__ 2025年は、色んな意味でターニングポイントとなる年であろう。そのひとつが、「団塊の世代」が75歳(後期高齢者)を迎えることである。敗戦してすぐに起きたベビーブーム👶に産まれた「団塊の世代」。
戦争による人口減少で、戦後という時代はどこの国でも子沢山なものである。日本では1947〜1949年の三年間は、子どもの出生が激増した…… 悪名を轟かした「団塊の世代」と呼ばれる鬼子たちがこの三年間に誕生した。
彼らは日本の国体を内部から喰い破るための先兵とさせられた。「団塊の世代」は、亜米利加🗽によって仕掛けられた「日本弱体化政策」に見事にはまって、後世に禍根をのこして、それが今だに日本に影響しつづけている。
わたしたち新人類が憧れた世代が「団塊の世代」であり、厳しく指南をつけてくれた世代もまた「団塊の世代」である。その流れをザッと概観してみたい。
🔴 “ 気になるデータ ”
[2020-09-26 | 王ヽのミ毎]
ーさて、いまの時期に耳に入ってきた、気になる統計を二つ記しておく
■「ビッグローブ(BIGLOBE)」が、SNSにおける誹謗中傷の実態に関して‥‥
【withコロナ時代のストレスに関する調査】を実施した
対象となったのは、全国の20代〜60代の男女1000人(そのうちSNSを利用している770人)
2020年8月5〜6日に調査が実施された
[結果]
問:SNSで一般人に対して誹謗中傷をしたことがあるか?
「よくある」「たまにある」を併せた指数(%)
・20代〜【15%】ゆとり世代
・30代〜5%
・40代〜【9.1%】団塊ジュニア〜ポスト団塊ジュニア
・50代〜3.5%
・60代〜0.7%
問:SNSで著名人に対して誹謗中傷をしたことがあるか?
「よくある」「たまにある」を併せた指数(%)
・20代〜【11.7%】ゆとり世代
・30代〜3.1%
・40代〜【10.5%】団塊ジュニア〜ポスト団塊ジュニア
・50代〜4.8%
・60代〜0.7%
□誹謗中傷した理由(上位)
・相手が嫌いで我慢ならないから〜33.3%
・日常のストレスのはけ口〜23.3%
・相手に嫉妬があるから〜23.3%
・誹謗中傷をされたので言い返した〜20%
・かまってほしいから〜20%
■ 日本の「読解力」について
OECD生徒の学習到達度調査(PISA)より
[※「PISA」とは、OECD加盟国を中心として3年毎に実施される15歳を対象とした国際的な学習到達度テスト
2015年調査では、世界の72か国・地域の15歳の生徒約54万人が参加
日本では、198校の高校一年生・約6600人が調査に参加]
[結果]
・2000年〜8位
・2003年〜【14位】
・2006年〜【15位】
・2009年〜8位
・2012年〜4位
・2015年〜8位
・2018年〜【15位】
※ アベマTV『報道リアリティーショー』で取り上げられて……
・語彙力不足
・考える力の低下
(分かりやすさが、考える力を弱める?)が指摘された
‥‥ 統計は、統計の取り方(質問の仕方等)によっても顕著に変わってくるらしいので、おおよその目安くらいにしかならないが、
・SNSで酷い文句のつけ方をするのは、20代と40代に多い事
・文章の「読解力」に関しての国際順位は、2003年/2006年/2018年には、15位と大きく落ちている
(但し、2018年は新形式のテストであることと、2015年からPCを使ったテストとなったのでまだ慣れていない側面はある)
‥‥ わたしの年代は「テレビっ子第一世代」で、大学卒業して就職する時、いままでの新卒とあまりにも違う姿勢・態度から「新人類」と呼ばれた世代である
(※ 「新人類」と命名したのは評論家栗本慎一郎である、当時の日本メディアは従来の価値観からは説明のつかない社会現象が現れると大いに戸惑って、この独特の大局観を持つ大御所評論家にお伺いを立てるのが常であった)
昭和38年生まれに神界から受肉した人が多いことを鑑みれば、「新(神)人類」とは言い得て妙だったかも知れない
まー、おおむね還暦まえの50代後半とゆーことになろー
