選択するのは、思うほどカンタンでもないよーだ

先述のドン・ファンが、家庭生活と学校生活そして卒業してからの社会生活について、いかなる所見を抱いているものか、先ず聞いてみよー

 

> 子どもと接するおとなはみな、

たえまなく世界を描写する教師であり、

その子が描写されたとおりに世界を知覚できるようになるまで、その役目を果たしつづける。

…… わたしたちがその驚くべき瞬間を覚えていないのは、ただ それと比較すべき対象がなにもないからなのだ。

…… 子どもは、その瞬間から【メンバー】になる。

その子は、世界の描写を知っている。

 

> 世界が世界であるのは、それを世界に仕立て上げる仕方 「すること」を知っとるからなんだ。

「すること」が、おまえにその小石と大きな石を分けさせるんだ。

戦士はいつも 「すること」 を 「しないこと」 に変えて、「すること」の作用に影響を与えようとするのさ。

世界は感覚だ。

 

> あらゆるものに それ以上のものがある。

世界は使われるためにある。

わしらが毎日見とる世界は たんなる描写にすぎん。

 

[ カルロス・カスタネダ 『イクストランへの旅』 真崎義博訳 より引用]

 

 

 

‥‥ つまり、人間社会とゆーものが吾々に強要する「ある見方」を覚えこむことが、取りもなおさず「教育」と云われるもの なのだろー

社会制度を成り立たせる「共通認識」と、われわれの本能に基づく「人間本来の生き方」との間に齟齬があるから…… 

社会VS反体制(=個人の自由)の構図のなかで、わたし達は明確に線引きして同じ土俵に上げなかった、曰く「社会常識」と「個人の悟り」

 

ートルテックの「見る者」ドン・ファンは云ふ

>あそこにある、あの岩が岩であるのは 「する」 からだ。

見つめることは 「する」 ことだが、

〔トルテックの〕見ること 、それは 「しない」 ことなんだ。

あの岩が岩であるのは、

おまえがやり方を知っとるすべてのことのせいだ。

わしが 「する」 ことと言っとるのは、そのことだ。

たとえば、知者なら岩が岩なのは、「する」 ことのためだってことを知っとるから、岩に岩であってほしくないときは、

ただ しなければいいのさ。

世界が世界であるのは、それを世界に仕立て上げる仕方、「する」 ことを知っとるからなんだ。

世界を止めるためには、

「する」 ことをやめにゃいかん。

 

>日常的な世界が存在するのは、わたしたちがそのイメージの保ち方を知っているからで、

逆にもしそのイメージを保つのに必要な注意力をなくしてしまえば、世界は崩壊する。

[※  引用同上書より、上記文中〔〕内は私挿入]

 

‥‥ この「すること」を止める、「しないこと」にとどまるのは、あたかもヒンドゥー・アドヴァイタの道における 「概念(観念)化を止める」 消息と酷似していよー

つまり自我を脱して、本来の真我に還るとゆーことになるか

無としてあることで、私はすべてなのだ。

> 探すということ自体が見つけるということを妨げるのだ。

> 真我は近くにあり、それへの道は易しいものだ。あなたがすべきことは、ただ何もしないということだけだ。

[※  ニサルガダッタ・マハラジ 『 I AM THAT 〜私は在る』 より]

 

 

わたし達は、コミュニケーションに便利なコトバとゆーものに宿命的に縛られている、

つまり 言葉=観念 にがんじがらめにされている

言葉の生まれる以前に立ち還らないと、「しないこと」が意識できない

大谷選手と同じで、「練習しすぎ」ならぬ「概念化しすぎ」で固定化された認識しか持てないのは、生きる上で致命的な欠陥となろー

マルティン・ハイデッガーは「決めない(決定しない)ことにも勇気が要る」と云ったが…… 

白黒つけたり、新しい専門用語を産み出して区別分類したりして、やれ学問だ科学だと言っているうちに…… 

次々と概念を足していって、複雑系におちいり、にわかに収拾がつかなくなる

老子じゃないが、減らしてゆく処に真実に近づく道がある

その点で、「数学」は抜きん出ていて、グルジェフの云ふ「客観科学」と言えるかも知れない

量子力学においても、観照者の有無が影響を及ぼすのだから、「しないこと」も当然関わりがあろー

 

おそらく、ずば抜けた達人やアスリートは、この「しないこと」に目覚めている人なのだろー

凄腕の職人でもしかり、普通の職人が拘らない処に徹底して拘るあたりに、「しないこと」が潜んでいるよーに勘ぐっている

この「しないこと」を奥義としたのが、かの 「無住心剣術」 ではないかと思う

ただ頭上に太刀を引き上げて振り下ろすのみとゆー、至極単純な剣理なのだが、当時敵する者はいなかったほどに強かった

千回試合して無敗なんて、それまでの塚原卜伝とか宮本武蔵の生涯仕合数と比べても異常な対戦回数である

新陰流から派生した「無住心剣術」は、「禅」をアメリカに紹介した禅マスター・鈴木大拙 もお気に入りの剣術で、著作のなかでも触れている(なんと、この幻の「無住心剣」をアメリカの読者は知っているのだ)

たがいに相競って「相討ち」が普通なのに、無住心剣では極意が「相抜け」 で、双方無キズで仕合が終わる

大拙は、「相抜け」に禅の妙味を観た、なるほど無住心剣術は流祖・針ヶ谷夕雲が参禅悟道して開いた流派で、「無住心剣術」の名前も『金剛般若経』の「応無所住而生其心」から参禅の師が付けてくれたものだ

 

