ハイル禅師語録

ハイル禅師語録で奇跡の開運

霊体と霊光

2016年02月14日 | 教え
質問者:ハイル禅師 霊体の大きさと
霊の光の強さは比例するのですか?

私:生前に高い地位にいた者や 
権力のあった人などは 霊界に行っても
かなり大きな霊として 霊体を持つことになりますが 
これは念の強さであり その人の自信なのです

霊力の根源として 自信・やる気・夢・希望・気力・
根性・迫力・体力・集中力などが集まり
実力や権力の源となります

つまり 自信を持った者は 霊体が大きいと言え 
霊界での豊臣秀吉の霊体は二千メートルというので 
大霊であることがわかります

また オリンピックで活躍するスポーツマンなどは 
かなり霊体が大きいのだが 光が無い人が多いのです

光るには 学問・宗教・芸術・或いは 悟りなどを
マスターする必要がある

かといって 学問と宗教に強く 
悟ってばかりの人は 光は明るいのだが 
霊体が小さいのです

ようするに 霊体も大きく 光も強くするには
スポーツや武道で励んだり
出世して地位を手に入れたり
企業経営などで 実力や自信をつけつつ 
謙虚に真理を学ぶ姿勢が必要であり
光っている人は 温かみと人徳があります

ゆえに 霊体の大きさと 霊光は
比例するとは限らないのです

徳の相乗り

2016年02月13日 | 教え
質問者:ハイル禅師 徳の相乗り法則とはどういう
意味ですか?

私:前世の徳がある人が 例えば100人救った家系に
生まれ 前世の劫がある人は 例えば100人殺した
家系に生まれることを「相乗り法則」といい 
先祖が悪いから 自分が不幸になったというのは 
責任転嫁でしかない

相乗り法則を 私は「相応の理」と呼びますが
同じ意味です つまり ピッタリ 不合理が無いように
生まれるわけだが「天網恢恢疎にして漏らさず」の如く
一点の誤りの無いように精密にその人の劫数が出ている
ので ふさわしい家系にピタッ!と生誕するのである

先天の徳分は 四柱推命で推し量ることができ
寿命や命運の傾向なども 80%以上確定します

また 徳の相乗り法則にはもう一つ意味があり 
無限の徳と有限の徳の持ち点も計算されており
無限の徳とは 芸術・学問・信仰心のように 
何度生まれ変わっても無くならないもので
有限の徳とは 前世に一億円分を寄附した人は
現世で1憶円分以上の余慶の幸福が来て 
それで消える徳のことです

このように 人は 無限・有限の両徳が揃って
初めて 満足に幸運が開花するのです

御魂の形

2016年02月12日 | 教え
質問者:ハイル禅師 御魂というのは 丸い形を
しているのですか?

私:霊が移動する際 人魂が火の魂となって
自分が亡くなった家の上空を徘徊する姿が 
まれに見られますが 本来の御魂というのは 
実は少年・少女の姿をしております

霊格の極めて高い人物が「天眼」で見ると
十五センチぐらいの少年・少女の姿になっており
感性がとても豊かであると述べています

この小さな少年・少女は 本人と同じ顔をしており
御魂でも一霊四魂の内「奇魂」部分であるので 
芸術などにも奇魂は歓喜感動の本体であることから
多くの素晴らしいひらめきやインスピレーションを
与えてくれる実体でもあります

御魂は本来球体ですが天眼に写るときは このように
小さな人形のような少年・少女の姿で現れます

私達人間は現世で既成観念を身に付けているので
心霊的内容には理解しにくい部分がありますが
霊界上部はメルヘンの世界となっております

私達は本来は そう言うメルヘンの世界から
出生してきており メルヘンの世界が真実であり
現世は「仮の世」であり 虚像の世界なのです

定年後の心構え

2016年02月11日 | 教え
質問者:ハイル禅師 定年後に すぐポックリ逝く
サラリーマンの原因は何ですか?

私:普通の人は会社で働くときは 
マイホームを建てる夢もあり必死で頑張ります 
だが定年になりゆっくり余暇を楽しもうと思うと
ポックリ逝く人もいるが その原因はいくつかあります

それは生き生きと生きている人は御魂が発動しており
守護霊のガードも非常に堅いものですが 
安穏怠惰になると邪霊を吸い集めてしまうのです

六十三歳の経営者が そろそろ引退して
世界旅行でもしたいとか 今まで忙しすぎたので
のんびり暮らしたいと思います

この人は霊体が非常に小さくなっており志もないので
向上心もなく安穏怠惰になっておりますが
「御魂が死んでいる状態」と言えます

もちろん輝いていないので霊の光もなく 若い頃から
その者を狙っていた家伝の因縁霊(怨念霊など)が
ここぞと襲いかかって ポックリ逝ってしまうのです

定年後は お金もあって 幸せな老後みたいだが
本当は一番危険な時期なのであります 
ほとんどの人は「救霊」などは無縁であるからです

結果 人生に定年はなく死ぬ瞬間まで目標と覇気を
持って生き続ける必要があるのです

神と魔の違い

2016年02月10日 | 教え
質問者:ハイル禅師 神と魔の違いとは何ですか?