私達の世代は、社会に出て、「団塊の世代」から厳しく指導を受けたとゆーかよく虐められたものだ
「団塊の世代」は、第一次ベビーブームの【1947〜49年】に生まれた世代別人口の最も多い世代で、現在70代前半の御歳の方々である(※ 1949年に最多出生数270万人を記録)
団塊世代の多くは地方で幼少期を過ごした人の割合が多い、小中学高校とクラス数が多いものだから、競争が激しく、また子沢山の日本だった頃だから、親の愛情が不足しがちだった可哀想な世代でもある
競争意識・縄張り意識はめっぽう強い印象がある
長々と「団塊の世代」を記述したのは、この世代の子ども達「団塊ジュニア」がまた厄介だからである
[🔴注;実際は、団塊の世代のご子息は、ポスト団塊ジュニアが多いー20220723日現在]
「団塊ジュニア」は、第二次ベビーブームと呼ばれ、【1971〜74年】に生まれた世代である(※1973年に最多出生数210万人を記録)
この世代の多くは都市部で生まれ育って、厳しい受験戦争に曝されてきた、後年「氷河期世代」と呼ばれるよーになる、こりゃまた可哀想な世代と云えよー
「団塊ジュニア」は、現在40代後半頃の御歳の方々となろー、広義に70年代生まれが「団塊の世代」の息子娘たちになる
わたしの世代は、この「団塊ジュニア」世代からも、かなり突き上げを喰らった経験を持っている
この世代の有名人は、
野球の新庄、イチロー、松井、SMAPにGLAY、ガクト、半沢直樹(サカイ雅人)もそーだ、ロンブー・ブラマヨ・有吉、お笑いは多いな……
マツコDX、ホリエモン、山本太郎も「団塊ジュニア世代」
外食チェーンにおいて「注文の方、よろしかったでしょーか?」等の伝統的日本語にない可笑しな言い回しを発明し普及させたのもコイツらの世代だ… o(`ω´ )o プンプン
俺はこの時の言葉遣いの乱れ(慇懃無礼な印象がある)には、いまでも本気で怒っている
「団塊の世代」と同様、「団塊ジュニア」も200万人近い同期がいたわけで、その中で熾烈な競争のあったことは容易に推測できる、恵まれていない世代なのである
この辺が、ネット上で過剰な批判をする素因になってるのかも知らん
なにか悪目立ちする傾向があるなあとは感じている
私世代の心象からゆーと、平気で裏切るとゆーか上辺だけの付き合いに終始する感が否めない
本格的なファミコン・パソコン世代だからだろーか
正直に書かせてもらって、不快に感じる向きもあろーかと存ずるが、どーも上は「団塊の世代」下は「団塊ジュニア」には、ほとほと手を焼いているのだ
🔴「もはや昭和ではない」 20220616
これの前に「もはや戦後ではない」(1956年の経済白書より)があった。
現在の社会制度は、
『男性が正社員で女性が主婦かパート、結婚したら離婚せずに一生を送る』
という昭和の核家族をモデルとして定められたものだそうだ。(中央大学・ヤマダ昌弘教授による)
つまり、令和の実状にことごとく合わない。
「もはや昭和ではない」とは、昭和につくられた制度からアップデートするのが急務であるというのが、今回の『男女共同参画白書』の主旨なのである。
それを、もはや平成ですらないと揶揄している人々が多数いたのは、いかにも残念だし幼いと思いました。
日本人は、手っ取り早い「分かりやすさ」を求めるあまり、もはや長文読解が難しいようです。
🔴「もはや昭和ではない」とは、
昭和の日本人モデルとの訣別を意味していよう。
伝統的な日本人が棲息していたのは、高島平をはじめとする団地住いがスタートする以前のことであろう。
三代一緒に住むのが本家、分家は自然核家族やお一人様になる。
そんななかで、猛威をふるったのは、昭和のお節介おばさんであった。オバタリアンなどと陰口を叩かれながら、彼女らはモンスター級のご近所のおばさんでした。
彼女らは、恋愛または見合いで結婚して、子育てをし、舅姑に仕えて、老後は介護をして看取ってやった。
人生の一代行事をひととおり経験しているので、とにかく有難迷惑なほど世話焼いてくれる。まさに人間通であり、頼れる貫禄があるのだが、町内会のしきたりに厳しい。
「もはや昭和ではない」ところの令和のおばさん達はどうか?
