今朝の8時ごろ旦那の携帯に入院中の病院から「容体が悪くなって来たのでご家族の方会いに来てください」と連絡あった。
慌てて支度して8時半ごろ出発。病院までは車で30分弱かな。
到着して一応回復してたけど普通病棟のベッドに空きが無かったのでコロナ病棟に入院してたんだけど
ポリの割烹着にゴム手袋にN95マスクをして病室に入る。
姑は肩で息をしていて、私たちが声を掛けてももう判らないようだった。酸素がうまく取り込めない状態で。
酸素マスクもしていなかった。してもここまでくると効果無しらしいので。
目は見開いてたけど見えてなさそうで瞬きもしなかった。
でも自発呼吸はしている。
耳元で大声で「おばあちゃん、早くうちに帰って甘いもの食べましょう」と声を掛けたけど反応が無い。
でも看護師さんは「聞こえてらっしゃるけどそれを情報として脳が処理出ない状態」と言う。
担当の先生が来て旦那と説明を聞きに中座する。
別室でまあ、もうあまり時間は残ってないことを説明して貰ってると看護師さんがモニターで
「あ!塩田川さん(仮名:姑の名)の脈が下がってきてます。急に数値が」と叫んだので慌てて病室に戻ると
姑は目を閉じて既に呼吸をしていなかった。
先生は姑の手を取り「塩田川さん、頑張ったね」と優しく点滴の後の絆創膏の貼ってある皺くちゃの右手の甲を撫でた。
こういう先生に診てもらいたいなぁと考えてしまった。
間もなく義弟が到着して私と入れ違いに病室に入り私は防護服を脱いで外のソファで待っていた。
これからいろいろやることがある。沢山。
取り敢えず葬儀社の方を呼んでそこの霊安室に入れて貰う。8月15日は終戦記念日でお盆で姑の命日だ。
今年になって2度目の入院だったけどまた戻って来ると思ってました。
担当の先生とはこの時が初対面でしたが「人生100年なんて言われてますが人間そんなに生きられるものではないんですよ。」と仰って、
私は「ではおばあちゃんはでは老衰で亡くなったんですか?」と伺うと「そうですね」とのお返事。
魂を入れる器である肉体がこんなに衰弱してしまっては生き長らえることは難しいし無理やり生かすのも酷な事です。
そのことは旦那と義弟が「無理に機械に繋いで延命措置などはしないで下さい。本人の苦しみが続くだけで我々も本人も望んでいません」と書面にサインをしたので。姑は多分目を閉じてふぅ~っと絶命したのだと思います。あまり最期は苦しまなかったでしょう。やっと眠れたという顔でした。
本当に毎日暑いですね。
21日通夜22日告別式ですのでそれまでは倒れられません。
まだ姑の体は帰ってないので一休みしてます。
本当に最後は優しい良い先生で良かったなとしみじみ感じます。
合掌。
優しい先生で良かったですね。
亡くなられていても、きっと声は届いていると思います。
暑い時期で大変ですが、体調に気を付けてくださいね。