『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

 いやな日本語〜 「感謝です」 に再ダメ出し❌

2022-01-27 12:11:30 | 日本語

__ブログ『伊勢-白山 道』に投稿して、掲載されたものと不掲載だったものをまとめてみる。個人的にはよく出来ていると思ったのだが…… 

 

「感謝です」は、敬語ではない

ーこの間、新庄ビッグボスがこう発言した

「報道関係の皆さんが球場に来てくれることによって選手の気合の入り方が変わることに【感謝です】」

 

個人的には、「感謝のことば」には敬意を込めるものだと思う

そして、「感謝のことば」は、ぞんざいな話しぶりであってはならないと思う

 

それで、私は「感謝しております」を使うのだが……

この場合、「おります」と謙譲(へりくだり)の表現を添えているので……

「感謝しております」は、敬語である

それに対して、「感謝です」は、普通に気持ちを述べているだけで、尊敬あるいは謙譲の意味は含まれていない

つまり、「感謝です」は、敬語ではないのである

「感謝」に「です」を付けただけの丁寧語である

 

同じような言い方に……

・「お世話様です」(目上には使えない、メールの冒頭にも使えない)

・「お疲れ様です」(秘書検定では、目上にも使ってよいとされている)

・「ご苦労様です」(目上から目下にしか使えない)

・「恐縮です」(この言葉自体に身を縮めるような畏れや謙虚さを含んでいるため、正式な場でも使ってよい)等がある

 

わたしが、そのなかで特に「感謝です」という言い方に、異様なほどの違和感を抱くのは何故なのか、いままではっきりと分からなかった

しかし、どうやら「感謝です」という言い方には、当然あってしかるべき「敬意」が込められていないことにようやく気がついた

「感謝」という厳粛な気持ち、真心をこめて発するのが「感謝のことば」なのだと思う、そこには相手に対する敬意が伴うはずである

 

たとえば「生かして頂いてありがとうございます」は、「頂いて」が謙譲表現、「ございます」が丁寧表現で、立派な敬語である

神に対し奉っても、ご先祖に対して発しても、ふさわしい言葉・言い方となっている

それに対して、「ご先祖様に感謝です」と言ったらどうなのか

「ご先祖様に感謝します」でも同様である

要は、この二つは普通の丁寧な言い方なのであって、そこに敬意は込められていない

「感謝しております」「感謝いたします」ならば、謙譲の意味をもった敬意表現である

「感謝する」で、一語の動詞なのである

その「感謝する」を丁寧に言ったものが「感謝します」である

そして、動詞の「感謝する」の頭のみ使って、末尾の「する」を省略して、軽〜く言い回して、丁寧語の「です」を付けたものが「感謝です」である

 

ー「感謝です」って、随分と軽薄な言い方なのだとお分かり頂けるだろうか?

「感謝です」と口から出てくる、その薄っぺらい日本語感覚、中身の無さが問題なのである

わたしは50代の読者だが、「感謝です」なんて言っている人は到底日本人とは認められない

さらに云えば、たとえ「感謝しております」と正しい敬語を口にしたとしても、相手に対する直接的なお礼表現である「ありがとうございます」を必ずそこに添えるべきだと思う

 

 

こういう日本語は語り継ぎたくない

「報道関係の皆さんが球場に来てくれることによって選手の気合の入り方が変わることに❌感謝です」(日ハムの新庄ビッグボス)

  「一度プロ野球選手として死んだ身。

僕をもう一度生き返らせてくれたファイターズに❌感謝です」(トライアウトから日ハムに入団した古川選手)

__ そして、

忙し◯こと◯も、感謝が大切です。

そ◯成れる健康にも❌感謝です

__ これは、リーマンさんの記事から引用しました[※  私注;『伊勢-白山 道』から引用するのは禁止されているので、一部伏せ字にしました]

上記のお二人は、大学教育をうけていませんから、リーマンさんと同列に並べるのは不公平かも知れません

でも、お三人とも同じレベルの日本語です

以前、これからリーマンさんのブログを研究する者があらわれるとの予言がありました

わたしは、一日本人として、この手の日本語を後世に伝えたくはありません

そういう思いを懐いている者がいることを、ここに表明しておきたく存じます

「感謝です」なんて、文章に書く時代が来るとは……

本の形で、あるいはデータとして残ることに同じ日本人として恥かしさを覚えます

ただし、こうして文句を云えることにも感謝いたしております

 