まー、強引にククルと「真理はシンプルである」とゆー命題を後押しする重要なひとつが「しないこと」であるとは言えまいか

ただ、人は「しない」とゆー否定的な指針で生きることは出来ない

結果から顧みて、帰納的に「しないこと」の意味を納得することは出来るが、脳の構造からも「否定形」をモットーにして生きることは難しい

だから、厳密には「する/しない」の「しない」ではないのだ

見つめるのではなく、ぼんやりと全体を「見る」、いわゆる「遠山の目付け」 と似ているよーでもある

この逆説的な消息は、ケーベル博士『神と世界』にも言及があった

《神は在る》 は即ち 《神が在る》 ことである。

 《神は無い》 はこれも又 《神が在る》 ことである。

 

‥‥ ケーベル博士の「神」を「実在」あるいは「存在の栄光」と言い換えてもよいとタルホは云っていた

「神はいない」と言える土台は他ならぬ「神の恩寵」により現出しているとゆーか、設定されていると言えよーか

 

 

‥‥ まー、「する」「しない」 を人間の本性から根本的に選ぼうとするとき、盤珪の「不生」は大事だと思う

 

【画像= 盤珪禅師の書、「不生」の仏心】

 

「万事は、不生でととのうものを」 、と云い切った盤珪の「不生禅」は、白隠よりわずかばかり先に生まれ、独特すぎるあまりに後継者もなく絶滅してしまったが…… 

不生(生まれないもの)は、不滅(滅しない)

始まりがあれば、終わりがある

始まりがなければ(不生)、終わりがない(不滅)

生まれるものは死ぬものである

生まれないもの(不生)は、死ぬことがない(不滅)

その「生まれないもの(不生)」が、存在と呼ばれるものである

まー、「実在」でも「真我」でもよいが

禅でゆー「父母未生前の本来の面目」である

ここから「私は在る(存在する)」にゆきつく

父母未生前(両親が生まれる前)に私が在るのならば、わたしは「生まれて」はいないのだ

存在とは、生まれるものではない

この「不生(=不滅)」の存在性に、盤珪さんは「仏性」を観たのですね

じゃあ、わたし達もそこに「神性」を観てもいいと思います

ここらへんまで、認識を拡げないと「しないこと」に触れ得ない感じがします

 

 

いまや、ほとんど読まれることも無くなったよーだが……  このカスタネダとゆー作家は、最初は UCLA の文化人類学者として、フィールド・ワークの一環として最初の著作『呪術師と私』を書いた学者畑の人間である

 

この本が出版された年(1968年)は…… 

映画 『2001年宇宙の旅』 が公開されたり、LSDやマリファナ、ヒッピー達の奇行が流行っていたり、いわゆる「ニューエイジ運動」の渦中にあった

 

カスタネダの処女作も追随するよーに、当初はドン・ファンとゆー怪しげなインディアンから幻覚誘発性植物「ペヨーテ」や「デビルズ・ウイード」などの処方を聞いて、マインド・トリップするよーなフィールド・ノートになっていた

 

しかし、長い間ドン・ファンと伴に過ごすうちに、この得体の知れない男の持つ「知の体系」に取り込まれていって仕舞う

 

ドン・ファンは、ヤキ族のインディアンを自称したが……詳細に訊ねると、古代メキシコ (トルテックのシャーマンの流れを汲む ブルホ  ( brujo =呪術師・医者等の意)    であることが分かった

 

その軽妙洒脱で、深い人生経験による認識から紡ぎ出される語り口は、私の内ではグルジェフに匹敵する

ユーモアたっぷりだが、凄みのある怖さが漂う

 

彼は自らをナワールと称し、超越的存在にして人間の意識を糧とする『イーグル』に呑み込まれないように闘う 「自由」 の戦士であるとの記述や……  

独特の世界観の中で、地球には48本の帯があるといった記述が……  不思議にも、グルジェフの「月の捕食」や水素表の48番に符合する

 

かれらの「知」に参入している先達は「ナワール」と尊称されている、この「ナワール」は吾々の認識している世界「トナール」と対になるものである

 

ナワールの世界の奇譚は、物語としても一級の読み物の価値があると私は観ている

「非有機的存在」 とゆー、いわゆる「悪魔」の原型なのだが、現実世界からみれば荒唐無稽な設定にしても、そぞろに生々しい恐怖(閉じ込められた意識の恐怖) が感じられ、ラブクラフトの『クトゥルフ神話』に優に匹敵しよー

 

ナワールとトナールを往き来する、不死性をもった伝説のブルホ、極めて妖しげな術者も現れる

 

ドン・ファンを育てた先師、ナワール・フリアンやナワール・エリアスの人物描写も冴えた筆致で……

ブルホ仲間のシルビオ・マヌエルや女性修行者のラ・ゴルダや強烈なドニャや優雅なフロリンダ等と頭の堅いカスタネダとの諍いや遣り取りは頗る面白かった

 

スペインの侵略と占領による酷政に立ち向かったことから、メキシコのトルテックは「小暴君」への対処法を援用して、非有機的な「盟友」と付き合う方法を会得してゆく

 

上記の「しないこと」発言は、その暴君(現地人の命など気にも留めていないスペイン人侵掠者)の圧政下に発動したわけで、命懸けのトライアルであったことを忘れてはならない

単なる言葉の遊びや、観念の遊戯などでは微塵もないのだ

それ故に、この深い叡智は何処からもたらされたものなのか? 長い間疑問だった

 

このカルロス・カスタネダの一連の著作群「呪術師ドン・ファン」シリーズは、作家 吉本ばなな 女史のぞっこん愛読書でもある

 

 

 