私:神の働きと魔の働きと言うのは陰陽の関係にあり 
どちらも必要であるので存在するのだが 
普通人には両者の見分けが付かないことも多いのです

例えば神の働きと言うのは「御魂の向上」にあり 
魔の働きは「御魂の低下」にあるが 
ある会社で厳しい上司が あなたの欠点を指摘して
細かく ガミガミと言い せっかく打ち込んでも 
あなたの横にいる同僚が「あなたは悪くないわよ
 気にしないでいいのよ!」と励まします

一見すると魔が上司で 神が同僚に思えるが
お互いが優しくやっていける相手とは心地がよいので
「もっと頑張らないと」ではなく「そろそろ休もう」
とか「今日も疲れたわ」というように
安易な方に流されてしまうのです

私も学生の頃に講義は「さぼればいいじゃん!」
とかいう友人がいたが 自分は出席しており 
魔だったということに 今頃 気づいた次第です

厳しい上司と言うのは 実は神で
「観音の化身」であることが多いのです

その人の御魂を鍛えるという観点から見れば
そう言う人は御魂を磨く砥石であると結論できます

神道の教え

2016年02月09日 | 教え
質問者:ハイル禅師 なぜ 神道が五次元の教えと
言われるのですか?

私:儒教・キリスト教が三次元 仏教が四次元
神道が五次元の教えである理由は複数あります

神道には 神を敬い 祖先を大切にする
「敬神崇祖」と言う考え方があり 
他宗教が 神仏と人間が隔絶した存在であるのに対し
神道では 自らの御先祖も丁重にお祀りすることで
私達を見守って頂ける神 
即ち 御祖神と深い繋がりがあります

神社の神が 人の魂の先祖にあたり
人の魂の出生は「大国主の尊の系統とか
少名彦の尊の系統」とか必ずあります
神道では 神代の時代のように
神と人とが密接に交流することが本義であり
神が崇拝される存在だけの教えは低く人が 
霊格を向上して 神と一体となることを望まれています

つまり キリスト教・儒教・仏教が神と人との距離が
あるのに対し 神道は 「神人合一」が目的なのです 

無論 仏教でも 仏人合一や即身成仏などがあり
四次元なので レベルは高いです

三次元とは 現実界(現象界)の教えであり
四次元とは霊界(実在界)の教えであり 
五次元の神道は 神界の教えとなるが 
これら 三界の教えを正しく学ぶ必要があります

神社参拝の順番

2016年02月08日 | 教え
質問者:ハイル禅師 神社参拝に行く際
 他で用を足してから参詣するのはダメですか?

私:「神は順序なり」と言われています
神社への参拝以上に優先すべきことはないはずであり
用が主になり 神仏が従になれば 
参詣の意味がないのです

この順序とは 物事すべてに当てはまります
家を建てる際 子供部屋を二階にすると
親の居間が下位になり
子供が親の言うことを聞かなくなり易く
部屋に座る場合も 家長は上座に座り 
妻が次 長男・次男・次女と言うように
順序よく座ると円満裡になりやすい

また 部屋の入り口に近い所が下座になるが
玄関先が一番の下座となり
ここで寝起きすると 小間使いの立場にされやすい

霊的に敏感な人が集会にいくと座席の順序がおかしいと
不快な空気が漂っていると述べており
位の上の者が上位に座るべきなのです

また 左右は 左が「霊」で上位であり
右が「体」で下位になるが
右利きが多いのは「体」であるからであります

これらの理により 左大臣は右大臣より上位になるのです

人生に行き詰まりを感じる

2016年02月07日 | 教え
質問者:ハイル禅師 私は人生に行き詰まりを感じます
どうやれば打開できるのでしょうか?

