『 自然は全機する 〜玉の海風〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「生きてるだけが仕合せだ」🍎

《玉断2》 謎の歴史的名言〜 「女人地獄使 …… 」

2021-12-15 14:16:26 | 歴史・郷土史

《玉断》とゆーと、無外流極意「玉簾不断」を思い出すが、これは単に《玉の断章》の略である

 

__本を読みはじめた10代、ラ・ロシュフコー『箴言』にしても、知識人に人気のある皮肉屋ショーペンハウエルにしても、女性とゆーものをこき下ろしているよーな印象を持った

なにかヨーロッパには伝統的な女性観が連綿と受け継がれているよーにも思う、日本でも芥川龍之介なんか『侏儒の言葉』では「女性は諸悪の根源」とまで言い切っている(梅毒に罹患したからでもなかろーが)

上記のお三方は、ある意味男性らしい鋭さ(知的な結晶めいた)を発揮した文人である、一方にゲーテの女性讃仰「永遠に女性なるもの」もあるが、一般に知識人たちは女性に恨みでもあるかのよーに、女性に冷淡である

 

つらつら読書をつづけてゆくと、ある仏教のフレーズ(偈・げ)が時々目に入って来るよーになった

引用している人はいずれも一廉の人物だったので、徐々にこのコトバが私の胸の内で大きくなっていった

 

女人地獄使、能断仏種子 外面似菩薩、内心如夜叉

読み下し「女人は地獄の使いであり、仏の種子を断つことが出来る。外見は菩薩に似ているが、内心は夜叉のようである」

 

‥‥ このフレーズが仏典の何処に載っているのか、典拠がまちまちなので面喰らう

ある人は『大乗起信論』だし、ある人は『大智度論』だし他にもあった気がする

[※ 『日本国語大辞典』より引用;出典について「成唯識論」「大智度論」「華厳経」「大宝積経」「涅槃経」などとするいろいろの説があるが不明。おそらく平安時代末頃日本で作られた語と思われる。

私は、このお経の一節のよーな漢文の偈にいたく共感していたので、どーしてもウラを取りたくなって、中之島図書館(大阪)にでかけて、『大乗起信論』の漢文版を眺めてみたが、残念ながらこの句はなかった、龍樹『大智度論』は大部なので泣く泣く引き下がった

ネットが普及してから、この句を検索してみたが、いまだに正確な典拠が判明していない(存知よりの方は教えて頂きたい)

つまり、誰のコトバなのか分からないのである

困ったことに、このコトバの裏を取ることなしに、引用している者がいるから堪らない

実は、日蓮さんも『女人成仏抄』において、華厳経に書いてあると引用なさっているとか、どなたかの孫引きなのか、案外イイ加減なインテリ度ですな

 

確か、原始仏教教団(サンガ)において、釈尊は女性の入門を禁じている

釈尊の女性親族の相談に乗っていた阿難尊者が、釈尊に切々と訴えて、やっと比丘尼として許しを得て、女性にもサンガの門を開いたと聞いている

なにか気にかかる、道元さんも晩年の出家主義に傾いたとき女性に手を差し伸べてはいない

 

C.G.ユングは、夢分析において男性の夢に出てくる女性像に注目していた

ユングの考え方でいくと、人間の心の中には自我というものがあるのですが、非常に深いところに人間の魂というものがあるとすると

魂はそのままでは自我には絶対にわかりません。

けれども、魂がどういうものかを自我が把握しようとすると、それは

【イメージとして把握される】のです。

たとえば男の人でしたら、その夢に出てくる女性のイメージが魂の像だというのです。

[※ 河合隼雄『こころの読書教室』新潮文庫ーより]

 

‥‥ 単なる心理学であり、夢分析なんて唱えはじめたのはユングだし、なんら信憑性のあるものではない

しかし、世界中にのこっている神話の分析から人間にとって最も基礎的な「母性(創造性)」とゆーものを探るのはあながち間違っていないよーに思える

ユングの場合、しかし最高度の教養の持ち主で、『易経』『黄金の華の秘密(道教の瞑想書)』にも、聖ラマナ・マハリシにも造詣が深い

東西の霊的知性をつなぐ世界会議「エラノス会議」は、ユングにその発祥を辿れるのである

それだけの知性にくわえて、ユングはよくモテた

カウンセリングした女性たちが軒並みユングに惚れてしまって、まるで教祖のよーだったと伝わる

サリン事件の「尊師」の周りにもハーレムが形成されたよーに、深い宗教性とゆーものは何故か女性を惹きつけてやまない

宗教的天才を「最初に」見つけるのは、常に女性であるとも云われている

極論を言うと、教祖であって、女性にモテない人は偽者であるとゆーことになる

 