令和のおばさんは、ひとり身で結婚も子育てもせず、自分の自由というものを謳歌している。
ただし、昭和のおばさんと違って、ひととおりの道筋を経験していないものだから、彼女には誰も相談に来ない。
人生で直面する普通のことを経験していない、知らない。
年寄りの強みは経験者であることに他ならない。年を重ねて、自分だけの世界のみ広がる。
自分はさんざん愛されて育って、その恩を次の世代に返すことが出来ないことは、因果を産む。
親の介護やご先祖供養くらいは、恩返しして頂きたいものだ。
昭和のおじさんも同様である。
コテコテの男尊女卑を奉じてきたおじさん議員は、いまでも議員をやって国政の意思決定に関わっている。
いまの若者は、選挙に立候補すらしないから、いつまでも老害ははびこり続ける。
タバコダメ、セクハラ・モラハラダメ、女性軽視ダメなんて、昭和の時代にはなかった社会規範である。
そうやって育ってないのに、若者たちにアドバイスも出来まい。若者は老人に教えを乞わない。
ほんと、老人は役に立たなくなってしまった。
たぶん、老人を大切にしなくなったのは、老人の側にも問題がある。
昔のご隠居さんや、ご近所の顔役のように、周りの役に立っていないからなのだ。
パソコン社会への移行が、こうした世代間の分裂を生んだ。
若者が、ネットに関する知恵を老人に訊ねることはないからだ。
いまの子たちは、小学生から毎日3時間もネットで遊んでいて、お手のものである。
若者たちは、先輩や年長者から教えてもらうために、おもねる必要はなくなった。
ネット社会では、自分達が先行しているし、先達だからである。
そして、年寄りの話を聞かなくなった。
これが日本人の分岐点であろう。これ以後、日本人は育たなくなる。
🔴「百年前の真日本人」20220627
100年前の生活に戻れとは、蓋し至言だと思いました。100年前の1922年は大正11年、関東大震災の前年です。
関東大震災にて、江戸情緒は壊滅させられたと私は観てますので、100年前とは江戸っ子がご存命していた最後の頃となります。
昭和に入るや、すぐに「世界大恐慌」に見舞われ、間をおかず「満州事変」から日中戦争、そして太平洋戦争へと日本の帝国主義が蔓延る。
1945年敗戦ー 1950年の直前の3年間に生まれた人々が「団塊の世代」である。
現在70歳代前半の人々である。
この方達が20歳を迎える頃に、日本は「恋愛結婚」が「見合い結婚」の数を上回るようになる。
その頃が、「1970年安保闘争」の時期にあたります。
1953年(昭28)生れの 山下達郎 は
「シラケ世代、あるいはポスト団塊世代」にあたるので、しばしその生き方に耳を傾けてみよう。
きのう放送された音楽番組『関ジャム・完全燃SHOW』より引用する
> あの1970年の政治騒乱でドロップアウトした人達はほとんど音楽をやってるんですよ。
“1960年安保”の世代は文字の世代で雑誌文化は、ほとんどその人達が作ってる。
特に女性誌とか……
その人達が大きくなり、老人雑誌とか……
子ども雑誌もそうだし、そういう所と同じで僕らはそれと同じ事を音楽のメディアでやってきて……
僕らの音楽のムーブメントは、本来音楽の世界に入らなくていい連中がどっと音楽業界に参入してきたので、それがユニークさを生んでいる。
同時に、そういう意味では僕がステージに立って歌っていて、3列目に座ってる人が僕の代わりにステージで歌ってたかもしれない。
聴衆と自分の距離が近い。
【生活者としての一つの共同意識】みたいなものがあるんです。
だから、そういう具合に考えてやっていかないといけない。僕はずっとそれだけ考えてやってきた。
【同世代音楽】っていうキャッチフレーズを持ってますけど、自分と同じ世代のためにやってる。
だから、自分たちが歳とったら、歳とったという。
いつまでもピーターパンみたいな歌は作らない。
そういう考え方でやってきているので、
そういう人達の生活に奉仕する音楽。
ポップカルチャーとは基本的には大衆への奉仕と人間が生きる事に対する肯定。
ポップカルチャーというのは、そういうものだ。
それの上にアバンギャルドとか、そういうものがあるので。
“僕がやるべき事は何か?”