伊勢白山道の見立てでは、ばな子女史は歴代卑弥呼に仕えた第一巫女であった

「卑弥呼」とは中国側からの蔑称表記で、正式には「日見子」 である

当時、日見子は三輪山に参拝して祈りを捧げていたから、大物主の大神に仕えた巫女が「ばな子(ばななさんのHN)」さんであったわけである

大物主大神は、伊勢白山道に拠れば、地球規模の大精霊(宇宙から飛来した)で、インカ・アステカ文明の生け贄を求める大神とご同体との事

 

メキシコのトルテックも、トルテカ文明(9〜12世紀)とかでアンデスやマヤと同源であったはずである

まー、『ジョジョの奇妙な冒険』にあらわれる「石仮面」の文明でもあるわけで、奈良の桜井あたりの三輪山でも血に塗れた暗黒の歴史があるのである

皇女倭姫命は、それを嫌い、三輪山から伊勢の地にご遷宮なされたものだと聞く

宇宙規模のケツァルコアトル神(「羽の生えた蛇」)の大蛇形象、大神神社の眷属も巨大な黒い大蛇で、三輪山を七回り半するくらいの日本最大の眷属神だと云ふ

で、世界的な霊能者と対談しても、影響をうけるどころか、相手の霊能力を無力化してしまうほどの霊力をお持ちだとゆー吉本ばなな女史(伊勢白山道の審神による)は、やはり霊的に近いものをお感じになるものか、トルテックを継ぐカスタネダに心酔なさっているのである…… カスタネダ本の帯に推薦文までお書きになっている

【ご神体が三輪山そのものである大物主大神は、マヤ・アステカ文明などの大神・ククルカンと同体であるらしい。地球規模の大神霊で、どの系統の神にも属さない別格のご神格。宇宙からのマレビトであったのだろう。】

 

そこで、ドン・ファンの実在について、伊勢白山道に質問投稿して訊ねてみたことがある

応えは、土着信仰の霊力をもった無学な人物(実在した)を参考にして、ドン・ファン像を創り上げたそーです

 

日本でも内宮の「天照太御神」は土着信仰であるし、連綿と受け継がれて来た土着の信仰とゆーものは、大地(国魂)に根差すだけに意外に深い奥行きを持つものかも知れない

因みに、外宮の「白山神」は地球全体を覆うレベルの神霊であるそーである

 

ドン・ファンの知の体系(メキシコのトルテック由来)、

ヒンドゥー(インド)に連綿と伝承される非二元の体系、

グルジェフのスーフィー(イスラム教)やチベット密教などを統合した知のシステムはいずれも、

一様に人間の「自らを縛りつけたリミッター」を解除する智慧を伝えているよーに思えてなりません

「しないこと」に含まれる叡智には、底知れない広がりがあります

 

ー最後に、実際的にわたし個人にとって「正しいこと」とは何かを決める貴重な目安として…… 

ブルホに伝わる深妙な選定法を記しておきましょー

ヘナロが言うには、

 

【正しい選択か 間違った選択しかない】のだそうだ。

・間違った選択をすれば、身体でそれがわかる。

・正しい選択をすれば、身体がそれを知り、緊張がとれて、選択が行なわれたことをすぐに忘れてしまう

 

すると、そうだな、ちょうど銃に新しく弾薬をこめなおすように、つぎの選択にたいして身体の準備がととのうのだ。

[※  ヘナロとは、ドン・ファンと同じ系統の「見者」で、愉快この上ない陽性のナワール、「ドン・ヘナロ・フローレス」 のことである]

 

‥‥ なるほど、「忘れる」とゆーことには大いなる恩寵が働いている

「忘れられる」とゆーことは、天の摂理の自然さ(=正しさ)に順い、身を任せて安心しているとゆーことを意味しているものかも知れない

         _________玉の海草

 

     

 

 

 


《ちょい言》 自分 (ハート) に祈る

2021-08-22 16:33:16 | 小覚

__関西テレビ放送の 『大阪環状線 Part4 ひと駅ごとのスマイル』 を観ている

わたしは昔、大阪に住んどった、えらいお世話になって、この地に骨を埋めてもええな思うほどに、ぞっこん惚れ込んだものだ

最初は、サンケイの新聞奨学生で、京阪線・牧野に暮らした、後々あきらかになった事やけど、アパートのすぐそばの公園に、古代東北の蝦夷(エミシ)の首領・阿弖流為(アテルイ)の墓 あったのだった

坂上田村麻呂と固く約束を交わして、京にのぼってきたアテルイだったが、京都のはずれ、この枚方あたりで、鬼ででもあるかのよーに彼らを怖れる朝廷の手で、腹心の母礼(モレ)とともに首を刎ねられたと云ふ

縁は、昧す(くらます)ことが出来ないもの……  私は新聞配達が続かず、遠い親戚の伝手で、旭区の豊里大橋下に引っ越した

京阪線・土居駅から専門学校に通い、地下鉄谷町線・太子橋今市から梅田の旭屋本店に遊びに出たもんだ

おおさかは、私のたましいの故郷である ♪  いまでも大阪の地に立つと血が躍る、血が滾る、湧く沸く、元氣がでる

それゆえ、大阪の環状線(ループ・ライン)には、ひとかたならぬ思い入れもあり、ひと駅ごとに綴られるナニワらしい話には琴線をかき鳴らされる

 

