質問者:ハイル禅師 「業」の存在意義とはいったい
何なのでしょうか?
私:人はそれぞれ業(カルマ)を背負って生きておりますが
人によって人間関係・金銭問題・病苦・災害等 或いは
それらの複合という形で双肩に圧し掛かっております
霊的に言えば背中に鉄板のように悪業が張り付いている
のであり この悪業(先天劫)が重い人は神仏に悪因縁を
切って頂かないと急死する場合もあります
業(カルマ)とは生まれ落ちた時点では先天劫の具現化した
形であり後天の悪業は現世での悪い行為に因り増えていきます
業は神が天罰を下したと言うより自分の悪業により学習する
機会を与えられたと高度な解釈もできると思います
業病と呼ぶべき重い不治の病の人で重い業や障害を持つ人
の中には素晴らしい知恵を獲得している者もいる
つまり人は業においてこそ悟る機会を与えられており
解脱への道は座禅や念仏及び写経といった形式的な
偉業において開かれる場合もありますが苦難を伴わないと
人は根本的な進歩は見込めないからであります