『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

 「脳力」の覚醒〜 パラ陸上 マルクス・レーム選手

2021-09-07 02:42:00 | 天才列伝

__オリンピックとパラリンピック

目指す処は同じだから、交わってもよいはずだが、なかなかそーはならない

ハンディキャップの有る人と無い人とでは、同じスタートラインに立てない

同じ条件下での競技とゆーのは、難しいとゆーより、あり得ない

ところが、ハンディとなるはずの義足が、高性能すぎるのではないかと「ドーピング」扱いされるほど、物議をかもしている選手がいる

そんな、ド外れた選手〜  パラ陸上の走幅跳びの世界王者マルクス・レーム選手 (ドイツ)みたいな「異能」(孫正義が提唱)のひとが顕れると、目の前に広がる世界最高の競い合い(本来はオリンピックだが)の様相が俄然面白くなる ♪

   【画像:「パラサポWEB」より】

 

あの、ケンタウロスの脚を思わせる、カッコイイ義足で踏み切って、なんと8m48cm(2018年)…… いや、今年6月の欧州選手権では、8m62cm (2021年)

健常者のオリンピック金メダリストの記録を凌駕してしまった

このレーム選手、ただのアスリートではない

 『Mr. サンデー』で、東京大学大学院の中澤公孝教授が2016年にマルクス・レームの脳をMRIで検査した際の画像が映し出された

レーム選手は、右に ブレード(競技用義足) を付けているので、通常ならば左脳で制御する交差反応が出るはずなのだが…… 

レーム選手の場合、右脚なのに右脳も大きく活性化していたのだ、それだけではない、健常者のアスリートと比べても、競技の際につかわれる脳の部位が左右とも広範囲ではるかに多いのだ、身体の欠損を補填するために、脳の使い方も再編成される…… 中澤教授は、この現象を 「パラリンピック・ブレイン」 と名付けておられた

レーム選手は、そのブレードが板バネ構造となっており、健常者の膝の跳躍力よりも有利なのではないかと疑われて、健常者の競技大会には出られないでいる

オリンピック委員会は、その「ブレード」が競技に与える影響を自ら調べることなく、パラ選手個人に「ブレード」による有利さは無いと証明せよと、意地悪にも難問を突きつけている有様である

たしかに、凄い反撥力を生むブレードだと見てわかるが……  ブレードを付けた選手の誰もが健常者なみの記録を出しているわけではない

8mを超えるジャンプは、レーム選手しか成し遂げていない

つまり、そのブレード(板バネ)の使い方が、世界最高の熟練度なのだと思う

膝から下が無い状態で、ブレードに慣れるだけでも至難の業である

そのブレードの反撥力を最大限まで引きだす踏み切り方は、凄く難しいのだと云ふ

レーム選手は、ブレードのある脚で踏み切っているから、尚更であろー

いったい如何なる修練を積んだものだか、これは達人技だと直観した

 

そもそも、何が彼をココまで駆り立てるのか?

これは、道元さんが「修せざるにはあらはれず」と仰った消息ではないかと私は思った

天台(比叡山)の本覚思想に疑問を抱き、本来仏ならば何故修行するのかを突き詰められた道元さんである

この大疑団に対するお応えが、上記の「修せざるには顕れず」なのだが…… 

さっと、当時(道元さんは西暦1200年生れ)比叡山に参集していた僧侶が、どのよーな心持ちで仏道修行に打ち込んでいたか、遡ってみよー

(拙稿)>道元さんは、比叡山での二年間の修行時代

衆生本来仏であり、すでに悟っているものであるなら、

どうして今さら真理を求めて修行しなければならないのかと

大疑団を起こし、随分と懊悩された挙げ句、遂に叡山を下山されている

『涅槃経』にある「 一切衆生悉有仏性 、如来常住無有変易」(すべての存在には仏性があり、仏は常に存在して変化することはない)…

『法華経』譬諭品第三にある、釈尊のお言葉、

「今此の三界は皆これ吾が有()なり。その中の衆生は悉くこれ吾が子なり」

(この世も衆生も皆、私自身であり、私の子なのだ)

あらゆる存在は仏(如来)を宿すとゆー 如来蔵 思想である

天台宗の「本覚」に云う「草木国土悉皆成仏」 (草も木も皆、仏である)