[ 悲しい追加:2022-10-14 の拙稿より

ついきのう、テレビ画面をみて、烈しくSHOCKを受けたのだが……
50周年のユーミンのアルバムが、ランキング一位になって、彼女が御礼のコメントを述べる映像を観ていたら…… なんと、あのユーミンがですよ、
「❌感謝です ♪」と言っておった。
あの、言葉の魔術師との形容がサマになる、数少ない作詞者であるユーミンが、近年流行りの短縮化表現「感謝です」を口にするとは、何たる時代なのだろう。そのうち、公の席でも使うようになるだろう。
(私は、厳かな感謝の気持ちを短縮して言うのは大反対である、「感謝です」に感謝の意は乗らない) ]

 

 

__ ことばは丁寧ながら、われながら充分皮肉のきいた辛辣さではあるね、後段の投稿“こういう日本語は語り継ぎたくない”は、不掲載でした

「悪貨は良貨を駆逐する」とゆー諺は、言葉にもあてはまりそーだ

一般大衆から広くつかわれるよーになった言葉は、たとえ伝統的な日本語と比べておかしくても、また文法的に間違っていたとしても、その言葉が定着してしばらくすると辞書にも書き加えられる

だから、日本語とくに口語は、国民の総意で決まるのである………… (以前に、「顔晴れ(=頑張れ)」と書いていたスピ系団体があったが、伊勢白山道でも「ありがとう御座位ます(=ございます)」と書いていたことがあり、いまだに呪文のよーにそのまま書いている読者が存在する……   日常的に本を読まずにネットでも限られたブログしか読まない無学な人は、ほんとうにそー書くものだと思っているから手に負えない、フォロワー数の多いブログ主は自分の記事の文章について、社会的責任を果してもらいたいものだ)

それだけに、後世の日本人に手渡せる言葉をつかいたいとゆーのは、私の偽らざる心情である

 

『うっせいわ』とゆー十代の若者がつくった歌が流行ったが、あれを彼女が生涯歌い続けなければならないことに、私は切に同情する

一時の気の紛らわしのために、こんな幼い歌をリリースして世間でヒットする、これは有名税どころではない負債を背負いつづけねばならない

この歌をピックアップして流布させた大人には、より責任があろー

日本は、なるほど「子どもの国」である

            _________玉の海草

 


《ちょい言》 「女」 だけに、それができる

2021-09-18 02:19:20 | 日本語

__こーも国家的非常時が長くつづくと、現実感覚がマヒしはじめるね

私的なことでは、母の認知症が発覚してからずっとこのかた…… わたし個人の内では 「非常時」 がつづいている

567騒動を先取りする形で、呆けた老人が突っ走るのに付き合ってきたわけだ

惚け老人と一緒に暮らすのが、こんなにも心掻き乱されるものだとは、当事者となって初めて知った

まー、私の内では、567と母の介護が同列であり、まったく異世界に入り込んだ気分とでも云ったらよいか

ひとが苦しんでいるときに、悪さを仕掛ける冷血漢は、567騒動でも出没した、まさに東日本大震災で原発避難留守家庭に空き巣に入る人非人とおなじだ

内閣も国民の不満の矢面に立ち、まったく冴えないのに加えて、皇室でも前例のない振る舞いが取り沙汰されている昨今、日本人の行く末はいままで以上に心配される

 

