質問者:ハイル禅師 聖者は清貧が素晴らしいと思うの
ですが深見教祖が高級時計店を次々と出店させて
おります これは神意に叶っているのでしょうか?
私:確かに古来より聖賢や聖者は清貧を美徳として
貧者救済が目標となってきた経緯があります
だから深見教祖が複数の企業の社長となり手広く派手に
商売していることに疑問を持つ人もいるでしょう
だが現在はすでに真の末法の世となっており
ミロクの世になる為の布石になる時代になっております
聖者が貧者と共に生きる時代は過ぎ去り 財を生かし
富を善用し磨けた心の貴族としてある神の使いこそ
ミロクの世の天使となる
神試しは金試しでもあるが金が詰まると心が詰まる
ようでは神と共にある人とは言えない
人間は金に執着しており 囚われの人の悲しきは
金があれば油断するし金がなければ心が荒ぶことです
ゆえに神人が沢山の企業を運営して金儲けしていると
甲斐性がない人には嫉妬心が生まれるが この嫉妬心と
偏見こそ聖者は清貧であるべきだとする固定観念なのです
結論から言えば深見教祖が企業経営しているのも
神意であり 今の時代の趨勢なのであります
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