真言宗(空海)では、「即身成仏」 であり「法身説法」に繋がる

つまりは、すべての存在に仏性がある以上、いつかは誰でも仏に成れるとゆー認識である

本来が尊き仏性を有するのに、なにゆえ苦労して修行なぞせねばならんのかとゆー至極もっともな疑問であった

 

‥‥ その疑問に対する道元さんのお応えが、『正法眼蔵』弁道話の内にある、曰く

この法は、人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、

いまだ修せざるにはあらはれず、

証せざるにはうることなし

はなてばてにみてり…… 

《私注》 この仏法(仏の叡智・真理の法)は、人皆々の身上に豊かに備わっているというものの、

未だ修行しないことには現れることなく、悟りの境地に至らないことには(仏法の奥旨を)得ることがない、

放てば手に満てり(握りしめているものを掌から手離せば、総てを手に入れて満たされるであろう)

 

‥‥ 面白い宗教評論を書かれる「ひろさちや」さんのご見識も窺ってみよー

「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己のほうを消滅させるのです。

身心脱落 させるのです。

そして、悟りの世界に溶け込む。それがほかならぬ「悟り」です。

 

道元は、如浄の下でそういう悟りに達したのです。

だから、わたしたちは、悟りを得るために修行するのではありません。

わたしたちは悟りの世界に溶け込み、その悟りの世界の中で修行します。

悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できるのです。

「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だから修行できる。それが道元の結論です。

 

‥‥ 「放てば手に満てり」は、ヒンドゥーのアドヴァイタでは 「自我を手放せば真我に満たされる」 とも読み取れる

映画『パラサイト 半地下の家族』で、いい加減な親父が云っていた秘訣にも繋がる

> 「なあ、絶対失敗しない計画って分かるか?

‥‥ 無計画だよ、無計画。
“ NO PLAN ”

…… なぜか?
計画したら… 必ず… 計画どおりに行かないのが人生だ。
ここもそうだ。…… (略)…… 
だから、人間計画すべきじゃない。
計画がなければ、失敗することもないし、それに……
そもそも何の計画もないから、何が起きても気にしなくていい…… 」

‥‥ 「人生に意味は無い」、人生に意味を求めると、どーしても人生を限定してしまうのが真実らしい

「放つ」と「手に入れる」ことが出来るとゆー逆説は、「急がば廻れ」も同じ消息だが…… もーひとつ、三島の龍澤寺(東嶺禅師開山)の 山本玄峰 の法嗣である、東大出身の禅僧・中川宋淵 師が面白いことを云っておられた

[※ 伊勢白山道の見立てに拠れば、山本玄峰は栄西禅師に似た「政僧」であるが、力量のある禅匠で、終戦当時は、鈴木貫太郎首相が参禅の弟子であり、「玉音放送」にある「耐え難きを堪え、忍び難きを忍び」の一節は玄峰老師の言葉を採ったものだと云われる]

 

さて、「蚊に血を吸われない為には、どうすれば良いか?」

この公案の答えは、「自主的に自ら進んで、蚊に血を吸わせてあげる」ことである

まー、戯れ言みたいな風情(法隆寺を建てたのは誰か?ー聖徳太子✖️ー大工○みたいな)は免れないかも知れないが…… 臨済宗の専門道場の師家(禅マスター)はいたって真剣なのである、彼らは決して自分に寄ってきた蚊を殺すことはない、禅僧としての戒律を守っているのである

 

ーレーム選手におかれましても、足を失って義足で補って尚、世界ナンバーワンの記録に挑戦する、その志は「自ら限界を設けない」処にありはしまいか

「修せざるにはあらはれず」、彼は記録に露わした

やっぱり、握っていたものを手放したのだと思う

脳のつかう部位を変更させるほどの精進、わたしには宮本武蔵と同じ匂いがする

そのくらいの偉業なのではないかと…… 

彼しか、その精妙な身体の操りかたをマスターしていない、ブレード足で8mを跳べるのは彼しかいないことが、それを証明している

身体の欠損を補うために義足をつけて、それに適応する身体を造り上げ、欠損する以前よりも素晴らしい記録をつくる

カンタンに云ったが、到底人間業ではない、まるで夢物語である

『攻殻機動隊』 とゆーアメリカでも大ヒットしたマンガがあったが……  主人公 草薙素子 は、「義体」と云って「脳」以外は機会仕掛けのアンドロイドなのである

人間とアンドロイドの合体ゆえの葛藤がテーマのよーだ、素子もまたどこまでも「人間の限界」を越えて突き進んでゆく

マルクス・レーム選手のよーに、義足の方が高い運動能力を発揮できるのなら、軍事利用されるのではあるまいか、最早個々の肉体をつかった白兵戦は行われないであろー

人型AIアンドロイドか、補強パーツ(戦闘スーツ)をつけた人間との地上戦となろーか?

