__BS12で、マキタスポーツとスージー鈴木の『カセットテープ・ミュージック』を観ていたら……
[※ 番組概要「HP」より:80年代にカセットテープで聞いていたあの歌謡曲。毎回テーマに沿ってMCがセレクトした「マイ・ベスト・カセットテープに入れたい曲」を流しながら、歌詞やメロディーに隠された仕掛けにも踏み込んで解説。MCは、ミュージシャン・芸人・俳優・コラムニストとマルチに活躍中のマキタスポーツと、気鋭の音楽評論家スージー鈴木。「このイントロが!」「この転調こそが!」「この頃のこのアイドルは・・」、音楽ずきおじさん2人の独断トークが繰り広げられます。]
サザンオールスターズの初期の傑作が流れていた
「C調言葉にご用心」(1979)が私の一番好きな曲で、「海」も「思い過ごしも恋のうち」も、リアルタイムで青い時代の真っ只中にいた私の心の奥底に刺さっていた
【とつとつと語りかけるような調べがいいんだよね、C調=「調子」の逆さコトバ=「しーちょう」、軽薄で調子のいい感じ、ジャズメンが隠語として使った。】
【この曲は、「いとしのエリー」と同じく1979年リリースなのだが、映画🎞️『彼女が水着にきがえたら』 (1989年公開・原田知世主演)の挿入歌にもなった。】
【ヴォーカリスト桑田佳祐は上物、上田正樹に匹敵するとはどんだけ〜】
【本家の上田正樹『悲しい色やね』を聴き比べてみる、全身全霊のブルース(ダダ漏れの哀愁)、魂の叫びやね、凄いな、桑田佳祐はでも哀愁は匹敵していると思う、カラッとしたブラジル🇧🇷のような深い哀しみである】
【桑田佳祐のソロ活動では、この Kuwata Band 「スキップ・ビート Skipped Beat」、この渦巻くようなグルーヴ感にはほんとうに痺れた】
デビュー曲の「勝手にシンドバット」(1978)は、鮮明に記憶に残っているんだけど……
Tシャツに短パン姿で肩からギターぶら下げていたんだよ、学園祭からそのまま駆けつけたよーな風体で、当時そんな格好で唄う歌手はおらなんだ
歌手とは、選ばれし者しかなれない職業で、高嶺の花であり、みんな豪華で高価な装いをしていたものだった
サザンは、貧乏くさかったのだが、そこが底抜けに型破りで、歌舞伎役者みたいなロックな華があって、おまけに楽曲がすこぶる佳かった
「勝手にシンドバット」もメロディーが素的で、マイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」と同様にヘビー・ローテーションしていた
国民的ヒット曲である名曲「いとしのエリー」が出るまでのサザンは、私もかなり御贔屓にしていたのだ
この番組でも、「いとしのエリー」をあえて選曲していなかったのが渋いが、サザンのメイン・ストリームは「いとしのエリー」ではないとゆーのが私の持論だ
茅ヶ崎生れの青学生で、音楽の才能に満ち溢れていて、軽いノリで面白くかつ胸の奥に響く曲をかくニイチャン達って印象だった
国民的歌手グループなんて柄ではなかったし、そこが何とも素の魅力だった
そー、カセットテープに録音してカー・ステレオでかけるのにいい曲、海が見えるドライブに合う曲がサザンの湘南サウンドだったわけである