私:人生に於いて行き詰まりを感じない人はいない
はずです 行き詰まりとは 心の閉塞感であり
叡智と努力が足りない人が 打開に苦しむのです

よく人は行き詰まりと言う言葉を使うが これはモノ
の真相を弁えないからです 何事にも行き詰まりが
あるから発展するのであって 厳密には行き詰まり
ではなく駆け出し過ぎては息が続かないので 
一休みするのと同じわけで いわば「節」と
言えるのです

これは「竹」を見てもわかるとおり 
伸びては節ができ 伸びては節が出来るから
丈夫に育つわけで 伸びるばかりで節がなければ 
あの強靭な「竹」とはならない

従って節の少ない「竹」ほど弱く
節の多いほど強いのは そういうわけで
自然を見つめればわかるものです

即ち人生の壁や試練の少ない人は弱くて伸びず 
壁や試練が多くそれを乗り越えて来た人ほど 
強くて伸びる人なのです

こういう壁や試練にぶつかった際に困るので
人は不断の努力で知恵をせいぜい磨いておくべきであり
真理の学問から来る叡智が危急の際に助け舟となるのです

御親元素大御神

2016年02月06日 | 教え
質問者:ハイル禅師 なぜ 御親元素大御神様を 
主の神と言うのですか?

私:主の神(スの神)と言われるのは
文字通り 最高神であり
あるじの神だからであるが それとは別に「主」には
深い神意が含まれているのです

主の字の上中下の横線三本は
天地人・日月地・五六七・神幽現と言う意味で
それを縦の棒が貫き 一番上に「チョン」が載っている

これは 西洋思想と東洋思想が
それぞれ離れ離れであったのが 時節到来 
十字に結ぶ事になったと言う意味を示しています

即ち 主の字の真ん中が十字であり 
上下の横棒は天と地であるが人間界は天地の間にあるから
人間界が十字に結ばれることを示唆している

カミとは カ(火)ミ(水)で 火は縦に燃え
水は横に流れるが これが結んでカミとなり
神皇産霊(かみむすび)の働きという 
また 仏(ホトケ)は ホドケルの言霊で
それを結ぶのが神の働きなのです

キリスト教徒の十字架や
胸で十字を切るのも結びの意味であり
仏教の卍も同様で 十の字に結ばれると
左回転の霊で 正の回転が始まり
逆卍になると 右回転の体で 負の回転となるが 
それぞれのエネルギーが発動するのです

霊能者によって霊の見える数が違う

2016年02月05日 | 教え
質問者:ハイル禅師 霊能者によって人に憑依している
霊の見える数が違うのでしょうか?

私:霊能者と呼ばれる人は意外と多いのだが 憑依霊を
審神(さにわ)し 神仏を降ろして 除霊が出来る人が
ほとんどいないのは 霊層と霊格が低く技術もないからで 
ある

つまり 霊能者にも高下正邪があり 自分の霊層より
低い霊は ある程度 見えるが 表象能力(化身)を
使う忍者や山伏の怨念霊などは 地獄霊でも 
ほとんど見えていないのが現実である

ある霊能者が あなたには 自殺したご先祖さんと
胃癌で死んだお爺さんの霊が憑依しているというが
この二体ということはなく 普通の人で二十体~五十体
程度の憑依があり ガンや交通事故で死ぬ人には 
数千体以上憑依している事もザラにある

つまり 神の位の霊能者で 初めて憑依霊の数と質が
正確にわかるのです

また 高下正邪というのは 
霊格が高い人・低い人 や 善人・悪人と言う意味です
霊能者にも善悪とレベルがあり 波長同通の法則により 
自分よりレベルの高い霊は見えていません

霊障を憑依させる理由

2016年02月04日 | 教え
質問者:ハイル禅師 神仏は なぜ人に霊障を憑依させ
ているのですか?

私:人は前世と現世で さまざまな罪穢れを蓄積させて
生きていますが 神が定めた「因縁支配の法則」があり 
人の行い(カルマ)によって マイナス面が残れば
必ずそれを清算しなければならず
その清算の媒介が家系の憑依霊なのです

家系に憑依する霊の種類は 
① 地獄の先祖霊 
② 怨念霊 
③ 動物霊 
④ 生霊 
⑤ 水子霊 
⑥ 木霊・井戸霊 がメインとなり
どの家系も これらが複合的に憑依していますが
神仏は一石三鳥の大きな角度からの考えで
自分の先祖・他人の怨念霊・子孫の三者が苦しむことで
「劫」の清算をさせるのである

前世で 善行が多かった人は 
五十体のマイナス霊が存在しても
守護霊も 五十体以上で守護されているので
霊障が出ずに 百歳前後で老衰で亡くなります

前世で 悪行が多かった人は 
五千体のマイナス霊が存在したとして 
守護霊が 二十体なら 力関係により 
霊障が吹き出て ガン・脳卒中・心筋梗塞
難病奇病・交通事故などで 
不幸に遭い 殺傷され 寿命になります

これを「相応の理」といい 
人は自分にふさわしい家系に生誕してくるのである

真理や宗教を忌避

2016年02月03日 | 教え
質問者:ハイル禅師 大部分の人は
なぜ 真理や宗教を忌避するのですか?