知性が、宗教性や神話性を呑み込むほどに熟している場合、何らかの物質が揮発される感じがある

女性はそれをキャッチするアンテナを備えているのだろー

天行に照応する身体を持つ女性(月経など)は、肉体そのものであり、肉体の支配をうけるが故に、よけいに自らとまったく異なるものには敏感なのかも知れん

宗教性とは、肉体の支配をうけないものである

世間の欲望の埒外におかれている、たとえばヒンドゥーでは自分と肉体(身体)を同一視しないことが基礎となっている

 

ーこの「女人地獄使…… 」が、平安末期から連綿と引用されつづけている処に、抑圧された男性修行者の共鳴を感じ取る

翻訳の大家・鳩摩羅什が、こっそりと捏造した句を経典にひそませたよーに、この名文句も誰某の捏造したものらしい

少年ジャンプに連載された『魁!男塾』に、「民明書房」からの引用として詳細な説明文があったのだが、われわれ馬鹿な男たちは実在の出版社だとして信じて読んでいたものだ

だれが仕掛けた悪戯なのか、案外女にフラれた腹いせだったりして、男とゆー生き物は可愛い処があるものだ

              _________玉の海草

 


 昭和レトロ・ブームって、なんだ?

2021-11-05 11:43:23 | 歴史・郷土史

__この頃、テレビでよく見かける昭和レトロ、10代にフォーカスした番組『超無敵クラス』でも取り上げられていたのだが、

埼玉県の西武園ゆうえんち『夕日の丘商店街』とか、ときがわ町の昭和レトロな温泉銭湯『玉川温泉』それに入間の『ジョンソン・タウン』もそーだよな

   【画像=西武園ゆうえんち『夕日の丘商店街』】

 

    【画像=ときがわ町『玉川温泉♨️』】

 

    【画像=入間市の『ジョンソン・タウン』】

 

大分県の『湯布院昭和館』みたいに、地方でも昭和を志向したものが流行っている

      【画像=『湯布院昭和館』】

 

10代の女の子が、昭和のコテコテの花柄グラスとか、花柄炊飯器に花柄魔法瓶に熱い視線をそそいでいるのを見るのは、気分がよい♪

これは、どーいった現象なのかなと首を傾げる

 

いわば、私たちが過去に捨て去ってきたものに、若者が注目している図式…… 

私なんかは思うよ、学びは「真似び」から来て、温故知新も大切だが、過去の風俗に回帰してないで、新しいものを産みだしてよと

まー、テーマパークに成ったり大々的にビジネスとして成り立つのは、また別の側面もあろー

やっぱり人工比の多い「団塊の世代」に素因があるよーに思う

ご自分たちの懐古趣味に浸り、なおかつ孫世代に「昭和」を案内する優越感に満足する

孫世代にしてみれば、日本の先行きはあくまで暗く、567騒動で全方位塞がれた気分で、まったくの進取のオリジナリティ(ベンチャー)に投資する人も少なくなる一方で、SNSでは新たなチャレンジを演出したいとゆー思惑はあるだろー

で、あまりお金もかからず、同意も得やすい、確実なリピートの見込める『昭和レトロ』に回帰する

平成の30年間も終わって、いよいよ「昭和は遠くになりにけり」が現実のものとなった証しではありますね

昭和の60有余年は、戦争から焼け野原、貧困、高度成長とその歪み、公害や環境破壊等々…… いろいろなフェーズを持っているんだよね

たとえば私の50代にしても、戦後すぐの日本と全共闘世代については、まるで1ミリも解らない

あたかも時空の異次元スポットのよーに、関係性がもてないつーか、異国のことのよーに遥か遠い出来事である

大学紛争や学生の自由なんてものは、次世代に「伝統」として受け継がれていないのだ

いきなり露われ、いきなり揉み消されたから、賛成だの反対だの共感だのから生じる時代の連続性が皆無なのである

で、テレビ世代になって、アニメが大流行といっても、たとえば『ガンダム』以前と以後とは歴然と違う

そしてゲーム世代となって、個々なじんだゲームによって、派閥とゆーか分断が起こる

いまや、マンガ(漫画)は立派なアートになってしまい、ゲームは不可欠な娯楽となって「eスポーツ」にもなってしまった

「昭和レトロ」と総括して言ってしまうと、昭和のモノは戦後に限っていえば残っているものが多い

江戸時代のモノは、明治で一新され破壊もされた

明治は洋風建築を好んで建てたし、髪格好も激変して、西洋風な生活様式になった

それも大正の「関東大震災」で瓦礫に埋もれてしまった

生まれ育った風景、古い街並みが残っていることが、伝統を守ってゆく意味では最重要なのだ

浅草の「十二階(凌雲閣)」が関東大震災で倒れたのが象徴的で、その後も第二次世界大戦の空襲で、日本の伝統的家屋の並ぶ街並みは灰塵に帰した

【画像=『凌雲閣』の震災前の絵と震災後の写真】

 