きのう観たのは、野田駅篇……

絵本『たこちゃんといかちゃん』を作った、無垢な魂をもつ作家のエピソードが実現化へいたる本質をよく捉えていた

いつも夢のよーなことばっかり口にしている、絵本作家の父をもつ子どもが、昔、「ガチャガチャ」に入っている「スーパーカー消しゴム」に夢中になっていた

レアなクリア紫色の「消しゴム」を狙って、何度も挑戦するのだが、なかなか手に入らない

そんなある時、父と一緒に「ガチャガチャ」をすることになり、父は「クリア紫はゼッタイに当たる!」と云うんです、

「また、この人は夢みたいなことばかり言って」と、子どもはうんざりしますが…… 

ポケットには3回分の小銭が入っていました

一回二回と、レア品は取れない……  そのとき父親がいつもの調子で「次は出る!」って大声で叫ぶんです

あまりの声に店中の人が集まってきて…… 

でも、子どもは「いちどだけ信じてみよう、一度だけ、親父みたいに本気で…… 」と、そして最後に出たんです、クリア紫が…… 

> 親父は、あたりまえみたいな声で、こう云ったんです。

「100% 信じきれば、必ず叶うって…… 

信じるのと信じきるのは違うって…… 

信じ切った人間だけが、夢をつかむことができるんだって……

神さまは、ココ(右手で胸を叩いて)にいる。

だから、ココに祈れって…… 」

「自分に祈る‥‥ 」

 

‥‥ この絵本作家の息子が語った、不思議な消息には、真の知識(Knowledge、最後の知識、真我の知識)が含まれている

自我(self)と真我(Self)のありよう

自分の内なるハートに祈る

伊勢白山道でいえば、聖ラマナ・マハリシが言及した「正中から右側3センチの処におはします内在神(根源神)」とゆーこと

古神道の「自霊拝」にも通じる

ヒンドゥーのアドヴァイタ・ヴェーダーンダのジュニャーニ(賢者)の観方に拠れば…… 

あなたは世界に先立ち、宇宙に先立ち、すべてのものに先立つ。

あなたが最終的な真実なのだから、すべては自分の中にあり、自分以外に何もないと、あなたは悟るだろう。

[※  『自己なき自己〜 ラマカント・マハラジとの対話』-高橋たまみ:訳-より]

 

‥‥ ようするに、外に祈るなっつーことよね

世界があって あなたがあるわけじゃない、神さまがいるから あなたがあるわけじゃない、逆なんだと…… 

自分に祈るって、なにか素的じゃない?

 

大阪は、古くから石山本願寺・浄土真宗の街、「御堂筋」って真宗の御堂を中心としているわけだから

けっこう、大阪には 妙好人が市井に紛れこんで、普通におられるよーな気がする

「信じきる」ことを、誰よりも知っているんではないかな

         _________玉の海草

 

 

 

 

 

 

 

 


 「自分の夢中」 を喪ってから現れる…… 自分との対話

2021-08-11 18:58:30 | 小覚

オリンピックが始まる前は、朝のニュースでメジャーリーグの大谷選手の活躍を観るのが楽しみだった

オリンピックが始まるや、毎日のよーに更新される金メダルが決まった瞬間に一喜一憂している自分…… 

さて、つまらない閉会式で余韻に浸るわけにもいかず、とうとう地元開催のオリンピックが終わってしまった

予想はしていたが…… 終わってみれば、御コロナ様の感染爆発が残るのみ、それどころかお盆に向かってまだまだ増え続けている

オリンピック・ロスと御コロナ感染者数過剰が一挙に押寄せてくる

周りに一喜一憂してばかりの今、「そこに愛はあるんか?」

いや、「そこに自分はあるんか?」

 

(拙稿)> 以前放送された、NHK『戦後70 ニッポンの肖像プロローグ』の中で

コメンテイターのお一人・タモリさんが、云われていたのだが

高度成長期の風潮だった “ モーレツ(社員) ” のかげに潜む、日本人の心象とは

>タモリ 「 仕事してる、(それを)やめると自分のことを考えなきゃいけないと云う恐怖があったんじゃないかと思うんですけどもね。」

司会 「えっ、どういうことですか?

タモリ 自分との対話というのは、一番人間にとって辛いものですから。

それやめて、仕事に外に向いとけば、なんとなく格好つくし

仕事してる奴に向かって、誰も非難できないわけですからね。」

 

‥‥  大学の安保闘争や反戦のフォーク・ゲリラなどに、のめり込んでいたのは、私らの上の世代(団塊の世代)なのですが、

その世代のタモリさんは、それを「重い」と感じておられたよーです

「意味の連鎖」とゆーものは重いと

だから、言葉を解体し、コミュニケーションを解体しよーとしたと

『天才バカボン』の赤塚不二夫もまた、ナンセンス・ギャグ漫画でそれをしよーとなされたと

徹底的に「無意味(ナンセンス)」なものを提示し続けたのです

しかし、国の安全や反戦などが「重い」ものであるからこそ

それに打ち込み、【自分を忘れさせる】ことが出来たのです

自分に向き合わずに、外に現実(うつつ)を抜かすことが、その時代は可能でした

しかし、「オイル・ショック」を経て、「プラザ合意」後押し寄せた「バブル」の波に呑まれた頃の日本には

そんな、自分を忘れさせる対象は最早無くなっていたのです

その隙に、「オウム真理教」などのカルト宗教などが入り込んだのであろーと彼は見ておられました

 

この根本的な図式

自分に向かい合わずに、周りの外に向かって、自分を忘れてのめり込むとゆー構造

いつの時代も、いまの中国や韓国でも全く同様だな~としみじみ歎息してしまいました

「伊勢白山道」における、内在神と外在神とに相当します

『過去から未来へ向かって生まれた自我』は、

重大(らしき)事を自分に引き寄せ肥大化し、本当の自分と向き合う内省にその場を決して譲りません

「今」を生きる「今」に没入する自分にとっては

過去から未来に向かって積み上げられた成果(排泄物)に、どれほど意味がありましょー

しかし、四六時中「今」に没入していたら

傍目から見て、狂気を孕むことになりはしまいかと危惧する処はある

そんな自分を静観することが、社会性を保つ最後の砦なのかも知れない(「離見の見」ですね)