そんなところまで、突き詰めて人類に考えさせた一点だけでも、レーム選手は突き抜けた、伝説のアスリートである

オリ・パラ東京大会では、惜しくも、健常者のオリンピック金メダリストの記録には及ばなかったが、パラリンピック3連覇おめでとう 🎊

【この静謐たる佇まい、只者ではない】

 

マルクス・レーム選手、わたしはあなたの天才を愛する

         _________玉の海草

 

 


 自衛隊に息づく 「武士道」〜 底知れぬ精神力は 「観音力」 から

2021-09-01 05:00:57 | 雑感

__西暦2000年を迎えてから、相次いで、

◆ 2001年に、海上自衛隊の特殊部隊である「特別警備隊(SBU)」 が創設される

◆ 2004年に、陸上自衛隊の特殊部隊である「特殊作戦群(SFGp)」が創設される

 

【画像:特殊部隊は「顔」が割れては任務に差障りがあるので、自衛隊の式典においても、素顔を晒さない】

 

海自の「特別警備隊」は、「能登半島沖不審船事件(※)」をキッカケに 伊藤祐靖 氏が中心となって、米海軍のNavy Sealsの如き特殊部隊を目指した

[(※) 1999年に、北朝鮮の不審船による、日本の領海侵犯事件で、46年ぶりとなる「警告射撃」を行うなど、海自発足以来初めての「海上警備行動」が実行され、不審船に立ち入り検査をするよーに指令される、

海自では射撃訓練は受けていたものの、対テロの戦闘訓練は全くされていなくて、もし不審船に乗り込んで立ち入り検査を強行したら、ほぼ間違いなく北朝鮮の手馴れた工作員に殺害される危険に直面した、

不審船の逃走により、立ち入り検査は未遂に終わったが、有事の際にまるで適応できない現体制の弱点が露わになった]

陸自の「特殊作戦群」は、米陸軍グリーン・ベレーや対テロ特殊部隊デルタ・フォースを念頭に、荒谷卓 氏が中心となって組織された

 

     【画像:月刊『致知』2021・7月号より】

 

海自の伊藤祐靖氏は、ご尊父が陸軍中野学校の出身で徹底した軍人であった影響が深いと言っておられた

陸自の荒谷卓氏は、退役後に明治神宮武道場「至誠館」の館長を務められたほどに、極真空手や鹿島神流、合気道、銃剣道・システマなどの高手である

本身の日本刀をつかって稽古されたり、日本古来の「武士道」をもって、「特殊作戦群」(略して「特戦群」)の行動指針としていた

特戦群戦士の武士道

一、確たる精神的規範(正義)を有し生死の別を問わず事に当たる肚決めをすること

一、臆せず行動できる勇気(気概)とこれを維持する気力(胆力)を鍛錬すること

一、事を成し遂げる実力(知力、技術、体力)を修養すること

一、言動を一致させ信義を貫くこと

 

‥‥ ほとんど古武道の道場訓みたいですね

この高い精神性には驚くばかりですが、実際の行動の指針として「武士道」精神を体現していることの証しとなる動画がありますので紹介します

最近の映画『キングダム』で、ラスボスの左慈を演じたアクション俳優 坂口拓 さんのYouTubeチャンネルで、「狂武蔵たくちゃんねる」とゆーものがあります

そこで、元・特殊作戦群戦士に、「何をきっかけに精神的な強さを得ることが出来たのか?」について、インタビューをしていますので、引用します

 

元陸自特殊部隊【機密だらけの活動内容】民間人が聞けない質問を聞いてみた!?SATとSどちらが強い?!