現在ではもはや、江戸の風情を色濃く語るものは東京には存在しなくなっている

 

そーゆー意味合いにおいて、昭和は1945年以降戦争を経験していないので、市井の風俗がものによっては残っているのである

骨董マニアが棲息する余裕が、日本経済にもあったからである

また、アナログ機械とゆーものはデジタルとはまた違った良さがあったからである

 

まー、昔の日本人の変なこだわりを聞いても、役にたたないよーではあるが、ユーミンが個人性と一般性についてこんなことを仰っている

「言葉の選び方は細心の注意を払ってやってきたつもりです。…
方向さえ間違っていなければ、パーソナル(個人的)なことをきっちり言えば言うほど ジェネラル(一般的)になる。
個を追求すれば公に通じるもの。
最大公約数的なことを言うだけでは、誰にも当てはまらなくなります」
[※ 引用:『山形新聞』
2010/5/22・夕刊より]

 

‥‥ つまり、極め人のささいな拘りこそ、公的な大見解(一般的な常識)と成り得るものだとゆーことです

おそれずに、昔熱中した話をしても構わないのです(自慢話は鼻につきますが ♪)

そこに粋なものが存在し、一隅を照らす光明があるならば、広く後世の人びとの胸を打つでしょー

 

懸命に生きた昭和の時代、舶来品を有り難がっていた日本人が世界に冠たる「メイド・イン・ジャパン」を産み出すに至るまでの足跡を辿るのも一興であります

いまの「昭和レトロ・ブーム」こそ、戦後日本の最後の総括となるものかも知れません

日本人はいつの時代も一生懸命に駆け抜けたのです

そのことを後世の吾々は誇ってよいのです、デジタルにアナログ的な感性をもちこんだのが、アップル社のスティーブ・ジョブズでありましょー

「アナログ」とは言ってみれば【手の延長】であり、そこに「未知のモノ(例:半導体回路とか自分で直せない部品)」を介在した断絶が無いのです

剣術の発達も、槍の操法を取り入れて発達しました

手の感覚の延長、つまり道具を手と一体化させることに妙味があるのです

最近のロボットは、有機体のもつ滑らかな動きを手に入れました、正確で滑らかな無駄のない動き、これは伝統を継いだ昭和の達人のみが到達できた境地です

 

犬型ロボットがミック・ジャガーさんのダンスを再現 ストーンズの曲に合わせ

全英2位、全米1位に輝いた英ロックバンド「ローリング・ストーンズ」のアルバム「Tattoo You」(刺青の男、1981年発売)の発売40周...

youtube#video

 

 

昭和レトロへの懐古が、捉え方の拡張、つまり世界観がひろがるヨスガとなれば良いなと存じます

昭和の人びとの風貌には、日本古来の伝統がまだ感じられます、食生活があまり変わっていなかった為でしょー

醤油顔で細いアゴがイケメンとして認知されはじめた頃、縄文人の面影が消えつつあったと思います

コトバ(方言)の変化もありますよね

テレビ世代とゆーことは、いわゆる標準語(日本共通語)を強く意識して真似た田舎人が激増した世代とも云えます

実際、わたしの高校は進学校でしたが、大学への上京を踏まえて学校生活をオール標準語で過ごした女子同級生がいました(昭和50年代後半の出来事です)

首都東京の暮らしを知ること、とくに東北地方は「お上」意識が根強く、東京を基準とすることが多いです

田舎の「真の伝統」が失われた世代が、昭和世代であったとも言えると思います

たぶん私たちの世代(「新人類」と呼ばれた)が、古き良き日本を継ぐ最後の世代となりましょー、責任重大で肩が重いのです

ーあのABBAがきょう、40年ぶりにニューアルバムをリリースした(平均年齢74歳だって、頑張るねえ)

昭和の「時代精神」は、いまだ消えず、よくここまで継続しているものだ、生き続けることを「生きる」のゆーのですね、ただ日本には「隠居」とゆー素晴らしい言葉がありますけどね…… 

        _________玉の海草

 