 

‥‥ あるブログコメントは、今に没入することに「自我の死」を観ます。

> 自我の思考にとって「今」は脅威でしかない。

なぜなら、

「過去から未来へ向かって生まれた自我」にとって

「今」に生きる事は、死を意味するから。

今に「没入」するという言葉には、自我という思考の死んだ状態を思う。

 

…… たぶん、過去→現在→未来という時間感覚は、学校で学んだ年表から来るものかも知れない。歴史の時間軸を設定するのは、やはり科学だろうか、つまり合理的に考えればそうである

しかし、日本文化の伝統では、時間は未来から現在(今)に流れてくるものらしい。

川の流れに屹立すること自分を想像してもらえたら分かり易いと思うが…… 

未来の出来事(場面)が、上流から流れて来ては、いまの時点で目の前に現れる。過ぎ去った出来事は、自分の後ろに流されてゆく

この川の流れが、時間の感覚になる__ つまり、上流(未来)から下流(過去)に向かって流れるということになる

自分は止まっているんだよね、芭蕉だって「月日は百代の過客」って言って、自分は動かなくて 時間が旅人(過客)となって動く のです

 

インドのアドヴァイタ・ヴェーダーンダ(ヒンドゥー教の非二元観)のジュニャーニ(賢者)であるニサルガダッタ・マハラジは、

 ・  過去は記憶   

 ・  未来は期待

と云った、肉体意識に伴う記憶が過去の正体だと

「現在を過去と一体化し、それを未来へと投影するため」に、「人格」とゆーものが立ち現れると


> 自分自身を過去未来もない一瞬のものと考えるなら、そのときどこに人格があるだろうか?
これを試して、自分自身で発見しなさい。
[※ 『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』より]

 

‥‥ オリンピックで活躍しているのは自分ではないと、

メジャーリーグでホームラン争いの先頭に立っているのは自分ではないことをよく見つめる必要がある

他人への心的委託(依存かな?)は、自立の放棄である

熱中や崇拝が終わった後に、いまの自分がはじめて見える

わるいことではない、「うつろい」であり「もののあはれ」であり、今に生きる日本的霊性(鈴木大拙)である

やっぱ、自分のアイドルは自分でなければ面白くないんでない

他人にうつつを抜かすより、自分を好きになること

大好きな自分であり続けることかとひそかに思う

                                      _________ 玉の海草

 

 

 

 


  「わび・さび」 の淵源〜 冷えさび🧊(心敬) なんだって

2021-08-02 23:47:39 | 小覚

___満月を愛でる風流ではなく、「冷え寂び」と参りましょー

日本人はいつから、この冷やかな艶を愛でるよーになったのか?

 

 

(拙稿)>川端康成のノーベル賞授賞講演『美しい日本の私』で、広く世に知られるよーになった、道元さんの御歌

はるは花  なつほとゝぎす  あきはつき  ゆきさえて (すず)しかりけり」

この歌は、ご尊父と云われる源(土御門ツチミカド・久我コガとも)通親の

は花  はうつせみ  は露  あはれはかなき  の雪かな」

を元にしていると考えられている

幼くして、ご両親を失なわれた道元さんである

8歳で死に別れされた御母堂・藤原伊子は、バツイチで前夫はかの木曾()義仲であった

この母御は、冬姫 とも呼ばれたと云ふ

上記の御歌「春は花〜」は、こーした事情からすれば、なんとも親思いの歌のよーにも受け取れるが、さにあらず

 

> ……  日本は長らく「冬」というものを見つめる深い文化をもっていなかったんです。

意外なことに、『万葉集』から『古今集』『新古今集』まで見ても、

「冬」の歌はたいへん少ない

それがこの日本禅の時代の到来とともに、『ささめごと』を書いた心敬(しんけい)という連歌師と、そして道元とが「冬の美」というものを決定的に発見するのです。

[※  松岡正剛・連塾『神仏たちの秘密』春秋社-より]

 

‥‥ 道元さんは、冬を含めて四季のすべてを愛した魁と云えるかと思う

「わが庵は こしのしらやま(越の白山) 冬ごもり (こほり)もゆきも くもかゝりけり」

「なつふゆの さかひもわかぬ 越のやま 降るしらゆきも なる雷も」

「をやみなく ゆきはふりけり たにの戸に はる來にけりと 鶯のなく(鶯ぞなく)

 

たとえば道元は「冬の美」(唐木順三『無常』よりを発見した。

冬の風景には何もない。だからこそ花や緑や紅葉を、春でも秋でも自由に想像できることになる。

春と秋を感じるために道元は、あえて冬に日本の美を見出そうとした。

これは連歌師・心敬の「冷えさび」にも通じる。

心敬は本当の「さび」や「わび」、また数寄も「冷えさび」から始まるともいった。

[※  引用元同上、()内は私挿入]

 

…… 命の萌え出ずる春や、結実して枯れゆく収穫の秋に心を寄せる生命讃歌はゆーまでもなく美しい

開放的になる夏の風情もたまらないものだが

冬となるとどーだろー?

私は東北に住まいし、寒さに生命の危機を感じとるが故に、ドラマ『北の国から』の雪景色すら単純に美しいものとは到底思えない

うら悲しい、鈍色の川面や視界を遮る吹雪に、冬とは何より冷たく凍えて寒いものと決めつけて来た

それが、なんと 冷え寂び ですって!

 

 

◆ 冬枯れの「冷え然び」

日本語には「寂しい」とか「少女(おとめ)さびる」とか、俳句や茶道などでいう「わび・さび」とかいうことばがある。

じつはこれらすべては、鉄の(さび)と同語なのである。…()…

そもそも「さびる」とは「然びる」ことで、それらしくあることをいう

[※  中西進『美しい日本語の風景』淡交社-より]

…… この日本独特の「さび」に当てる漢字として、かの「ねずさん」も「然び」の漢字を遣っておられる

建築家の村野藤吾の造った、鉄筋コンクリの茶室(現・目黒区総合庁舎)には、「わびさび」の風情に添うように、「コールテン鋼」(緻密な保護性錆を形成することで、以降の錆の進展を抑える)の安定錆びをそのまま利用している

 

 

「冷え然び」年表 

◆ 万葉集(770年頃に成立?)

「侘寂」の心情の初出については、

わび・さび - Wikipedia 「わび・さびの語源と用例」の項参照

 ↓

◆ 源信明(みなもとのさねあきら、910年生れ)

三十六歌仙

「ほのぼのと 有明の月の月影に 紅葉吹きおろす 山おろしの風」

 ↓

◆ 西行法師(1118年生れ)

とふ人も おもひ絶えたる 山里の さびしさなくば 住み憂からまし

 ↓

◆ 藤原俊成(1114年生れ)〜「寂び」の美を発見

◆ 藤原定家(1162年生れ)〜俊成の子、

『新古今和歌集』撰『小倉百人一首』撰

「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」

 ↓

◆ 華厳宗の明恵上人(1173年生れ)

「雲を出でて 我にともなふ 冬の月 風邪や身にしむ 雪やつめたき」

 ↓

◆ 永平道元(1200年生れ)〜「冬の美」

 ↓

◆ 吉田兼好(1283年生れ)

『徒然草』(1330年頃)

花はさかりに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは

(うすもの)は上下(かみしも)はづれ、螺鈿(らでん)の軸(じく)は貝落ちて後こそいみじけれ

 ↓

◆「能」の世阿彌(1363年生れ)

「冷えたる曲」「冷・凍・寂・枯

銀の(わん)のなかに雪を積む

 ↓

◆ 連歌の心敬(1406年生れ)

「冷え寂び」「冷え枯れ」「冷艶」「ひえ・さび・やせ」枯れかじけて寒かれ

歌を詠む際には「枯野のすすき」「有明の月」(源信明の歌)のような風情を心掛けよ

「かたりなば そのさびしさや なからまし 芭蕉に過ぐる 夜半のむら雨」

 ↓

◆ 連歌の宗祇(1421年生れ)

(たけ)高く幽玄にして有心(うしん)なる心

  

◆「侘び茶」の村田珠光(1423年生れ)

〜一休禅師より印可、心敬に影響をうける

月も雲間のなきは嫌にて候」「冷え枯るる

    ↓

「香道」の三条西実隆(1455年生れ)

〜宗祇より「古今伝授」

 ↓

◆ 武野紹鷗(1502年生れ)

〜三条西実隆より藤原定家『詠歌大概』の序巻の講義を受けて,茶道の極意を悟る

 ↓

◆ 千利休(1522年生れ)

「炭の花」

「枯のこる 老木の桜 枯折て 今年ばかりの 花の一房」

 ↓

◆ 俳諧の松尾芭蕉(1644年生れ)

「さび(寂)・しをり(撓/萎)・ほそみ(細)・かるみ(軽)」

「この道や 行く人なしに 秋の暮れ」

 ↓

    ↓

◆岡倉天心(1863年生れ)

『The Book of Tea(茶の本)』

茶道の根本は “ 不完全なもの ” を敬う心にあり

 ↓

◆柳宗悦(1889年生れ)

「民藝」運動の中で、「用の美」

_ . _ . _ . _ . _ . _  

「冷え然び」年表 (ここまで)

 

 

 

‥‥ 歴史年表的に概観した処で、「冷え寂び」の心敬とやらの歌を味わってみよーではないの

 

水青し消えていくかの春の雪

朝すずみ水の衣かる木かげかな  (水の衣=氷)

山深しこころにおつる秋の水

日を寒み水も衣きるこほりかな

梅おくる風は匂ひのあるじかな

心あらば今をながめよ冬の山

雲はなほさだめある世の時雨かな

 

          散る花にあすはうらみむ風もなし

          朝ぼらけ霞やちらす花もなし

          散るを見てこぬ人かこつ花もなし

          夏の夜は草葉を夜の露もなし

 

          

 

氷は水より出でて水より寒し。藍はあゐより出でてあゐより青し。にほひは色より艶ふかし。」

 

「心もち肝要にて候。常に飛花落葉を見ても草木の露をながめても、

此世の夢まぼろしの心を思ひとり、ふるまひをやさしくして、幽玄に心をとめよ」(『心敬僧都庭訓』)

 

氷ばかり艶なるはなし

苅田の原などの朝のうすこほり。古りたる檜皮の軒などのつらら。枯野の草木など、露霜のとぢたる風情、おもしろく、艶にも侍らずや」(『ひとりごと』)

人の世は 花もつるぎの うゑ木にて 人の心を ころす春かな

 

 

‥‥  茶の心を代表する和歌として歴代宗匠から愛されたのが

「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」 (藤原定家)

この歌は、明らかに

「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮」 (西行)

の影響下に詠まれているそうである。

 

定家卿と西行法師は、年齢的に40歳位の差があるが…… 西行のことは歌人の先達として高く評価している。

 

「なかりけり」との否定は、ありし世をあったであろう花を喚起させないと叶わない。

二重写しの情景が、墨絵のごとき朧な移ろいをもって幽玄境にみちびく。いわば無のなかに美を見いだす徹見であろうか。

 

【『新古今和歌集』は、西行と定家の饗宴の場】

 

 

__ 相似た消息が、芭蕉の俳句にも見られる

 

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 

 

あたりに響き渡る蝉の音があってこそ、山寺の草深い参道の森閑たる佇まいを際立たせる

この、目の前に何もない〜心がありし日を映す〜廃墟に佇み去来する感じが、お日様の照り返しが烈しい夏のお昼頃に揺らぎ出る「陽炎」の風情に重なります、ひとことで申さば「俤〜 於母影〜 面影」とゆーことでありましょー

夏草や つわものどもが 夢の跡 (芭蕉)

 

松尾芭蕉には、忍者疑惑がありますが……  それだけ旅の空が多かった人だったわけで、

和歌の西行、連歌の宗祇(師匠の心敬もまた)、俳諧の芭蕉…… 

いづれも【漂泊の人】

旅人の生を送った人です

芭蕉は、ご自身が日本の連歌の本質を正しく継いでいるとゆー自負があったと思います

西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり (松尾芭蕉『笈の小文』より)

 

 

松尾芭蕉『嵯峨日記』より> 

廿二日

朝の間雨降る。けふは人もなく、さびしきままにむだ書きしてあそぶ。

其のことば、

喪に居る者は悲(かなしみ)をあるじとし、

酒を飲むものは楽(たのしみ)()あるじとす。

さびしさなくばうからまし」と西上人のよみ侍るは、さびしさをあるじなるべし。

又よめる、

山里に こは又誰を よぶこ鳥

(ひとり)すまむと おもひしものを

独住(ひとりすむ)ほどおもしろきはなし。

長嘯(ちょうしょう)隠士の曰く、

「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と。

予も又、

うき我を さびしがらせよ かんこどり

とはある寺に独居(ひとりい)て云し句なり。

 

 

‥‥ 西行法師の御歌については、こんな英訳もされてある

> とふ人も おもひ絶えたる 山里の

さびしさなくば 住み憂からまし      (西行)

A mountain village

Where there is not even hope

Of a visitor

--

If not for the loneliness,

How painful life here would be !

(*ドナルド・キーン『日本文学の歴史』中央公論社-より)

 

‥‥ ドナルド・キーンさんは、外国人ながら谷崎潤一郎に日本語の文章を認められたり、東日本大震災の後に日本に帰化なさったりと、私も一目おいているのだが、この英訳はいただけない感じがします

芭蕉の逸話でこんな消息を伝えていたからです

下伏に つかみわけばや 糸桜

という句を去来が「糸桜の十分に咲きたる形容よく言ひ畢ほせたるにあらずや」と賞賛したのに対して、芭蕉は、

   「言ひ畢ほせて何かある」

と答えたという。去来はそのとき初めて肝に銘じて「発句になるべきこととなるまじきこと」を知ったと回想している。

‥‥ 「言い尽くして、あなた、どーなるん?」と鋭くツッコんだんですね

芭蕉の本気が窺えるエピソードであります、心敬の言葉が自分の深奥に刻み込まれてあるのでしょー

 

> 「言わぬところに心をかけ、冷えさびたるかたを悟り知れとなり。境に入りはてたる人の句は、この風情のみなるべし。」(心敬)

「つくるよりは捨つるは大事なり」(『ひとりごと』)

‥‥ 俳句では「説明している句」はNGとゆーもんな

説明や感嘆句なんか無用、その空気感を「余情」を漂わすものなんですね

 

俳句にあっては「人間の眼で見るな」(中沢新一)ということなんですね。

「大自然と同位に立つ」(G.  アダムスキー)というか、一歩退いたというか離れた地点から冷徹に愛でるといった視点が「冷えさび🧊」にはありますね。

日本人はスミに置けないですね、いわば 欠如・欠落の内にも美を見い出す 変態ですね

こんな日本人ですもの、経済大国から没落しても何ら問題ないのかも知れません

洛外に住んで、洛中の真・京都人からは距離をおかれている(つまり馬鹿にされている)とびきりの風流人のお言葉を最後に引用しよー

 

>  私は京都のちかくで生まれ、そだちました。

もう、半世紀以上にわたり、この街をながめつづけたことになります。

そして、日本がおとろえゆく今、あえて言うことにいたしましょう。

京都にも、昔はかがやいた時代がありました。

…()…

千年をこえる歴史のなかで、いろいろつらい目にもあってきました。

今は、首都の座を東京へゆずりわたし、一地方都市になっています。

ですが、京都にすんでいる人々が、さほど不幸だとも思いません。

街としては、はなやぎがなくなりました。さまざまな指標も、低迷しているでしょう。

でも、人々はほこりをもって、もちすぎているくらいですが、くらしています。

没落の先輩として、言いきりましょう。

没落をおそれることはありません。たいせつなのは、どうやって没落していくかというところに、あります。

…()…

ねがわくは、ゆとりをもって どうどうとおちぶれたいものです

 

[※ 井上章一『没落をおそれることはない』*文藝春秋・四月特別号寄稿文より]

 

‥‥ 冷え錆び〜冷え然びって、堂々たる没落って、日本人は無敵です

日本人の本質は、しなやかにしたたか、おおらかに「ひえさび」なんですよ

          _________玉の海草

 