うちは、山形県の地方TV局を視聴しているのだが…… 

このあいだ、こんなアナウンスがあった、

「夕暮れ時に、高齢者が犠牲です」

NHKではないが、ちゃんと難関のアナウンサー試験を通り抜けた秀才たちにして、この言葉遣い…… 

電車の中吊りを読み上げているわけじゃないんだよ

なんで、話し言葉(口語)で「高齢者が犠牲になりました」と言えないのか

そー言ったほうが、動的な表現になり、視聴者は即座に理解するであろー

原稿を書く報道局メンバーの見識が、すでにこのレベルに落ちてしまっているのだ

いまや、東京のキー局でも、この新聞見出しを読み上げるよーな、体言(名詞)止めの言い方に「です」を加える短縮文が横行している

いまの40代あたりの中堅アナウンサーが、「では、次です」とか言う表現を常態化してしまったのだ

この世代は、飲食チェーン店での「注文の方、よろしかったでしょうか?」とかの可笑しな日本語を流行らせた世代でもある

「団塊ジュニア世代」あたりか……  ほんとにもう日本を潰す気なのか

マツコは割合キレイな日本語を話すが、キムタクとか中居くんとかはガキっぽいとゆーか、スラング的な日本語を芸能界に持ち込んだ輩である

それを、その下の世代は真似するから、おかしな言葉が蔓延する

音の響きが耳に心地よく、流れるよーに滑らかな日本語が聞きたい、特に女性のコトバは乱れている

 

いま総裁選に出ていらっしゃる高市さんとか、もとアナウンサーの桜井良子さんとかは、語り口に信用がおける

女性は、まわりに合わせる性分だから、朱に交わるのも早い、たやすく汚染されないよーに注意してもらいたい

きのうの長文「しないこと」の見者ドン・ファン・マトゥスが、雄性には決して真似できない雌性のずば抜けた生命力を詩にしているので、紹介します

 

“ 非情に、しかし魅力的にな。

狡猾に、だが気持ちよく。

忍耐強く、だが活発に。

やさしく、だが容赦なくな。

女だけにそれができる。

 

ー非情さが苛酷さに

ー狡猾さが残酷さに

ー忍耐が怠慢に

ーやさしさが愚かさに

なってはならない

 

‥‥ オンナのもつ大地母神の性は、みずからを地縛天使(アース・バウンド・エンジェル)の地位に押し込めがちだが、その潜在力を存分に発揮すれば、

「大自然と同位に立つ」(G. アダムスキー) のは、さして難しいことではない

『日本沈没』を著した理系作家・小松左京も、こー云っている

> 「 自分は ただ土であって要するに人を生み出す役である。なぜ人を生み出すかといったら、生み出した子供が 要するに宇宙を理解したり、宇宙を動かして知るために生み出したんだということがわかっている 『母そのもの』 のような人もいるんです。たいへん大きな女の人がいると思うんですね。」

 

わたしの母もそーだった、昔の女性は単に「男尊女卑」の慣習に仕方なく従って暮らしていたわけではない

女性としての性の強さ(したたかさ)を分かった上で、わが愛息を厳しく育てた女丈夫もいくらでもいた

「泣くんじゃありません、強くなりなさい」とゆー激励は、男の性の意気地のなさ、脆弱さを熟知しているが故の初期教育だったのだから…… 

自分の会社が潰れると自殺するよーな男性社長にならないよーに、何としても生き延びる生命力を母は息子に身をもって教え、生きている限り息子を支え続けた

オトコは、ほぼ例外なく、そんな 大母性 (聖母性)には仕えるものだ

         _________玉の海草

 


 時代劇 「おじゃる言葉」 をあみだした怪優

2021-08-25 03:00:29 | 日本語

__お公家さんの 「 〇〇でおじゃる 」 とゆー話し振りは、映画『柳生一族の陰謀』(1978)において、初めて登場した

 

深作欣二監督と、千葉真一ががっぷり四つに組んだ本格派時代劇は、いま観ても豪華すぎる布陣で、サニー千葉ちゃんの初めての時代劇挑戦であった

 

【 RIP.  JJ.Sonny Chiba ちゃん、あなたほど天下の剣豪・柳生十兵衛を知り尽くした人はおられますまい、優雅にして力強い剣戟で時代劇の品位を高めた功績は測り知れない、つつしんで哀悼の気持ちを捧げいたします 】

 

「裏柳生」 とタイトルに書かれた原案を千葉ちゃんが持ち込むと、オリジナリティに富む深作監督が間髪入れず「面白い」と応じたそーだ

秘密裡に「倒幕」を悲願とし、天皇親政をもくろむ公家衆と、圧倒的な武力を持つ徳川幕府との暗闘…… 

朝廷側の交渉役は、烏丸少将文麿や三条大納言、主上(天皇)へ奏上できる職権をいいことに、のらりくらりと和歌を吟じるよーに、間のびしたやり取りで、幕府方の使者を苛立たせる

朝廷vs幕府の火花散る、そんな緊迫した場面で……   簡潔果断な武家言葉に対抗して、のんびりとのびやかに柔らかい公家言葉「おじゃる言葉」が、殿上人の法外な誇りと独特な宮廷の雅びを感じさせた

 

 高校の頃、たしか日曜の午後二時ころでしたか…… テレビ版『柳生一族の陰謀』が放映されていました

柳生十兵衛は小さな時分より大好きで、サニー千葉ちゃんの十兵衛は出色の出来です

他には、若林豪 や 近衛十四郎 なんかいいですね

このテレビ版には、いい役者が剣豪として出ておられました

忘れられないのは、「八寸の延金」の真新陰流・小笠原玄信斎には 南原宏治 さん、柳生連也には 石橋蓮司 さんとか……

[※  映画🎞の小笠原玄信斎は、丹羽哲郎がやったおられた

徳川家康の剣術指南をした奥山休賀斎(上泉伊勢守の弟子)の弟子で、中国に渡り「八寸の延金」を会得、帰朝して、真新陰流の道場を開いて、無敵を誇る

神谷伝心斎(直心影流)や針谷夕雲(無住心剣)など、名人と謳われる弟子を輩出した]

そーした大看板を向こうにまわして極めて異彩を放ったのは……

映画版から引き続き同じ役を演じられた烏丸少将文麿の  成田三樹夫 と、映画では三条大納言でTVでは中院通村を演じた 梅津栄 さんでした

当時、進学高に通っていた私は、数学の章末テストとゆーものが二週にいっぺん位あるのですが、合格点とるまで何度でも追試を行うのです

追試受けているうちに、次の章末テストが来たりして 、まさに自転車操業の忙しさでした

心も追い詰められて荒んでいたものです

そんな状況下で、画面いっぱいに繰り広げられた狩衣装束のお公家さん同士の珍妙なおしゃべり……  鮮烈なインパクトがありました

御所の控えの間みたいな処で「おじゃる言葉」を駆使して優雅に武家の悪口を言い合っては「オホホホ」と笑い合う烏丸少将との遣り取りには、腹の筋肉(ブルースリーを信奉してた私は当時シックスパックに割れていました)がよじれるほど笑わせてもらいました ♪

[※ おそらく第六回、池広一夫監督「根来忍者は死なず」でのことでは(?)と思う]

🌿__ 追加(20230103)

時代劇チャンネルでやっていたので、第6回を観てみたら、梅津栄の演っていた役は中院通村卿で、テレビ版『柳生一族の陰謀』には、この一回しか出ておられない。私が感動したのは映画版で、「和歌を詠める」と歌うように朗々と語り出す三条大納言バージョンかも知れない。訂正してお詫び申し上げます。

 

暗く苦しい高校生活で、腹の底から笑いが込み上げてきたのは、この「おじゃる言葉」の掛け合いだけだったかも知れません

[ この 公家の口語「〇〇でおじゃる」は、俳優・梅津栄さんの発案創始されたものです。

【画像:東映映画 深作欣二監督『柳生一族の陰謀』より、三条大納言】    

 

室町時代の公家は実際このよーに遣ったよーですが、江戸時代の公家に「おじゃる」と喋らせたのは、梅津さん夫妻の図書館通いの成果と飛び抜けた言語センスであったのです]

成田三樹夫は声が重低音で、すこぶる響くのですが、滑舌のよい甲高い裏声もまたよいのです

真面目半分、冗談半分のよーなお公家さんの、朗々と和歌を吟ずるかの様な言葉の遣り取りには、正味衝撃を賜りました

笑い過ぎて、肉離れ起こすんじゃないかと本気で心配したほどです

『柳生一族の陰謀』は藩のお取り潰しや忍者の使い捨てなど、裏工作のリアルも描かれていたので、成田さんらの「マロ」の滑稽みは一際耀きを放ち、奥行きのある時代物語に成ってゆきました