をずっと考えてやるとそういうことなので。
だから、海外進出とか考えた事がない。
そんな暇があったら、もっとローカルタウンに行って、そういう所で真面目に働いている人達の為に公演する。
それが僕の与えられた役割だと思っている。
じゃないと、自分は何のために音楽をやっているか?
ドロップアウトして音楽家になったので。
“自分が音楽をやる意味は何か”と常に問いかけていかないと自分が音楽家としてのスタンスが曖昧に成る。
それだけはイヤなので。
という意味で……
“テレビ出ない”
“本書かない”
“武道館やらない”
この三つでやってきたんですよ。
…… 達郎ご自身も、高校生のときに「70年安保」をちょっと齧ってしまった経験をお持ちらしい。
[※ 他にも、坂本龍一、テリー伊藤、上野千鶴子らは全共闘へ参加している]
音楽家として一社会人として、公人としての社会的責任を強く感じてらして、市井のひとりとしていたく胸打たれたご発言であった。
平成の大規模自然災害で、ミュージシャンが直面した課題でもあったのだろうと思う。
よくよく考えてみたら……
この焼け跡世代・団塊の世代といわれる人々は、何もない戦後の荒れ地に生まれたわけである。
住まいも食べ物も十分になかったので、育ち盛りにいつもお腹を空かしていた可哀相な世代である。
大きくなるにつれ、マッカーサーの3S(セックス・スクリーン・スポーツ)政策の影響をモロにうけて、青春時代を過ごした。
国に対する、国民の「権利」というものを覚えた世代は、60年安保〜全学連〜全共闘〜70年安保と国民運動に熱く取り組んでゆくことになる。
そして何ら成果を上げることなく、消滅した運動を傍観していた次の世代は、クールに「シラケ世代」となってゆくのである。
わたしは、その次の世代「新人類」に属するが、安保闘争だの全共闘だのにはまったく触れずに育っている。(ブントとか革マルとか、まるでチンプンカンプンである)
わたしたち世代は、生まれた時からテレビと一緒にそだった「テレビっ子第一世代」なので、シラケ世代の先輩方から政治的無関心を継承した。
こうして大雑把にみただけでも、「団塊の世代」このかた、まともな日本人として育てられてはいない。
両陛下のごとく田植えも養蚕も手がけたことのない、都市という隔離空間に住む人びとである。
自然から隔離された団地というもの、外で遊ぶより家の中でテレビやゲームに熱中する子ども達、お湯の出る生活〜温水シャワーを浴びられる環境、真夏にエアコンの効いた部屋にこもって汗ひとつ流さず、真冬にアイスクリームを愉しむ時代となってしまった……
100年前の日本人とは別物の、新しい日本人となったのである。
インターネットの普及は、その風潮に拍車をかけた。
もはや、何かと繋がっていなくては生活できない、中毒状態、いや強く依存してやっと保てる自分性。
露地栽培からハウス栽培、そしてビルの中で土をつかわぬ水耕栽培に移行してゆくさまは、そのまま人間にもあてはまる。
そして、わたしはようやく気がついたことがある。
団塊の世代以降の日本人は、ほんとうの意味での日本人ではないということ。
台湾🇹🇼人が喝破したように、現在の日本人には本来の日本人のもつ何かが欠けている。
たしかに大災害や窮地におちいって初めて起動する日本人特有の遺伝子🧬があるのかも知れない。
いまは、それを思うより他ない。
_________玉の海草
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます