__少しでも567の感染リスクを回避するために、映画館の大スクリーンで観るのを我慢していたが、とうとう予約していたDVDが届いた
漫画『るろうに剣心』については、実際の維新風景もこのマンガの描写に近いのではないかと研究している学者もいるやに聞く
【画像=映画『るろうに剣心』第一作のタイトル題字(後述)】
緋村剣心は、河上玄斎がモデルとも言われるが、「人斬り抜刀斎」のよーに有名になった暗殺者ばかりではなく、無名でも十人や二十人斬った闇の剣客はいたのではあるまいか
そんな明治の殺伐とした街並みが、随所に活写されてあって京都庶民の暮しぶりに目がいった
剣心が、長州藩の奇兵隊の応募に応じる情景は、壬生の狼「新撰組」のそれに似た、生々しい遣りとりがあった
佐藤健の居合、抜刀して納刀する一連の流れるよーな所作には目を奪われた
腰、間、瞬息のうちに展開する「動と静」、まるで一幅の繪のよーで、ほとほと見惚れてしまった
そして、長州藩おかかえ宿での食事のシーン…… 何度も繰り返し出てきて(巴が給仕をするよーになった為)、興味深かった
健くんは正座が端正である、食べる仕草まで武家らしい
ー新撰組の探索(志士狩り)で、その常宿に乗り込まれ、どこぞに雲隠れするしかなくなったとき、
桂小五郎から、巴は剣心に付いていって郊外の農家に隠れるよーに促されたとき……
巴は「お供させていただきます」と云った
これが、昨今日本国内で流行っている「〇〇させていただきます」の良き使い方の例であろー
「〇〇させて頂く」、つまり相手の許しを乞う形で、自分を謙譲する言い回しだが……
大阪の芸人は、「勉強させていただきます」とは昔からつかっていた
最近では、「感謝させていただきます」とかネットでよく目にする
勉強とか感謝とか、自分の裁量でなんとでもなるものに関して、相手に許しを乞う言い方は、何かコテコテの大阪商人を思わせる
「へりくだる」とゆーよりも、卑下している感すらある
[※ 「させていただく」を詳しく深掘りしたものは、
《玉断》 畏れるべき関西文化〜 「させていただく」の是非 - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』
をご参照くだされ]
この巴(有村架純:演)の、宿であり勤め先を追い出されて、ゆくあての無い境遇であればこそ、「お供させていただきます」が相応しいのである
お庭番衆のよーな闇の組織をひきいる北村一輝は、終始さえなかった
殺陣も闇のラスボスとしての風格がまるで感じられず、ダレた一幕となったが、手下のトラップを仕掛けた命懸けの戦闘は忍びの者らしくてシビれた
冬の粉雪舞う決闘シーンは、『鬼滅の刃』の傑作な雪原シーンに優るとも劣らず、巴の紅とあいまって、幻想的な美しさと身も凍る厳寒とが同時に感じられた
この巴とゆー役は、「永遠に女性なるもの(ゲーテ)」をイメージしたと大友監督も仰っていたが、実に精神性の高い武家娘ならではの気高さが凛と張りつめて、いっそ神々しかった
有村架純を美女だと認識したことはなかったが、この巴は内に秘めた思いにしろ立ち居の清々しさにしろ、実に歴史に残るお姫さまキャラではあるまいか
黒くて長いおろし髪が、上品な着物姿が、こんなにも伝統的なご新造さんを感じさせる女優は現在では稀有な存在である
聞けば、有村架純は「茶道」の嗜みがあるそうだ、和服に慣れておられるような気がした(スクッと立った姿勢と立居振舞い、着物の裾捌き等に品があった ♪)
とはいえ、最後に決定的なイヤミ言を告げねばならないが、和綴じの日記に筆を走らせる場面があるが、あの筆字は到底いただけない(のちに弟の縁が監獄の中で読む「姉の日記」に書かれた細字は、巻頭はまあまあの出来だった)
筆力のまるで欠けたヒョロヒョロの細字は、巴の芯のあるキャラクターにはそぐわない(女性の細字で名人とされるのは、富岡鉄斎を育てた蓮月尼であろーか)
そして、エンドロールに流れるタイトルの筆字の「るろうに剣心」……
監督はじめスタッフも、あの毛筆で書いた字のあらわす意味がわからないのだろーか?
ネットで題字について調べると、ポスターデザイナーの知人の書であるらしい
味のある書体にひかれて、オファーを出したらしいのだが、小学生ころにでも何年か書をたしなんだ経験があれば、あのタイトルの書は小学校五年生くらいのレベルと分かるのではあるまいか
ネットでも、タイトルの字が下手で萎えたと言っていた人がひとりおられた
見る者が見れば、あの筆字は「幼い」、若い字だと言えよーか
書体から立ち昇る風趣は決して悪くはない、素直で素朴な書であると評することも出来る
だからといって、この「若気」は胡魔化せない
※ 参考までに、毛筆で書いた 大人のカタカナ を紹介しましょう
【アニメ映画『AKIRA』(1988)のポスター題字である。お書きになった方は、侍漫画で、独特の重厚な画風を誇った、平田弘史さん。(最近、物故された)
『るろうに剣心』のヒラガナとの違いにご納得いただけるだろうか。毛筆に慣れた方の筆蹟は、かくの如く格調がある。そうなるわけは、字体のバランス、詳しくいうと「正中線」が通っているのだ。全体の配置と余白のバランスも、書道をたしなむ人は、カッチリと調和が取れている。これが大人の書く筆字である。】
酒田の南洲会館に、西郷さんの秘蔵っ子である村田新八の書がある
西南戦争にて、42才で自決なさっているので、ほぼ30代の頃の揮毫かと思われる
【画像=酒田の人気ブログ「Rico Room2」より引用、村田新八の真筆(南洲会館所蔵)】
つぎに西郷どんの練達の書(40代か?)を上げるが、見比べてみてどーだろー…… 村田新八の書は素直で真面目、筆鋒は潤いがあって形も筆力もたいしたもの(私は大好きだ ♪)だが、西郷さんの幾たびか辛酸をなめた境涯から生まれた書とは到底同列には並べられないのは明らかである
【画像=西郷南洲書「敬天愛人」、西郷さんの本名は「隆盛」ではなく「隆永」であることを知る庄内では「南洲翁」とお呼びする】
書の綿密さにおいて、西郷さんから私学校の校長を任された篠原国幹も実に見事なもので、百戦錬磨の海軍的柔軟さと年輪を感じる(※ 「西郷南洲顕彰館」に展示)
【強靭で綿密な線、端正で風流な豪傑・
篠原国幹の書】
こーした毛筆の風合いは、たとえば一年間四季折々に床の間に掛け軸にして眺めていれば、素人でも歴然とその違いが体感できるものだと云ふ
『るろうに剣心』の題字も、副島蒼海や盤珪禅師なんかの「稚気」を帯びた良さも勿論ある
…… が、どーしよーもなく「若い」、ある意味文明開化の明治の物語にはぴったりなのかも知れないが、日本伝統の書になじんだ者からすると、間違いなく「幼い」筆致ではあるのだ
千年以上にわたって連綿と練り上げられた筆法や技は、職人芸のよーな確かさがあって、その出来にごまかしは利かない
それを書いた本人が年若いから、「若い書」になるわけではない
たとえば、京都建仁寺の風神雷神図を書で表現なさった、新進気鋭の書家・金澤翔子女史の字は、「おさない書」とは到底言えない風格があるのだ
【画像=金澤翔子の屏風書「風神雷神」、実際に建仁寺で国宝「風神雷神図」の隣に展示された】
俵屋宗達の名画(国宝)に、よくも書き添えたり「風神・雷神」の書、俄かには信じられないことだが、
琳派の天才・俵屋宗達の傑作に、位負けしていないのだ
かたちにしろ余白にしろ筆力にしろ、無心にして墨気冴えて入魂の見事な書である
金澤翔子は、いまは無垢な天才である
ただ、その作品はあの母上との合作のような気がする
【スッキリした隷書「無一物中無尽蔵」】
【「飛龍」】
【「言霊(ことだま)」】
ーやはり、日本の先人が連綿と受け継いで、いまに遺した伝燈(伝統)とゆーものが、厳然と存在する
昭和の時代には、たとえば選挙の投票所や入学式や卒業式での看板に書かれた筆字とか、すこぶる達筆な毛筆の書が、全国津々浦々で見られたものであった
[※ 名筆・達筆については以下も併せてご覧ください]
いまや、政府の省庁の看板ですら、酷い筆字を基にして彫刻されている
昭和の時代は、時代劇の俳優名を書いた、オープンロールやエンドロールは、実に独創的な書体で統一して書かれていたものだった
それが、自由な書道の名のもとに、「永字八法」のよーな基礎鍛錬を積むことなく、まるでレタリングの授業のよーに「自由に」書かせる
筆法の基本が出来ていないと、たとえば岡本太郎は芸術的な筆字で「夢」とか書いているが、書道家からみれば、ちゃんちゃら可笑しい筆字であろー (お祖父さんが書家だから、その筋の才はあるんだろうけどね)
【『遊ぶ字』なんて本を出版している、この「湯♨️」はなかなか味わいがあるね。でも、岡本太郎の筆字は単なるレタリングですね、かえって横文字の「TARO」の方が滋味がある】
そのへんの、「分かる人」の絶対数がいなくなったのが、令和の現実である
書の道に限らず、道は極めれば万事に通じると宮本武蔵ばりにゆー気はないが、一事を修めた人はなにかしらの風格はまとう感じがする
昔のひとは、それを「ひとかどの人物」と云ったのではなかっただろーか
_________玉の海草