PART① "元陸自特殊部隊"の戦士に民間人が絶対に聞けない話を聞きました!!【YouTube業界初】 ↓ ↓ ↓ https://...

youtube#video

 

 

(動画の 2:30秒 辺りから)> 「一番やっぱり重要なのは、自分の為じゃなくて、誰かの為、何かの為にって思いが、一番精神的な強さに繋がるんですよ。

あるエピソードを話すとですね…… 

いろんな訓練が陸上自衛隊の中にはあるんですけれども…… 

肉体的にも精神的にも追い込まれる訓練ですね、めちゃくちゃキツいんですよ。

精神ボロクソになるんですよね。でもその中で、あれ?全然イケるって思う瞬間が何回かあってですね…… 

どういう場面かというと…… 

めっちゃキツい中で、誰かも苦しんでて 「アイツの為に何かしてやりたい」 、例えば、めちゃくちゃ重い荷物持ってたら、それを俺が代わって持ってやりたいっていう風に、一歩踏み出す瞬間って、めちゃくちゃ楽になるんですよ。

それまで自分がキツかったのに自然と楽なんですよね。

あれ?、全然余裕じゃんっていう風になるんでふよね。

そういう経験を何回かしてですね、あっ、そういう事かって思って…… 

自分の為じゃなくて、誰かの為、何かの為に、自分以外の何かの為にっていう思いが、自分の中心にある時に、めちゃくちゃ強い精神力を手にする って事に気づいた」

 

‥‥ なるほど、『観音経』(『法華経』の「観世音菩薩普門品第25」を指して特に云う)の中にある、大衆皆から唱えられた一節、

> 南無観世音菩薩、念被観音力

‥‥ の「観音力」が、この自衛隊特殊作戦群戦士のなかで発動したのだなと

「観音力」とゆーのは、これは伊勢白山道を通して自得したことなんだが……  他者を助けたいと助けているうちに、知らずに自らをも同時に助けているとゆー不思議な現象なんです

ひところ 「脳は主語を理解できない」 って学説が流行ったことがありますが……  その伝でゆくと解りやすいです

ひと(他人)を助けるにしても、自分を助けるにしても、「私が」の意識がないと、「助ける機能」そのものと化してしまうのだと思う(ま、全機ですな ♪)

無心〜無私〜無区別〜全機〜真我(アドヴァイタ)ってな流れが一瞬のうちに噴き出す「いま」みたいなね

道元さんの「モノになりきる」に相似ている感じはありますね……  ま、あくまで私見ですけど、知らんけど

「武士道」も、煎じ詰めれば「観音行」みたいな、自発的な利他行(ボランティア) に行き着くことになります

 

愛国者として、愛郷者の軍人として、自衛隊の自衛官は「武士道精神」をもって、任務をまっとうするとゆーことです

「特殊作戦群」の初代群長であられた荒谷卓さんは、国家間の命懸けの戦闘に臨む自衛官たちに「武士道」を生きる指針として掲げました

> 「武士道」は、良い意味でも悪い意味でも、世界の戦闘者に(とって)興味があるようです。

とくに「入り身」という技(半身で相手の内懐に入り込む技)とその「捨て身」という精神 は、強烈な印象を与えるようです。

そのような考え方は、海外にはほとんど無いからです。(荒谷卓)

 

【画像:荒谷卓 『サムライ精神を復活せよ! 宇宙の屋根の下に共に生きる世界を創る』 並木書房刊 2019-より】

 

‥‥ 第二次世界大戦で、道教寺院の呪詛と欧米の黒魔術から昭和天皇陛下を、「霊的に」お守りした(一日3万3千回にものぼる日本刀をつかった剣祓いによって)と云われる、伊雑宮の剣臣・小泉太志命 (たいしめい)は、青森県八戸のお生れであった

そして上記の荒谷卓さんは、秋田県大館のお生れである

奇しくも、鬼門の地・東北に埋められた「艮の金神」のご神意ででもあるかのよーに、秋田・青森とユダヤ系渡来人の血が濃い土地柄から輩出されている

お二人ともに、「鹿島(神宮)の太刀」、鹿島神流との神縁が深い

鹿島の人、塚原卜伝の秘太刀「一つの太刀」は、鹿島神流の第18代宗家・国井善弥 に伝承されていて、素早い「入り身」の技だと云ふ

「入り身」=「捨て身」の足捌きは、「勇」(柳生石舟斎が兵法の第一義として尊んだ)の体現でもあろー

思い切って、無心のうちに一歩踏み出す「勇」こそが、日本人の強さの秘密なのかも知れない

         _________玉の海草