 「一億総白痴化」 〜 マッカーサーの愚民化シナリオ通りでよいのか

2021-10-02 03:26:18 | 歴史・郷土史

__BTSの国連演説は、各国の失笑をかって終わったよーだが……

あの冷たい顔をしたBTSリーダーはじめ、あれだけ極め付きの反日なのに……

日本の十代は夢中になって追いかけていると云ふ

彼らの印象としては「花郎(ファラン)」の文字が浮かぶ

この言葉は、当初の意味から離れて、軍事的意味合いが強いとゆーが……

あの媚態をふりまく陰間もどきの華やかさは、なんとなく「花郎」の文字が似合う

日本でも花柳界には存在するであろーが、まっとうな日本人にはBTSみたいな風情はないとは言いたいが……

昨今のメイク男子をみていると、現代日本はそーではないのかも知れない(そもそもが白塗りの「化粧」とは、差別された河原者=芸者と一般生活民とを一目で分かつ為に強制された「しるし」であった)

韓流にうつつを抜かしているジェネレーションからは、最早日本人の面影は辿れないよーな……

学校の授業に「ダンス」が必修になった経緯とも繋がっていよー(昭和の「ディスコ世代」から「パフォーマンス」が「芸」として日本で重視されるよーに成った)

端的にいって、大勢の人々から見られたい欲望をおおっぴらに表すよーになった若者たちの姿は、ほぼマッカーサーの愚民化計画の結実の証しとは言えまいか

【画像=ダグラス・マッカーサー元帥、ウエストポイントの陸軍士官学校で歴代一位の成績を誇る超エリート軍人であり、日本でいえば比叡山に学んだ学僧の中で歴代一位と称される秀才・法然上人みたいなものである、その法然の智慧を信じ切ったのが親鸞上人である】

 

ー日本を植民地にしなかったのには、相応の理由があったわけであるが、

日本を占領下においた初期には、「日本の公用語を英語にする計画」や「通貨をドルにする計画」などは実際に画策されていたものだと聞く

GHQが進めた「日本の民主化」とは、独裁的リーダーの出現を未然に防ぎ、軍事力を弱体化させることを主目的としたものである

【3R5D3S政策】として、よく知られている

一般庶民に直接かかわり合う処では、最後の「3S」(スポーツ/セックス/スクリーン)が特に重要で…… 

スポーツ競技と性産業と映画、もひとつ「スピード」 (自動車) も加えて、民衆の欲望を3Sに誘導させて、社会生活の不安や政治への関心から国民の目を逸らせよーとした

現在の日本国民の選挙投票率をみれば、その目論見が完全に成功したことが分かる

[※  総務省のHPより引用> 国政選挙の投票率は、平成29年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙では、53.68%、令和元年7月に行われた第25回参議院議員通常選挙では 48.80% となっています。]

(wikiより)>日本を全く骨抜きにするこの3R5D3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいは、これに乗じて野心家が輩出してきた。

日教組というものがその代表的なものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の頽廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけであります。

[※ 安岡正篤『運命を創る―人間学講話』より、

この御方は、歴代天皇を裏から支える秘密結社「八咫烏(ヤタガラス)」の一員と噂されている、南朝の楠木正成公の側近・堀田弥五郎のご子孫である、歴代自民党総理の指南役と言われた陽明学者で易学の大家、元号「平成」の考案者である

正確には、物故者が政府に提出した元号は縁起が悪いので採用されない慣わしだが、山本達郎東大名誉教授によって何故か「平成」が再提出されて採用された経緯がある]

 

何故か、現在の日本男児の姿が、K国男児に迫力負けしているのは、端的に「軍役」のあるなしが要因であろー

軍隊とゆーものは、つよく「生死」を意識させる

2年とゆー短い兵役であっても、すべての男子が経験していることは、国防において強みである

K国人は、戦後すぐの闇市においても、その「恨」による破壊的な自滅思想によって、その893な勢力範囲を拡げて、今に至っている

芸能界はもはや、在日(K国人)を使わなければ、映画もドラマも作られないほどに、侵蝕されている

わたしは何も「在日」がキライなわけではない(橋下徹さんとか好き ♪)、ではあるがしかし、日本の国土にお世話になっておきながらの「反日」は腹に据えかねる

[※  橋本徹も最近偏向した発言が多くて、好き発言は撤回しなければいけない、やっぱり知事時代の訪中でC国から接待漬けされたよーだ、巧妙に外国人参政権へ向かって働いている…… 2021.11.21記す]

 

世界でも類稀な日本の伝統、唯一無二といってもよい永い伝統を誇っているが…… 

伝統が瓦解するのは、一瞬である

皇室にしても、大相撲にしても、国民が抱くイメージが崩れて来ているのを感じる

端的に「尊敬」「崇拝」の念が薄れるから、それは見ていて判る、国民の行動にあらわれる

わたし自身、敬神崇祖の念が篤い家柄で育ったが、ここ二十年あまり頻発する皇室のゴタゴタには正味ウンザリしている

神事である相撲にあっても、たんなる野蛮な「荒ら事」であり、力人(ちからびと)の荘厳さは微塵も感じられないテイタラクである

こんな日本になってしまって、どーする?