マキタスポーツの解説がまた、若者世代を切り捨てにする選曲に相応しいもので、そぞろに可笑しく、まさに昭和世代の哀愁がただよって切ない煌めきがあった
彼の娘御が、「昭和の時代に生まれたかった」とジュリーに夢中になっているのが、せめてもの慰めである
あの頃、気怠い日曜の午後にTV版『柳生一族の陰謀』を観て、封建社会だからこその武士や忍者の哀れさに日本人として感動とゆーか意気消沈していたものだ
だって可哀想なんだもの、時代劇の尽きせぬ魅力は武家制度にがんじがらめに縛られた中で迸る、自由を求めての奮闘にある
いま思い出したのだが…… 当時、絶対的に美しいお姫様女優がいた
彼女は、本阿弥周子 といった
[※ 加筆🖌️ 20240312
本阿弥光悦といったら、書は近衛信尹・松花堂昭乗と並んで「寛永の三筆」と称されたほどの能筆。家康から賜った京都鷹ヶ峰の地に、町衆・職人・法華宗徒たちを移住させて、芸術のための「光悦村」をつくる。
本阿弥家の宗家(本家)は、足利将軍家の同朋衆で、刀剣の鑑定や研磨をもっぱらにして、刀剣奉行として仕えた、日静上人(足利尊氏の叔父)に帰依した「妙本阿弥仏」を初代とする。
「折り紙付き」という言葉は、本阿弥家が刀剣の鑑定書として「折り紙」を付けたことに由来するほどの名家。
▼ 本阿弥家が発行した「折紙」の画像は、以下参照、
酒田の本間家〜 志をもった財力 - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』
古くより「ほんなみ」と訛って発音する。
代々、日本刀の目利き(鑑定と研磨)を家業として承継しており、本阿弥光悦はアーティストとして有名だが、本来は刀剣職人なのである。
光悦も実は本阿弥宗家の分家(光ニ系)で、本阿弥周子は正確には光味系の分家であるそうだ。
本阿弥周子女史の御尊父(本阿弥光博・コウハク)もまた、刀剣界の重鎮で、
『日本刀鑑定法(上・下)』(1973)雄山閣刊
という権威ある専門書を上梓なされている。
以上、サイト『名刀幻想辞典』を参考にした。]
__ 風流人・本阿弥光悦のご連枝でいらっしゃる、お名前は正確には「ほんなみ・ちかこ」とお呼び申し上げる、室町以来の名門の出自で、実に雅びな風情があった
【画像:フジテレビドラマ『大捜査線』(1980)より】
細面で鼻筋が通り、名門の家柄らしく頗る端正な美形であり、所作もその身分にふさわしい立居振舞いがお出来になる素養が身についていた(やはり、時代劇には 日舞の嗜み が必須であるよーだ)
お姫様のお忍びの男装も凛々しく、ポニーテールが靡くさまが実に美しくて溜め息が漏れたものだ
彼女は、後年日活ロマンポルノに移って、艶技もこなしたわけだが、もっともっとお姫様役を演ってほしかった
筋目正しく、ちょっとわがままなお姫様のもつ、生まれながらの威を帯びていて、畏れ多い感じでひれ伏したくなる気品があった、ツンデレのドSの妙味も多分にあったことと思う
最近の女優では、おられないなあ〜 檀れいに公家の高度な教養を備えさせたニュアンスかしら?