 

‥‥ 梅津栄と茂子夫人が、幾日も図書館に通いつめて二人三脚で創案された「おじゃる言葉」を、実際に撮影現場で試したところが、

梅津さんの、あの神妙な面持ちと大真面目な口調で「マロは、〇〇でおじゃる」と発するものだから、スタッフ一同堪らずに大爆笑だったと聞きます

撮り直しても、梅津さんの三条大納言のセリフに差し掛かるや、またぞろ皆が笑いを堪え切れず撮影にならなかったほど、ウケたそーです

梅津栄とゆー役者は、狂気を孕みながらも、フツーも出来て、突き抜けたよーな大胆さと人懐っこさのある御仁でした

ドラマ『必殺仕事人Ⅳ』で、ひかる一平演じる順之助を「順ちゃ〜ん」と追いかけ回して、抱きついては接吻を迫るオカマのおじさん「広目屋の玉助」も、ほのぼのと奇天烈な魅力がありました

 【画像:朝日放送 『必殺仕事人Ⅳ』より、広目屋の玉助】

 

あの滑舌と知性あふるる冷徹な眼差し(頭が切れすぎて、いっそ阿呆な印象)は、滑稽みのある温かな風貌とあいまって、主役を喰らう脇役でした

書も能筆なんですね、「海人」のいきいきと躍動する隷書が素晴らしい、境涯の書ですね

   【画像:梅津栄さんの書】

 

むかしは、凝って練れた唯一無二の演技をする面白い役者がよくいらっしゃった

 

『子連れ狼』の「虎落笛(もがりぶえ)の回、黒鍬者の強敵「弁天来」の長兄で冷静沈着な弁馬や、特撮ヒーロー『レインボーマン』の師匠ダイバダッタ、それに江戸川乱歩の『人間椅子』の演技も不気味だが人間味あふるる眼差しに温もりがある名優・井上昭文

 

   【画像:フジテレビ『座頭市物語』より】

 

 

おなじく『子連れ狼』で、原作を上回る出来映えの「阿部頼母(怪異)」を演じて、時代劇ファンを心底唸らせた、高貴な御方から下卑た悪党まで、なんでもござれの名優・金田龍之介

 

【画像:NHK大河ドラマ『葵徳川三代』より、天海大僧正】

【画像:日本テレビ『子連れ狼』より、ご公儀御口唇役(毒見)・阿部頼母】

 

そして、NHK大河『新平家物語』(1972)で、左大臣藤原頼長を演じて、かの白洲正子をして、その品のいい立居振舞と衣冠束帯のいかにも似合う佇まいに瞠目させた名悪役、成田三樹夫 …… 

 

【画像二枚共:NHK大河ドラマ『新平家物語』より、悪左府・藤原頼長卿】

 

実は、私の母校の先輩なのである、成田三樹夫の姪子さんと同級生だったのが私の密かな自慢だ ♪、つつましく穏やかな美人で小さい頃は悪役の親戚だからとよく虐められたそーだ、成田三樹夫は東大中退して山形大に入り直してまた中退……   地のままで「インテリ・893」の出来そーな教養を兼ね備えていらした

烏丸少将文麿は、彼のもっとも高潔な風雅があらわれた役だったと思う(文武両道で、筋骨隆々な京流の剣豪である)

 

  【画像:東映映画『柳生一族の陰謀』より、烏丸少将】

 

千葉ちゃん、『柳生一族の陰謀』を率先して引っ張ってくださり、まことに有り難う御座います

時代劇の世界は、武家の「不自由さ」ゆえに傑出した物語が生まれる土壌があるんですね

ちゃんと、刃筋を立てて打ち込む美しい太刀遣いをみせる 佐藤健 や、本物の武術家の体捌きをみせる 岡田准一 のよーに 「 一行三昧 」 な時代劇役者も育ってきています、どーなることやら、武士道とチャンバラ時代劇とは一蓮托生のよーな気がするなあ