ここはひとつ、ニッチに隙き間に生き伸びるしか手はないのじゃあるまいか

 

老人の生に、日本の伝統を託す

アニメが全世界で流行っている中で不思議がられることがあると云ふ

日本アニメでは、何故に老人キャラが最強なのか?

江戸期の武術書『猫の妙術』にも明らかなよーに、年老いたネコは血気盛んな若いネコを戦わずして威圧する存在感を示す

日本に内在する、この達人伝説にその原因が潜んでいよー

中国の少林寺をはじめとする中国拳法でも、生涯のうちで最も強くなる時期は、「功夫(クンフー)」を積みあげた50代の拳士であるそーだ

【画像=映画『酔拳』より、蘇化子役のユエン・シャオティエン(袁小田)

 

ジャッキー・チェンの『酔拳』の師匠・蘇化子は「シーボー」(師父・師傳)と呼ばれているが…… 通常は、敬意を込めて「老師(ラオシ)」と呼ばれる、たとえ年下の師であっても「老師」である

中国にあっては「老」は敬語なのである

[※  日本でも、五百年にひとりと云われる白隠を打ち出した禅の師匠は「正受老人」と敬称されている、この御方は真田幸村の実兄・正之(徳川家に仕えて生き延びた)の妾腹の子である]

古代中国には、「仙人」の伝説もあり、年を取ることは「弱体化」と必ずしも一致しない

東洋では、鍛え上げられた老人は若者以上の強さを発揮するとゆー伝統がある

幕末〜明治の日本でも、60歳代の中村一心斎(山岡鉄舟が日本一の剣豪と称えた)が20歳の海保汎平(千葉周作門下の麒麟児)を寄せ付けないとゆー試合運びが出来た

年老いても、若さ漲る最盛期の力技を凌駕する達人の境地とゆーものは、実際に現在に顕現させた御方がいる

東京小平市に道場をかまえる、大東流合気柔術(合気道の源流)の佐川幸義 宗範は、90歳代で初めて受けた病院の診察で、心臓に負荷をかけるために軽く運動してくださいと医師に言われて、腕立て伏せ100回休まずに行なう体力があったし……

95歳(平成10年)でお亡くなりになるまで、日本中から集まった腕自慢の格闘家・武道家の猛者たちを、「合気」でもって投げつづけて、まったく寄せ付けない別格の強さをみせた

まー、武術家のロマンではあるが、出来ない業ではないとゆー認識はいまだ遺っている

ご老体は油断ならない、ご隠居や老師匠は抜群の腕をもつことがよくある

 

人生の経験値はゆたかだし、愚民化する3Sの欲望からも離れて久しい

まさにうってつけの正統伝承者となるだろー

ただ心配なのは、「活力・気迫がなければ、善も悪も是も非もない」(安岡正篤)とゆー摂理で、まったく悟りすまして安逸をむさぼる老人ではいけないとゆーことだ

 

でも、そろそろ老人力を発揮してもよい時節ではないか

赤瀬川原平『老人力』より引用 ♪

力を抜くには 抜く力がいるもので、老人になれば自然に老人力がついて力が抜ける。でも若い間は自然には力が抜けない。

力を抜くというのは、力をつけるよりも難しい のだ。

眠ることも忘れることも、努力をもってしては到達できない。

本当に大事なのはオマケでいいんだ。[私注:俳句をとるかお店をとるかと言われて、即座にお店(生活)をえらんだ俳人・鈴木真砂女さんのことに関して]

人間の人生というのは、そもそもが寄り道なのかもしれない。ぼくならぼくというものが、ふとこの世に寄り道している。

何ごとも百パーセントはよくない。人間には百パーセント依存症というのがあって、……

世の中いろいろと面白いことがある。[私注:赤瀬川原平による「あとがき」の結びの言葉]

もちろん、歳をとってなお元気百倍、筋肉リュウリュウ、欲望ギラギラというのは結構なことである。いやホント。でもちょっと引いて考えてみて、そういう第一次産業的な力はいずれ衰えてくるもので、そこで、

「いいや衰えない!」

といって抵抗するかわりに、

「これは衰えじゃなくて、力の変化なんだ」

と考えるのが老人力で、それは第二次産業的な力というか、いや第三次か四次かわからないけど、そんなようなニュアンスのことなのである。

 

‥‥「まだまだ若いものには負けませんよ「徹夜もまだまだ平気ですよ」とか、単に物理的に青年壮年並みに頑張れることをアピールするのと「老人力」はまったく次元が異なるってことである

要は、「テキトー」に出来ることが、「老人力」がついている証しである

老人ならではの達観や生き方もあってしかるべきで、ちょうど中国歴代官僚を支えた孔子の儒家よりも、一般庶民は老荘の道家にむしろ馴染んだよーに、社会の主流にはならなくとも下支えする地下底流となってもよい

         _________玉の海草


  「まじめな日本人」 像が壊れた年〜 1977 (昭52) 年

2021-07-20 16:30:35 | 歴史・郷土史

__ 受験するときに、重要視される「内申書(調査書)」に隠された国家戦略 …… そして日本的真面目さが国民からソッポを向かれた注目すべき年を振り返ることで、古き良き日本人から現在の姿に移行していったプロセスを辿る

 

昔流行った、アルビン・トフラー『第三の波』注目すべき記述があったことを後年に知った

昭和の時代、所謂「内申書」に書かれる項目には、深い仔細があったのだと云う

学校生活をきちんと送ることは、当時の高度成長経済の工業従事者に求められる適性と密接にリンクすると云うのだ

底知れぬ深慮の御仁が創案したものででもあったのだろーか

 

そこには、重要な3項目のチェック・ポイントが存在する

①時間を守る(遅刻しない、毎日通学する)

②教師の話をよく聞く

③授業の退屈さに耐える

 

…… ③番なぞ、特に秀逸な視点である♪

毎日続く退屈なルーティンに耐性を具えていることは、極めて大事には違いない

①は、そのまま会社の通勤や規律に結びつくし、

②は、上司や先輩への姿勢に反映することでもある

つまり『内申書』の評価は、工業製品の製造業者に求められる適性の有無を正しく伝えていることになる

実に卓抜なシステムだったんですナ

 

現在、内申書の評価はどんなものなのか、よく分からないが…… 

名門「栄光ゼミナール」の資料(内申書対策)の中には、確かに上記のトフラー説を裏付けるものがある

学業成績の他に、出欠状況、行動記録(特別活動ー部活動、生徒会活動、学校行事)、そして担任による総合的人物所見…… 興信所みたいな雰囲気がある

 

実際の内申書対策を具体的にみてみると…… 

内申点を上げる3つのポイント

最初に見たように、内申書は学期ごと、学年ごとの成績の積み重ねを1枚の書類にまとめたものだ。だから、学期ごとの成績を上げることが内申点のアップにつながるよ。では、成績を上げるにはどうしたらいいのだろうか。

①定期テストの点数

②課題の提出状況

授業態度・学習態度

‥‥ なるほど、上に立つ人の言うことをマジメに聞いて、授業態度がよい生徒は、工業社会に入っても、忠実な部下となることだろー

 

別の角度から、昭和の日本人の意識変化をみてみると…… 

映画『ロッキー』や『フラッシュ・ダンス』が上映された頃…… 

まじめに努力して、成功を掴みとるストーリーが、日本中を感動させたとばかり思っていたのだが…… 

しかし、勤勉で上昇志向の日本人にヒットするはずの、これらの映画は、目論見を大きく裏切って‥‥ 実は不振だったのである!!

日本人の意識調査……  日本青少年研究所/日本生産性本部/日本経済青年協議会/統計数理研究所/総務青少年対策本部庁が収集・集計したデータの年毎の推移を仔細に追っていくと、

この時期に、劇的な転換”(価値観の逆転)が表面化しているのだと云う

 

千石保『 “ まじめ ” の崩壊』(サイマル出版会.1991年)に拠ると

>1977(昭和52)年前後のこと、日本人の価値観が決定的に変化した。…()…

それまでやたら権利を振りまわす傾向が強かったのだが、

1977年、公共の利益のために私権が制限されてもやむをえないという意見が多くなり、当時、社会党の支持率が二割近くも激減している。

左翼的なイデオロギーでなければ学生でない、といった雰囲気もガラリと変わり、保守的でおとなしく反抗しない学生へと変身したりした。

このほか、仕事優先⇒余暇優先、勤勉⇒遊び志向、そしてマンガの流行、カラオケ・ブーム、深夜TVの女子大生ブームを経て、

シャイな日本人から パフォーマンスの日本人へと、日本人の “ ひとが変わった ” のだと千石氏は云う

高度成長が頭打ちとなり、「モノ作り日本」の製造加工業種に翳りが見えて来ると、下積みの長い職人よりも手っ取り早く稼ぎたくなるものか…… 

アイドルはじめ「虚業」の無生産者が全盛期を迎える80年代

個性重視で「個人主義」へ傾き、その流れで「世界進出」が奨励されて、スポーツの分野においても世界レベルに伍して自分を主張できる日本人が現れ始める90年代

 