 「坐禅」 の源流〜 それは中国の道教にあった 「坐忘」

2021-07-17 21:40:16 | 小覚

> 顔回がいった、「わたくし、進境がありました。」

仲尼はたずねた、「どういうことだね。」

「わたくしは仁義のことを忘れてしまいました。」

「よろしい。だがまだじゅうぶんではない。」

 

別の日、〔顔回は〕また面会するといった。

「わたくし、進境がありました。」

「どういうことだね。」

「わたくしは礼や音楽のことを忘れてしまいました。」

「よろしい。だがまだじゅうぶんではない。」

 

別の日、〔顔回は〕また面会するといった、

「わたくし、進境がありました。」

「どういうことだね。」

「わたくしは 坐忘(ざぼう)ができるようになりました。」

仲尼は居ずまいを正してたずねた。

「坐忘とはどういうことか。」

 

顔回は答えた、「手足や体の存在をうち忘れ、耳や目の働きをうち消し、この肉体から離れ心の知を追いやって、あの大きくゆきわたる〔自然の〕働きと一つになる、それが 坐忘 ということです。」

 

仲尼はいった、「一つになれば〔ひとりよがりの〕好き嫌いはなくなるし、変化していけばかたくなでなくなる。

おまえはやはりすばらしいね。このわたしもお前の後からついていこう。」

[※ 『荘子』内篇・大宗師篇 第六/金谷治:訳注より]

訳注;「坐忘」ー司馬彪いう、坐して自ら其の身を忘ると。坐ったままで万事を忘れ去ること。斉物論篇第一章、南郭子綦の「吾れ我れを喪(わす)れたり。」に当たる。

 

‥‥ 「坐忘」の箇所の読み下し文は、

「枝体(したい)を堕(こぼ)ち聡明を黜(しりぞ)け、形を離れ知を去りて、大通に同ず」

訳注;大通の「通」は、ゆきづまることなく万事万物をつらぬき流れること。自然の道の働きをいう。…… 王叔岷は、…… 大通とは得道の至境をいうとした…… 

 

‥‥ まー、ゆーまでもないが「仲尼」は顔回の師である孔子のこと

孔子の母上は顔徴在といわれ、顔回と同じ顔氏の生れ、「儒」は葬儀を扱う霊能者集団であったと聞く

酒見賢一『陋巷にあり』(全13巻)に出てくる孔夫子は、強大なる霊力を持ち、教科書に出てくる「孔子」とは大違い、顔回と共にサイキック・ウォーを戦い抜く、いたって長編だが瞠目すべき傑作である、この小説の孔子像は 白川静 翁の研究に基づいているが、彼の創出した孔子像が実際の孔丘に近いのではと私は思う

なるほど、古代日本は「儒教」は入れず、「儒学」のみ入れたと云ふ

孔子の儒教には怖い処がある、『易経』はほとんどオカルト(隠秘学)だし、礼楽とは「霊楽」に他ならず、失伝した 【楽経】 には死に至らしめる楽曲が含まれていたらしい

孔子門下で、顔回の評価が高いのは、そーした霊能者としての境涯に焦点をあてたからではないかと思う

道教の「仙道」と相通ずるものがある

そのへんを荘子は汲み取って、顔回に道教由来の「坐忘」をあてがったのではないかと思う

 

この、静観とゆーか、ヒンドゥーのアドヴァイタ(非二元)における真我探究のアプローチによく似ている

ジュニャーニの道では、身体意識に源をもつ「知識」を放棄して、「真の知識」といいますか「最後の知識」、つまり真我実現をめざすわけですが、すべてが自分から流出するとの認識、アダムスキーの云った「大自然と同位に立つ」とゆー境涯…… 

内なる自分に神性を観るプロセス、内なるサッドグルにアクセスするプロセスに「坐忘」が重なってくる

驚くべきことに、この老荘の道教由来の「坐忘」があったから、達磨大師がインドから伝えた「禅」が「坐禅」として定着したのだと云ふ

 

釈迦十大弟子の筆頭、長老格の摩訶迦葉尊者は、釈迦仏滅後の第一結集(けつじゅう)のMCも勤めたし、多聞第一の阿難尊者を育てて、「結集」に参加させもした

結集は、釈迦によって見性(悟り)した者しか参加出来なかったから、それでも「500羅漢」とゆーよーに、ギリギリ間に合った阿難尊者ふくめ500人位はいたわけである

摩訶迦葉が二代目、阿難が三代目、禅宗の系図ではそーなっている

死ぬと、禅寺の檀家は「血脈(けちみゃく)」と呼ばれる、釈尊の弟子(仏教徒)であるとゆー証明書を和尚からもらい、棺桶に入れる

その中には、釈尊から連綿と受け継がれ、檀家寺の和尚にいたるまでに経てきた法脈が記されているそーだ

三代阿難尊者から達磨大師まではインドで、そのあと達磨の仏法を継いだ慧可からは中国が舞台だが…… 

あきらかに、禅風がちがう

中国はインドのよーに哲学的思索よりも、実生活とゆーか実際の現場主義を重んずる風潮が強い

その折り合いをつけた結果が、中国人が知っていた「坐忘」を「禅」にあてはめたものだろー、中国は自分たちが既に知っていることを未知のものにあてがう性癖がある

坐禅にまとわりついている神秘的な雰囲気は、道教の仙道から来るものにちがいない、結跏趺坐はアーリア人の脚の長い釈尊にとっては単なる楽な姿勢にすぎない、坐禅を行法とみるのは間違いかも知れん

道(タオ)といい、大自然といい、八百万の神という…… 

その淵源はひとしく、おなじと観てよいのだと思う

          _________  玉の海草