【写真/世界文化フォトより。本阿弥光悦がデザインした「光悦垣」(光悦寺の庭園)。竹🎋の丸みが、美しいですなあ♪
アブストラクトの岡本太郎が、唯一認めた日本の画家が尾形光琳(『紅白梅図屏風』の抽象表現に感動した)であった。その「琳派」の嚆矢濫觴となったのは、本阿弥光悦その人と彼が育てた若き偉才・俵屋宗達であったことを思えば、小さな光悦村で国宝を産み出したのですな。このお二人の共作は、一筆しくじればすべてが台無しとなる緊張感のなかでの、当意即妙が実に清々しい奇蹟の合作なんですね。】
一昔前に、新垣結衣と草彅剛の時代劇 『BALLAD 名もなき恋のうた』(2009) を観て感じたことが、お姫様と侍大将とのラブ・ストーリーだったが…… ガッキーの立居振舞いは、長屋住まいの町娘のそれだった
正座ひとつ取ってもサマにならず、着物の着こなし、裾さばきなど見るに堪えないお粗末な「おひめさま」だった
丹田に力を込めて、背筋を立てるのは、武術(小太刀や薙刀)をたしなむ武家の娘さんならば出来て当たり前の所作である
猫背でパソコンやスマホに向かう現代女子とは、身に纏う佇まいに雲泥の差があったであろー
特に下半身、「仙骨」なんかのつかい方に慣れておられただろーと思われる
昔は、いまみたいに生理用品が発達していなかったから、みずから意識して締めて経血が滴り落ちないよーに出来たものらしい
[※ 三砂ちづる女史『オニババ化する女たち』(2004)参照、ちなみに最初の単行本でのタイトルは『昔の女性はできていた―忘れられている女性の身体に“在る”力』である、推して知るべし
WHOが、発展途上国の女性の不衛生を心配して、生理用品をしきりに配ったところが…… アフリカなどの現地の女性たちは自分の意識で、流れ出る血を抑えたり放出したり出来ることが分かって大恥をかいたとゆーエピソードも語られていた]
ー昭和の頃は、こーしたお姫様だけでなく、若殿様役のいい役者も幾たりかいたもんだ
映画『魔界転生(1981)』に出てらした、徳川家綱を演られた松橋登さんなどは、端正な風貌にキリリとした若殿振りでいらした
まさに「お殿様」と云った、威厳と鷹揚さを併せ持った高位の貴人を演じられる俳優が存在した
田村正和も、若殿を演らせては右に出る者がいないほどの、眉目秀麗な若武者振りで眩しいほどの花があった
TV時代劇『運命峠』の秋月六郎太役が秀逸であった、立ち回りも堂に入っていた(実は、このドラマが地方TV局ゆえに急に打ち切りになったことから、柴田錬三郎『運命峠』を買い求めたのが、私の読書の始まりであった)
阪妻の息子だけに、二本差しの武家の所作が完璧なのです
【美しすぎる剣士と云われた、NHK『鳴門秘帖』の法月弦之丞役】
いまは、やっぱり演れる役者がおらんなあ、佐藤健くんなんかは実に端正な顔立ちだが、口元に城主や将軍家の格式とゆーか、品位が感じられない、動きすぎる唇が瑕瑾ともいえる、健くんでは笑い顔に歪み(照れ?)があり、天真爛漫な「殿様笑い」が出来ない
知性は、口元に露わになるものらしい
たとえば、鈴木亮平は口元が締まりすぎて、東京外語大出来の知性が隠せずに出てしまって、そこがスケールの小ささに繋がっている
日本人は、才気走った人柄を好かないとゆー歴史的な傾向があるから、鈴木亮平の知性が癇にさわる処があるわけ、馬鹿な演技がうまくないと大役者にはなれん
時代劇のお姫様では、NHK大河『風林火山』に出ておられた、由布姫役のお嬢さん、柴本幸 は実にお姫様然としてらして、凛として素晴らしかったのを思い出す
たしか、柴俊夫と真野響子(この御方の美しさは別格で、角松敏生の楽曲「クレッセント・アドベンチャー」のモデルになられた程の美貌の貴婦人なのだ ♬ )の娘さんだったはず
【画像=NHK大河ドラマ『風林火山』より、由布姫(武田勝頼の生母)役の柴本幸】
【真野響子の佇まいからインスパイアされて出来上がった佳曲、1981年デビューの角松敏生の「海のサウンド」は、当時流行りはじめのサーファー🏄達から抜群に人気があった 】
【 若き日の真野響子女史、1978年のカティサークのカレンダー📅より。このセンスのよい肖像写真は「現代の美人画」として人気を呼んだ】
やはり、口元がネックになる
早口や悪口に唇を慣れさせない日常が大切なのだと思う、何かを訓練して身につける「口元」ではなくて、「しないこと(現代人みたいな軽口を叩かない)」によって形成された「口元」でなければならない
賢い女は、口元に締まりがある、節度のある限定(不自由さ)があると私は観ている
_________玉の海草