>昭和52年前後に、いったい日本で何が起きたのか。

大きな社会事象としては、第一次オイルショックによる日本経済の低成長だろう。

昭和48年暮れに日本を襲ったオイルショックは、翌49年にトイレットペーパー不足などの狂乱物価といわれる事態を引き起こした。人手過剰、高賃金を背負った企業は、人減らし作戦に打って出た。

この事態に―

右肩上がりの経済成長を当然視してきたサラリーマン達は、家庭をないがしろにしてまで忠勤に励んだ会社からソッポを向かれ、会社から離れては一向に潰しの効かない自分を発見して愕然としたのである。

>不思議なことに、当時、この父親の子供であり最も感じやすい年代の中学生だった昭和378年生まれが、後の「新人類」第一号となった。

多分、この深刻な父と母の会話が彼らの価値観に大きく影響したのではないか。

会社のために生きるのではなく、自分に忠実に生きるべきだ、と…… 

 

‥‥ なんとも身につまされる話である

わたしは当の新人類(栗本慎一郎命名)の世代なので、歴史の水面下で起きていた事象に愕然としてしまう

1980〜1982年の「漫才ブーム」の時は、私は高校生だったが…… 

ツービートのたけしの科白「赤信号、みんなで渡ればこわくない」が一世を風靡した

この流行語は、日本人の生真面目さを手玉にとった笑いで、新人類の一回り上の世代である「団塊の世代」を代表するビートたけしを際立たせた

2007年から、この「団塊の世代」(1947〜1949年生れ)の定年退職が始まった、つまりサラリーマン人口の大幅な減少が見込まれた

そして彼らの子ども「団塊ジュニア」(1971〜1974年生れ)は、30代の働き盛りに差しかかる

2007年は、ブログ『伊勢-白山 道』の始まった年でもある

この十数年に、何が起こったのか……  未曾有の自然災害(?)に相次いで襲われることとなったが、その一方で「感謝」がキーワードとなって、日本人の美徳が世界から褒めそやされることになる

若者たちは、尊敬する人物として、自分の両親を挙げるよーになる

悪いことではないが、昔の日本人は身内を持ち上げないものだった

さてさて、これからどー変わるのか、果して日本人はそれほど特別なのか、注目してゆきたい

         _________玉の海草

 

 


 古代の日本海航路〜 『山海経』 に出てくる出羽三山

2021-07-11 18:40:51 | 歴史・郷土史

‥‥ 昔書いたものだが、まとめておく

敬愛する郷土史家・田村寛三さんの『続・さかた風土記』より、古代の日本東北と中国・朝鮮との交流を示す一文を……
> 恵果和尚は弘法大師に真言密教を伝えた。
そして弘法大師が日本へ帰ろうとするとき

 

「日本の海岸線を東北へゆきなさい。そうすると大きな河の上流に、生きた胎蔵界の大日如来が、おられるから、ぜひ、たずねなさい」

 

と、すすめたという。

 

‥‥ 日本海を北上すると大きな河(最上川)があり、その上流に生き身の胎蔵界の大日如来(湯殿山のご神体=宝前)が存在すると恵果阿闍梨が何故ご存知であったのか?
この驚嘆すべき記述の根拠は、一体何処にあるのか?

 

> 日本古代史の中国側の文献としては『魏志倭人伝』だけに眼が向けられ、それよりも千余年も前にまとめられたといわれる『山海経(せんがいきょう)』には一顧もされなかった。

[※ 『山海経』と云っても、仏教のお経ではない。孔子『易経』や老子『道徳経』のよーに、「道」「手引き」の意味を持つ]

 

‥‥ なんでも、故・田村さんは、平成3年に台湾の民俗研究家・李岳勲 氏 が苦節40年を経て出版された、『日本太古の風土記 わたしの山海経 全訳(日本語訳)』を直接頂いて、そのなかに郷土の鳥海山、湯殿山、羽黒山についての記述があることを指摘されたのだという
ネットであたってみると、数ヶ所の大学図書館で既に所蔵されている本のよーだ