時代劇は案外、日本文化の牙城であるのかも知れん

         _________玉の海草

 

 

 

  

 

 


《ちょい言》 なんでも短くして〜 感謝のコトバまで

2021-08-22 12:52:06 | 日本語

__大恩ある人の訃報を聞いた芸能人の、感謝のコトバは、繰り返しテレビやネットに流れるから影響力が大きい

(✖️例)> 「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」

↓↓↓

(説明)「前向きな心と言葉をありがとう」と聞けば…… 言わんとする意味はまちがいなく通じる

しかし、「心をありがとう」「言葉をありがとう」「感動をありがとう」「励ましをありがとう」「親切をありがとう」などなど…… 

このうち、「言葉をありがとう」は、「言葉」とゆー確かなもの(文字にできる、音として聞こえるもの)を相手にしているので、おかしな感じはあまりないが…… 

しかし、心・感動・励まし・親切などの「無形なもの」への感謝のコトバは何か変な感じがする

「〇〇をありがとう」と言った場合、「〇〇」に対して何か「物」扱いしているよーな感じだ

西洋文化の「give & take」の発想ですネ

本居宣長は、この国本来の「大和心(やまとごころ)」に対して、大陸から伝わった感性を「漢心(からごころ)」として区別して排斥したが…… 

「心をありがとう」とかゆーのは、「欧米心」(広義の「漢心」ではある)とでも名づけましょーか

 

ーでは、巻頭の芸能人の発言(この人は長らくアイドルで「凄え」とテレビで発言した最初の人だ)をどのよーに言えば、「大和心」なのかと言われたら、私ならばこーゆー

(✖️例)> 「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」

↓↓↓

(私の言い方)「どんな時も、前向きな気持ちで、心のこもった言葉をかけて下さり、いつもありがとうございました」

 

‥‥ やっぱりねえ、「言葉をありがとう」より「言葉をかけてくれてありがとう」の方が、相手の気持ちのこもった行為・行動に対して感謝している風情になるのよ

相手のやってくれた行為を、「心」とか抽象的な「名詞表現」にするよりも「動詞をつかった表現」にして動きを描写した方が、臨場感があるのではないかな

なにか、よろず(万事)カンタンに「モノ」扱いして、短く省略して表現するのは、私は好かない

「〇〇に注目です」「それでは、次です」などの、アナウンサーの言っているコトバもこれと同じ消息であろー

いやな言い方を発明したものだ、とりあえず意味は通じるし、テレビマン的表現をすれば「尺が短い」のだから、すこぶる便利な言い方である

 

ーシンプルな言い方だが、「美しい日本語を話しましょー」とゆーことになる

フランス人なんか自らのフランス語に対する誇りが、おそろしく高い、世界で最も美しい発音のコトバだと芯から信じている

日本語脳、虫の鳴き声がコトバとして聴こえる感性や、日本語にあらわれる日本的霊性を、いまいちど見つめ直す時節になったのではないか

喪われてから悔やんでも、「コトバは生き物」、もはや間に合わない

         _________玉の海草

 

 

 

 


❌ 「感謝です」 じゃないでしょ…… 知らんけど

2021-08-08 14:44:20 | 日本語

__日本女子レスリングは、あいも変わらず凄い

向田真優選手も、須崎優衣選手にしても、決勝戦は中国選手が相手で、圧倒的に試合を進めて金メダルを獲得した

卓球の仇をレスリングで取った形で、私としても万巻胸に迫る思いがある╰(*´︶`*)╯♡...ハッピーハッピー

 

須崎選手の優勝後のインタビューがまた快かった

「今の自分があるのは自分に関わってくれた、すべての人のおかげ。 感謝の気持ちでいっぱいです。 夢みたい」

‥‥ 必殺技のアンクル・ホールドを有して、全4試合10ポイント差がつく「テクニカル・フォール」勝ちで0失点の完全勝利、とてつもない強さだ

夏目三久アナウンサーも、婚約発表の時に「感謝の気持ちでいっぱいです」と言っておられた

 

それに対して、昨今よく目にする 【 感謝です 】 は、非道い言い方だと思うのです

日本人は褒めたり称えたり御礼を言ったりするのが苦手だとはいいますが‥‥ 

「感謝」とゆー厳粛な気持ちを表すのに、 【 感謝です 】 なんて、軽薄な言いざま(短縮形でしょ)はないと思うのです

「(あなたに)感謝しております 」と、きちんと相手に向かって発するべきです

ところが、「感謝」の言い方を知らないものだから、日常生活では他人が感謝している風景になかなか出会わないものだから、SNSでよく見かける「感謝です」をつかってしまうのね

よっぽどの知識人でも「感謝です」なんてつかっていますもんね、「感謝しています」 とゆー正式な言い方を目にする機会は、確かに少ないかも知れない

「クリティカル・シンキング」(耳にする回数が多い言葉が「正しい」と思ってしまう事) って奴よね、困ったもんだわ、ほんとうに…… 

他にも、

「ファイトです」「ガンバです」「ナイスです」

「ご苦労様です」「了解です」「しばらくぶりです」

‥‥ などがありますが、全部失礼な言い方です

この「名詞+です」の表現 は、必ずしも丁寧な言い方ではない んですね、「です」をつけたからいいとゆー問題ではないのです

口語ならば問題ないにしても、目上の方には使えなかったり、文章表現としては失礼にあたったり、違和感があったりで色々問題がある例です

わたしも「ご苦労様です」や「しばらくぶりです」は遣っているので、少しく反省いたしました

「お疲れ様です」でも、多少おかしいのだったな(目上に対してねぎらう言い方はおかしいのだとか)

「ご苦労様でございます」は、私は目上に遣っていたな

つまり、日本語では先に帰宅する上司にかける正式な言葉はない とゆーことです、何か相応しいコトバを考えなけゃならない処です

[※  他にも、日本語には知らない他人を呼ぶ言葉がない、「旦那さん」や「おじさん」「おばさん」は多少つかえるが、英語の「 ヘイ ♪、ブラザー/シスター 」「ミスター/ミズ/サー  みたいな親しげな呼びかけが日本語では出来ない

例外的に、大阪では「おっちゃん・おばちゃん」とゆー自然で敬意のこもった言い方がある、「おっさん・おばはん」は失礼な言い方なのである

関西人のコミニュケーション能力は、さすが天子さまのおはす都付近の「近畿」「畿内」にお暮らしになっておられるだけのことはあって、日本随一のこなれた話しぶりである

東京には、関西人の「おっちゃん・おばちゃん・にいちゃん・おねえちゃん」に当たる自然な呼び方が存在しない、冷静にみれば、東京にはその手の需要がなかったからとも言える、東京人と話していると二人の間に木枯らしが吹くよーな感じはするわね♪

ちなみにうちとこの東北では、「あね(姉)さま・あねちゃ/あん(兄)さま・あんちゃ」とゆー、若い男女につかう言葉がある、「あねちゃ」は若奥さんにもつかえる、年齢を問わず年上の女につかう「ねえさん(姐さん)」はあるが、年上の男につかう言葉はない]

 

「しばらくぶりです」ではなく、「ご無沙汰しております」 が良いのよね

やはり、動詞表現が日本語らしいとは云えるかと…… 

 

「感謝です」は、ほんとうに心から感謝しているのか疑わしいよーな軽い言い方なんですね

あくまで私見ですが……  「感謝」とゆー言葉は、ここ十年余りでよく公共の場でもつかわれるよーになりましたが、

この風潮は、2007年から始まったブログ『 伊勢-白山  道 』による処が巨きいと思います

伊勢白山道のコメント欄では、読者から「伊勢白山道は、感謝道」みたいな言い方はよくなされています

今に感謝して、ご先祖と神さんに感謝する言の葉(言霊)を発すると、それが 『 生かして頂いて ありがとう御座います 』 なんです

芸能人でも伊勢白山道読者はけっこういるらしく、最近では『鬼滅の刃』の作者がそーだと聞きました

イベルメクチン処方で成果を上げている開業医・長尾和宏先生(最近テレビによく出ておられる)も読者らしい

作家の吉本ばななは、伊勢白山道の本の帯に、推薦コメントを寄せたことがありましたね

伊勢白山道では、「感謝する」ことが最奥の秘儀である印象はうけました、古神道の秘儀「自霊拝」は神恩感謝の究極の型のよーに感じる

だからこそ、「感謝です」なんて軽々しく言ってほしくないのですが…… 

少なくない読者が実際には使っていますし、ブログ主のリーマンさんも、使っている意味合いは違うのですが、「先祖に感謝です」とはよくコメント欄で返答しているんですよね

[※  少し補足しますてーと、

読者コメント・例「両親に感謝です」→正式な言い方「両親に感謝しています」

リーマンさん・読者へのレス例「先祖に感謝です」→省略しないで言うと「あなた(質問した読者)の先祖に感謝するべきです(or 感謝するところです)」

つまり、「感謝です」の主語が違うのです、日本語はこんな使い方も出来るから柔軟で厄介な(難しい)言語だといえましょー]

意味内容が違うからといっても、「感謝です」とゆー言い方は同じなわけで……   これは、良くないと思いご本人には投稿でご指摘したことがございます

たしか、コメント欄にきちんと掲載されたと記憶しています(この辺りは、公平な御方なのです♪)

 

まー、ネットで見かけた違和感のある表現はメモしているのだが…… 

他にも、

「わかれない(解れない、理解できないの意味)」とか

「感動です」

「感動ですよね」

「元気をもらえた」

「心が折れそう」

「感謝しかありません」

とか色々と尽きることがありません

「わかれない」は「わかる」の可能をあらわす意味に特化したコトバで、聞いて即座に意味がわかるのはいいのだが、二重に響いてくる「意味」がかったるい

「感動です」は、口語では短くダイレクトに気持ちが伝わる利点もあるが、なにか幼稚な子供っぽい言い方かしら、でも今ではアナウンサーまでも「じゃあ、次です」「〇〇に注目です」とか言うからな、

番組の「尺合わせ」に便利だからといって、そんなにまで短く言って「すぐに」情報を共有したいのかといっそ哀れに感じる

「感動ですよね」は、「感動する」とゆー自分主体の心象に、他人の同意を求める自信のなさが、一個の人間としてどーなのかなとは思う、「私は感動しました」と胸を張って何故言えない

元気や勇気が「もらえる」ものだったら、今すぐここに出してみろと意地悪なことを呟いたりしています

「心が折れる」って、あなたの心は固形で形のあるものなのか?とか言ってしまいます

「感謝しかありません」は、こちらのただの情況説明であり感謝のコトバではないと私は思います、ただしその後に「ありがとうございます」とか重ねたら、立派な感謝表現になるとは思います

 

いろいろと気になる日本語は、おりおり挙げて意見したいと思います

いちゃもん付けてばかりも何なので、最近いたく気に入った言い方を引用します

 

オリンピックに落選した寺本明日香選手が、盟友・村上茉愛の銅メダル獲得に寄せたお言葉(インスタグラム)より

「歴史的快挙!!まい銅メダル ほんとにおめでとう」

「リオでの悔しかった想いを ずっと秘めて秘めて頑張ってきて、でもこの数年で色々あって色んな壁乗り越えてここまできて、やっと!! 感動の涙で言葉が全部吸い取られていく 

‥‥ 大和撫子のおおらかでお優しいお人柄がしのばれて、やおら涙腺のゆるむのを感じる、ええ娘(こ)やのう...(´༎ຶོρ༎ຶོ`)/..ヨシヨシ

 

もう一つ、『奇跡体験?! アンビリバボー』に出ていた、日本で入院したとき、病院に手作りうどんを届けてくれた、バイト先のオバさんを長年にわたってネット等で探していた上海の孫立平(スンリーピン)さんが、やっとのことで会えたときに放たれた、真に迫ったお言葉

「 この思いにもう言葉が追いつかない 」

                                     _________ 玉の海草