私:理由はいくつか挙げられますが
 ① 霊格と霊層が低い無知な人が多いこと 
 
 ② 霊格が低いマスコミの人達が
 動物霊に憑依された後 宗教叩きをして 
 世間を喜ばせていること 
 
 ③ 特殊公益法人として宗教の団体を設立し
 詐欺で荒稼ぎをするものがいることなどです

宗教が嫌われる理由は無数にありますが
宗教者や宗教信者の言動の悪さや融通のなさ 
自在性がなく 偏狭な固定観念に捉われている人がいる
のも普通の人を遠ざけていると思います

宗教だけではなく 真理を忌避する人もいますが
この人達の共通点は 前世も現世も学がなく
目に見えない霊の話は 信じにくいからと抗弁するが
実際は 自分に憑依している 邪気・邪霊や動物霊により 
真理から遠ざけられているのです

こういう人達は「救霊」すれば 
ある程度 素直に物事が考慮できるようになりますが
お金に執着が強いので 縁がないでしょう

宗教とは 本来 神が人間の救済と啓蒙の為に
地上に降ろされたもので 胡散臭いものではなく
真理を正しく伝える役目を持つ学校とか唯心教育とかの 
御教えのことなのである

悪因縁が深い家

2016年02月02日 | 教え
質問者:ハイル禅師 僕の家の御先祖は
偉い武将でしたが 大きな因縁を引き継いで 
不幸が多いのですが 悪因縁が深い家は やはり 
ダメな家柄なのでしょうか?

私:良き御魂ほど神によって「劫」を積まされることも
あり 因縁がきつい家というのは 先祖霊が意外と優秀な
ケースも多いのです

私の家系も 父方が地主で母方が武士ですが
身分が高く 粛清もしている御蔭で 
私は 幼少期に盲腸をしております

盲腸の手術は「因縁の調整」の意味があり 
現世で 人体にメスを入れられる人は 前世に於いて
他人をあやめているケースが多くあります

因縁が深い家には 強烈な怨念霊が多数 
家系に憑依しているので 脳卒中で半身不随にされたり
ガンで殺されたりするわけです
ほとんどの人は運が悪い人だったね!というが
事実は 霊障が暗躍している

私の家系も 脳卒中で半身不随になる様な家柄ですが
先祖は 高学歴で優秀な人が多いのです

悪因縁が深い家柄と言うのは 守護霊が優れている場合も
あり 必ずしもダメな家系とは言えず
私のように「なぜだろう」と学ぶ人もいるので
幸福なら 学ばなかったと思います

ゆえに 必ずしも悪因縁「悪」ならずとも言える

低額料金の除霊

2016年02月01日 | 教え
質問者:ハイル禅師 除霊は近くのお寺の僧侶が
三千円~九千円の間でしてくれるのですが
どう思いますか?

私:人間とは あさましいもので無料とか安いのが
本当の善意ある霊能者と思う人が多いのだが
実際に先祖代々の因縁霊はほとんど外れていません

一般的には先祖代々家系に憑依している怨念霊や
地獄の先祖霊を「家伝因縁霊」と定義すると 
飲み屋街やお墓や病院で憑いた地縛霊や浮遊霊を
「憑依霊」と呼ぶ

無料や低額料金で お祓いをする霊能者や僧侶は
この後者の「憑依霊」を数体外して除霊完了なのが
現実の姿です

また高額料金をとり 霊も因縁も外せない霊能者や
団体は詐欺ですので これは論外です

人は霊障と劫と言うものを甘く考える傾向があります
プラダのバックの十万円は安くても救霊の三万円は
高いと言う人が多い

神様の言葉には「霊障や劫が五割でも外れるとすれば
三百万でも安いと言われるが なぜなら病気や事故や
天災で死ぬべき 天の命数が変更されるからだ」と
述べているからである

仏教者で無料や低額で除霊される人の心意気は喜ばし
いのだが 神権が無い為 表面的な霊しか外れず
怨念霊などは残っています なぜなら劫が取れないと
根本的な霊障は外せないからでもあります

これらの霊は「観音様」の許可のある 
救霊でしか 外せない霊達なのである