 

【山海経】についての田村さんの認識は次の通りである
> 『山海経』は紀元前1122年、姫氏周朝の頃、出現したといわれる中国の最古典だ。

この経は日本の語り部が、語りきかせた日本の風土記を、文字を知っていた中国人が、語り部が符丁(暗号)を記した玉版や、竹簡、木簡を元にして、日本語の音を漢字の訓に移し変えたものの残欠をとりまとめて一書にしたもの。
三千年以上も前に、潮流の関係で日本に漂着した中国人によるいわば日本見聞録、とくに山や海等について記したのが『山海経』で、日本と中国との交流文献としては一番古いもの。

 

‥‥ 日本海をはさんだ交流の証しとして、田村さんは昭和29年に遊佐町三崎山で発見された、中国殷時代以前と思われる内刃反りの青銅刀(シベリアン・ナイフ)を挙げている
シナ文化は、北進して沿海地方から日本海を経て東北・北海道に渡ったことを裏付けるものとした
つまり、沿海地方ぞいに南下するリマン海流・朝鮮海流に乗り、対馬暖流の流れにまかせて、古代中国人が鳥海山のふもとに漂着したことを示していると云う
うちの庄内地方では、西暦700年代に千人規模で、大陸の渤海国から移住して来たとゆー伝承が残ってもいる
青森・秋田でも、漂着した大陸人との混血は多いはずである

> 果たして『山海経』には鳥海山、湯殿山、羽黒山のことが記されている。
鳥海山については、忌部(いみべ)ないし齋部(いんべ)の人たちが、天孫降臨以前に鳥海山に居ったことから大物忌神とつけられたと理解される文章となっている。
炫毘古(かがひこ、かぐつちの神、火の神、母いざなみの命はこの火の神を産むとき「ほと(陰)」を焼いてなくなった)が 父いざなぎの神から斬られた時に、ほとばしった血の一滴が鳥海山に飛んできて石筒(いわつつ)の男の神となった。

この神が経津主(ふつぬし)神の祖(みおや)であった。

この石筒の男の神が高千穂朝以前に鳥海山の忌部をつとめていた、というのである。
鳥海山の大物忌神社の由来が遠き神代の昔、火の炎帝の一滴の血液から生まれた石筒の男の神だとする。

鳥海山を太陽の山とか、農業神とするのも、このことに由来していると思われる。


> 湯殿山は、芙桑(ふそう・日本)の大木(根幹)と表現されている。
> 羽黒山は、成人女性が歯を染める鉄漿(かね)が出たことから「歯黒」とした、と記されていた。

‥‥ 長々と引用したが、最初の恵果阿闍梨がお大師さんにかけた餞けの言葉にもどると、中国の知識階級の間では『山海経』の知識がある程度普及していたと考えれば、恵果が湯殿山を知っていても可笑しくはない
事実はともかく、現在、湯殿山(高野山ほどではないが、鉱床の水銀含有量がおそろしく高い)の発見者、開山を弘法大師としているのも、あながち理由のないことではないと田村さんは云われている
わたしとしたら、驚天動地のお知らせなので、自分なりに裏を取らずにはいられませんでした

 

現在市販されている『山海経』(高馬三良訳・平凡社ライブラリー) を入手し、指摘された点をあたってみた
日本の「倭」とゆー国名は、『山海経』が初出なのだそーだ


第9・海外東経に、黒歯国・扶桑の大木・湯のわく谷等載っている
第14・大荒東経にも、九尾の狐(=玉藻前)・黒歯・湯谷・扶木とか……
第12・海内北経に、倭・蓬莱山(富士山)……
第4・東山経にも、扶桑・神木など


この新書版の解説「日本に渡った精霊たち」は、なんと水木しげる先生の筆になる
まー、トンデモ話で頗る面白いのだが、史料としての信ぴょう性には大いに欠けるよーではありますね ♪
古代の人々の往き来は、現在からは想像も出来ないほど盛んだったのではと思わせる事例には事欠きませんけれどもね

 

‥‥ あらためて読んでみると、日本の正史では伝わっていない消息が読み取れる

出羽三山を開山なされた蜂子皇子は、聖徳太子とは従兄弟同士で…… 太子からのアドバイスで暗殺されるのを逃れて、日本海側の庄内に辿り着いたとも聞く

京都の「由良」から船を出航して、到着した八乙女浦もまた鶴岡市の「由良」であった

蜂子皇子のお墓は、東北で唯一の宮内庁管轄の墳墓である(崇峻天皇の正式な皇子であらせられるから)

以上